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セーラ その一

 「好きって言ったら怒る?」

 二人の空気が変わった。

 賑やかな宴会の片隅で、そこだけ切り取ったように静寂に包まれる。

 「じょ、冗談だろ?」

 上ずった声で、男が呟く。

 セーラは瞬きをして、フッと笑った。

 「当たり前じゃない! 冗談よ! なぁに? 本気にしたの?」

 細められた目の端に光るものが滲んでいても、顔を背けている男は気づかない。

 「ったく! 一瞬本気にしただろう? 性格悪いな!」

 「おばちゃんでも、グラっとした?」

 もう、いつもの明るい顔をして、セーラはいたずらっぽく微笑む。

 「しねぇよ! するわけないだろ! 俺のタイプはマイラみたいな…………」

 「はいはいはいはい! 聞き飽きたわよ!

 ほら、そういうことは本人に言いなさいって、いつも言ってるでしょう?

 今、私が見せてあげたでしょう?

 こんな感じで言い出せば、ヘタレのあんたでも告白できるわよ。

 それともアレ、指を咥えてみているつもり?」

 セーラの指し示す先に、件のマイラが、衛士の青年に肩を抱かれて体を小さくしていた。

 「……行ってくる」

 男の目が座り、人懐っこい子犬のような表情が一変した。

 「行ってらっしゃい、武運を」

 セーラが杯をかざすと、男はそれを乱暴に受け取り、一気飲みして立ち上がった。


 男の背中を見送ったセーラは、男が衛士からマイラを奪い取り、マイラが顔を赤らめて男を見上げたところまでを見守り、そっと席を立った。


 王太子棟に仕える者たちは、レスリーの立太子に沸き返っていた。

 自分たちが未来の王に仕えているという誇り、レスリーの優しさと公正さへの慕わしさ、王太子と言われながらもどこか日陰の身であった空気の払拭。

 それらがない混ぜになり、まさに老いも若きも大爆発していた。

  執事長のリヒトの采配で、最低限の人材を残し、今夜は無礼講となっている。

 ガーデンパーティー用の庭を使って、楽隊の奏でる音楽に、お仕着せにわずかばかりの花を飾って。

 会場のあちこちに出来上がるカップル。


 セーラは、身を寄せあって踊り始めた男女に目を細め、口の中で呟く。

 「お似合いだわ、まったく」

 そして、光り輝く会場に背を向け、歩き出した。



 セーラは商人の娘で、二人の弟を持つ姉だ。

 父を早くに亡くし、通っていた学校も中退して、給金と信用を得るために王宮付きメイドになった。

 少しタレ目の優しそうな顔立ちだが、責任感の強さと仕事の丁寧さに定評があり、彼女が指導役になると厳しくしごかれると有名だ。

 そのせいか、婚期を逃して久しく、浮いた噂の一つもない。

 給料はその殆どを仕送りに当てている、とも聞く。

 休日も、王宮内の友人を訪れるばかりで、娘らしい装飾品一つ身に付けることない。


 一方、男よりも頼りになると言われるセーラのもとには、様々な相談事が持ち込まれる。特に、彼女に相談した恋相談は、七割の確率でカップルが成立すると言われていた。

 気になる人ができたらセーラに聞け、と言われるほど。

 そんなセーラが今日も一組カップルを作り上げ、厩のそばで蹲っていた。


 俺が近づくと、セーラは気だるそうに横髪をかきあげ、俺を仰ぎ見る。

 「なぁに? こんなパーティーの日に、馬に用事でもあるの?」

 膝を抱え込んで座り込み、立ち上がる気配はない。

 いつもは柔らかく響く声が、今はイヤにとげとげしかった。 

 「それはセーラもだろう? こんなところで一人でいたら、幾らここ(王太子棟)でも危ないぞ?」

 「大丈夫よ、こんなおばさん、誰も相手にしないんだから」

 酔っているのか、少しろれつが回っていない。

 よくよく見ると、セーラの足下には酒の瓶が二本転がっている。あたりには強い酒精もただよっていた。

 セーラを見失ってからここにくるまで、それほど時間が経っているわけでもないのに、もはや二本。

 俺はいささか呆れて肩をすくめた。

 「おばさんかどうかんなんて、暗がりでわかりゃしないだろ?

 女なら誰でもいいって奴だっているんだから……」

 「ど、どうせ! 私なんて、ぎりぎり女のカテゴリーに入ってるだけのアラサーよ! バカにして!」

 よほど酔っているのか、セーラは叫び出すと、手近にあった空瓶を俺に投げつけてくる。

 俺はそれを軽く避けた。

 パリン、と硬質な音が響き、セーラがさらに目を怒らせた。

 「ちょっと! そんなところに割れた瓶があったら危ないでしょ!

 誰が掃除すると思ってるのよ!」

 「俺じゃないことは確かだな……」

 衛士の俺に掃除の役割はない。

 セーラは厩にかかっていたランタンを乱暴に外すと、俺に押しつけてくる。

 「掃除しない奴は汚さないで! いいから、これ持って照らしててちょうだい!」

 何でもかんでも私に押しつけて、と口の中で呟きながらも、セーラは空いた手で空中に魔方陣を描き出す。

 淡くピンクに輝くそれは、小さいながらもどこか暖かみがあり、セーラの人柄を思わせた。

 「ランタン、ちゃんと高く持って!」

 「はいはい」

 「はい、は一回よ!」

 さすが長女と言うべきか、俺の適当な返事にも鋭く指導を入れ、セーラは魔方陣を描き上げた。

 ランタンのオレンジ色の明かりに照らし出された石畳の上で、割れた酒瓶が一斉に浮き上がる。

 「僅かな一欠片で馬が怪我するかも知れないでしょ? そうしたら、厩番のゲイルは明日から路頭に迷うことになるわ!

 先月、赤ちゃんが産まれたばかりなのよ?」

 セーラは酔いに頬を染めながらも、至って生真面目な顔で説教を続け、元はと言えば自分が放り投げた瓶の割れた原因が俺だと言いたげに怒り続ける。

 「じゃぁ、俺が避けなければよかった、って言うのか?」

 「当たり前じゃない!」

 セーラは集めた瓶の欠片を厩にあった麻袋につっこみ、断言した。

 魔方陣は消え、ランタンだけに戻った明かりが、セーラをオレンジ色に染める。

 「……俺が怪我をしたらどうするんだ? 俺は衛士で、怪我をすれば明日から路頭に迷うんだが。

 あんたが養ってくれるのか?」

 俺が厩の壁により掛かりながら問うと、セーラが訝しげに振り向いた。

 「はぁ? 何言ってるのよ。あの程度で、あなたが怪我するわけないじゃない、アーロン・ベイ。

 衛士の中でも指折りの強さで、騎士隊からの声だってかかってるんでしょう?」

 「…………………………俺のこと、知ってたのか」

 情報通とは言われているセーラだが、俺のことも知っていてくれたのかと、胸がざわめく。

 過去に一度しか話したことはない。そして、それ以来、一度も近づいたことがない俺のことを、彼女は知っていてくれたらしい。

 「だって、あなた、有名人だもの。

 まぁ、私のことは嫌いなんでしょ? 近づかないにこしたことないわよ」

 セーラはスカートの後ろについていた飼い葉くずを払い、苦笑を浮かべて肩をすくめた。

 酔いは醒めたのか、寂しそうに目を細め、茂みの向こうのパーティー会場を遠い日の情景のように見つめる。

 「俺が……あんたを嫌い?」

 予想もつかないことを言われて、俺は言葉に詰まった。

 セーラはランタンを厩の所定の位置に戻す。

 「えぇ。だって、あなた、私に絶対に近づいてこないじゃない?

 私の話題が出ると、その場からいなくなっちゃうって、そういう話でも有名よ。

 まぁ、ねぇ。

 口うるさいし、おばさんだし、可愛くないし、だからといって年上っぽい色気もないし。

 近づいて得する要素もないから、仕方ないんだけどね」

 

 俺から背けられた顔にどんな表情が浮かんでいるか、俺にはわからない。

 僅かに震えた背中。光の輪の中には、セーラに背中を押されたばかりの男が、一人の少女の腰をしっかりと抱き、くるくると回っていた。


 「俺があんたを避けていたのは、嫌いだからじゃない」

 「いいのよ、無理しなくても」

 子供を諭すような顔をして、セーラが俺を振り向いた。

 「もうすぐ三十。おばさんなのは、十分自覚してるから」

 目の縁を赤くしているのは、酔っているばかりじゃないだろう?

 悟ったような、諦めたようなセーラの姿に、俺は怒りがわいた。

 「好いた男が別の女を好きでも、それを蔑まず、背中を押してやるあんたはすごいと思う!」

 怒鳴るように言うと、セーラは瞬きをして、頬を赤く染めた。

 「やだ……知ってたの……?」

 照れたように背けられた頬のラインがランタンに照らし出される。

 「つらくて一人で泣いていたのに、割れた瓶と厩番のことをちゃんと気にできるあんたはすごいと思う!」

 俺は言葉と同時にセーラに歩み寄ると、驚いて後ずさった彼女の細い腰をしっかりと抱きしめた。

 「……アーロン?」

 「その……あんたを避けていたのは……あんたはすぐに何でも知ってしまうから、近づいたら……気づかれると思って……」

 「ちょっと、アーロン、どうしたの? ……あなたまで酔ってるの?」

 下から心配げにのぞき込まれると、長いまつげや、ぽってりとした唇の輝きまで見て取れて、心臓が高鳴った。

 間近にあるセーラの身体からは、先ほどまで飲んでいただろうアルコールと、花のような甘い香りが漂い、俺の平常心をどんどん奪っていく。

 あぁ、柔らかい。

 「ちょっと、アーロン! ねぇ、もしかしてあなた、本当に酔ってるの?」

 セーラのむき出しのうなじに鼻をこすりつけると、暖かくて刺激的なにおいがますます強くなった。頭がくらくらする。まっすぐに立っていられそうにない。

 「なぁ、いい加減……」

 俺のことを見て……。

 言葉は口の中で消え、俺は我慢できずに白い肌を思い切り吸った。

 「アーロン? ちょっと、誰か! 誰か来てちょうだい! アーロンが!」

 慌てているセーラが可愛いな、とか、せっかく二人っきりなのに何で他人を呼ぶのか、とか、いろいろ考えていたことはあっと言う間に真っ白に染めあがった。


 その後どうしたかなんて野暮なことは語るまでもないだろう。

 翌日、俺は二日酔いで寝込んだ。 

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