1-15 エインツ祭開幕!
空に幾筋もの白い光がたなびいていた。まるで低い雲のようにゆらゆらと、煙のようにはかなく空に舞っていた。
近衛魔術師団の打ち上げる発光魔法によって、エインツ祭の開幕が全ての民に告げられる。百年目のエインツ祭。商業組合が総力を結集した屋台の群れ、おおよそ、平生は祭事に向かないような商店でさえも、マルン釣りや射的、魔法体験会などを開く。大ニゴラスの民にとって一年に一度のこの行事は確りと根付いていた。
この行事においては公的機関やそれに類する組織も何らかの催事を開くことが多い。大ニゴラスが誇る教育機関、王立ハルバーツ学園でも、生徒による自主的な行事が行われていた。奴隷商は一日限りの休暇を以って、その祝祭日を祝っていた。
「ドゥドゥ、あなたはどうしてここにいるのです? 昨日、帰ったではありませんか?」
奴隷商人トラビス=セインツは対岸の街小ニゴラスの支店長ドゥドゥ=ンジャメ=ハルグラに問いかけた。
「そんなことはどうでもいいから、お祭りを楽しもうぜぃ」
言葉を誤魔化すドゥドゥに対し、更にトラビス=セインツが問いただす。
「どうしてここにいるのです? 支店長がいなくて、小ニゴラスの店舗はいいのですか?」
「昨日帰ろうとしたら、小ニゴラスと大ニゴラスにかかる国境の橋が全て封鎖されていたんだぜぃ。帰りようがないだろう? ニゴール川を泳いで渡れってか?」
そのトラビス=セインツの生真面目さに首を振りながら、ドゥドゥは答えた。
「橋が封鎖? 本当ですか?」
トラビス=セインツが目を細めながら問い直す。それに対して、ドゥドゥは微笑しながら答えた。
「全ての橋を治安兵が封鎖していたぜぃ。それどころか、大ニゴラスから出るための道は全て封鎖されていたぜぃ。エインツ祭で人口密度が増えて、事故か何かが起こることを防止するための封鎖じゃないのかい?」
「いいえ、少なくとも、昨年までのエインツ祭で、交通の封鎖が行われたことはないです。また、勿論、昨年まで大規模な事故が起きたことは無いです」
トラビス=セインツは首を捻る。それに対して、ドゥドゥは補足した。
「川の反対側、西側の区画は特に厳重だったぜぃ」
「『マシル三国の外憂』から丁度百周年ですから、何か特別な催事が行われるのかもしれないですね」
トラビス=セインツは、ドゥドゥに最もありそうな可能性を伝えた。
「というわけで、小ニゴラスに帰ることができないんだ、この祭りを楽しもうぜぃ」
ドゥドゥは前向きに言う。二人は歩いて、段々と中央通りを王城とは反対方向に移動していた。
「どんなイベントがあるんだ?」
前方から走ってきた子供たちの群れを警戒に避けながらドゥドゥは問う。それに対し、トラビス=セインツは答える。
「そうですね、エインツ祭で最も人気のある催しと言えば、やはり、ハルバーツ学園音楽教師、田臥龍一郎《タブセ=リュウイチロウ》の指揮による演奏会でしょうか」
「音楽? それは確かに面白そうなんだぜぃ。音楽を聞くだけかい? 踊ってはダメなのかぃ?」
音楽会に興味を持ったドゥドゥはトラビス=セインツに詳細を確認する。大ニゴラスの民ならば全てが知っているような常識を大ニゴラスの奴隷商は小ニゴラスの奴隷商に答える。
「いえ、吟遊詩人の音楽ではなく、もっと、何と言いますか、荘厳な音楽なのです。ドゥドゥが嫌いそうな。とはいえ、ドゥドゥでも楽しめると思いますよ。何と言っても、指揮するのは田臥龍一郎こと筋肉音楽家ですから。ご存知でしょう?」
ドゥドゥは往来の中心で両腕を開いて天を仰ぎ、言った。
「ああ、音楽魔法か。それなら知っているぜぃ。音楽と共に、何かが実体化するというあれだろう」
トラビス=セインツは相槌を打つ。
「ええ、あれです」
「うーん、エインツ祭に参加するのは初めてだから、その目玉の音楽魔法とやらを見に行くぜぃ。何時からどこでやるんだぃ?」
ドゥドゥが参加の意思を表する。その回答の代わりに、トラビス=セインツは、前方を指差した。演奏会が行われる中央広場には、既に人が集まっていた。
「おお、もしかして、時間も丁度いいくらいなのかぃ?」
ドゥドゥが集まる人を眺めながら言った。
「ええ、その通りです。もう間もなく開演される時刻ですね」
トラビス=セインツが答えた。群集は音楽の熱気を前に興奮していた。彼らも演奏が始まれば静まる。もっとも、ドラゴンや巨人などが出現すれば、楽しむための悲鳴が上がるが……それこそが音楽魔法の真髄である、とも言えた。その群集に、奴隷商二人は混ざる。端の方には一際目立つ黒衣の集団がいる。それを指差して、ドゥドゥがトラビス=セインツに問う。
「あの中に、『黒衣の魔術師』がいるのかぃ?」
トラビス=セインツは答える。
「いえ、おそらく、あれはハルバーツ学園の学生たちですね。王立ハルバーツ学園において、エインツ喫茶なる出店が行われておりますので、その一環ではないか、と思います」
ドゥドゥとトラビス=セインツは二人で群集の中へと入って行った。興奮はざわめきながら大きくなる。それは彼らが集に交わるほどに明確になって行った。
「トラさん、様子がおかしいぜぃ。音楽会の前っていうのはこうなのかい?」
ドゥドゥが疑問を口にした。そして、それは確かに大ニゴラスに長く住み、何度もエインツ祭に参加した経験のあるトラビス=セインツから見ても少し異様だった。
「確かにおかしいのです。そして、それがなぜなのか私にはわかります」
トラビス=セインツが呟いた。
「何がおかしいんだ?」
ドゥドゥが同様に小さく言った。トラビス=セインツが答える。
「演奏者が全員落ち着いていない。顔が困惑している。隅の方で、学生たちが話しあっているが、おそらく、何かがあったのだろう」
聴衆の話声の他に音の無い演奏会場は遠洋のごとく荒れていた。トラビス=セインツが言葉を続ける。
「以前に私は何度かこの演奏会を見物している。その際には、開演前の時刻となれば、演奏者がそれぞれに楽器を鳴らしていた。しかし、今、この会場にはそれが無い。そして、もっと重要なものが無い」
「それはなんだ?」
「指揮者は――筋肉音楽家は――どこです?」
※ ※ ※
ハルバーツ学園音楽隊はその指揮者――筋肉音楽家を失い、困惑していた。
楽器はある、演奏者もいる、今、彼らには予定されている曲目を演奏するだけの技量もある、とはいえ、彼らには楽団にとって最も重要な者が不足していた。通常の演奏であれば、それが無くても演奏は可能である。しかし、これはあくまでも音楽魔法演奏会。そして、その中核をなす筋肉音楽家が不足していた。彼の役割は指揮。エインツ祭に向けての練習では、常に、田臥が指揮をしていたというわけではない。新任教師の指導や王の近侍など、田臥は役目が多い。だから、演奏自体はできる。しかし、この演奏会の主眼である音楽魔法によるイメージの具現化は難しい。
「ダメです、部長――田臥先生は自宅にいらっしゃいませんでした!」
田臥がいそうな場所の心当たりに向かわせていた楽団員の一人が戻ってくるなり、そう静かに叫んだ。聴衆は田臥の魔法を欲している。だからこそ、それを伝える前に、田臥の不在が発覚させたくはなかった。また一人、楽団員が戻る。
「学園の職員室にもいらっしゃいませんでした」
――先生はどこにいるのだろうか――という思いが皆を支配する。また新しい報告者が現れる。
「王城にはいなかったです!」
次々と不在を知らせる楽団員が自身の不安を増長させる。その楽団員の中心人物が立ち上がった。先刻、部長と呼ばれた人物である。
「皆さん、聞いていただけるかしら?」
その言葉に楽団員は全員部長を見た。その注目に、部長は髪を揺らして応える。その手入れの行き届いた長い髪は彼女が楽団員に対して統率のある人物であることを示していた。長い髪の維持には費用がかかる。況や、美しいとなれば更に、である。学生の中でも美しく富裕の身である彼女は言葉を続ける。
「本日の演奏会ですが、先生は不在です。ここで私達は一つの選択をしなければなりません」
部長は清聴する楽団員を見渡した。
「この演奏会を私達だけで行うか、それとも中止にするか、です。今、この会場に集まっている人々は、音楽を楽しみに来たのではありません。魔法を楽しみに来たのです。幸運にも、私達は田臥先生から音楽を学ぶことができました。しかし、一般の方にとって、この国は、いまだ私達が演奏する音楽を楽しむ下地がありません。もしかしたら、私達が先生抜きで音楽を奏で始めたとしても、私達の音楽を楽しんでくれるかもしれません。しかし、一方で、田臥先生の不在によって演奏の目玉がなくなったことは確かです。今日はエインツ祭、娯楽はたくさんあります。つまり、多くの聴衆が演奏会場からいなくなるでしょう。一人も残らない可能性さえあります。それでも、私達は覚悟を持って演奏するか、それとも、中止にするか、です。私は既に決めています。しかし、今日、演奏する全ての曲目は、ある程度の人数を必要としています。そこで、皆さんの意見を聞きたいのです」
部長はそこで仲間の意思を確認する。その言葉に、この街で使われている全ての武器よりも大きな楽器を持った楽団員が答える。
「俺は、どういう決定だろうと、部長に従うぜ」
そう言って、彼は自らの楽器を鳴らした。ぼろりん、と柔らかい音がする。その言葉に別の団員が呼応する。彼もまた自分の楽器を鳴らす。
「俺も、部長の決定に従う」
部長は額に手の甲を置いた。
「私は皆さんの意見を聞いたのです。私に従いなさい、と宣言したのではありません。真実、あなた方に、私と共に、無人の荒野で演奏をする気概があるか、と訊いているのです。もしかしたら、無人の荒野ですら、無いかもしれません。聴衆が『筋肉音楽家を出せ』と大騒ぎになる可能性さえ否定できないのです。今一度、問います。演奏しますか? それとも、演奏会を中止しますか? 私の意思に従う、という言葉以外の意見をお願いします」
その言葉と共に、先程見られたような威勢のいい言葉の無い静寂が訪れる。先程のハープ奏者は口を開かない。彼は、第一ヴァイオリン奏者である部長が何と言おうとその部長の意思に従うと決意していた。しかし、この場にいる奏者全員が彼と同様であるわけではなかった。
極めて地味な容姿の第二ヴァイオリン奏者が声を上げる。
「僕はこの楽器が好きです。このヴァイオリンの技量だけは部長に負けたくない、と思っています。この楽器を弾きたい、この楽器をよりうまく弾きこなしたい、という意思は、演奏会の有無に関わりません。だから、演奏会が中止になったとしても、僕は演奏します」
部長が他のパートの意思を確認する。
「他の弦楽器はどうかしら? 弦楽器以外は? 勿論、私としては全ての楽器を揃えて演奏をしたいわ」
その部長の勧誘に、他のパートも肯首する。ティンパニの奏者は、その楽器を叩いて全体を鼓舞した。部長はその様子を見て、ヴァイオリンを手に取った。
「皆の意思はわかったわ。では、先生は不在ですが、私達だけでも演奏会を開催しましょう。指揮者がいないから、周りの音を聞いて、全員が全員に合わせるように、頑張りましょう」
部長は、顎と肩でヴァイオリンを挟み、弓を弦に乗せる。そして、音を長く一つ出した。
「さあ、皆さん、何をしているのかしら? 最初の一曲はチューバ以外全員参加よ。もう予定から大きく遅れてしまっているわ。しっかり、準備しなさい。魔法が無い音楽も素晴らしいことを聴衆に教えてあげましょう」
部長がそう宣言すると、楽団員はそれぞれの楽器へと移動した。そして、演奏会の準備に音出しを始めた。それぞれに、楽曲の一部を演奏する者、音階を順に奏でる者とあった。そして、それはまさしく全員が演奏会を行う、ということを覚悟した風景でもあった。
こうして、エインツ祭の目玉、筋肉音楽家による音楽魔法の行使は、筋肉音楽と魔法抜きで始まろうとしていた。
「……それにしても」
部長は呟く。
「先生は、一体、どちらに行ってしまわれたのかしら……」
そう言って、誰も乗る者のいない指揮台をぼんやりと眺めていた。




