1-12 高級奴隷という生き方
レクルシラツ商会大ニゴラス支店の一日は、その支店長であるトラビス=セインツが出勤して始まる。
「ふぁーあ……おはようございます」
大あくび。トラビス=セインツが出勤して初めて聞く声は、大抵の場合、当直長の極めて眠そうな挨拶であった。
「ああ、おはよう。着替えてくるので少し待っていてください」
対照的に、トラビス=セインツは眠気など感じさせない。この辺りには、トラビス=セインツの極めて正確な性格が出ている。例えば、小ニゴラスの支店長ドゥドゥ=ンジャメ=ハルグラの場合は、朝起きるのが苦手だから、と言って夜勤を自分の通常のシフトとして設定している。勿論、ドゥドゥもトラビス=セインツも共に、特殊な何かがあれば、通常のシフトを無視して働くことはある。
「遅くなって申し訳ない、早めに引き継ぎを済ませましょう。連絡事項は?」
着替えを終えたトラビス=セインツは当直長に向かって尋ねた。当直長はそれに答える。
「特にありません」
「ハーフエルフの様子は?」
支店長が、現在、店内にある最高級商品の様子を尋ねた。
「昨夜は消灯時刻まで読書をしていたようです。書名は『古今説話集』です。昔、読んだことがありますが、何が面白いのか、さっぱりわかりません」
トラビス=セインツはそれに同意した。
「確かに何が面白いのか、わかりませんね。とはいえ、彼女のほど高価な商品であれば、おそらく、教養のある地位の高い方にお買い求めいただくことになるでしょうから、自ら、教養を高める努力をするということは好ましい態度ではありますね」
当直長が、一度大きなあくびをしながら、その言葉を補足した。
「やはり、エルフという種族は、話に聞くように、学問を好む、ということなのでしょうか」
トラビス=セインツは首肯した。
「そうですね、そのようです。それでは、お疲れのようですから、お帰りいただいて構いません。他の店員が出勤したら、順次、夜勤担当と交代させておきます」
当直長は、それを聞くと、一礼して去って行った。
白宝鳩が鳴き始める頃になると、他の店員が続々と出勤した。そして、街中に、朝を告げる教会の鐘が鳴る。平生の通りに、店舗裏の広場に、店員が高級奴隷を集めた。別段、高級奴隷だけ何か特別なことをする、というわけではない。広場と言っても、狭いために総ての奴隷を同時に集めることはできない。高級奴隷が集まったところで、トラビス=セインツが前に立って口を開いた。
「レクルシラツ商会体操はじめ! まずは、両腕を上げてのびをする運動!」
「一、二、三、四、五、六、七、八。二、二、三、四、五、六、七、八」
奴隷は商品である。そして、その商品を健全に保つためには、適度な運動は絶対に必要だ、というレクルシラツ商会全体の方針で、この大ニゴラス支店でも、体操の時間を設けている。そして、商品を良い状態で保つことができない商店で買い物をする消費者はいない。
「手を頭の後ろで組んで、ジャンプする運動!」
「一、二、三、四、五、六、七、八。二、二、三、四、五、六、七、八」
その場にいる全員で声を合わせて小刻みに跳び続ける。因みに、この体操の最中、多くの男性店員の視線は奴隷へと注がれている。特に、現在、人気がある奴隷は、メル=トールド=フォンテノ=フォル。現在、店舗内における最高価格のハーフエルフである。若くて肌が綺麗なハーフエルフ美人の胸が、ジャンプするたびに揺れている。トラビス=セインツは、業務の本来目的ではない、と店員に注意をしたことがあった。しかし、それでも男の性というのは、まったく、どうしようもないのである。今もメルは視線が集中していることを認識してか、それとも運動による血行の良化によるものか、エルフ色の顔を赤くしていた。それでも上下しているのではあるが……。
その後、レクルシラツ商会体操の全工程を終了すると、また、トラビス=セインツは大きく口を開いた。
「体操終わり。各自、配布される食事をとるように」
店員は、総ての高級奴隷を管理区画に戻し、今度は、中級奴隷の半分を集めるのである。こうして、奴隷に健康体操を強制して、レクルシラツ商会の業務が始まる。各店員各々の担当に分かれて、仕事をする。店舗での接客、経理、奴隷への教育などである。
奴隷に施される教育は、その価格帯と性別、能力などによって異なる。そして、その価格帯によって、教育のバリエーションは増すのである。低級奴隷は、工場での作業や農耕牧畜に関する方法などの単純作業系の教育が一律に施される。一方で、高級奴隷であれば、ほぼオーダーメイドに近い形で教育がおこなわれるのである。
トラビス=セインツが支店長室の椅子に座って、事務作業をしていると、扉が開いた。
「今日のハーフエルフへの教育メニューについてご相談なのですが……」
店員の一人が、トラビス=セインツに報告をしようと入ってきたのである。
「どうしたのです?」
トラビス=セインツが応えた。
「本日、正午から負傷時の応急処置法を教える予定でしたが、必要物資の入荷がされておりません」
部下が内容を報告した。トラビス=セインツが眉を顰めた。
「そうですか、特に、今日、絶対に教えなければならない、という内容でもないですね。何か別の内容に振り替える手筈は整っていますか?」
部下が上司の問いに答える。
「いえ、まだ、具体的にはまだです。取り急ぎ、報告をしておこう、と考えまして参りました。今のところは、他の高級奴隷に行っている教育を一緒に受けさせよう、と考えております」
トラビス=セインツは少し考えて言った。
「そうですね、それもいいですが、今日の正午は、私との面談にしましょう。商品について知ることは、商品をよくすることに役立ちます。ここに連れてきてください」
それを聞くと、部下は一礼して支店長室を後にした。
ポットからコーヒーを淹れるとトラビス=セインツは独り言を言った。
「『黒衣の魔術師』に、『エルグラツ島のハーフエルフ』。まったく、私は、おとぎ話の世界にでも迷い込んだのでしょうか」
支店長は、コーヒーを一気に飲み干すと、また、事務作業に没頭した。
※ ※ ※ ※ ※
正午、トラビス=セインツが支店長室で、特別に渋いコーヒーを飲んでいると、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
その音にトラビス=セインツが答えると、扉が開き、ハーフエルフの女性が部屋に入ってきた。トラビス=セインツは、黙って椅子を勧めた。メルは戸惑いながらも座った。エルフの里、エルグラツ島には、奴隷がいない。それには、そもそも個体としての絶対数が不足している現状で奴隷制度を行うことができないなどの理由がある。
「奴隷としての生活にはもう慣れたかい?」
トラビス=セインツは微笑みながら問いかけた。普段は極めて丁寧な口調を使う支店長も、奴隷と話すときは、意識して、その口調を出さないように心がけていた。それは、メルにとっても、逆の意味で同じである。自分の売主に対して、エルグラツ島で用いていた口調は使わずに、極めて丁重な口調を心がけていた。
「文学作品で読んだ奴隷のイメージとは全く異なっておりますので驚いております。もしかしたら、一般市民よりも良い待遇なのではないでしょうか?」
ハーフエルフが率直な思いを伝えた。トラビス=セインツは答えた。
「そうだね。その通りだ。でも、それは、君が高級奴隷だからだよ。低級奴隷や中級奴隷であれば、君が読んだ文学作品での扱いと大して変わらないだろうね」
メルは更に戸惑いを覚えながら応答した。
「そうなのですか」
トラビス=セインツはその疑念に補足の説明をする。
「そうだね。君は、自分から何も言わない、何もしようとしない奴隷を、常に傍らに置いておこうと思うかい? 高級奴隷とは、そういう奴隷だからね。なにしろ、値段が高い。貴族にとっても、一生の買い物になるくらいには高価だ。当然、そういう奴隷に求めるものは、他の何体も購入できるような値段の奴隷に対するものとは異なる。当意即妙の応答や行動ができない奴隷に高値を付けたくないと考えるお客様は多い」
ここでトラビス=セインツは、更に一杯、紅茶を別のカップに注いだ。
「だから、君には、この紅茶を飲む権利があるね」
そう言って、メルの前に湯気の立つ紅茶を置いた。
「ありがとうございます」
メルは礼儀を返した。メルが紅茶に口を付ける動作を確認して、トラビス=セインツは言葉を続けた。
「ただし、勿論、奴隷であるから、意に沿わない命令であっても従わなければならない。これについては、君の教育を担当している店員にきちんと躾けてもらうと良い。勿論、その中には、夜のお供も含まれる」
メルはその言葉に神妙に頷いた。
「ところで、昨夜、君は消灯時刻まで読書をしていた、という報告が上がっていたが、何を読んでいたのかね?」
トラビス=セインツが尋ねた。ハーフエルフが頭を下げる。
「申し訳ありません。この国の昔のことが知りたいと思い、担当の方に相談したところ、『古今説話集』をいただきましたので、読んでおりました」
トラビス=セインツは訂正する。
「いや、叱ろうとしているわけではないよ。君くらいの高級奴隷であれば、教養を付けることは大切だからね。他に欲しい本があったら、担当に伝えると良い。できる範囲でそろえよう」
メルは再度頭を垂れた。
「ありがとうございます」
トラビス=セインツは、更に言葉を続けた。
「僕はね、正直に言って、君を貴族や商人に売るつもりはないんだよ」
メルは愛嬌のある眼を丸くして、更に愛嬌を増した。
「では、どこに売るつもりなのですか?」
メルが当然の質問を続けた。
「どこかの王族の後宮に入れようと思っている。君には、それくらいの価値があるからね。とにかく、それに類する程度の金額での売却しか考えていない。傾城という言葉があってね。世の中の男は美女を手に入れるためには金銭を惜しまないものなのだよ。幸い、君の旬は普通の人間よりも遥かに長い。期待している。先日、早速、この国の王に、ハーフエルフ奴隷の入荷を連絡した」
メルが今度は的外れな問いをした。
「私はそれほどに美しいのでしょうか? エルグラツ島の女性は私より美しい女性ばかりでしたが……」
そこで、トラビス=セインツは大きく笑った。
「ははっは。それは、周りが総て純粋なエルフだからね。ハーフエルフの君よりも美しい女性ばかりなのは当然だ。とはいえ、我々人間の一般的立場から見ると、君は充分に美しい。もっと言えば、容姿が浮世離れしていないのも良い。純正エルフの美貌は幻想的に過ぎる。君は、人間的な愛敬も持ち合わせている」
ここでそれまでストレートで飲んでいた紅茶に砂糖を足しながら言った。
「それに、人間の価値観を持っていることも大きな評価ポイントだ。たとえ、どんな華麗な美貌を持っていようとも、話が噛みあわない相手を愛し続けることは難しい」
メルが礼を言う。
「ありがとうございます」
トラビス=セインツが甘くした紅茶を口に含んだ。
「私を購入される方が決定した場合、その後はどうなるのでしょうか?」
メルが奴隷として当然気になることをトラビス=セインツに尋ねた。
「ああ、そのあたりは、ケースバイケースだな。すぐに引き渡す場合もあれば、お客様の要望に合わせた教育を行ってから引き渡す場合もある」
支店長は静かに答えた。メルが更に深く問う。
「どのような教育でしょうか?」
トラビス=セインツは答える。
「例えば、君が話すことができる言語とは異なる言語を用いるお客様であれば、君に徹底的に、お客様の母語を覚えてもらうことになる。その他にも、何か要望があれば、そうれに応じた対応をとる。お客様が加虐的嗜好を持っていれば、それに合わせて君に厳しい試練を与えることになるだろうし、もしかしたら、エルフ魔法の使い手としての君を求めている可能性もあるよ。その時は、魔法を教えてからの出荷になるだろうね。まあ、色々だ。そのあたりは、購入者次第だね」
メルは呟いた。
「加虐的嗜好……」
トラビス=セインツはそれを励ます。
「その可能性はそう高くないがね。君の値段は高すぎる。そして、誰もが、高級品ほど大切に扱いたいものだ。不安なら、今、我々が行っている教育を頑張ることだ。教養があればあるほど、教養あふれる人間に買われるだろうし、礼儀ができていれば、礼儀正しい人間が買う可能性が高まる」
メルは、そこで、不安そうな笑顔を浮かべてまた頭を下げた。
「はい、頑張ります」
「そろそろ、次の教育メニューが始まる時間だ。行きなさい」
メルは立ち上がり、扉を開くと、一礼して部屋を出て行った。支店長は、新しく入荷した奴隷の礼儀正しさと頭の回転の速さに満足していた。




