1-11 魔法とは音楽である。
ハルバーツ学園の音楽室には一台の見慣れない巨大な楽器がある。馬車の荷台に丁度収まりそうな大きさを持つ黒いそれは巨大な存在感を漂わせている。これが、「異世界より、その大量の楽譜と伴に、召喚され、世界的に、新しい音楽を拡散せしむ」か、とそれを前に座る筋肉音楽家の功績を想起していた。百年前には見なかった楽器に、タカオは一般市民としての好奇心をそそられていた。
「やっぱり、エインツ祭は、参加できないのか?」
何度目になるか不明な確認を田臥はした。
「予定があるのでございます」
やはり、ニゴールの魔術師も何度目になるかわからない回答を田臥に与えた。
「お前さん、俺の魔法を見たがっていたよな! 本当は一年に一度エインツ祭でしか使わないが、今から見せてやるよ」
筋肉音楽家はそう言って、上着の袖をまくった。燭台の蝋燭に火を灯すと、楽器の蓋を取り、白と黒の彩色を露わにした。
「ガッハッハ! 見たことないだろう! これは俺が元いた世界の楽器で、ピアノっていうんだ! この白黒を押すと音が出る」
音楽家は右手人差し指を白色の部品に置いた。すると、強いて喩えれば、鳥の鳴き声に似た音がした。タカオが知る百年前に存在した総ての楽器とは異なる音がした。
「今、音がしましたが、これが魔法でございますか?」
タカオが尋ねた。田臥はタカオの問いを否定する。
「いや、今のはこの楽器自身が発生させた音だ。俺の魔法はこれからだ」
田臥は眼を閉じると、総ての指を白い部分に設置した。
「窓の外を見てみな」
タカオは田臥の指示通りに窓の外を見た。田臥は言葉を続ける。
「どうなっている?」
「快晴……で、ございますね」
現在は、ハルバーツ学園の昼休みである。正午近い時刻の現在は、太陽が街の上空で輝いていた。
「快晴……だな。今の状況を覚えておけよ」
田臥は手を置いたままに、頭だけを魔術師の方に向けてアピールした。不可思議ではあったが、田臥の魔法に必要な要素なのだろう、とタカオは納得することにした。タカオも頷く。田臥は巨大な楽器の方向に頭を向け直し、椅子に深く座りなおした。周辺を静寂と緊張が支配する。
「ルードヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーヴェン。ピアノソナタ第十四番。嬰ハ短調 作品二十七の二、月光、第一楽章」
演奏者は自らの魔法を宣言した。魔法使いである前に芸術家でもある男が動かす指先が音を紡ぎ出す。無音の静寂を有音の静寂が凌駕する。心地よい音の流れが流れ出すと同時に、静々とした雰囲気に合わせて、窓からの日光に照らされた独演壇が暗くなり、静かな昂揚を促していた。田臥の手元は、先程、田臥自身が点灯した火によって照らされている。
……暗くなり?
タカオは、あまりの驚愕に、音楽を忘れて、窓を見た。窓の外は暗く、その空の主たる天体は太陽から月に替わっていた。田臥の指はいまだ素早く動き続けている。その動作に合わせて、光沢を持つ黒檀色の楽器は音を生み出す。そのまま、タカオは、その感情に支配され、窓を見続けていた。
田臥の演奏は五分ほどで終了した。最後の音が鳴って数十秒が経過し、周囲が明るくなると、タカオは口を開いた。
「時空魔法でございますか?」
「時空魔法?」
筋肉音楽家が鸚鵡返しに問い直す。
「違うのでございますか?」
ニゴールの魔術師が再度問い返す。
「ああ、違うぜ、音楽魔法だ。前にも言ったろ?」
そう答えて、田臥は燭台の蝋燭を吹き消した。
「そうでございました、大変失礼いたしました。昼から夜に替わったものでございますから、私の祖父と同じ系統の魔法か、と思ったのでございます」
「ガッハッハ! タカオの爺さんも転生者なんだったな。面接の時に言ってたな。時空魔法の使い手だったって、そう言えば、言っていたか」
筋肉はその大胸筋を震わせながら納得した。筋肉は説明を続ける。
「これは音楽魔法だ。俺が元いた世界の著作権が切れた音楽を演奏した場合に、俺の前にいた世界の人間がイメージするものが出てくる。今演奏した曲は、その通称を『月光』と言う。まあ、作った本人が名付けたわけじゃないんだがな。とにかく、俺が元いた世界の人間は、この曲を聴いて、『月光』をイメージするわけだ」
タカオは眉をひそめて考える。
「なるほどでございます。つまり、月光をイメージさせる曲を演奏した結果、月が現れたのでございますね。それは、凄い魔法でございます」
「他にも、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による十二の変奏曲 ハ長調K.二百六十五』こと、通称『きらきら星変奏曲』を弾いても、さっきと同じ状況になるし、演奏者を大量に集めて、グスターヴ・ホルストの『大管弦楽のための組曲「惑星」作品三十二』を弾いても同じことが起きるな」
田臥は、そのタカオの思考に追い打ちを掛けた。タカオは筋肉音楽家の手腕を称賛する。
「素晴らしい魔法でございました。華麗な音楽が絶佳の魔法を引き出しているのでございますね」
「そう言われると恥ずかしいけどよ。まあ、そういうこったな!」
田臥は剃り上げた頭を掻きながら照れた。
「しかし、大丈夫なのでございますか? 突然、五分ほど昼が夜になってしまいましたが、問題はないのでございますか? 街中にいるときに、突然、そのようなことが起きたら、私でしたら、困惑してしまうのでございます」
タカオは当然の懸念を述べた。田臥が手を振って答える。
「ああ、大丈夫だぜ。王の許可はとったからな! ガッハッハ!」
「そういうことではない、と思うのでございますが……」
タカオはそう呟いた。黒衣の魔術師は、一般市民の驚愕から魔法使いとしての好奇へと表情を変えて田臥に尋ねた。
「他の音楽による魔法も見たいのでございますが、可能でしょうか」
「見せたいけどよ。今は時間が無いから、また次の機会にな。来週のエインツ祭をお前さんが見に来られれば一番良いんだがな」
そう田臥はニゴールの魔術師による興味を断った。直後、鐘が午後の授業五分前を学園じゅうに知らせた。
「やばい、急いで、授業の教室に行くぞ」
音楽教師は急いで立ち上がった。
※ ※ ※
王が口を開く。
「来週のエインツ祭の前日に、午後半休をとることが出来そうなのだ」
田臥の音楽魔法がタカオの感動を呼んだ日、二人は王によって、王城での夕食に呼ばれていた。王が言葉を続ける。
「であるからして、魔術師殿、その日に、是非、『マシル三国の外憂』について、講義してほしい。朕も視察に行こう、と思う」
「自分の矮小な業績を語るのは恥ずかしいのでございます」
タカオが懸念を二人に伝えた。
「ガッハッハ、どうせ、そのうち、『魔術師学(神領・近世)』で、自分の業績については語らなければならないのだから、祭りの前日に講義するのは良いと思うぜ」
田臥が王の申し出に口添えした。事実として、『黒衣の魔術師』は近世のマジャール神領における魔術師では最も著名な一人であり、それを語らないことはあり得ない。また、当然、受講生の興味はその大半を黒衣の魔術師自身が語る『マシル三国の外憂』にあった。学問的、経営的、どちらの観点からも語るべきであった。その事実を、タカオは正確に理解していた。
「かしこまりました。その日に講義させていただきます」
だから、王の提案をタカオは承諾した。
「ところで、今日、この筋肉の魔法を見たそうだが、感想はどうか?」
王がその精悍な顔を変化させずに、黒衣の魔術師に尋ねた。
「素晴らしい魔法でございました」
タカオは率直に答えた。タカオは言葉を続ける。
「魔法も素晴らしいのでございますが、それに加えて、田臥様の世界の音楽も大変流麗でございました。『月光』という曲目を演奏していただいたのでございますが、魔法による変化とは別に、心象の上でも、確かに、月光を思わせるものでございました。元軍楽隊所属と聞いておりましたので、演奏する音楽も、気分を高揚させるような、戦意を盛り上げるような音楽か、と考えておりましたが、実際には、非常に、静寂としたものでございました」
筋肉音楽家が補足した。
「俺の所属していた国は、異様に、平和でな。過去六十年以上に渡って、戦争をしていないんだ。だから、軍楽隊の本来業務である戦時における演奏は一度もしたことが無い。ガッハッハ」
「では、どのような演奏をすることが多かったのでございますか?」
黒衣の魔術師が尋ねた。田臥は、手前のワインを口に含んだ。
「ワインはフランス産に限る」
と、呟いた後に、タカオの問いかけに答えた。
「基本的には、広報だな。自衛隊のイメージアップ戦略の一環だ。自衛隊が主催する祭典が一番よく知られていたかな。他には、外交儀礼における国歌の演奏が主たる業務だな。ガッハッハ! 平和だろ?」
田臥が深く笑った。
「自衛隊……でございますか?」
耳慣れない言葉を反復した。
「ああ、自衛隊というのは軍隊もどきだ」
二人の会話を聞いていた。王が口を開いた。
「昔、軍隊を出す魔法があるなら演奏してほしい、と頼んだことがあったな」
田臥が苦笑しながら言う。
「その話をするのですか?」
王がそれを黙殺し、言葉を続ける。食卓に並ぶ適量の酒類には言葉を饒舌に紡ぐ効果がある。
「自衛隊とやらで、普段演奏していた軍歌の類を演奏させても、軍隊は出なかった。どうやら、知名度とやらが重要になるようで、平和な世界では、軍歌を一般国民は知らないらしい。そこで、この筋肉が一つ思いついたのだ」
王が田臥の方向を見た。
「田臥はすぐにピアノ曲を弾き始めた。確かに大量の兵隊が現れたのだが、どうにも様子がおかしい。そのうち、その兵隊たちが総て朕を攻撃してきたのだ。あれはなんという曲であったかな?」
王の確認に、田臥が間髪いれずに答える。王は確実に答えを覚えているようで、微笑と悪戯な表情を顔に浮かべていた。
「フレデリック・ショパン、練習曲ハ短調作品十―十二。通称、革命のエチュード」
「全く、革命を起こそうとするとは、反逆罪だ」
そう言って、王は両手を大きく開いた。同時に、食卓に笑いが起きる。笑話が終わったところで、タカオが話題を小さく変えた。
「自衛隊というところで音楽を学ばれたのでございますか?」
音楽家がウィスキーを自分の杯に注ぎながら答える。
「いや、自衛隊に入る前に、音楽学校にいたんだ。俺のいた日本という国は音楽教育の最先端ではなかったから、在学中に、外国に留学もした。フランスという音楽の世界で古くから歴史のある国で学んだこともあったな。あの頃は良かった。ガッハッハ」
王が笑いながら、その発言の悪所を指摘する。
「おいおい、それでは、現状に不満があるように聞こえるぞ」
田臥が急いで首を振る。
「いえいえ、この世界で音楽を広めることも非常に有意義でした」
王がニゴールの魔術師よりもさらに大きく話題を変えた。
「そういえば、魔術師殿。港湾の担当官から来た報告によると、レクルシラツ商会大ニゴラス支店にハーフエルフの奴隷が入荷されたそうだ。一度見に行くと良い。支店長のトラビス=セインツに宛てた紹介状を書くので、一度行ってみたらどうかな? まあ、トラビ=セインツは極めて善良な人間であるから、紹介状が無くても問題にはならない、とは思うが」
「はい、そのハーフエルフはもう確認してきたのでございます」
タカオは王の申し出を断った。田臥を見ると、先程開けたウィスキーを飲み終わり、フレーバーワインに手を出していた。
「さすがは、魔術師殿、動きが速いな。で、評判通り、ハーフエルフというのは絶世の美女なのか?」
王がタカオの感想を促した。タカオはすぐに答える。
「はい、それは、素晴らしい女性でございました。エルフの気品を持った人間、という評価が最も適切でございましょうか。私は、あのハーフエルフを最初の奴隷と決めたのでございます。購入の前に誰かに売却されてしまえば、仕方が無いのでございますが」
王がタカオの感想を受けて言う。
「そうか、購入した暁には、是非に、ここに連れてきてほしい。朕もエルグラツ島やエルフのことを聞いてみたい。王としても一人の人間としても興味がある。あそこは離島である上に、エルフの管轄で排他的であるから、情勢がよくわからないのだ」
王とタカオが話している最中にも田臥は酒を飲んでいる。剃りあげた頭がどんどんと赤みを帯びる。視線がふらついている。
「この筋肉が酔い潰れたら、運ぶことが非常に難しい。見た目通り重いのだ。そろそろ、今回は、お開きとしよう」
こうして、その日の会合は終わった。
作中に扱われている楽曲は総て権利者の死亡からの時間経過により、著作権が消滅しています。
・ルードヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーヴェン『ピアノソナタ第十四番 嬰ハ短調 作品二十七の二 通称 月光 より第一楽章』
・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による十二の変奏曲 ハ長調K.二百六十五』 通称『きらきら星変奏曲』
・グスターヴ・ホルスト『大管弦楽のための組曲「惑星」作品三十二』
・フレデリック・ショパン 『練習曲ハ短調作品十―十二 通称 革命のエチュード』




