1-10 奴隷商人の懸念
「ちぃーす、監査に来ましたぜぃ」
その日、レクルシラツ商会大ニゴラス支店は、平素とは異なる緊張を迎えていた。ニゴール川対岸の街にあるレクルシラツ商会小ニゴラス支店支店長であるドゥドゥ=ンジャメ=ハルグラによる来訪が原因である。
「先月の『棚卸報告書』及び『棚卸に伴う商品管理保存状況報告書』に関する疑義についての監査だ! 通常業務に支障を来さない範囲で、店舗内調査をするから、協力するように!」
来訪した途端に、その浅黒い男ドゥドゥはそう宣言した。大ニゴラス支店支店長 トラビス=セインツ はドゥドゥに訊ねた。
「以前に話題になった件に関する調査でございますか?」
「ああ、死亡及び重篤な症状にある奴隷がいない、という報告に対する疑義だ。現状、本社としては、何らかの不正によって、死亡もしくはそれに類する状態にある奴隷を破棄した、というよりは、その身分に相応しからず薬品類などを投与した可能性がある、として調査中だ。アマンザデラルイの魔法薬でも使ったんじゃないかってな! 要するに、トラさんが善人すぎて、病苦の奴隷を救うために、超高級回復薬を非合法な手段で不当に安く手に入れたりしているんじゃないか、っていう疑いやな」
ドゥドゥが答えた。その安定しない体の揺れが、ドゥドゥの機敏さを物語る。トラビス=セインツは、ドゥドゥに言った。
「その件でしたら、以前に説明いたしました通り、『黒衣の魔術師』による魔法の効果です」
ドゥドゥは、それを受けて言う。
「オレッチは、近くで働いているから、それは知っているけどよ。本社は知らないんだ。報告書に一筆理由を書き忘れたトラさんが悪い。まあ、安心しな。本社もそれほど本気でトラさんのことを疑っているわけじゃねえだろ」
トラビス=セインツはドゥドゥの発言に安堵する。そして、その発言の意を問うた。
「どういうことでしょう?」
ドゥドゥは、更に、トラビス=セインツを安堵させる。
「ああ、つまり、本気で疑っていたり、失脚させたりしようとしているのならば、オレッチじゃなくて、本社の監査担当が来る、ってことだろ」
トラビス=セインツは更に安堵の色を深める。
「そうですね。では、よろしくお願いいたします」
そう言って、トラビス=セインツは頭を下げた。
「オレッチも昔本社で受けた研修通りにやるだけだからよ。あまり気にすんな!」
快活に笑いながら、ドゥドゥは、帳簿などのある部屋へと移動していった。トラビス=セインツは、普段通りの業務へとその行為を移行させていった。
ドゥドゥが来てからいくらか経過し、そろそろ、帳簿類のチェックも終わっただろうか、という頃、ドゥドゥが、トラビス=セインツのいる商品管理区域に来て言った。
「おお、帳簿のチェックは終わったぜい!」
トラビス=セインツは、帳簿にズレなどがないことに自信があったが、一応、確認した。
「どうですか?」
「ああ、何も問題なかったぜぃ」
ドゥドゥが答えた。
「それは良かったです」
トラビス=セインツは安堵した。仮に、支店長のトラビス=セインツが何らかの不正を行っていると立証された場合には、奴隷落ちも含めた何らかの処置が考えられる。それは、嫌だった。
「さて、次は、商品管理区域のチェックだ。ところで、例のハーフエルフはどうしてる? 一応、うちの支店との間で、共同保有しているんだからな! 報告が無いってことはまだ売れていないんだよな?」
ドゥドゥが次の行動予定を宣言すると同時に、共同保有の高価商品について案じる。トラビス=セインツが答える。
「そうですね。まだ売っておりません」
ドゥドゥが快活に笑う。
「ああ、焦って売るような商品じゃないな」
トラビス=セインツがそれに同意した。
「まったく、その通りです」
「寿命の長いハーフエルフで、まだ若い。これから高額売買が可能な機会はあるだろうさ!」
そう言って、再度、ドゥドゥは笑った。ドゥドゥは、話題を変える。
「そうだ、それで仕事だ。トラさんの言っていた病気を『黒衣の魔術師』に治してもらった奴隷というのを確認したい。案内してもらえるか? それとも、もう全員売れてしまっているか?」
トラビス=セインツは、それに答えた。
「いいえ、全員まだ売却しておりません。ただ、死に瀕するような病気でしたから、さすがに、経過を観察しております」
ドゥドゥがそれに同意する。
「そうするべきだな。治っていなかった場合には、客に不良品を売却することになるわけだ。万一、伝染病の類を根治させずに販売し、客が、それを原因として、死亡した場合……想像するだに恐ろしいぜぃ」
トラビス=セインツは、表情を変えずに頷いた。ドゥドゥが、確認する。
「で、もう病気は治っているのか?」
トラビス=セインツが、そこで、少し表情を変えた。眉間に深い彫りを刻み込む。
「それが、少し気になることがありまして」
非常に、歯切れが悪い物言いをトラビス=セインツがした。普段の開放的な発声を抑えて、ドゥドゥが問い質す。
「どういうことだ?」
「いえ、それが、ですね。病気で死に瀕していた奴隷、その全てが、自分が病気だったことを覚えていないのです」
トラビス=セインツが、ドゥドゥと同じように声を鎮めて答えた。
「……どういうことだ? 重篤な症状ということならば、十分に、そういった病中のことを覚えていないということは起こりうるだろう?」
ドゥドゥが、トラビス=セインツの真意を問う。
「それは、一人、二人、の場合です。しかし、『黒衣の魔術師』が治癒した奴隷全員です。これは、はっきりと異常でしょう。更に言えば、もし、仮に、偶然、全員が、一般的な場合における、病中のことを覚えていない、という状況にあったとしても、たいていの場合には、病中のことを覚えていない、と言うのは、ある種大袈裟な表現です。自分が、病気だったことなどは覚えているものでしょう?」
トラビス=セインツが説明を続け、彼自身が抱いている、状況の異常性をドゥドゥに説明した。ドゥドゥは目を細めた。しばしの沈黙の後、ドゥドゥは、更に、声量を閉鎖的に小さくした。
「もしかして、自分が病気だったことさえも覚えていないのか?」
その驚愕に対して、トラビス=セインツは、頭の上下運動で答えた。即ち、頷いたのである。
「それは、異常だな」
ドゥドゥは、確かに、頷いた。
※ ※ ※
ドゥドゥは、その後、報告書は書けるからいいや、と言うと、小ニゴラスの支店へと帰った。監査役が、たとえ、長年の友人であったとしても、監査は緊張を監査される側に与える。トラビス=セインツは、事務や雑務、庶務などのバックでの仕事を部下に任せて、店番をしていた。店番は接客するだけの単純作業だ。トラビス=セインツにとって、既に、それは長年の経験によって思考を必要としない業務に昇華されていた。それゆえに、疲弊した脳細胞を癒すのに最適であった。
「ふぅ……今日は大変に疲れました」
トラビス=セインツは、部下に聞こえないように呟いた。癒し効果があり、トラビス=セインツの秘蔵品であるハーブティーを店先でゆったりと啜っている。
カラン、コロン。
道路に面した扉が開いた。
「お久しぶりでございます」
その扉から、一人の魔術師が店舗に入ってきた。既知の存在であるその男にトラビス=セインツは声をかける。
「おや、本日はいかがなさいましたか?」
「近いうちに奴隷を購入しようと考えておりますので、今日は、具体的な目標なる金額を知っておこうと考えて来店したのでございます」
その男――黒衣の魔術師――は、以前通りの静かな口調でトラビス=セインツの質問に応えた。
「そうなのですね。予算の方はいかほどとお考えでしょう?」
「私が不在にしておりました百年間の間に貨幣価値が変動しているのでございます。つまり、正直に申し上げて、目安がどの程度の金額であるのか、不明なのでございます」
魔術師がある種当然の答えを返す。百年という月日には総てを変える力がある。
「そうですね。では、奴隷の値段が決定するシステムについて少しお話しましょうか。総て市場で販売されている商品の値段は、一部の例外を除いて、需要と供給で値段が決定します。需要が増えれば値段は上がりますし、減れば下がります。例えば、貴族様の間で、奴隷購入を倦厭するような風潮が発生すれば、需要は減りますので、値段は下がります。また、供給が減れば値段は上がり、増えれば値段は下がります。例えば、戦争が発生いたしますと、貧困層の増加や軍事関係の懲罰、捕虜、などの諸要因により、奴隷の供給が増え、値段は下がります」
トラビス=セインツは手元のティーカップに口を付けた。
「正直に申し上げて、おそらく、百年前よりは値段が上がっていると思います。社会システムの整備が進んだ結果として、貧困層に対するセーフティネットが充実し、奴隷の供給が減っていると考えられますからね」
タカオは少し息を吸い、支店長に問いかけた。
「具体的にはどの程度のお値段なのでしょうか?」
トラビス=セインツは応える。
「家に喩えると、わかりやすいと思います。高級奴隷であれば、王宮周辺の貴族街に家を買う程度の値段。中級奴隷であれば、貴族街以外の大ニゴラスに家を買う程度。下級奴隷であれば、大ニゴラスの外に家を買う程度の値段です」
タカオは眉を顰めた。トラビス=セインツは説明を続ける。
「そのほかに、継続的に、奴隷を維持することができる、と考えれる程度の収入が必要です。ただし、これに関しては、王立ハルバーツ学園の講師職に就いていること、エインツ=タカオ様の名声を考慮すれば、大抵、クリアできると考えれます。奴隷の維持費なんて、子育ての費用に比べれば安いものです。そして、誰もが、結婚をし、子育てをする程度の収入を稼ぐことができる社会が現在成立しております」
タカオはその話を熱心に聞いていた。そして、最も野次馬な質問をトラビス=セインツに対して発する。
「この店で一番高級な商品はいくらでございますか?」
「現在、ハーフエルフの奴隷が入荷されており、性別は女性、年齢的にも妙齢であることから、彼女が例外的に高価です。先程の例でいえば、大ニゴラスの王宮が購入できるのではないだろうか、という程度の値段です。勿論、例の魔法を行使していただけるのであれば、お約束通りに、値引きいたしますが……それでも充分に高いです」
トラビス=セインツは答えた。黒衣の魔術師は、頭を揺らした。若干、鼻息を荒くしている。
「それを見てみたいのでございますが、可能でございましょうか?」
タカオは見物を依頼した。それをトラビス=セインツは快諾し、棚卸の際に案内したように、タカオを高級区画へと誘った。
該当の商品がいる部屋を開き、タカオは興奮した。そこには、極めて、エルフ的な気品ある美しさを持ちながら、それでいて、どことなく、愛くるしさを漂わせた女性がいた。通常、エルフとは、極めて、近づきがたく、ある種、この世の者ではないような雰囲気があり、その点が奴隷とする上で唯一の欠点となるが、ハーフエルフとして流れている人間の血がその欠点をうまく消しさっていた。
黒衣の魔術師は、確実に、決意する。
このハーフエルフを買おう、と。
「このハーフエルフはもう売約済みでございますか?」
タカオの口をついて、言葉がこぼれた。トラビス=セインツは、タカオに対して、最も都合が良い答えを返す。
「いえ、なにぶんにも高価ですので、まだ買い手はおりません。安売りするつもりもないので、当分は、店舗の方で管理いたします」
タカオは頷いた。
「ハーフエルフ以外にも良い奴隷はおりますよ。よろしければ見ていかれませんか?」
いかに有名な魔法使いとはいえ黒衣の魔術師が王侯貴族でない以上、ハーフエルフ奴隷を購入できるほどの金を用意できる可能性は極めて低い。であれば、現実的な候補を見せておきたい、とトラビス=セインツは考え、黒衣の魔術師に提案した。ハーフエルフ奴隷でなくても、レクルシラツ商会大ニゴラス支店が用意できる商品は充分にニゴールの魔術師を魅了できるはずなのである。
しかし、タカオは決意をみなぎらせて首を横に振った。
その後、冷静さを失ったままに、タカオはレッズの討伐に出掛け、その反撃により、数か所の火傷を負ったものの、その討伐に成功した。討伐証明に用いられるレッズの頭部を確保することもできた。
やはり、戦闘には、ある種の興奮は、必要なのである。




