美形当主様から、調理試験を申し渡される
連れて行かれたのは、燐鳳の部屋から遠く離れた調理場。その広さに目を瞬く。もっと愕然とさせられたのは、そこにあるのが古来の竈門であること。
「……火を起こすところからやれと……?」
「出来ぬのか?」
「出来ないです!!」
こういうことは、ハッキリ主張しなければ、後から困ったことになる。
「料理人のくせに火も起こせぬとは……類、手伝ってやれ。其方、火が使えたであろう」
「かしこまりました」
火が『使える』の意味はよくわからないが、この少年がどうにかしてくれるらしい。
胸を撫で下ろしていると、阡はスッと人の腰より高い大きな瓶を指差した。
「水はあれを使え。それから、あちら」
示された大きく古めかしい棚に目を向ける。
「いつ何時、燐鳳様から突然御命令が下っても良いよう、調理器具や調味料は予め人界の日向家から仕入れてある。人界の食事を作るのに必要なものは最低限用意してもらった。食材も京の町でいくつか見繕って届けさせた。ここにあるもので何とかせよ」
よく見れば、棚の中には、見覚えのあるメーカーのパッケージが並んでいる。木造りの時代物の棚に似つかわしくない、何とも時代錯誤な光景。頭の中が混乱する。
「……人界? 人の世界から、仕入れができるのですか?」
「少々、無理を聞いてもらったが、あちらは断れぬからな。料理人だけは手配できなかったが……」
「……そうなんですか……」
あちら、と呼ばれる者達がどういう者達かは知らないが、人の世界とつながっているなら、とりあえず帰る手段がないわけではないらしい。さっさと料理を作って、満足いただいて、頼み込んだら家に帰してもらえそうだと、一筋の光が見えた。
「ところで、まずは燐鳳様に御料理を作るんですよね? お好きなものなんかがわかると有難いんですが」
「私は、燐鳳様が何かを口にされているのを見たことがない。御気分の優れぬ時に時折酒を召し上がるくらいだ」
「酒、ですか。どのようなものですか? 風味とか」
どのような酒が好みかわかるだけでも、手がかりになる。しかし、阡は眉を顰めるだけ。
「燐鳳様がお飲みになる酒など、我らの手が届くようなものではない。わかるわけがなかろう」
全く参考にならない答え。それどころか——
「昔、一度だけいただいたことはあるが、失態を犯した際『首と胴が離れる前に一度だけ飲ませてやろう』と脅されながら手ずから注がれた。味など覚えていようはずもない」
という恐怖エピソードを添えられて、ただ背筋が凍りついただけだった。
俺はハアと息を吐き出す。とりあえず、調味料と食材から見繕ったほうが良さそうだ。
そう思い、籠に入った野菜らしきものに手を伸ばす。ほとんどが見たことがない草。一体、どんな味がして、どんな下処理が必要かもわからない。
ただ、その中に三つ葉らしきものを見つけた。匂いを嗅ぐに、たぶん間違いなさそうだ。更に、蕪も見つけた。何かはわからないが柑橘系の小さな緑色の果物も。調味料棚に鰹節と昆布もあったから、出汁も取れそうだ。
更に、野菜の隣の籠にかかった布を取る。そこには、奇妙な青い模様の入った、拳より大きな卵らしきものがいくつか入っていた。竹皮に包まれた何かもある。
「……これ、なんです?」
「怪鳥の卵だが?」
「……怪鳥? 何の鳥ですか?」
「怪鳥は怪鳥だ。それ以外に名などない」
得体の知れない鳥の、得体の知れないけばけばしい色の卵。ここに用意されている以上、食べられるのだろうが、俺が知ってる卵と同じ味だろうか……
ひとまず、卵は先送り。竹皮の物体をほどくと、そこには肉の塊。
「この肉は?」
「怪鳥の肉だな」
「これも怪鳥ですか……」
匂いをかいでみるが、特に妙な匂いはない。
「他に食材は……?」
「これだけだが?」
俺はもう一度、怪鳥の肉塊と卵に目を向ける。
一品だけでは、好みを外した時に辛い。三品くらいは作って様子を見たかったのだが……
卵も肉も、少しだけ焼いて食べてみて、味を確かめてみるしか無さそうだ。
「あのぉ、この着物、ちょっと動きにくいんですけど、俺の元の服って……」
「ああ、汚らしかったので捨てました」
阡の後ろで類が悪びれもせずに言った。
洗濯をしているとかではなく、本人の了承も得ずに勝手に捨てるとは……この世界の住人の倫理観は一体どうなっているのだろうか。いや、処刑だ自白剤まがいの茶だのと出てくる時点で、倫理観など求めてはいけなかった。
とはいえ、このままでは、調理しにくくて仕方ない。
「なんか、動きやすい服、ないですか? 袖が邪魔なんですけど」
「たすき掛けをすれば良かろう」
聞いたことはあるし、どんなものかも知っているが、そんな当然な顔で言われても困る。やり方がわからない。
「どうやってやったら良いんですか?」
素直に聞けば、阡は呆れ果てた顔で俺を見た。
「……類、やってやれ」
類にギチギチに締め上げられたが、一応、袖周りが気にならなくなったので、選び取った食材に向き合う。
昆布は出汁を取るために先に水に浸しておく。
その間に、卵と肉の確認だ。三つ葉、蕪、柑橘系の何かも本当に自分が思っていた味か確かめる必要がある。
まずは後者の三つをほんの少し切り取って、そのまま口に放り込んだ。こちらは思っていた通りの味。果物は柚子と酢橘の間のような風味。香り付けに良さそうだ。
次に青い模様の卵を割る。殻もそれなりに固く、割るのに少し手間取った。出てきたのは、鶏卵よりも濃い色の黄身。橙色でプクリと盛り上がっている。青い黄身でも出てきたらどうしようかと思ったが、まともな色でほっとする。
ほんの少し菜箸で黄身を掬って口にすれば、クセのない濃厚な黄身の味が舌の上に広がった。これならば、何にしても使い勝手が良さそうだ。
次に怪鳥の肉。火を通して固くなりすぎたり、妙な臭みが口に残っては使えない。肉切り包丁で薄く切り取り、焼いてみようとしたところで、竈門の存在を思い出した。
「えぇっと、それで、火はどうすれば?」
阡と類を見比べながら言うと、類がスッと竈門の前に進み出た。おもむろに、何も持たない手で指先をかざすと、その指にぽっと炎が灯った。それが竈門の中の薪にあっという間に燃え移る。まるでマジックでも見せられている気分でぽかんとしていると、類がこちらを振り返った。
「火加減は? 強くも弱くもできるが」
「火力の調整までできるのか!?」
思わず声を上げると、今度は類が目を丸くしてこちらを見た。
「火を使う妖なら、それくらい誰でも容易にできると思うが」
これは、ここで料理をするなら類は必須の存在になりそうだ。ただ火を起こすだけじゃなく、調整まで自在にできるというのだから。
火と浅型の鍋に引いた油の様子を見ながら、ジュウゥッと薄切りの怪鳥の肉を焼く。香ばしい匂いが上がり、茶色くうっすらと両面に焦げがついたところで、何もつけずに口の中に放り込む。
噛むごとに染み出す脂は、卵と同じく濃厚な旨味がある。鶏よりも甘みがあって芳醇。持って帰りたいくらいに上質な肉だ。
(これは、余計な事をせずに、素材の味を生かしたほうがいいかも知れない)
今度はもう少しだけ厚めに切った怪鳥の肉を火が通り過ぎないように類に火加減を調整してもらいながら慎重に焼き、綺麗な焼き目をつけていく。鍋から上げて食べやすい大きさに切れば、パリッと皮が音を立て、艶のある肉汁が染み出した。
先ほどの昆布、鰹節から出汁をとり、アルコールを飛ばした味醂、醤油、果物の絞り汁を加えて、風味豊かなポン酢風のソースにしてかける。これで怪鳥のソテーの出来上がり。
試作品を阡と類に食べさせると、二人は揃って驚いた顔でソテーを見下ろした。
「……美味いな」
阡の小さな声が落ちる。更に類も目を輝かせた。
「わ、怪鳥の肉って、こんなに柔らかくて美味しかったんだ! 皮もパリパリしてる」
歳の割に落ち着いて無駄なく立ち回っているように見えた類が、少年らしい笑顔になったのだ。きっと、本当に美味いと思ってくれたのだろう。
「食感が良いし、何より、脂っこい怪鳥の肉が、この汁のおかげでさっぱり食べられる。爽やかな香りも良い」
「燐鳳様、認めてくれそうですかね?」
「これならば、お出ししても問題なかろう」
阡の合格判定。一品はこれで決まりで良さそうだ。
次に怪鳥の卵をよく溶いて濾し、砂糖、味醂、醤油、出汁を加えてよく混ぜる。熱した鍋でじゅわっと焼きくるくると巻いて形を整えていく。類は火加減を見ながら物珍しげにその様子を見ていた。
「随分と器用なんだな」
「これくらいなら、慣れたもんだ」
こちらも火から下ろして食べやすく切る。口にすれば、想像のとおりにコクのある濃厚なだし巻き卵になった。
「これ、ふわふわしてて美味い!」
類は先ほどと同じく、良い笑顔。阡に目を向ければ、問題ないと頷いてくれた。というか、随分と気に入ってくれたようで、無言でもう一切れに手を伸ばしていた。
(試作品だし、好きなだけ食べたらいい)
阡がもぐもぐしている間に、今度は蕪と三つ葉に手を伸ばす。
蕪は出汁でコトコトと煮込んでいった。良い具合に柔らかくなったら、鍋から引き上げ口当たり滑らかになるまで丁寧に丁寧にすりつぶす。鍋に戻し味醂、醤油を加え、塩で味を整えて、すり流しにした。器に盛って、三つ葉と細かくした先ほどの柑橘の皮を彩りに添える。優しい味に仕上がったはずだ。
これも、阡は気に入ったようだった。コッテリしたものよりも、あっさりとしたものが好きらしい。燐鳳からのストレスに晒され続けて胃でも弱っているのだろうか。逆に類は少しだけ物足りなさそうな顔をしていた。
「この三品をお出ししようと思うのですが……」
阡の顔色を伺うと、阡は安堵の表情を浮かべた。
「妙な物を出して燐鳳様の不興を買うくらいならば、使い物にならないと分かった時点で処分してしまおうと考えていたが、無用な心配だったようだ」
「しょ、処分!?」
燐鳳ではなく、目の前の男に殺される可能性があっただなんて思いもしなかった。今更ながらにザアッと全身の血の気が引いていく。
「安心せよ。これならば、燐鳳様にも認めていただけるだろう」
ならば、余計なことを言わずに、ひと言『合格』と言ってくれるだけで良かったのに……
ついさっきまで、そんな素振りさえ見せなかった底知れぬ阡の無表情に、ブルッと背筋が震えた。
先ほどの料理を燐鳳用に作り直し、綺麗に盛り付け膳に乗せ、阡について燐鳳の部屋に向かう。緊張で手が震え、カチャカチャと食器の鳴る音が響く。見兼ねた阡が類に指示を出し、膳を持つのを代わってくれた。
料理を作っている時には何も感じなかったのに、調理場を出たところから、心臓がバクバクと耳に煩い。万が一、お気に召さなかったら、俺は一体どうなってしまうのだろう。
部屋の前。阡の呼びかけに「入れ」と短い返事がある。美しき雉里の当主の顔が、今は怖すぎて見られない。受験結果を待つ受験生の気分。いや、それ以上。不合格になれば、自分の行く末が見えなくなる。
阡の一歩後ろで小さくなって震えていると、類が阡の合図で膳を燐鳳の前に置いた。
恐る恐る様子を伺うと、燐鳳は箸を取らずにじっと料理を検分していた。しばらくすると、ようやく箸を取る。
上品な仕草で先に手に取ったのは蕪のすり流し。これは何かと確認するように箸で軽く掬ってみてから、椀に口をつけた。一口。音も立てずに啜ると、椀をコトリと置く。何の反応も無いことに、ブワッと嫌な汗が湧き出た。
今度は卵焼きに箸をつける。これも、無言のまま一切れ取って口に運ぶ。誰も何も言わない、静まり返り張り詰めた空気。燐鳳も阡も、類でさえ顔色も表情も変えない。シンとした空間に耐えられず、叫び出したくなってくる。
更に、怪鳥の肉。
もう、本当に怖い。
何故、何も言わないのか。
(うまいでも、まずいでも、味が濃いでも、薄いでも、何でも良いから、何か言ってくれ! ストレスで心臓が死にそうだ!)
しかし、そんなこと、言えるわけがない。
燐鳳はもう一度、確かめるようにそれぞれの料理に手を伸ばしていった。
それからどれほど経ったか。もうこれ以上は耐えきれないと思い始めたところで、燐鳳はカチャリと箸を置いた。どれも半分ほど残したまま。
ドクンと、鼓動が胸に大きく打ち付けた。死刑宣告を突きつけられた気分になる。口に合わなかったのだろうか。どれか一つでもと思ったが、気に入るものはなかったのだろうか。絶望が押し寄せる。
「阡」
燐鳳の涼やかな声が響いた。
俺はごくりと唾を飲み込む。
「あの方にお出しできるよう、手配を進めよ」
「では?」
阡が尋ねると、燐鳳はゆっくりと首肯した。
「良かろう」
全身の力が抜けるようだった。
もうダメかと思ったが、どうやら無事に試験に合格できたらしい。その場にへたり込んで泣きたいくらいだ。
チラッと類に目を向けると、ほんの少しだけ唇の端を上げてこちらに微笑んだ。もはや、類が戦友のように見えてくる。
「あの方へは、何を作らせましょう?」
「私には、あの方の故郷の味とやらが分からぬ。それに考えさせよ」
燐鳳は、くっと顎で俺を示した。
そこで、はっと我に返った。
そういえば、燐鳳の試験は通過したが、結局自分は誰の為に料理を作れば良いのか。
「あのぉ、結局、あの方とは誰のことでしょう?」
安心した拍子に思わず声に出すと、阡と類がさっと顔を青ざめさせてこちらを凝視した。そこで、最初の時に阡に顔ごと叩かれたことを思い出し、慌てて口を塞ぐ。
すると、燐鳳は冷たい瞳をスッと細めて、その美しき顔に綺麗な笑みを貼り付けた。
「其方が料理をお出しするのは、この妖世界の大君。我が主君に妙な物を出せば、即刻その首を撥ねてやる。覚悟せよ」
その目が怖すぎて、息が止まりそうになった。




