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見難い火傷の子  作者: 清風
680/687

見つかった遺体

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子680


見つかった遺体


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


張良たちが詰所を出たときには、雨はもうためらいなく降り出していた。


細かい粒のまま地を叩いていたものが、山裾へ近づくにつれて筋になり、

切りかけの斜面を白く煙らせている。

泥道は踏み固められる前にぬかるみへ戻り、荷車の轍には濁った水がたまっていた。


先を行く工夫頭は、提げ灯を高く差し上げながら何度も後ろを振り返った。

急いでいるのか、置いていかれるのを恐れているのか、自分でも分かっていない足取りだった。


その後ろを、監視機と記録機がぬかるみに足を取られもせず進む。

細身の鉄脚が泥を沈め、抜き、また沈めるたび、関節の内で微かな駆動音が鳴った。

張良は外套の前を押さえ、足もとを選びながら斜面沿いの道を急ぐ。

隣ではカナタが、雨を気にも留めない顔で上の地形を見ていた。


「見つけたのは誰だ」


張良が問うと、工夫頭は肩越しに答えた。

「水抜きの詰まりを見に行った若いのです。最初は土嚢でも引っかかったのかと思ったら、

人が立ってるって喚いて……」


「近づいたのか」


「途中までです。こっちを向いた気がしたって、腰を抜かして戻ってきた」


「気がした、か」


工夫頭は返事をしなかった。

雨音のなかでその沈黙だけが妙に生々しい。


山を削って通した第七切通しは、まだ道というより傷口に近かった。

むき出しの岩肌の両側から、切られた根と黒土が雨で流れ、

途中に穿たれた水抜き溝へ筋を作って落ちていく。

掘削のために組まれた足場は半ば崩れ、濡れた縄がだらりと垂れていた。


現場の手前には、封鎖を受けて集められた工夫たちがいた。

誰も溝の方へ近づこうとせず、提げ灯の輪の外からじっと暗がりを見ている。

人がいるのに声が低い。

そのざわめきは、現場を見た者が皆どこかで同じものを想像している音だった。


張良が来ると、人垣が割れた。


「誰も触っていないな」


「へ、へい」


「足場の外へ出た者は」


「見つけた若いのが少しだけ……でもすぐ戻りました」


張良は頷き、監視機へ顎を振った。

「周囲の足跡を記録しろ。新しいものと崩れたものを分ける」


「了解」


無機質な声とともに、監視機の眼が淡く明るくなる。

記録機は脇で紙片を押さえ、濡れを防ぐ覆いの下で筆記板を開いた。


カナタは一足先に縁まで出て、斜面下を見た。

「灯をもう一つ」


工夫のひとりが震える手で差し出す。

カナタは受け取ると、溝へ向けてやや低く掲げた。


雨水が土を削ってできた細い流れの先、掘り下げられた水抜き溝の途中に、

それはあった。


人だった。

少なくとも、遠目にはそう見える。


泥に半ば沈みながら、片足を溝の縁にかけるようにして、

不自然な前屈みで止まっている。

首はうなだれ、濡れた髪が顔を隠し、

安置のときに巻かれていたはずの布が肩から垂れ下がっていた。

水に打たれているのに、倒れていない。

ただそこに、立ち尽くしている。


誰かが人垣の後ろで嗚咽をこらえた。


張良は喉の奥が冷えるのを覚えながら、足もとを確かめて一歩出た。

「……消えた遺体で間違いないか」


工夫頭が唇を舐めた。

「着物と、脚絆が同じです。顔は、その……見えてませんが」


「運んだ跡は」


監視機がすぐに応じる。

「周囲の泥濘に、成人二名による明瞭な搬送痕は確認できません。

ただし降雨により浅い痕跡の一部は判別困難です」


張良は眉を寄せた。

判別困難。便利な言葉だ。

だが便利だからといって、眼前のものが軽くなるわけではない。


カナタは溝を見たまま言った。

「立ってるように見えるだけかもしれない」


「……そうだな」


そう答えながら、張良は自分でもその言葉を信じ切れていないのが分かった。

溝の中のそれは、倒れたものが偶然引っかかっている姿には見えなかった。

むしろ、今にももう一歩踏み出しそうな、妙な均衡があった。


雨脚が少し強まった。

岩肌を流れる水が一段太くなり、溝の中へ音を立てて落ちていく。


そのときだった。


レイラのいないこの場に、代わりに別の違和感が満ちた。

水の音に混じって、かすかな、湿った擦過音がした。


ぐ……、と。


誰も声を出さなかった。

出せなかった、という方が近い。


溝の中の遺体の肩が、ほんのわずかに揺れた。


風でもない。

水圧でもない。

人の身に残る自然な痙攣とも違う。

もっと遅く、もっと重く、内側から吊られるような動きだった。


工夫頭が半歩下がる。

「お、おい……」


張良は手を上げて制した。

「下がるな。走るな」


自分に言い聞かせるような声だった。


カナタが灯をもう少し寄せる。

その火が、濡れた衣の背を照らした。


背中だった。


肩甲骨のあいだ、衣の貼りついた線が、呼吸でもないのにゆっくり持ち上がる。

ひとの背にあるはずのない、細長い盛り上がりが、背骨に沿って内側から這っていた。


張良のこめかみで何かが冷えた。


「記録しろ」


監視機が応答するより早く、記録機の筆先が震えるように走る。


溝の中の遺体が、ぎくりと首を上げた。

濡れた髪の隙間からのぞいた口は半ば開き、そこから泥水が糸を引いて落ちる。

だが動かしているのは顎ではない。

背だった。


ぐ、り、と衣の下で形がずれた。

次の瞬間、肩から腰へ走る縫い目のような線が、ぶつりと裂けた。


誰かが悲鳴を上げた。


張良は目を逸らさなかった。

逸らせなかった。


裂けた背の内側で、黒く濡れたものが脈打っていた。

紐のように細いのに、束になれば腕ほどの太さにも見える。

それが骨のあるべき線に沿って折れ曲がり、押し広げ、

遺体の上半身を人形のように持ち上げている。


それはまだ、完全には外へ出ていなかった。

背を破り、雨の下へ頭を出しかけたまま、

まるで水の匂いを確かめるようにゆっくり揺れている。


カナタが低く言った。

「下がれ。あれは死体じゃない。運ばれてきた器だ」


その一言で、現場にいた全員の理解が揃った。

揃ってしまった。


これは、消えた遺体が歩いたのではない。

遺体の中にいた何かが、遺体を歩かせてここまで来たのだ。


張良は喉の奥の渇きを押し殺し、声を張った。


「封鎖線を二重に引け! 溝に近づくな!

水下へ人をやるな、井戸も閉じろ!

白珠へ伝達、死体処置は焼却準備を前提に再判断だ!」


命令が飛んだ瞬間、溝の中のそれが、初めてはっきりと動いた。


背中を破った黒い束が、ぬめる音を立ててさらに持ち上がる。

雨水を受けた表面が鈍く光り、先端が鎌首のように揺れた。

その下で遺体の脚が、遅れて一歩ぶんだけ前へ滑る。


まだ歩かせるつもりなのだ、と張良は理解した。

水のある方へ。

もっと低い方へ。

この雨で満ちていく流れの先へ。


第七切通しの空気は、その瞬間にはっきり変わった。


もはやこれは、消えた遺体の発見ではない。

繁殖か、移動か、あるいはその両方を目的とした、

生きた異常の露見だった。

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