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見難い火傷の子  作者: 清風
666/678

7. 保護住区・適応住環境技術の誕生

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子666


7. 保護住区・適応住環境技術の誕生


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


沢見村から上がった報せが、ギルドの帳面へ移されたのは三日後のことだった。


村長ゲンゾウの口述、モクジとタヘイの証言、トウ婆の見立て、それに若者たちの負傷記録。

書き起こされた文面は簡潔だったが、簡潔であるがゆえに、

かえって収まりの悪さが際立っていた。


沢採集地にてヤスデ系ラミア幼体を確認。

脱皮直後、もしくは脱皮中と見られる。

村人数名が接近し、軽傷一名。

個体は湿苔、薬草様植物、携行具を所持。

一定時間ののち、自行離脱。

周辺は採集圏重複の可能性あり。

現地対応指針なし。


帳場の向こうで、香蘭はその最後の一行をしばらく見つめていた。


現地対応指針なし。


それは、報告としてはあまりに正直で、だが正直であるしかない文言だった。

討伐対象なら討伐手順がある。行方不明なら捜索の型がある。発症者なら隔離基準がある。

だが、脱皮中のヤスデ系ラミアの幼体を、村がどこまで近づいてよいのか。

保護すべきなのか、距離を取るべきなのか。

人の家へ入れてよいのか、湿気と暗さを優先すべきなのか。

そうした手順は、どこにもなかった。


郭羽は帳面を閉じず、机の上へ押し広げたまま息をついた。


「討伐依頼として処理するには違う」

「保護案件としても、受け皿がありません」 と香蘭が言う。

「村へ戻したら騒ぎになるし、普通の宿舎へ運んでも、また同じことになるでしょう」


郭羽は顎に手をやった。

外苑路線の拡張で、こういう話はこれから増えるはずだった。

森や沢や旧道沿い、人の生活圏が伸びる先には、必ず人間以外の生活がある。

相手が言葉を持つ種ならなおさらだ。

ところが現実には、受け入れる制度も、置いておく場所も、説明のための言葉すら足りていない。


「……人の家では足りん、か」 と郭羽がぼそりと言った。


香蘭は顔を上げる。

その言い方は、沢見村の報告書のどこにも書かれていない。

だが内容は、確かにその一言へ収束していた。


「普通の部屋、普通の寝台、普通の窓、普通の明るさ、普通の乾き」 郭羽は指で机を軽く叩く。

「人間にはそれで足りる。だが、あの幼体には足りない。むしろそれで追い詰める」

「湿度、暗さ、遮蔽、それに脱皮時の静かな空間が要ります」 香蘭は自然とそう言っていた。

言いながら、自分でも少し驚く。

まだ実際に作られたこともないものを、もう必要条件として口にしていたからだ。


郭羽は短く頷いた。

「村の善意だけでは無理だな」

「はい」

「役所も、普通の隔離小屋しか出せんだろう」

「医務所も同じです。病人用の枠組みしかありません」

「となると――」


そこまで言ったところで、詰所の戸口に影が差した。


セレネ・アストラだった。

帳面の束を抱え、いつも通り無駄のない足取りで中へ入ってくる。

視線をひとつ巡らせただけで、部屋の空気が普通の窓口案件ではないと察したらしい。


「失礼します。沢見村からの件ですね」

「もう回ってきたか」

「簡易報告だけは。詳細を見せていただけますか」


香蘭が帳面を差し出すと、セレネは黙って目を走らせた。

早い。だが読み飛ばしているのではない。

必要な箇所だけをきちんと拾っていく読み方だ。


しばらくして、彼女は帳面を閉じず、そのまま郭羽へ返した。


「住環境の問題ですね」

「早いな」

「文面に出ています。

負傷や接触だけなら事故報告で済みますが、

今回は“自分の手当てのための湿苔と薬材を持っていた”

“脱皮中だった”

“村に運べなかった”が重すぎます」


香蘭は小さく息を呑んだ。

そこまで整理して言葉にするのが早い。

筆頭秘書として鍛えられているのだろう。


「つまり」 と郭羽。

「つまり、相手を村の善意に預けるだけでは次に破綻します」 セレネはよどみなく答えた。

「言い換えれば、種族適応型の一時保護区画が要る。

少なくとも、人間用の部屋に寝かせればよいという問題ではない」


帳場の外では、いつものように人が行き交っている。

依頼のやり取り、荷の確認、遅延札の張り替え。

その日常のすぐ脇で、まだ名前も付いていない新しい必要が生まれつつあった。


「保護住区、か」 と香蘭が呟く。

「住区というほど大きいものではなくても、最初は仮設でよいでしょう」とセレネ。

「湿度管理、光量の調整、遮蔽、振動の少なさ。

脱皮中に人目へ晒されず、なおかつ急変時に手が届く程度の距離感。

それに同種でなくとも、少なくとも説明役になれる者が必要です」

「ずいぶん具体的だな」 郭羽が言う。

「沢見村の一件を読めば、逆算できます。足りなかったものが、そのまま必要条件ですから」


その言葉に、香蘭はミナの報告の最後の一文を思い出していた。


現地対応指針なし。


あれは欠落の報告だった。

そしていま、その欠落の輪郭が、ようやく名前になり始めている。


郭羽は腕を組み、少し考え込んでから言った。

「ギルドだけじゃ抱えきれんぞ、これは。村ごとの知恵に任せる話でもない」

「ええ」とセレネ。

「なので、ここから先は上へ持っていくべきです」

「匠一殿のところか」

「少なくとも、技術側と制度側の両方へ」


匠一。

その名が出ると、部屋の空気がほんの少しだけ変わる。

現場で片づかぬ問題が、ひとつ上の判断へ届く時の変化だ。


セレネは帳面をもう一度見た。


「沢見村の件は、小さな接触事案として処理できます」

「だが?」 と郭羽。

「だが、そのまま小事として埋めると、次はもっと悪い形で出ます。

今はまだ、相手が子どもで、沢見村にトウ婆がいたから持ちこたえただけです。

別の村、別の種、別の季節なら、死人が出てもおかしくありません」


沈黙が落ちた。

否定できる者はいない。


香蘭が口を開く。

「……最初は、ただの村の事故かと思いました」

「そうでしょうね」とセレネ。

「たいていの制度は、最初、村の事故の顔をして現れます」


その言い方が妙に残った。

後から振り返れば、あれが始まりだったとわかる種類のもの。

沢で苦しんでいたあの少女も、まさにそういう存在なのかもしれなかった。


郭羽はようやく腹を決めた顔で立ち上がる。


「よし。

ギルドとしては、危険接触事案として閉じない。

採集圏重複、異種族幼体接触、保護困難案件として上げる」

「保護困難」 香蘭がその語を繰り返す。

「ええ」とセレネ。

「守る意思があっても、受け皿がない。今の段階では、それが一番正確です」


郭羽は書記を呼び、指示を飛ばす。

報告書式を変えろ。

危険接触だけではなく、生活圏重複を明記しろ。

脱皮中の個体に対する人間側設備の不適合を注記しろ。

現地の見立てとして、湿度・遮蔽・静穏環境を必要条件に加えろ。


香蘭はその言葉を書き留めながら、ぼんやり思った。

沢見村の朝にあったのは、怯えた村人と、苦しむ少女だけだった。

なのにその出来事は、もう人の手を離れて、区画や設備や制度の話へ変わりはじめている。


それが良いことなのか、まだわからない。

けれど少なくとも、あの子がただの怪談や山の化け物として処理されずに済むなら、

その変化には意味があるのかもしれなかった。


「人の家では足りません」 最後にセレネが静かに言った。

「なら、人の家ではないが、守るための場所を作るしかありません」


その言葉が、その後に長く尾を引くことになる。

種族適応型の保護住区。

のちに疑似ダンジョン技術の原型と呼ばれることになる発想は、

まずはそんな、いかにも地味な実務の不足から生まれたのだった。

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