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見難い火傷の子  作者: 清風
662/678

3. 薬師の婆様

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子662


3. 薬師の婆様


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


沢へ降りてきたとき、トウ婆は誰よりも先に顔をしかめた。


「寄るなよ」


第一声がそれだった。

村人たちへ向けた言葉であることは、振り返るまでもなくわかった。


年寄りとは思えぬ足取りで石を選び、トウ婆は輪のいちばん前まで出てくる。

背は曲がっているが、目は鋭い。

ミナの脇を通るとき、籠の中身と足元の散らばった湿苔、

それから倒木の根元に残る薄い殻を、ひと目で見て取ったらしかった。


「騒ぎすぎだ。音を立てるな。見てわかるだろう、あれは今、皮がまだ若い」


血のにじむ肘を押さえたハヤトが言い返す。


「若いだの何だの、危ないものは危ないだろう」

「危ないよ。だからおまえさんが近づくなと言ってる」


ぴしゃりと返され、ハヤトは口をつぐんだ。

トウ婆はそれ以上相手にせず、倒木の陰へ目を向ける。


ヤスデ系ラミアの少女は、さきほどと同じように身を縮めていた。

ただ、さっきより呼吸が浅い。

柔らかい新殻の節が、息のたびにかすかにひらいては戻る。

目は人間たちを追って落ち着きなく揺れているが、威嚇の気配は薄い。

怯えと痛みに力を取られているのだと、ミナにもわかった。


トウ婆は沢の手前でしゃがみこみ、すぐには触れなかった。

目を細めて、少女の脇に落ちた湿苔の束、砕けた白い粉、

ちぎれた細葉の草、蔓籠の輪をひとつずつ見ていく。

やがて低く唸るように息をつき、独り言のように言った。


「自分で集めていたんだね」


その声に、少女ラミアの触角がぴくりと動く。

トウ婆はあえて近づかず、ミナのほうへ掌を差し出した。


「ミナ、おまえの籠を見せな」


ミナははっとして、自分の腰籠を差し出した。

中には今朝摘んだ湿草と細葉の薬草が少しだけ入っている。

トウ婆はそれをひとつまみ見て、倒木の脇に散らばった草と見比べた。


「似たものを選んでる。痛み止めと保湿だ。全部わかって採ってきてる」


誰も声を出さなかった。

それを口にされると、ますます目の前の存在が“ただの怪物”ではなくなってしまう。


トウ婆は立ち上がり、男たちをぐるりと見回した。


「囲むな。輪をひらけ。道を残せ」


「逃がすのか」とソウジが言う。

「追い込むほうがよほどまずい」


低いが、有無を言わせない声音だった。

村長のゲンゾウですら口を挟めず、若者たちはしぶしぶ左右へ下がった。

沢沿いの狭い獣道のほうに、細い抜け道ができる。

上流側へ続く、湿った石のあいだの暗い道だった。

その先に、シルハ谷へつながる森の奥道があることを、古い者たちは知っている。


それからトウ婆は、ミナに向かって顎をしゃくった。


「その湿草、こっちへ」 「え」 「投げるんじゃないよ。そっと置くだけだ。近づきすぎるな」


ミナの母が息を呑んだが、トウ婆が一瞥すると何も言えなくなった。

ミナは足を震わせながら一歩、また一歩と前へ出る。

怖くないわけではない。

あの人の目に見られているだけで、喉が締まるようだった。

けれど倒木の陰の少女ラミアは飛びかかってもこなかった。

ただ、逃げる力もないまま、こちらの動きをじっと追っている。


ミナは膝を折り、手の中の湿草を、少女から少し離れた石の上へ置いた。

その近くには、すでに集められていた湿苔と、砕いた薬草の粉が泥に混じって散っている。

自分の採ったものと、あの子の集めたものが、

ほとんど同じ匂いをしていることに気づいて、胸の奥が熱くなった。


下がれ、というトウ婆の声に従って戻ると、トウ婆は自分の袋から薄布を一枚出した。

沢水に浸して軽く絞り、長い枝の先へ引っかける。


「水をかけるのは駄目だ。重みで痛む。湿りを寄せるだけでいい」


そう言いながら、布のついた枝先を倒木の脇へそっと差し出す。

少女ラミアはびくりと身をこわばらせたが、トウ婆は少し待ち、それ以上詰めなかった。

しばらくしてから、湿った空気が届く位置へ布を置く。

風に揺れた雫が近くの土へ落ち、乾きすぎたにおいが少し和らいだ気がした。


「痛むだろうよ」とトウ婆は独り言のように言う。

「でも破れるよりましだ。動くな、今は」


言葉が通じているのかはわからない。

それでも少女ラミアは、ひどくゆっくりと触角を伏せた。

拒絶の姿勢ではなく、力が抜けたような動きだった。

唇がかすかにひらいたが、出てきたのは言葉にならない浅い息だけだった。


トウ婆は村人たちへ振り返る。


「誰も石を投げるな。

棒も向けるな。

火も絶対に使うんじゃないよ。

日がもう少し上がるまで、静かにしていな」


「それでどうする」 ようやくゲンゾウが声を出した。


「どうもしないさ。息が整うのを待つ。それから、自分で行けるなら行かせる」


「村へ運ばないのか」と女のひとりが震える声で言う。


トウ婆は首を振った。


「運ぶほうが危ない。

触りどころも、薬の利きも違う。

家へ入れりゃ騒ぎになる。

ここで人を下げて、道だけ残すのがいちばんましだよ」


誰も納得した顔はしなかった。

けれど、反対する者もいなかった。

反対するには、もっと確かな方法を知っていなければならない。

そしてこの場に、それを知る者はトウ婆以外いなかった。


沢に、長い静けさが落ちた。


朝の光が少しずつ角度を変え、倒木の根元の影をずらしていく。

そのあいだ、少女ラミアは何度か苦しげに身じろぎし、そのたびに節のあわいが震えた。

けれどさっきのような切迫した動きは減っていった。


ミナが置いた湿草にも、やがて細い脚が伸びる。

探るように触れ、それをゆっくり引き寄せる。

人間たちのあいだから、ごく小さな息がいくつも漏れた。


食べるのではなかった。

自分で集めていた湿苔のそばへ寄せ、砕けた薬草の粉といっしょに、

新しい殻の柔らかい脇へ押し当てている。


「やっぱりな」とトウ婆が低く言う。

「自分の手当てのやり方を持ってる」


ミナはその光景を、瞬きもせず見つめた。

痛みをやわらげるためのものを、自分で採り、自分で当てる。

その仕草は奇妙な形をしているのに、ひどく見覚えがあった。

沢見村で火傷した子どもに湿布を当てるときと、していることの芯は変わらない。


やがて、かなりの時間が過ぎたあとだった。

少女ラミアが、ふらつきながらも身体を起こした。


場が一斉に強張る。

ハヤトが思わず一歩出かけたのを、トウ婆が杖で止めた。


「動くな」


少女ラミアは立ち上がるというより、どうにか脚を畳み直しただけに見えた。

目が左右へ揺れ、開かれたままの道を確かめる。

沢沿いの細い上流道。人間たちから最も離れた、湿った岩のあいだの抜け口だ。


触角が一度だけ、人間たちのほうへ向いた。

礼だったのか、警戒だったのか、ミナにはわからない。

ただ、その目の奥に、もう先ほどの激しい怯えだけではないものが混じっている気がした。


少女ラミアは一歩進み、よろめき、倒れかけ、それでも踏みとどまる。

柔らかい殻をかばうように身体を斜めにしながら、湿った岩道へ入っていく。

誰も追わない。

誰も呼び止めない。

ただ沢の音の中で、その小さな背が木の根と岩の影のあいだへ消えていくのを見ている。


完全に見えなくなってからも、しばらく誰も口を利かなかった。


最初に息を吐いたのは、トウ婆だった。


「……見殺しにはしなかった。それで十分だとは言わないけどね」


ミナは返事ができなかった。

自分たちは助けたのか、追い払ったのか、見送っただけなのか、

まだ何ひとつ言い切れない気がした。

ただひとつわかるのは、あの沢で苦しんでいたのは、討つべき怪物ではなく、

痛みに備える術を知ったひとりの子どもだったということだけだった。

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