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見難い火傷の子  作者: 清風
642/658

オートマタ刑事

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子642


オートマタ刑事


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


帝はしばらく黙っていた。


灯の火が細く揺れ、机の上の簿冊の影をわずかに伸ばす。

戸籍、失踪、養子編入、配給。

どれも紙の上では薄い。

だが、こうして積まれると、国のどこかが静かに軋んでいる音が聞こえるようだった。


匠ーはその束を見下ろしたまま、指先で一番上の書付の端を揃えた。

考えがまとまる時の癖だった。


「帝」


「申せ」


匠ーはすぐには言わなかった。

言葉を選んでいるというより、どこまでを一つの問題として切り出すか測っている顔だった。


やがて、低く言う。


「これは、元から絶たないと駄目だ」


部屋の空気が少しだけ張った。

控えていた側近が目を上げる。

帝だけは黙って続きを待った。


「一匹見つけて潰しても足りん。

たとえ今いるのを討っても、別の家にまた入る。

別の地方役所でまた通る。

病人、老人、継子、声の弱い者からまた減る。

近所はまた“ふつう”と言う」


匠ーは一枚、失踪届を抜き出した。


「こいつは、入って来られるから入って来る。居座れるから居座る。見逃されるから育つ」


紙を置く。

次に養子編入の記録を指で叩く。


「なら、潰すべきは牙だけじゃない。入口と、見逃す流れそのもの」


側近が息を詰めた気配がした。

帝はなおも静かだった。


「入口とは」


「まず養子編入」


匠ーは即答した。


「前籍の薄い者が、保証人と近隣証言だけで通る。

そこが一つ目の穴だ。

しかも編入の前後で家の人数が減っていても、

役所が別々に処理していれば引っかからない」


「ふむ」


「次に家庭内失踪。

病人や老人や継子が消えても、家族が口を濁し、近所が“もともと目立たない”で済ませる。

これが二つ目の穴だ」


匠ーの声は淡々としていた。

怒っているわけではない。

だが、怒りより厄介な種類の冷たさがあった。

構造を見つけた技術者の声だった。


「三つ目は、管轄の割れ。

公安は証が薄いと言う。

ギルドは怪異の匂いがすると言う。

どちらも間違っていない。

だが、その“どちらも間違っていない”の隙間に、こいつは住み着いてる」


帝の目が細くなる。


「つまり」


「つまり、これは怪異退治の顔をした制度故障」


匠ーは言い切った。


「討伐だけでは終わらぬ。

終わったように見えて、また別の家で始まる。

だから元から絶つなら、怪異の巣だけじゃ足りない。

通り道ごと塞がないと駄目だ」


しばし沈黙が落ちた。


外では夜番の足音が遠くした。

誰かが廊下の向こうで咳払いをしたが、この部屋までは入ってこない。

ここだけが、国の表から切り離されたように静かだった。


帝が口を開く。


「通り道、か」


「ああ」


匠ーは頷いた。


「こいつは強いから厄介なんじゃない。

通れるから厄介。

家の中に。

戸籍の中に。

近所の“ふつう”の中に。

そうやって通してしまう流れがある限り、何匹潰しても足りない」


帝は机上の簿冊に目を落とした。

その視線は紙を見ているようで、紙の向こうにある家々を見ているようでもあった。


「では、どう塞ぐ」


匠ーは少しだけ息を吐いた。

そこから先は見立てではなく、手を入れる話になる。


「まず、養子編入を単独で見ない。

編入前後の家族人数、配給量、寝具数、医療記録、失踪届を横に並べる。

地方役所ごとに閉じた帳面のままにしない」


「うむ」


「次に、家庭内の不在を家族の申告だけで終わらせない。

病人や老人や継子みたいに、もともと声の弱い者ほど、消えた時に薄く扱われる。

そこを逆に重く見る仕組みにする」


側近が思わず口を挟んだ。


「ですが、それでは役所の手間が――」


「増える」


匠ーは遮った。


「増えるが、今はその手間を惜しんで、もっと厄介なものを通してる。

線路でも同じ。

保守を惜しめば、後で事故の始末に十倍かかる」


側近は口をつぐんだ。

帝の口元が、ほんのわずかに動く。


匠ーは続けた。


「それから公安とギルドの間に、宙ぶらりんの案件を落とす場所を作る。

証拠が薄い、だが匂いはある。

そういう案件を共同で抱える枠が要る。

片方が“うちの管轄ではない”と言った瞬間に、こいつは逃げる」


「共同案件化か」


「ああ。

そこに刑事パッチ済みのオートマタを入れる。

人間が曖昧になっても、あれは初回記録を忘れない。

人数差分、配給差分、証言の揺れを積ませる。

消えた者を“最初から居なかった”ことにさせないため」


帝はしばらく考え込んだ。


「……討てば済むなら、もう済んでいる、か」


匠ーは顔を上げた。

帝は独り言のように続ける。


「済まぬのは、これが一匹の怪異ではなく、国の綻びに巣食う類だからだ」


「その通り」


匠ーは静かに答えた。


「だから、元から絶たないと駄目」


帝は長く息を吐いた。

疲れの混じった息だったが、諦めの息ではなかった。

問題の形が見えた者の息だった。


「難儀だな」


「難儀だ」


「お前に言わせると、なお難儀に聞こえる」


「実際、難儀だからな」


その返しに、帝は小さく笑った。

ほんの一瞬だけ、部屋の空気が和らぐ。


だが次の瞬間には、もう統治者の顔に戻っていた。


「よい。ならば一匹を追うのと並行して、入口を塞ぐ」 帝は簿冊の束に手を置いた。

「戸籍局、公安、ギルド、地方役所。嫌がるだろうな」


「そうだな」


「だがやらせる」


匠ーは一礼した。


「そのための見立てと、機械は出す」


帝は頷いた。


「頼む、匠ー。これは家一軒の不幸で終わらせてはならぬ」


匠ーは顔を上げた。

灯の向こうで、帝の目はまだ冴えていた。


「ああ」 と匠ーは言った。 「終わらせぬ。終わらせるなら、根ごとだ」


部屋は再び静かになった。

机の上には、まだ薄い紙の束がある。

だが今はもう、それがただの記録には見えなかった。

国のどこに綻びがあり、どこから塞ぐべきかを示す、故障箇所の図面に見えた。

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