賢い帝の助けてドラ○もん
見難い火傷の子641
賢い帝の助けてドラ○もん
深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層
鉄の時代
この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。
またまた内々の呼び出しだった。
表向きの名目は、鉄材割当の再確認。
地下工事に回す資材の帳尻合わせ、ということになっていた。
だが匠ーは、使者の口上を聞いた時点で、ああ本題は別だなと思った。
帝が本当に鉄材の話だけをしたいなら、こんな時刻に、こんな少人数で、
人払いまでして呼んだりはしない。
案の定、通されたのは大広間ではなく奥の小部屋だった。
灯は絞られ、控える者も少ない。
戸が閉まると、外の気配がすっと遠のく。
またか、と匠ーは思った。
帝の「少し相談したい」は、だいたい少しで済まない。
匠ーにとっては半ばもう、賢い帝なりの「助けてドラ○もん」である。
部屋の中央には、地図ではなく簿冊が積まれていた。
戸籍簿、失踪届、養子編入記録、地方役所からの照会文、公安の上申書、ギルドの簡略報告。
どれも一件ずつなら役人が処理して終わる程度の紙だ。
だが、こうして束になると、紙の重さ以上のものがあった。
帝は机の向こうでそれを見ていた。
匠ーが入っても、すぐには口を開かない。
指先で一冊の簿冊の端を軽く叩き、しばらく考えてから、ようやく顔を上げた。
「匠ー」
「は」
「地下の話ではない」
匠ーは一礼したまま、心の中でだけ頷いた。
見れば分かる。
「だが、国の流れがどこかで詰まっている話だ」
その言い方に、匠ーは少しだけ顔を上げた。
帝はたまにこういう言い方をする。
役人なら制度の不備と言い、武官なら治安の乱れと言い、
坊主なら人心の荒廃と言いそうなものを、帝はまとめて「流れの詰まり」と呼ぶ。
そういう時はたいてい、面倒で、根が深く、しかも一つの部署では片づかない。
帝は一枚の書付を差し出した。
匠ーが受け取る。
養子編入の記録だった。
日付、保証人、前籍、居住地。
見た目には整っている。
だが、二行ほど目を走らせたところで、匠ーの眉がわずかに動いた。
「前籍が薄いな」
「追えぬ」
「保証人はいる」
「いる。近隣証言もある。評判も悪くない」
「悪くないどころか、良すぎる」
帝の口元がほんの少しだけ動いた。
笑ったというより、同じところに引っかかった相手がいたことを確かめた顔だった。
「三件目で戸籍局の下役が止めた。四件目で上に上げた。五件目で公安に回した」
「ギルドは」
「怪異の匂いがすると言う。だが証拠が薄い」
匠ーは次の紙をめくった。
失踪届。
さらに次。
家族構成の変動。
さらに次。
配給量の記録。
数字は小さい。
だが並べると、妙な癖が見える。
誰かが消え、その後で養子が入る。
しかも消えるのはたいてい、病人、老人、継子、家の中で声の弱い者だ。
「……嫌な並びだな」
「うむ」
帝はそこで、ようやく椅子の背に体を預けた。
「人が消える。だが失踪として立たぬ」
「戸籍に入る。だが前歴が追えぬ」
「近所は皆、ふつうだと言う」
「家族は、うちの子はいい子だと言う」
静かな声だった。
怒っているわけでも、怯えているわけでもない。
だが疲れてはいた。
賢い者が、賢いまま厄介さを理解してしまった時の疲れ方だった。
「証言を取ると、姿も行動も“ふつう”らしい。
見た目が多少どうであれ、毎日そこにいて、挨拶をして、
手伝いをしていれば、近所はふつうと言う」
帝は机上の別の紙を指で押さえた。
「もっと厄介なのは、消えた側だ。
いたはずの者について尋ねても、皆、だんだん曖昧になる。
ずっと寝ついていた、あまり表に出なかった、もともと影が薄かった。
そういう言葉ばかりが重なる。
しまいには、最初から居なかったような顔をする」
匠ーは黙って紙を見ていた。
帝が匠ーを呼ぶ時、たいてい問題は二つある。
表に見えている問題と、その奥で制度を腐らせる問題だ。
今回、表に見えているのは失踪と不審な養子編入。
奥にあるのは、記録と共同体の認識が一緒に曇り始めていることだった。
「公安は違法性の立証に詰まっております」
控えていた側近が低く言った。
「ギルドも対象の危険性は疑っております。ですが、討伐の名目が立ちませぬ。
家族が庇い、近隣も異常を認めず、被害者の存在自体が薄れて参ります」
「分かっている」
帝は側近を制し、視線を匠ーに戻した。
「だからお前を呼んだ」
匠ーは紙から目を離さずに言った。
「俺は怪異の専門家じゃないぞ」
「知っている」
「戸籍役人でもない」
「それも知っている」
「じゃあ何で呼んだ」
帝は少しだけ間を置いた。
「お前は、詰まり方を見る」
匠ーはそこで初めて顔を上げた。
帝の目は冴えていた。
疲れてはいるが、鈍ってはいない。
何が起きているかを完全には掴めていない。
だが、どこが既存の仕組みの限界かは見えている。
だからこそ、正規の役人でも武官でもなく、匠ーを内々に呼んだのだ。
「これは怪異一匹の話ではない」
帝は言った。
「戸籍が曇れば、人の出入りすべてが重くなる。
家庭内の失踪が失踪として立たねば、配給も徴発も、相続も、治安も鈍る。
公安とギルドの間で押しつけ合いが始まれば、次は地方役所が黙って握り潰す」
一度言葉を切り、静かに続ける。
「家一軒の不幸で済むうちはよい。
だが、こういうものは流れの悪いところに溜まる。
溜まれば、国の故障になる」
匠ーは小さく息を吐いた。
ただの怪異退治ではない。
そういう顔で帝が自分を呼んだのだと、そこでようやく腑に落ちた。
「で」
匠ーは書付を机に戻した。
「俺に何をさせたい」
「見立てを聞きたい」
帝は即答した。
「それが怪異なら、どこまでが怪異の力で、どこまでが人間の都合か。
制度の側から何を塞げるか。
現場に何を足せば、消えた者を消えたままにせずに済むか」
匠ーはしばらく黙った。
紙の匂いと、油の薄い灯の匂いが混じっていた。
戸籍。
失踪。
養子。
配給。
近隣証言。
家族の庇護。
そして、消えた者が最初から居なかったように薄れていくという話。
工事の図面を見る時と同じ顔になっていた。
「……なるほどな」
「分かったか」
「分かったというより、見えてきた」
匠ーは指先で記録の束を軽く揃えた。
「こいつは怪異退治だけじゃ足りん。
制度に巣食う故障だ。
しかも人間の側が勝手に潤滑油になってる」
帝の眉がわずかに動く。
「潤滑油?」
「家族が庇う。
近所が慣れる。
役所が一件ごとに処理する。
そうやって全部が少しずつ滑らかにしてしまうから、異常が異常として引っかからない」
匠ーは紙の上の数字を叩いた。
「だが差分は残る。
人数、配給、寝具、洗濯、戸籍、失踪時期。
人間の頭と証言だけで追うと曇るが、記録を跨いで照合すればまだ拾える」
帝は何も言わない。
続きを待っている。
匠ーは少し考え、それから言った。
「刑事パッチを入れたオートマタを出す」
側近が息を呑んだ。
帝だけが静かだった。
「公安に一体、ギルドに一体。
いや、できれば双方で記録を共有させる。
戸籍、配給、居住記録、失踪届、近隣証言の揺れを機械に積ませる。
人間が“最初から居なかったかもしれない”と曖昧になっても、
そいつらは初回記録の人数を忘れない」
「怪異に通じるか」
「怪異そのものに強いかは知らん」
匠ーは肩をすくめた。
「だが、こういう“ふつう”の顔をした詰まりには向いてる。
少なくとも、人間よりは空気に流されにくい」
帝はそこで初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「やはり呼んで正解だったな」
匠ーは口には出さなかったが、内心では、だからそういうところだ、と思った。
この帝は、自分で考え抜いたうえで、それでもなお別の視点が要ると判断した時だけ人を呼ぶ。
それが分かっているから、厄介なのだ。
代わりに、机上の簿冊をもう一度見た。
「ただし」
と匠ーは言う。
「これは機械を出して終わりじゃない。
家族の中で誰が最初に違和感に気づいて、誰が先に消えたか、そこを拾わないと駄目だ。
弱っていて、声が弱くて、家の中で疎まれた者から減ってるなら、対象は家庭内序列を読んでる」
帝の目が細くなる。
「そこまで見るか」
「見なきゃ追えん」
匠ーは答えた。
「こいつは人間を食ってるんじゃない。
家の中で、消しても揉めにくい席から食ってる」
部屋が静かになった。
外では夜番の足音が遠くした。
灯の火がわずかに揺れる。
机の上には、紙の束。どれも薄い。
だが積もると、国を鈍らせる重さになる。
帝はしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「また面倒なものを持ち込んだな、と思っている顔だな」
「思ってる」
「断るか」
「断ったら別の内々の呼び出しで、もっと面倒な形になって戻ってくるだろ」
帝は今度こそ、はっきり笑った。
ほんの短い笑いだったが、それで部屋の空気が少しだけ緩んだ。
「では頼む、匠ー」
匠ーは一礼した。
「承った。賢い帝の助けてドラ○もんは、今回も高くつくぞ」
帝は意味の分からない言葉には触れず、ただ言った。
「国が詰まるよりは安い」
匠ーは顔を上げ、少しだけ口の端を上げた。
そういう返しをするから厄介なのだ、この帝は。
またまた内々の呼び出しだった。
そしてたぶん、今回もろくでもない案件になる。
だが匠ーはもう知っている。
帝がこうして自分を呼ぶ時は、たいてい本当に、国のどこかが詰まり始めているのだ。
だから行く。
技術者として。
鉄道国のCEOとして。
そして、賢い帝にとっての、少しばかり渋すぎるドラ○もんとして。




