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見難い火傷の子  作者: 清風
633/659

タイトル未定2026/09/03 21:38

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子633


封じ込めと収束


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


夜半すぎ、宮廷の実務棟にはまだ明かりがともっていた。


普段なら日付が変わるころには静まり返る石造りの廊下を、

泥のついた靴音がいくつも急ぎ足で横切っていく。

鉄道局の工事総監・韓鋭、警備隊の指揮官・劉征、医療局の責任者・蘇静、

ギルド上席の慧蘭、工兵監督・石魁、宮廷実務官・張良。

呼びつけられた者たちは、寝台から叩き起こされた顔のまま、

しかし誰ひとり不満を口にしなかった。

第三工区と第二工区から上がった報告が、

もはや「現場の揉め事」では済まないことを示していたからだ。


会議室の長机には、急ごしらえの地図と点呼表、宿舎名簿、被害報告が並べられていた。

泥のついた紙、血のついた手袋、土砂置場から拾われた布切れまで置かれている。

整った宮廷の部屋に、工事現場の湿った土の匂いが持ち込まれていた。


最初に口火を切ったのは、鉄道局の工事総監・韓鋭だった。


「まず確認したい。

第三工区の宿舎係が規則を破って不審物を持ち込んだ、という理解でよいのだな」


「不審物ではなく幼体です」


ギルド上席の慧蘭が即座に訂正する。


「呼び方の問題ではない」


韓鋭は苛立ちを隠さなかった。


「規則違反が発端なら、現場規律の問題だ。

全工区停止などという話になる前に、責任の所在を明らかにすべきだろう」


「責任の所在を数えている間に、何人食われるつもりだ」


警備隊指揮官の劉征が低く言った。

鎧の肩当てが灯りを鈍く返す。


「すでに第二工区にも同種事案が出ている。第三だけの規律問題ではない」


「だからこそ、どこで止めるかを決めねばならんのだ!」


工兵監督の石魁が机を叩いた。


「工区を止めれば搬出も止まる。

搬出を止めれば坑内の支保が遅れる。

遅れれば別の崩落が起きる!」


「止めなければ宿舎が巣になる」


医療局の責任者・蘇静が冷えた声で言う。


「被毒者はすでに複数。

判断力の低下、反復言語、接触対象への執着。

宿舎単位で隔離しなければ、看病の名目でさらに接触が増える」


「では病人を見捨てろと?」


「見捨てるとは言っていない。隔離しろと言っている」


言葉がぶつかり、机上の紙が乱れた。

誰もが自分の見ている危険を優先していた。

韓鋭には工区全体の停止が、石魁には坑内の安全が、

蘇静には被害拡大の阻止が、劉征には浸透と擬態への対処が、慧蘭には魔物の習性が見えている。

どれも間違ってはいない。

だが、正しさが多すぎるせいで、話が前へ進まない。


そのとき、長机の端に控えていた張良が、静かに一枚の紙を引き寄せた。


宮廷実務官の筆頭。

年齢の読みにくい、痩せた男だった。

会議が始まってからずっと口を挟まず、各部署の報告を順に書き留めていた。

その筆が止まり、ようやく顔が上がる。


「順に見ます」


声は高くも低くもなく、よく通った。


言い争っていた者たちが、半ば苛立ったまま視線を向ける。


「失踪は坑内ではなく宿舎から始まっております。

第三工区、第二工区ともに同じです。

発端はいずれも夜勤明けの保護行動。

泣き声を聞き、幼体を抱き上げ、宿舎へ持ち込んでいる。

被毒は接触者に集中し、判断力の低下と反復言語を示している。

点呼の不一致も宿舎単位です。

ならば、これは掘削事故ではなく、持ち込まれた侵入です」


誰も口を挟まなかった。

張良は紙の上に指を置いたまま、淡々と続ける。


「侵入経路は坑道そのものではなく、人の腕です。

坑内で掘り当てたものを、善意によって宿舎へ迎え入れている」


韓鋭の顔が強張る。


「……善意だと?」


「ええ」


張良はうなずいた。


「赤子を見捨てられぬこと自体は罪ではありません。

ですが、その善意が利用されている。

ここで最初に保護者だけを厳罰に処せば、次からは報告が遅れます。

隠されます。

そのとき失うのは規律ではなく、人数です」


蘇静が小さく頷いた。

劉征も腕を組んだまま黙る。


張良はさらに、地図の上に細い指を滑らせた。


「発生地点はいずれも新規掘削区画と搬出路に近い。

巣を掘り当てた可能性が高い。

であれば、第三工区だけを閉じても足りません。

人と土の動線でつながる範囲を、一体として扱うべきです」


会議室から、紙の擦れる音まで消えた。


その沈黙の中で、上座にいた皇帝が口を開いた。


それまで一度も遮らず、全員の報告を聞いていた。

灯りの下で組んでいた指をほどき、机上の地図へ目を落とす。


「掘り当てたのは、魔物の巣そのものではあるまい」


低い声だった。

だが、部屋の隅までよく届いた。


「より厄介なのは、その先だ。

人を集め、宿舎を並べ、夜勤で疲れさせ、泣くものを見捨てられぬようにしている。

我らの営みそのものが、あれに巣を与えた」


誰も動かなかった。


皇帝は顔を上げる。


「これは一宿舎の怪異ではない。

一工区の不始末でもない。

地下鉄工事に付随して生じた、広域の侵入災害として扱う」


その一言で、会議の性質が変わった。


責任追及の場ではなく、国家対応の場になったのだ。


韓鋭が何か言いかけたが、皇帝は先に続けた。


「責任の査定は後だ。

いま先に裁けば、次の報告が遅れる。

欲しいのは犯人ではない。

次の犠牲を止める手だ」


張良がすぐに筆を取る。

皇帝の言葉を命令文へ落とし込むためだ。


「命ずる。

まず封じよ。

第二、第三工区および搬出路周辺の宿舎を封鎖。

出入りは記名の上、二人一組でのみ許可。

全宿舎で再点呼を行い、名簿、寝台、食事数を相互照合せよ。

被毒疑いの者は隔離。

看護も二人一組、接触記録を残せ」


蘇静が深く頭を下げる。


「赤子、幼子、負傷者に見えるものを発見しても、単独で接触することを禁ずる。

必ず警備と医療を伴え。

泣き声に応じて戸を開けるな」


劉征が「は」と短く応じた。


「新規掘削は一時停止。

既存坑道の支保と安全確認のみ継続。

工兵、警備、ギルドで合同捜索班を編成し、宿舎、資材置場、搬出路、土砂置場を一斉捜索せよ」


石魁は苦い顔をしたが、反論はしなかった。

優先順位が定まった以上、従うしかない。


「外部への公表は実務官が統制する。

ただし現場への警告は最優先だ。

隠すな。

知らせよ」


最後の一言に、張良の筆がわずかに速くなった。


会議は終わったのではなかった。

そこからようやく始まった。


命令は夜明け前には各工区へ届いた。


第三工区の宿舎では、まだ空が白む前から戸が叩かれ、名簿が読み上げられた。

今度の点呼は一人の声では終わらない。

名を呼ぶ者、顔を確かめる者、寝台を数える者、食器の数を照合する者。

二人一組、三重の確認。

眠気も疲労も、もう言い訳にはならなかった。


匠ーは警備兵と並んで宿舎の列を回った。

戸を開けるたび、湿った空気と怯えた目が迎える。

隔離された者たちは別室へ移され、腕や首の痕を調べられ、うわごとの内容まで記録された。


「泣いてる」

「寒い」

「置いておけない」


同じ言葉が、いくつもの口から出た。


資材置場では、工兵とギルドの合同班が木箱をどかし、床板を剥がし、泥を掘り返した。

最初に見つかったのは、脱ぎ捨てられたような薄い殻だった。

人の皮膚にも布にも見えるが、指でつまむとぱり、と乾いて割れる。

次に見つかったのは、床下に押し込まれた小さな巣だ。

布切れ、髪、骨の欠片、泥、そして半ば人の顔に似せかけたまま崩れた幼体。


若い工夫が吐いた。


慧蘭は眉ひとつ動かさず、槍の先でそれを裏返した。


「火を」


油が撒かれ、火が放たれる。

湿った煙が立ちのぼり、宿舎の者たちは口を覆って後ずさった。


だが、それで終わりではなかった。


南側の搬出路で、捜索班のひとつが悲鳴を上げた。

土砂の陰から、人の背丈ほどもある成虫個体が飛び出したのだ。

輪郭だけなら痩せた男に見える。

だが近くで見れば、関節の曲がり方が違う。

首の据わり方が違う。

顔の皮が人のものに似せかけた仮面のように張りつき、その下で硬い口器がぎちぎちと鳴っている。


警備兵が槍を突き出し、工兵が横から鉤を打ち込む。

個体はありえない角度で身をひねり、ひとりの肩口を裂いた。

だが次の瞬間、慧蘭の刃が首の付け根を断ち、黒い体液が土に散った。


「頭を潰せ! 脚を残すな!」


怒号が飛ぶ。


別の班が土砂置場で幼体の群れを見つけ、火と油で焼いた。

第二工区でも同時に捜索が進み、宿舎裏の排水溝から半成長個体が二匹引きずり出された。

泣き声に似た音が、あちこちで短く上がっては途切れる。

もう誰も、それを赤子の声とは思わなかった。


昼までに、第三工区の宿舎は完全に封鎖された。

第二工区も同様だった。

搬出路は柵で閉じられ、見張りが二重につく。

新しい土は動かさず、古い土だけを慎重に処理する。

掘削は止まったが、崩落防止の支保だけは最小限で続けられた。

止めるべきものと止めてはならないものが、命令どおりに切り分けられていく。


夕方には、被害の拡大が止まったと判断された。


失踪者の全員が戻ったわけではない。

戻らない者もいた。

寝台だけが残った者、手袋だけが見つかった者、

名簿の上でしか存在を確かめられなくなった者もいる。

それでも、点呼の数はようやく一致し始めていた。

泣き声はもう聞こえない。

宿舎の戸を叩く者もいない。


第三工区の外れで、匠ーは焼かれた巣の跡を見下ろしていた。

土は黒く焦げ、油の匂いがまだ残っている。

遠くでは警備兵が新しい柵を打ち込み、医療係が隔離名簿を確認し、

工兵が搬出路の封鎖を見回っていた。

誰もが疲れ切っている。

だが、その動きにはもう昨夜までの混乱がなかった。


そこへ、宮廷から戻ってきた張良が立った。

泥のついた現場に似合わぬ細身の姿だが、その靴にも今日は土がついている。


「収束と見てよさそうです」


匠ーは焦げ跡から目を離さずに言った。


「……早かったな」


「早くなければ間に合いませんでした」


張良の声はいつもどおり静かだった。


「責任の話は、これから山ほど出るでしょう。

規則違反、報告遅延、掘削判断、宿舎管理。

ですが、先に封じたからこそ、あとで数えられます。

逆であれば、数えるべき者そのものが減っていたでしょう」


匠ーは小さく息を吐いた。


現場で起きたことを、現場だけの罪にしない。

善意を利用された構造を見抜き、責任追及より先に封じ込めを命じる。

工事をすべて壊すのでも、逆に無理に進めるのでもなく、止めるべきところだけを止める。

上がそう判断できる国は、そう多くない。


警備兵の号令が遠くで響く。

名簿を読む声が続く。

今度は数が合っている。


匠ーはその音を聞きながら、ぽつりと漏らした。


「……良い国だ」


張良は何も言わなかった。


ただ一度だけ、わずかに目を細めた。


夕暮れの風が、焦げた土の匂いを運んでいく。

地下鉄工事は止まった。

だが潰えたわけではない。

止まり、数え、封じ、立て直し、また進むのだろう。


そのための国が、ここにはまだあった。

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