鉄道国&メソポタミヤ連合
見難い火傷の子576
鉄道国&メソポタミヤ連合
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
深淵の戦場に現れたものは、もはや軍勢というより災厄だった。
深淵ダンジョン・バビロニア外縁、第三大空洞層。
そこは本来、軍勢が正面から布陣して戦うような場所ではなかった。
天井は高いが不均一で、足場は脆く、ところどころに黒泥の沼と菌糸の森、
結晶の突起群が入り混じる。
音は反響し、光は吸われ、距離感すら狂う。
地上の戦の常識が、そのままでは半分も通じぬ場所である。
だが、その異様な戦場においてなお、先に度肝を抜かれたのはモンゴル軍の側だった。
彼らは速かった。
彼らは強かった。
彼らは広野を駆け、敵の綻びを嗅ぎ取り、包み、裂き、補給線を断ち、
恐慌を広げることにかけては比類がない。
だからこそ、目の前に展開した鉄道国&バビロニア連合軍の陣容は、理解の外にあった。
最初に見えたのは、地を這う線だった。
いや、線に見えたのは一瞬だけである。
次の瞬間、それが無数の節と甲殻めいた外装を持つ巨大機械群だと知れた。
アースロプレウラトラック。
地上で軌道敷設と資材搬送を担ってきたあの巨列は、深淵仕様への改修を受け、
いまや坑道と空洞をまたいで進む移動工廠と化していた。
節ごとに資材庫、結界発生器、補修機構、仮設軌道展開部を備え、
その全長は一目で把握することすら難しい。
先頭が曲がれば、後尾はまだ闇の向こうにある。
まるで大地そのものが生きて這い出してきたようだった。
その周囲では、さらに別種の巨虫めいた機械が動いていた。
急斜面や崩落しかけた岩棚に食らいつき、半ば壁を登るように進むカブトムシ型高所作業車、
ナースホルンケーファー。
その角めいた前部構造で足場をこじ開け、資材を押し上げ、
時には仮設支柱そのものを打ち込んでいく。
平地では、低く構えたサソリ型重量作業車スコルピオーンが、
瓦礫を押しのけ、資材を曳き、障害物を排除しながら進路を整えていた。
尾に見える構造物は威嚇のためではない。
吊り上げ、固定し、押さえ込み、時には砕くための、純然たる作業機構である。
それらは兵器というより工兵機だった。
だが戦場において工兵機が前へ出てくるという事実そのものが、
モンゴル軍の感覚からすればすでに異様だった。
しかもそれらは後方で働くのではない。
前線そのものの形を変えながら進んでくる。
その左右を、さらに異形が滑っていく。
ヴァッサーロイフェル。
アメンボウじみた多脚結界艇は、もはや舟艇という呼称すら欺瞞に思える姿で、
黒泥も菌糸床も結晶層も意に介さず進んでいた。
脚端に張られた結界が危険地帯との接触を拒み、水面から地面へ移るときと同じ滑らかさで、
深淵の悪地形を「なかったこと」にしていく。
踏み抜きも、沈下も、呪泥の付着もない。
ただ静かに、しかし確実に、接近してくる。
そして上空――いや、正確には中空の索敵高度には、オートメガネウラがいた。
巨大な蜻蛉めいた自律機群は、薄く青白い光を翅脈に走らせながら、
編隊を組んで空洞内を巡回している。
索敵、通信中継、照明、急降下支援、場合によっては対人制圧までこなす多用途機だ。
羽音は不気味なほど統制され、数が増えるほど静けさが圧力へ変わる。
見上げれば、天井近くの闇に無数の翅が反射していた。
それらは一つ一つ見れば兵器であり、輸送機であり、工兵機であり、支援機である。
だが、まとめて視界に入った瞬間、
モンゴル軍の将兵が抱いた感想は、もっと原始的で単純なものだった。
――蝗害だ。
押し寄せる。
埋める。
止まらない。
踏み荒らすのではなく、地形そのものを自分たちに都合よく塗り替えながら進んでくる。
騎馬の機動、包囲、離脱、再突撃。
そうした戦の理が通じる相手は、相手もまた同じ地平に立っている場合に限る。
だが目の前の連合軍は違った。
彼らは地面に縛られていない。
補給線を断とうにも、その場で仮設軌道を敷き、通信を伸ばし、
工兵機が穴を埋め、重量作業車が道をこじ開け、結界艇が危険地帯を橋に変える。
空を見れば蜻蛉がいて、地を見れば巨虫がいて、水際も泥濘も意味を失っている。
それは軍勢というより、環境改変を伴う生態系の侵入に近かった。
前線観測を終えた将たちは、言葉少なに本営へ戻った。
報告は簡潔だったが、その簡潔さがかえって深刻だった。
「敵は……多脚の舟を持つ」
「舟?」
「舟としか呼びようがないが、地を滑る」
「……」
「巨大蜻蛉が空を埋める」
「……」
「列をなす大地虫が軌道を吐きながら進む」
「……それは比喩か」
「比喩であってほしいところです」
「他には」
「壁を登る甲虫と、瓦礫を曳く毒虫までおります」
沈黙が落ちた。
やがて、チンギスハーンは自ら前へ出て、遠望鏡越しに連合軍の陣容を見た。
見た、と言っても、理解したわけではない。
理解を超えたものを前にしたとき、人はむしろ妙に冷静になる。
黒泥の上を滑るアメンボウ。
空洞の闇を巡る巨大蜻蛉。
地を埋める巨列。
その合間を縫って走る仮設軌道と搬送台車。
さらに後方では、壁面に取りつく甲虫型作業車が足場を増やし、
低く構えたサソリ型機が重量資材を押し運び、
工兵機が何かを組み立て、通信塔めいたものが伸び、照明が段階的に前進してくる。
あれは軍か。
いや、軍だけではない。
あれは国家機能そのものを前線へ持ち込んでいる。
しばらくして、彼はぽつりと言った。
「これ、戦ったらだめなやつだ」
側近たちは顔を見合わせた。
だが誰一人、その言葉を軽んじる者はいなかった。
むしろ全員が、胸の内で同じ結論に達していたのである。
勝てるか負けるか、ではない。
戦場の前提が違いすぎる。
こちらが誇る機動と包囲の理屈を、相手は地形改変と機械群の継続展開で無効化してくる。
しかも深淵という悪条件下でなお、あの統制で動いている。
正面からぶつかるのは、勇敢ではなく無意味だ。
チンギスハーンは遠望鏡を下ろした。
「使者を送る」
「講和、ですか」
「まずは話をする。
敵が何を欲しているのか、何を守りに来たのか、どこまでが譲れぬ線なのかを知る」
「もし相手が交渉を拒めば」
「そのときは、そのとき考える。
だが少なくとも、あれに向かって勢いで突っ込むほど、私は馬鹿ではない」
その判断は、臆病から出たものではなかった。
むしろ逆である。
戦うべき相手と、戦ってはならぬ相手を見極めることこそ、覇者に必要な資質だった。
こうして、深淵ダンジョン・バビロニアにおける「モンゴル禍」は、誰も予想しなかった局面へ入る。
鉄道国&バビロニア連合軍が見せつけたのは、単なる武力ではない。
地上で培った技術文明を、そのまま戦場へ持ち込んだ国家の総力だった。
そしてそれを前にした草原の覇者は、本能的に悟ったのである。
これは征服の対象ではない。
下手に噛みつけば、こちらの歯のほうが砕ける相手だと。




