↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見難い火傷の子  作者: 清風
575/650

バビロニア共和国、モンゴル禍の急報

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子575


バビロニア共和国、モンゴル禍の急報


深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


深淵ダンジョンのバビロニアから支援の急報が入る。

いよいよ始まった「モンゴル禍」の報せ。

地上で培った技術は、どんな展開を見せるのか――

その急報が鉄道国中枢へ届いたのは、ヴァッサーロイフェルの民生転用が話題を呼び、

沿岸部の子どもたちが結界滑走板で水辺を駆け回るようになった頃だった。


発信元は、深淵ダンジョン・バビロニア。


ただでさえ地上とは異なる法則と危険に満ちたその巨大階層都市から、

通常回線ではなく最優先の緊急符号で打電された文面は短かった。


支援請う。

敵性勢力大規模侵入。

現地防衛線、圧迫。継戦可能なるも、早急な増援と技術供与を要す。


そして末尾に添えられていた一語が、受信室の空気を変えた。


――モンゴル禍。


その場にいた誰もが、すぐには口を開かなかった。

言葉の意味を理解するまでに時間がかかったのではない。

むしろ逆だ。

短すぎるその呼称の中に、現地がどれほど切迫した状況を押し込めているかを、

全員が一瞬で悟ってしまったのである。


匠ーは受信紙を無言で読み終えると、机上に置かれた地図へ視線を落とした。

地上の海岸線でも山岳線でもない。

幾重にも折り重なった深層経路、縦穴、搬送路、補給拠点、仮設昇降機、

そして未完成の連絡坑。

地上であれば線路を引けば済む話も、深淵ではそう単純ではない。


「……ついに来たか」


誰に向けたとも知れぬ声で、彼はそう言った。


モンゴル禍。

それは単なる外敵侵攻の名ではなかった。

圧倒的な機動力、物量、継続的圧迫、補給線を食い破る浸透、

そして一度崩れた防衛線を立て直す暇を与えない連続打撃。

地上であれ地下であれ、守る側にとって最悪に近い性質を備えた災厄の総称として、

その名は使われていた。


だが、鉄道国にとって重要なのは恐れることではない。

地上で培った技術を、深淵という別環境へどう翻訳するか。

問われるのはそこだった。


会議は即日招集された。

軍務、工兵、輸送、通信、放送、医療、結界技術、

アラクネ運用――各部門の責任者が顔を揃える。

そこにはすでに産休に入って久しいテレースの姿こそなかったが、

彼女が各地で築いてきた連絡網と調整の流儀は、いまも会議の進み方そのものに息づいていた。


「まず前提を整理する」


匠ーが卓上の図面を指で叩く。


「地上の成功例を、そのまま持ち込んでも半分は死ぬ。

深淵では天井高、湿度、魔力濃度、地盤反応、視界、音響反射、全部が違う。

だから必要なのは移植ではなく変換だ」


誰も異論を挟まない。


「ヴァッサーロイフェルは?」


工兵長が問う。


「使える。ただし海ではなく泥濘層、酸性水脈、浮遊粉塵床への対応が要る」


「つまり“水面を滑る”のではなく、“接触してはいけない地形全般を滑る”方向ですか」


「そうだ」


その瞬間、会議卓の上でいくつもの発想がつながった。


アメンボウめいた多脚結界艇ヴァッサーロイフェルは、

もともと水際と陸地の境界を消すための機体だった。

ならば深淵では、水と陸の境界ではなく、

安全地帯と危険地帯の境界を消す機体へ変えられるのではないか。


腐食性の地下水。

踏み抜けば崩れる菌糸床。

接地した瞬間に呪詛を拾う黒泥地帯。

重量をかけると爆ぜる結晶層。


そうした「触れてはいけない床」を、脚端結界で受け流しながら進む。

それはもはや上陸用舟艇ではなく、深淵踏破機と呼ぶべき代物だった。


「輸送は?」


「線路を引く」


匠ーは即答した。


「ただし恒久線ではない。

仮設だ。

敷いて、通して、回収する。

深淵では固定資産は食われる」


「食われる、ですか」


「文字通りの場合も比喩の場合もある」


何人かが顔をしかめた。

深淵ダンジョン・バビロニアでは、放置された構造物が魔物の巣になり、

呪的侵食を受け、あるいは地形変動に呑まれることが珍しくない。

地上の鉄道が「定着」を目指す技術なら、深淵の鉄道は「通過」を目指す技術になる。


ここで地上技術は、新しい顔を見せ始める。


まず、展開式仮設軌道。

短時間で敷設でき、通過後は即座に巻き取れる軽量軌条。

補給車両、負傷者搬送、弾薬輸送に使える。


次に、結界支持搬送台車。

車輪を地面に完全接触させず、呪泥や腐食床の上を低浮上で滑らせる。

ヴァッサーロイフェルの脚端結界理論の陸上転用である。


さらに、坑道用分節アラクネ。

狭隘空間でも動けるよう、人型ではなく節足型に再設計された支援機。

工兵、看護、護衛の各パッチを切り替え可能とする。


それに加えて、地形ごとの専用作業車案も一気に具体化していった。


高所や急斜面、崩落しかけた足場に食らいつくための、カブトムシ型高所作業車「ナースホルンケーファー」。

平地での重量物牽引、障害物排除、資材押し出しを担う、サソリ型重量作業車「スコルピオーン」。

そして仮設軌道そのものの搬入、敷設補助、回収を支える軌道運搬車「アースロプレウラトラック」。


いずれも地上だけを見ていれば奇抜に映る設計だった。

だが深淵では、地形に従って機械の姿を変えることこそが合理だった。

壁を登れぬ車輪は死に、重みに耐えられぬ脚は折れ、軌道を運べぬ輸送は補給にならない。

ならば最初から、深淵の地形そのものに合わせて作り替えればいい。


「また戦闘パッチを積むんですか」


誰かが半ば呆れて言った。


「深淵だぞ」


匠ーの返答は簡潔だった。

それで全員が黙った。


通信分野でも変化が起きる。

地上では塔と中継線で済んだものが、深淵では岩盤と魔力乱流に阻まれる。

そこで提案されたのが、坑道壁面反射を利用した誘導通信と自走式中継機群だった。

小型機を一定間隔で進ませ、列車のように通信路そのものを前進させるのである。

鉄道国らしい発想だった。


医療班は医療班で、地上の産科・救護・災害医療の知見を深淵向けに組み替え始めていた。

閉鎖環境での感染管理、長距離搬送時の生命維持、魔力汚染への隔離手順。

かつてテレースのために整えられた助産・看護支援アラクネの技術すら、

ここでは負傷兵と避難民の保護へ転用されうる。


技術とは、使い道を変えるたびに別の顔を持つ。


海を渡るための結界脚は、呪泥を越えるための足になる。

遊びに転じた滑走板の原理は、避難民搬送の簡易担架へ変わる。

駅で人を導く案内技術は、深淵で群衆を混乱なく退避させる導線設計へ変わる。

放送の技術は、恐慌を抑えるための声になる。


モンゴル禍とは、ただ敵が強いというだけの話ではない。

守る側の技術、制度、連携、平時の蓄積、そのすべてが試される局面の名だ。

だからこそ、鉄道国が地上で積み上げてきたものは、ここで真価を問われる。


会議の終盤、匠ーは立ち上がり、深淵断面図の前で言った。


「地上の技術を持っていくんじゃない。

深淵で生きる技術に作り替える」


その声は静かだったが、部屋の隅々まで届いた。


「線路も、舟艇も、結界も、アラクネも、全部だ。

向こうが災厄の機動力で来るなら、こちらは技術の変態で返す」


誰かが小さく息を呑み、誰かが笑いをこらえ、そして全員が理解した。

鉄道国は、またしても「まともな国ならやらないこと」を本気でやるつもりなのだと。


深淵ダンジョンのバビロニアから届いた急報は、単なる救援要請ではなかった。

それは、地上で育った技術文明に対する次の試験問題だった。


海岸を越えた技術は、次に深淵を越える。

ヴァッサーロイフェルは水際を消した。

ならば次は、地上と地下の境界すら消してみせる番だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。