ゴレムさん編 ホーネット幕府、軌道と遭遇
見難い火傷の子552
ゴレムさん編 ホーネット幕府、軌道と遭遇
翌朝、ゴレムはいつもより早く目を覚ました。
宿場町の朝はまだ薄暗く、外の気配も完全には動き出していない。
だが彼の意識は、もうはっきりと先へ向いていた。
今日、見えるかもしれない。
鉄道国の軌道が。
そう思うだけで、胸の内が静かに落ち着かなくなる。
身支度を整えて階下へ降りると、案の定というべきか、テレースはすでに起きていた。
卓に肘をつくでもなく、きちんと座って茶を飲んでいる。
「おはようございます」
「おはよう」 テレースは一目見て、少しだけ口元を緩めた。
「今日は分かりやすいわね」
「そうでしょうか」
「ええ。完全にそわそわしてる」
「……否定は難しいです」
「でしょうね」
朝食は簡素だった。
焼いたパンに似たものと、塩気のある汁、それに干し肉。
味わう余裕がないわけではないが、ゴレムの意識はどうしても先へ向く。
「落ち着いて食べなさい」 とテレースが言う。
「はい」
「噛んでる?」
「噛んでいます」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶんじゃないのよ」
少しだけ笑われて、ゴレムはようやく自分が普段より急いていることを自覚した。
だが、仕方がないとも思う。
ここまで来て、ようやくなのだ。
宿を出ると、朝の空気はひんやりとしていた。
宿場町の通りには、すでに荷を運ぶ者たちの姿がある。
昨日見た資材置き場の方角へ向かう者も多い。
人の流れそのものが、何か大きなものへ収束していくように見えた。
「この先ですか」 とゴレムが聞く。
「ええ」 とテレース。
「もう遠くないわ」
「はい」
歩く速度が少し上がる。
自覚はあったが、止められなかった。
テレースも何も言わない。
ただ、少しだけ呆れたような、けれど悪くない顔でついてくる。
街道をしばらく進むと、まず見えたのは土の色の違いだった。
周囲の道とは明らかに異なる、長く真っ直ぐに均された帯。
さらに近づくと、その上に敷かれた規則的な構造が見えてくる。
「……」
ゴレムは足を止めた。
そこにあった。
地の上に、二本の線が、一定の間隔を保って伸びている。
その下には、等間隔に並ぶ枕木。
さらにその下には、砕かれた石が敷き詰められ、全体を支えている。
真っ直ぐに、だが必要なところでは緩やかに曲がり、土地を貫いて先へ続いていた。
「軌道……」 声が、ほとんど息のように漏れた。
「ええ」 とテレースが言う。
「これが、鉄道国の軌道よ」
ゴレムはしばらく動かなかった。
頭では理解している。
話には聞いていた。
想像もしていた。
だが、実際に目の前にすると、想像とは全く違う重みがあった。
これはただの道ではない。
ただの金属の線でもない。
人と物の流れを変えるために、土地へ刻まれた意志そのものだった。
「……すごい」 と、ようやく言葉が出た。
「ええ」
「本当に」
「ええ」
「……」
「また止まったわね」
「はい」
「でしょうね」
テレースが袖を軽く引く。
それでようやく、ゴレムは一歩だけ前へ出た。
軌道の周囲では、何人もの作業者が動いていた。
その中に、ゴレムの目を強く引くものがあった。
「……あれは」
「見つけた?」
「はい」
人ではない。
大きな体躯を持つ、作業用のゴーレム。
だが戦闘用とも荷運び用とも違う。
腕部には工具を扱うための機構があり、姿勢は低く安定し、動きには無駄がない。
複数体が連携し、資材を運び、位置を合わせ、敷設の補助をしている。
「敷設メンテゴーレム……」 ゴレムは呟いた。
「たぶん、そう呼ばれているのでしょうね」 とテレース。
その瞬間、ゴレムは完全に言葉を失った。
ゴーレムが、軌道の脇で部材を持ち上げる。
別の一体が位置を微調整し、さらに別の一体が工具を渡す。
人の作業者が指示を出し、それに応じて動く。
単独で完結するのではなく、工程の一部として組み込まれている。
しかも、ただ力が強いだけではない。
精度がいる。
位置合わせ、保持、反復、補助。
そうした役割に最適化されているのが見て取れた。
「……」
「ゴレムさん」 とテレースが呼ぶ。
「……」
「ゴレムさん」 返事がない。
「ほら」 彼女は肩を揺すった。
「戻ってきなさい」
「……はっ」
「完全に飛んでたわね」
「すみません」
「ええ、知ってる」
だがテレースの声にも、少しだけ笑いが混じっていた。
ここまで露骨に感動しているゴレムを見るのは、彼女にとっても珍しいのだろう。
「記録しなくていいの?」 と彼女が言う。
「……あ」
「やっぱり」
「すぐに」
「ええ、どうぞ」
ゴレムは慌てて帳面を取り出した。
手が少し震えているのが自分でも分かる。
軌道の幅、枕木の間隔、
砕石の敷き方、作業者の配置、
ゴーレムの動作、工具の受け渡し、工程の流れ。
見えるもの全てを書き留めたい。
だが目が追いつかない。
情報が多すぎる。
「落ち着いて」 とテレースが言う。
「全部は無理でも、印象の強いところから」
「はい」
「呼吸して」
「……はい」
言われて一度息を整える。
それで少しだけ、視界が整理された。
軌道は単体で存在しているのではなかった。
その周囲には資材置き場があり、作業者の動線があり、
保守用の道具があり、敷設メンテゴーレムがいる。
つまりこれは一本の線ではなく、線を支える仕組み全体なのだ。
「すごいです」 とゴレムは、今度は少しはっきり言った。
「はい」
「軌道だけではない」
「ええ」
「運用の前提が、全部ある」
「そうね」
「敷くための仕組みが、もう仕組みとして完成している」
「……そこまで見えるのね」
「見えます」
「本当に、来た甲斐があったわね」
「はい」
その返事には、迷いがなかった。
しばらく観察していると、作業の区切りがついたのか、現場の一角が少し落ち着いた。
人の出入りも整理され、見学者が近づいてもよい範囲が示される。
ゴレムはその線を越えないようにしながら、なおも目を離せなかった。
鉄道国の技術。
それは単に速く運ぶためのものではない。
土地を整え、規格を揃え、
工程を分け、役割を割り振り、
保守まで含めて流れを作る技術だ。
ゴレムはそのことを、目の前の光景から直感的に理解していた。
ロクドにはまだ無かった。
狸の里にも無かった。
アラクネ共和国では、ロープウェイが建設中だった。
そしてここ、ホーネット幕府で、ついに軌道と、それを敷くゴーレムに出会った。
その事実だけで、胸の奥が熱くなる。
ゴレムは帳面に書きつけながら、何度も何度も現場を見た。
見逃したくなかった。
この感動を、構造を、思想を、できるだけ正確に持ち帰りたかった。
その横でテレースは、肩を揺すられない限り動かなくなりそうな彼を見ながら、
少し呆れ、少し微笑んでいた。




