ゴレムさん編 アラクネ共和国へ
見難い火傷の子548
ゴレムさん編 アラクネ共和国へ
狸の里を離れてからの道は、少しずつ山の気配を濃くしていった。
ロクド周辺の整えられた街道とも、狸の里へ続く人の手に馴染んだ山道とも違う。
こちらはもっと、地形そのものと折り合いをつけながら通してきた道という印象がある。
削り、均し、だが無理には逆らわない。
そんな道だった。
木々は高くなり、谷は深くなる。
見上げれば枝葉の隙間に空が細く見え、見下ろせば岩肌の間を水が走っている。
足元はしっかりしているが、平地の道のような気安さはない。
一歩ごとに、山へ入っているのだと分かる。
「空気が変わりましたね」 とゴレムは言った。
「ええ。もう山越えの道だもの」 とテレースが答える。
「アラクネ共和国は、こういう地形が多いのですか」
「多いわ。だからこそ、あの国は独自のやり方で道を作ってきたのよ」
「独自のやり方」
「見れば分かると思うわ」
「楽しみです」
「でしょうね」
その返事に含まれた即答ぶりに、テレースは少しだけ笑った。
ゴレムも自分で分かっている。
今の自分は、かなり分かりやすい。
昼前、道は一度大きく開けた。
崖の縁に沿うように作られた見晴らしの良い場所で、遠くの山並みが幾重にも重なって見える。
谷の底には白い川筋が走り、その向こうの斜面には、何か人工物らしい線が見えた。
「……あれは」 ゴレムは足を止めた。
「気づいた?」
「はい。道、でしょうか」
「半分正解」
「半分」
「近づけば分かるわ」
そこから先は、ゴレムの歩みが少しだけ速くなった。
無意識だったが、テレースにはすぐ分かったらしい。
「急いでるわね」
「そうでしょうか」
「ええ」
「……少し」
「少しじゃないわね」
「否定は難しいです」
山道をさらに進むと、やがて人の往来が増えてきた。
荷を背負った者、資材を運ぶ者、見慣れない形の道具を持つ者。
ロクドや狸の里とは違い、ここでは「作っている最中」の空気が濃い。
完成された秩序ではなく、変化の途中にある土地の匂いがした。
そして、最初の大きな構造物が見えた。
「……」 ゴレムは言葉を失った。
谷をまたぐように、巨大な支柱が何本も立っていた。
木と金属を組み合わせた骨組みが高所へ伸び、その間に太い索が渡されている。
まだ全てが完成しているわけではない。
足場が残り、資材が積まれ、作業中の区画も多い。
だが、それでも分かる。
これは単なる橋ではない。
人や荷を空中で運ぶための仕組みだ。
「ロープウェイ……」 ゴレムは小さく呟いた。
「ええ」 とテレース。
「アラクネ共和国で建設中の、新しい輸送路よ」
高所では、細身の人影たちが足場の上を軽やかに動いていた。
近づくにつれ、その姿がはっきりする。
人に似ているが、どこか違う。
手足の運びが妙にしなやかで、壁や柱に対する距離感が人間のそれではない。
アラクネの民だ。
「高いところを、あのように」
「得意なのでしょうね」
「はい……」
ゴレムの視線は、支柱、索、滑車、固定具、足場、運搬用の籠らしき部材へと次々に移っていく。
どこを見ても気になる。
どう荷重を分散しているのか。
支柱の基礎はどう打っているのか。
索の張力はどう管理しているのか。
保守はどのように行うのか。
頭の中に疑問が次々と湧き、それがそのまま興奮になっていた。
「止まったわね」 とテレースが言う。
「はい」
「動かないわね」
「……はい」
「ほら」 と、彼女はゴレムの袖を軽く引いた。
「道の真ん中で立ち尽くさない」
「すみません」
「気持ちは分かるけれど」
「見事です」
「ええ、見事ね」
工事区画の手前には、通行者向けの案内所のような場所が設けられていた。
そこで簡単な確認を受ける。
対応に出たのは、やはりアラクネの民らしい女性だった。
落ち着いた声で、しかし手際よく説明してくれる。
「見学は可能ですが、指定区画から外れないでください」
「承知しました」 とゴレムは即答した。
「資材搬入の時間帯は、上を見すぎて立ち止まらないようお願いします」
「……努力します」
「努力なのね」 とテレースが小さく言う。
案内所を抜けると、工事の全景がさらによく見えた。
谷の両側に設けられた基点。
そこから伸びる索。
途中の支柱。まだ取り付け途中の滑車機構。
地上では部材の加工が行われ、上では組み立てが進む。
完成していないからこそ、仕組みが露わになっている。
ゴレムにとっては、むしろその方がありがたかった。
「完成品より、途中の方が分かることも多いですね」
「あなたならそう言うと思ったわ」
「構造が見えます」
「ええ」
「隠れていません」
「そうね」
「素晴らしいです」
「本当に嬉しそうね」
「はい」
テレースはもう呆れることすらせず、ただ少し笑っていた。
こういう時のゴレムは、止めても仕方がないと分かっているのだろう。
見学区画の端では、何人かの作業者が部材を調整していた。
木枠に金属の輪をはめ込み、滑車の回転を確かめ、索の表面を点検している。
ゴレムはその手元を食い入るように見た。
「保守の前提で作っている」 と彼は呟く。
「何が?」 とテレース。
「交換しやすい構造です。固定しきっていない。分解と再調整を想定しています」
「そこまで分かるの?」
「たぶん」
「たぶんでそこまで言うのね」
「見えている範囲では」
「ええ、もう十分よ」
その時、上から短い合図の声が飛んだ。
すると地上の作業者たちが一斉に動き、
索に吊られた小さな試験用の籠が、
ゆっくりと谷の上を滑っていった。まだ人を乗せる段階ではないのだろう。
だが、荷重試験か何かには違いない。
「……」 ゴレムはまた黙った。
籠は揺れを抑えながら進み、対岸近くで止まる。
その動きは決して速くない。
だが、山道を大きく迂回することを思えば、意味は明らかだった。
谷を越える。地形に逆らわず、上から渡る。
その発想自体が、平地の道とは違う。
「すごい」 と、珍しくテレースの方が先に言った。
「はい」 ゴレムの返事は短かった。
「すごいです」
短いが、それで十分だった。
今の彼の頭の中では、言葉より観察が優先されている。
「記録しなくていいの?」 とテレースが聞く。
「……あ」
「やっぱり」
「すぐに」
「ええ、どうぞ」
ゴレムは慌てて荷から帳面を取り出した。
支柱の配置、索の高さ、滑車の位置、作業者の動き、試験籠の挙動。
見たものをできるだけ逃さないように書き留めていく。
字はいつもより少し速く、少し乱れていた。
「そんなに」 とテレースが横から覗く。
「後で清書します」
「今の時点でその前提なのね」
「忘れたくありません」
「ええ、分かるわ」
しばらくそうして観察と記録に没頭したあと、二人はようやく工事区画を離れた。
その先に、アラクネ共和国の町がある。
だがゴレムの意識の半分は、まだ後ろの谷に残っていた。
「どうでした?」 とテレースが聞く。
「来て良かったです」
「ええ」
「まだ鉄道国の軌道ではありません」
「そうね」
「ですが、これはこれで全く別の発想です」
「山の国らしい?」
「はい。地形に合わせている。無理に平らにしない」
「なるほど」
「面白いです」
「本当に」
テレースはそう言って、少しだけ前を見た。
その先には、糸を張るように道を広げてきた国の町並みが待っている。
ロクドでは制度を見た。
狸の里では共同体を見た。
そしてアラクネ共和国では、地形と技術が折り合う瞬間を見た。
まだ軌道ではない。
だが、世界は確かに先へ進んでいる。
その途中に立ち会えることが、ゴレムにはたまらなく嬉しかった。




