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見難い火傷の子  作者: 清風
547/555

ゴレムさん編 狸の里を発つ

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子547


ゴレムさん編 狸の里を発つ


狸の里で一夜を明かした朝は、ロクドともナナメとも違う静けさで始まった。

街の朝には、人が動き出すことで生まれる音がある。

荷車の軋み、店を開ける音、遠くの呼び声。

だがこの里の朝は、まず風と鳥の声が先にあった。

そのあとで、ようやく人の気配が重なってくる。


ゴレムは目を覚ますと、しばらくその音を聞いていた。

木の壁の向こうで、誰かが水を汲む気配がする。

遠くで小さく笑う声もした。

暮らしが近い。

昨日感じた印象は、朝になっても変わらなかった。


外へ出ると、空気はひんやりとしていた。

朝露を含んだ土の匂いが濃い。

里の家々の屋根からは細い煙が上がり始めていて、朝食の支度をしているのだろうと分かる。


「早いわね」 と声がして振り向くと、テレースが立っていた。

「おはようございます」

「おはよう。よく眠れた?」

「はい。静かでした」

「ええ。静かすぎるくらいね」

「私は嫌いではありません」

「知ってるわ」


広場の方へ行くと、すでに何人かの狸たちが動いていた。

水場で桶を洗う者、干し場を見に行く者、朝の祈りを済ませたらしい者。

皆、慌ただしくはないが、手持ち無沙汰でもない。

やるべきことが自然に体に入っている動きだった。


「良い里ですね」 とゴレムが言う。

「気に入った?」

「はい」

「それは良かったです」


声の主は、昨日案内してくれた狸だった。

今日も穏やかな顔をしている。

耳の動きだけが少し忙しい。


「朝食の用意ができています。どうぞ」

「ありがとうございます」


出されたのは、温かい汁物と、木の実を練り込んだ団子、それに軽く炙った魚だった。

派手さはないが、体にすっと入る。

旅の朝にはありがたい食事だ。


「美味しいです」 とゴレムが言うと、

「えらい」 と、昨日の子狸がすぐ横から言った。


ゴレムは少しだけ目を瞬いた。

「またですか」

「またよ」 とテレースが笑う。

「あなた、完全に気に入られてるわね」

「そうなのでしょうか」

「そうよ」


子狸は満足そうに頷き、団子を頬張っていた。

どうやら本当に悪意はなく、ただ思ったことをそのまま言っているだけらしい。

ゴレムもそれはもう理解していた。


朝食のあと、二人は里の入口近くまで見送りを受けることになった。

大げさなものではない。だが、昨日よりも少しだけ距離が縮まった空気がある。

子狸たちも隠れずに出てきていて、尾を揺らしながらこちらを見ていた。


「もう行くの?」 と一匹が聞く。

「はい」 とゴレムが答える。

「次の土地へ向かいます」

「つぎってどこ?」

「アラクネ共和国です」

「くも?」

「たぶん、そういう方々の国です」

「へえー」


子狸にはよく分からなかったらしく、だが面白そうではある、という顔をしていた。


案内役の狸が一歩前へ出る。


「アラクネ共和国へ向かわれるのですね」

「はい」

「山を越えるなら、途中の道は分かれやすい場所があります。

目印の石を見落とさないようにしてください」

「承知しました」

「それと」 狸は少し考えるようにしてから続けた。

「向こうでは、最近、新しい工事が始まっていると聞きます」

「ロープウェイ、でしょうか」 とゴレムがすぐに反応する。

「ええ、たしかそのような」

「空を渡す仕組み」

「そう聞いています」


ゴレムの目が、分かりやすく少しだけ輝いた。

それを見て、テレースが横でため息をつく。


「本当に隠さないわね」

「興味がありますので」

「ええ、知ってるわ」

「見たいです」

「それも知ってる」

「できれば構造も」

「そこまで言わなくても分かるわよ」


狸たちがくすくす笑う。

ゴレムは少しだけ咳払いをした。

自分では普通に話しているつもりなのだが、どうもこういう時は分かりやすいらしい。


「アラクネ共和国には、鉄道国の軌道はまだ無いのでしたね」 とゴレムは確認するように言った。

「ええ」 とテレース。

「ロクドにも無い。

ここにも無い。

向こうでようやく工事中。

そしてホーネット幕府で、やっと軌道に会えるかもしれない」

「遠いですね」

「でも行くのでしょう?」

「はい」

「でしょうね」


そのやり取りに、案内役の狸が少し感心したように言う。


「旅の目的がはっきりしているのは、良いことです」

「そうでしょうか」

「ええ。見たいものがある旅人は、強いです」

「……」

「迷っているようでいて、進む時は進みますから」


ゴレムはその言葉を、少し意外に思いながら受け取った。

自分はそこまで強い旅人ではないと思っていた。

だが、見たいものがある、という点については否定できない。


里の入口まで来ると、昨日見た赤い鳥居が朝の光を受けていた。

風が吹き、吊るされた飾りが小さく鳴る。

その音は、見送りの言葉よりも長く耳に残りそうだった。


「お世話になりました」 とゴレムは頭を下げた。

「こちらこそ」 と狸たちも応じる。

「また来てください」

「はい」

「つぎはもっとあそぶ?」 と子狸が言う。

ゴレムは少し考えてから答えた。

「できれば」

「やくそく?」

「……努力します」

「まじめ」 と子狸が言った。

「えらい」

「ありがとうございます」


また笑いが起きた。

テレースはもう隠そうともせずに笑っている。


「あなた、本当にそのままね」

「そうでしょうか」

「ええ。でも、そういうところが好かれるのよ」

「……そういうものですか」

「そういうものよ」


里を離れ、山道へ戻る。

振り返ると、狸たちはまだ手を振っていた。

小さな姿が木々の間に紛れていくまで、ゴレムも一度だけ手を上げた。


しばらく歩いてから、テレースが口を開く。


「名残惜しい?」

「少し」

「ロクドの時もそう言っていたわね」

「印象の強い場所は、離れる時に少し残ります」

「詩的」

「そうでしょうか」

「ええ。本人に自覚がないのも前と同じ」

「……」

「黙るところまで同じね」


ゴレムは返答に困り、結局前を向いて歩いた。

山道は昨日よりも少し明るく見える。

里を知ったあとだからかもしれない。


「次はアラクネ共和国ですね」

「ええ」

「ロープウェイ建設中」

「本当にそこを強調するわね」

「重要です」

「あなたにはね」

「はい」

「否定しないのね」

「事実ですので」


テレースは肩を揺らして笑った。

その笑い声を聞きながら、ゴレムは次の土地を思う。

山を越える国。

蜘蛛の民の共和国。

空を渡す仕組み。

まだ完成していない技術。

工事の途中というのも、むしろ興味を引いた。

完成品だけでなく、作られていく過程にも学ぶものは多い。


ロクドでは制度を見た。

狸の里では共同体を見た。

次は、建設されつつある未来を見ることになるのかもしれない。


山の風が、木々の梢を揺らしていた。

旅はまだ続く。

そしてゴレムの視線は、少しずつ、だが確実に先へ先へと向かっていた。

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