ゴレムさん編 ロクド発、狸の里へ
見難い火傷の子545
ゴレムさん編 ロクド発、狸の里へ
翌朝のロクドも、やはり静かによく整っていた。
宿の窓から見える通りには、朝のうちから人の流れがある。
荷を運ぶ者、店を開ける者、役所へ向かうらしい者。
誰もが慌ただしくはあるのに、街全体としては落ち着いている。
昨日一日歩いただけでは偶然かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
これがこの街の地力なのだろうと、ゴレムは思った。
階下へ降りると、テレースはすでに朝食を前にしていた。
最近はもう驚かない。
自分が早いのか、彼女も十分早いのか、その両方なのだろう。
「おはようございます」
「おはよう。今日は少し顔つきが違うわね」
「そうでしょうか」
「ええ。考え事をしている顔」
「……旅程を」
「やっぱり」
テレースは呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。
「狸の里へ向かうのでしたね」
「ええ。ロクドからそう遠くはないけれど、街道をそのまま行くより、途中から山側へ入るわ」
「山道ですか」
「少しね。でも危険すぎるほどではないわ。今は前よりずっと落ち着いているもの」
「魔王がいなくなった影響でしょうか」
「それもあるでしょうね。残党が全くいないとは言わないけれど、以前よりはずっとましよ」
朝食は温かい粥に似た料理と、香草の入った卵、それに薄い干し肉だった。
ロクドの食事は派手ではないが、体に入れた時の収まりが良い。
旅の朝にはありがたい。
「狸の里には、鉄道国の技術はまだ無いのですよね」 とゴレムが言うと、
「本当にそこが気になるのね」 とテレースが返した。
「はい」
「無いわ。少なくとも軌道はまだ」
「そうですか」
「少し残念そうね」
「少し」
「少しじゃないでしょう」
「……かなり」
「正直でよろしい」
食事を終え、二人は宿を出た。
ロクドの門を抜ける時の手続きも、やはり手際が良かった。
出る者を無意味に引き止めず、必要な確認だけを済ませて流す。
こういうところにも、この街の成熟が出ている。
街を離れると、道はしばらく緩やかに続いた。
ロクドの周辺は、魔王の都の近くと聞いて想像するような荒れ地ではなかった。
畑があり、水路があり、ところどころに小さな集落も見える。
人の営みが普通に根を下ろしている。
「ここも、思っていたより穏やかです」 とゴレムは言った。
「ロクドの周りだから?」
「はい。もっと緊張の残る土地かと」
「昔はそうだったのかもしれないわ。でも今は、暮らしが戻ってきているのでしょうね」
「良いことです」
「ええ。良いことよ」
道中、すれ違う者たちの顔ぶれも多様だった。
人間、魔人、獣人めいた者、小柄な者、大柄な者。
ロクドの街中ほどではないにせよ、種族の混ざり方に自然さがある。
ゴレムはそれを見ながら、共和国という言葉の意味を改めて考えていた。
昼前になると、道は少しずつ山側へ寄っていった。
木々が増え、風の匂いも変わる。
海の気配が薄れ、土と葉の匂いが濃くなった。
鳥の声に混じって、時折、何か小さな獣が茂みを走る音がする。
「この先ですか」
「ええ。もう遠くないわ」
「狸の里というのは、やはり狸が多いのでしょうか」
「名前の通りね」
「そのままですね」
「そのままよ」
テレースは少し笑った。
ゴレムも、自分で言っておいて少しだけ可笑しかった。
山道に入ってからは、道幅がやや狭くなった。
だが踏み固められていて、使われていない道ではないことが分かる。
ところどころに小さな祠や目印の石があり、旅人を迷わせない工夫もされていた。
「共同体の道、という感じがします」
「どういう意味?」
「誰かが通るから残っているのではなく、残すべきものとして手入れされている道です」
「……あなた、本当にそういうところを見るのね」
「見ます」
「ええ、もう知ってるわ」
やがて、木々の向こうに赤い色が見えた。
最初は花かと思ったが、近づくとそれが鳥居だと分かる。
さらにその先には、木と土で作られた家々が点在し、煙が上がっている。
里だ。
大きな街ではない。
だが、ただの集落とも違う。
まとまりと、守られてきた気配がある。
「あれが」
「狸の里よ」
里の入口近くまで来ると、何人か――いや、何匹かと言うべきか迷うような、
小柄な住人たちがこちらに気づいた。
人の姿に近い者もいれば、狸の面影を色濃く残した者もいる。
耳や尾の動きが実に忙しい。
「……」 ゴレムは思わず足を止めた。
「驚いた?」
「はい」
「可愛い?」
「それは」
「それは?」
「……否定はしません」
「でしょうね」
こちらに気づいた一人が、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
小柄で、目が丸く、動きが妙に素早い。
「お客さん?」 と、その者は言った。
「ロクドから?」
「はい」 とゴレムが答えると、
「わあ、本当に来た」 と目を輝かせた。
「知り合い?」 とテレースが聞く。
「いえ」
「でも向こうは歓迎しているみたいね」
「そのようです」
さらに奥から、年長らしい狸の者が歩いてきた。
落ち着いた足取りで、こちらを見て一礼する。
「ようこそ、狸の里へ」 その声は穏やかだった。
「旅の方々とお見受けします。
ロクドからの道は問題ありませんでしたか」
「はい。無事に」 とゴレムは答える。
「それは何よりです。どうぞ、まずは中へ。ここは外から来た方を拒む里ではありません」
その言葉に、ゴレムは少しだけ肩の力を抜いた。
もっと閉じた場所かと思っていたが、少なくとも表向きの空気は柔らかい。
里へ入ると、家々の間を小さな子狸たちが走り回っていた。
干した薬草、木の実、編まれた籠、祠へ続く小道。
街とは違う時間の流れがある。
ロクドの整った制度の空気とはまるで別だが、
こちらにはこちらの秩序があるのだとすぐに分かった。
「静かですね」 とゴレムは言った。
「ロクドとは違う意味でね」 とテレースが返す。
「はい。こちらは……近いです」
「近い?」
「人と暮らしが」
「なるほど」
案内された広場のような場所で、一息つく。
木陰が涼しく、風が葉を揺らしていた。
遠くで鈴のような音がする。
神社か何かがあるのかもしれない。
「ここには鉄道国の技術はまだ来ていません」 と、案内役の狸が言った。
ゴレムが少し顔を上げる。
「ですが、アラクネ共和国では山越えのための新しい仕組みを作っていると聞きます。
空を渡す籠のようなものだとか」
「ロープウェイ、でしょうか」
「たぶん、それです」
ゴレムの目がわずかに輝いたのを見て、テレースが小さく息をついた。
「本当に分かりやすいわね」
「そうでしょうか」
「ええ。次の行き先がもう決まった顔をしているもの」
「まだ決めてはいません」
「半分は決まってるわ」
「……否定は難しいです」
「でしょうね」
狸の案内役は、そのやり取りを見て、くすりと笑った。
「仲がよろしいのですね」
「そう見えますか」 とゴレムが真面目に返すと、 「見えます」 と即答された。
テレースが横で視線を逸らす。
ゴレムは少しだけ困った。
だが、困る理由をうまく言葉にできない。
里の空気は穏やかだった。
ロクドのような制度の整いではなく、長く続いてきた共同体の呼吸で保たれている場所。
ここにも鉄道は無い。
軌道も無い。
だが、無いからこそ見えるものもあるのだろう。
ゴレムは周囲を見渡した。
次はアラクネ共和国。
その先にはホーネット幕府。
やがて軌道に出会う日が来るかもしれない。
だが今はまず、この里を見ようと思った。
世界は広く、
広いまま、それぞれの場所でちゃんと違っていた。




