ゴレムさん編 ロクドのギルド長メフィスト
見難い火傷の子543
ゴレムさん編 ロクドのギルド長メフィスト
ロクドの街路は、歩けば歩くほど不思議な印象を深めていった。
かつて魔王のいた都。
そう聞いて思い描いていた威圧や荒廃は、少なくとも表通りには見当たらない。
石畳はよく整えられ、排水も行き届き、建物の並びにも秩序がある。
行き交う人々の足取りは落ち着いていて、警備の者たちも必要以上に威張らない。
治安の良い街というのは、こういう空気で分かるのだとゴレムは思った。
「見ているわね」 と、隣でテレースが言った。
「はい」
「気になる?」
「かなり」
「でしょうね」
ゴレムは頷いた。
気になる、というより、理解したいに近い。
どういう統治をしていれば、魔王の都と呼ばれた街が、こういう落ち着きを保てるのか。
魔王がいなくなったあとも崩れずに回る仕組みとは何か。
そういうことが、街の石の積み方や人の歩き方の中にまで滲んでいる気がした。
「まずはギルドですね」
「ええ。場所は港で聞いた通り、この先を右よ」
案内に従って進むと、やがて見慣れた紋章を掲げた建物が見えてきた。
ロクドの冒険者ギルドは、ナナメのそれよりも少し横に広い造りをしていた。
要塞めいた重さは薄いが、その代わりに行政施設のような整い方がある。
出入りする者の種族も多様で、人間だけでなく、角のある者、
肌の色が異なる者、耳や目の形が違う者も珍しくない。
だが誰もそれを特別視していない。
ここではそれが日常なのだろう。
「入ります」
「ええ」
二人が中へ入ると、空気はさらに整然としていた。
依頼板の前には人だかりがあるが、押し合いはない。
受付では職員が手際よく応対し、奥では書類を運ぶ者たちが忙しく動いている。
忙しいのに騒がしくない。
ゴレムはそのことに、また少し感心した。
受付へ向かうと、職員が顔を上げた。
「ようこそロクド冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょう」
「他領から参りました。滞在中の確認と、必要であれば登録の照合をお願いしたいのですが」
「承知しました。冒険者証を拝見します」
ゴレムが証を差し出すと、職員は確認し、すぐに頷いた。
「問題ありません。
短期滞在であれば通常の活動に制限はありません。
ただし、共和国行政区画の一部、旧王城周辺の管理区域、
ならびに軍務関連施設への無断立ち入りは禁止されています」
「承知しました」
「また、魔王国時代の遺物や封印物に類するものを発見・取得した場合は、
必ず先に申告をお願いします」
「……こちらも徹底しているのですね」
「必要ですので」
ナナメでも似た言葉を聞いた。
だがこちらは奈落由来の警戒というより、国家運営の延長としての管理に聞こえる。
街ごとに同じ「厳格」でも質が違うのだと、ゴレムは思った。
「ギルド長はご在席でしょうか」 とテレースが尋ねた。
「はい。少々お待ちください」
職員が奥へ声を掛ける。
しばらくして現れたのは、長身の男だった。
落ち着いた黒衣をまとい、動きに無駄がない。
人当たりの良さを前面に出すタイプではないが、
威圧感だけで場を支配するような人物でもない。
むしろ、よく整えられた刃物のような印象があった。
「待たせたね」 男はそう言って、二人を見た。
「私はこのギルドの長を務めているメフィストだ。旅の者と聞いたが」
「ゴーレムヨンドから参りました、ゴレムと申します」
「テレースです」
「ゴーレムヨンド」
メフィストはその名を一度口の中で転がすように繰り返し、わずかに目を細めた。
「遠いところから来たものだ。ようこそロクドへ」
「ありがとうございます」
「街の印象はどうかな」
いきなり核心を問われた気がして、ゴレムは少しだけ考えた。
だが曖昧に濁すより、率直に答える方がよい気がした。
「正直に申し上げて、驚いています」
「ほう」
「もっと荒れている街を想像していました。ですが実際には、非常に整っている」
「それは褒め言葉として受け取っておこう」
「事実ですので」
「君は真面目だね」
メフィストの口元がわずかに緩んだ。
からかわれたのかもしれないが、不快ではなかった。
「かつて魔王がいた国だ。
外から見れば、もっと別の姿を想像するのも無理はない」 とメフィストは言った。
「だが統治というものは、恐怖だけでは長続きしない。
制度があり、人が育ち、役目が回るからこそ街は残る」
「……」
「魔王が消え、国名が変わっても、残された職員が優秀なら街は動く。そういうことだよ」
ゴレムは静かに頷いた。
自分が港から街路にかけて感じていたことを、本人の口から言葉にされた気がした。
「では、今の共和国も」
「ええ。旧来の仕組みを活かしつつ回している。
壊すより、使えるものを使う方が賢いからね」
「合理的です」
「そうだろう?」
メフィストはそこで一度視線を窓の外へ向けた。
その横顔には、過去の体制をただ懐かしむでも、
ただ否定するでもない、実務家の冷静さがあった。
「もっとも」 と彼は続けた。
「ここにはまだ、鉄道国の技術は来ていない」
「鉄道国」 ゴレムはその言葉に反応した。
「ご存じか」
「名前だけは」
「なら、いずれ見るといい。あれは街の流れを変える」
ゴレムは少し身を乗り出しかけて、慌てて姿勢を戻した。
テレースが横でそれに気づき、ほんの少しだけ目を細める。
「ロクドには未導入なのですね」
「そうだ。ここも港湾と街路の整備は進んでいるが、
鉄道国の軌道まではまだだ。次の狸の里にも無いと聞く」
「では、さらに先で?」
「アラクネ共和国で、ようやく立体輸送の工事が始まっているらしい。
ロープウェイだったかな」
「ロープウェイ……」 ゴレムはその語を小さく繰り返した。
「そして鉄道国の軌道そのものに出会うのは、もっと先だ。
ホーネット幕府まで行けば見られるかもしれない」
「ホーネット幕府」
「興味がある顔だね」
「はい」
「そうだろうとも」
メフィストはそこで、今度ははっきりと笑った。
この男は人を観察するのが上手いのだろう。
ゴレムが何に反応するか、すでに見抜かれている気がした。
「旅の目的が見聞なら、ロクドは良い起点になる」 とメフィストは言う。
「ここはまだ古い秩序の延長にある。
だが先へ進めば、別の技術、別の社会、別の常識が見えてくる」
「……」
「君のような者には、面白い旅になるだろう」
ゴレムは返事をする前に、一度だけテレースを見た。
彼女は小さく肩をすくめる。
「もう行く気になっている顔ね」
「そう見えますか」
「見えるわ」
「……否定はできません」
「でしょうね」
メフィストはそのやり取りを見て、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「良い同行者だ」
「はい」 ゴレムは素直に答えた。
「とても助けられています」
「そういうことを、君は本当にそのまま言うのだな」 とテレースが小さく言う。
「事実ですので」
「ええ、知ってるわ」
受付の近くで、誰かが書類の束を落とした。
すぐに別の職員が拾い、何事もなかったように流れが戻る。
その様子を見て、ゴレムはまたこの街の機能の良さを感じた。
「滞在するなら、ギルドの資料室も一部は閲覧できる」 とメフィストが言った。
「旧魔王国時代の公開記録、港湾運用の変遷、共和国移行後の行政整理。
そういうものに興味があるなら、申請してみるといい」
「……よろしいのですか」
「公開区分の範囲なら問題ない。隠すべきものと、見せた方が良いものは分けてある」
「合理的ですね」
「だから街が回る」
その答えに、ゴレムは深く納得した。
この街の良さは、善良さだけではない。
分別があるのだ。
何を管理し、何を開き、何を残すか。
その判断ができる者たちがいる。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。
旅人が街を正しく見てくれるのは、こちらにとっても悪いことではないからね」
メフィストはそう言って、軽く手を上げた。
それが会話の区切りらしかった。
ギルドを出ると、ロクドの昼前の光が石畳に落ちていた。
港から感じていた印象は、今や確信に近い。
ここは魔王の残した恐怖の都ではなく、優れた統治の名残を受け継いだ街だ。
「どうでした?」 とテレースが聞く。
「非常に興味深い方でした」
「メフィスト?」
「はい。街の空気とよく似ています」
「それは分かる気がするわ」
「そして」 ゴレムは少しだけ間を置いた。
「先が気になってきました」
「鉄道国?」
「はい」
「でしょうね」
テレースは半ば呆れたように、半ば面白がるように笑った。
「ロクドにはまだ無い。
狸の里にも無い。
アラクネ共和国でようやく工事中。
ホーネット幕府まで行って、やっと軌道に会えるかもしれない」
「遠いですね」
「遠いわね」
「ですが」
「行くのでしょう?」
「……はい」
その返事に、テレースはため息をつくふりをした。
だが本気で止める気がないことは、もうゴレムにも分かっていた。
ロクドの街は静かに機能している。
その整い方に感心しながらも、ゴレムの心はすでに少し先を見始めていた。
まだ見ぬ軌道。まだ見ぬ技術。まだ見ぬ国々。
旅は海を越えたばかりだというのに、世界はさらに広がろうとしている。




