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見難い火傷の子  作者: 清風
540/603

ゴレムさん編 ゴドメ発ナナメ着旅情

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子540


ゴレムさん編 ゴドメ発ナナメ着旅情


朝のゴドメは、まだ少しだけ夜の名残を引いていた。

港の方からは潮の匂いが流れてきて、

通りには昨夜遅くまで賑わっていた店の看板が静かに下がっている。

ゴレムは宿の前で荷を確かめ、背負い紐の締まり具合をもう一度見直した。

見直したあとで、特に問題がないことを確認し、それでも念のためもう一度だけ触れた。


「早いのね」


声を掛けられて振り向くと、テレースが立っていた。

旅装に身を包み、髪も動きやすいようにまとめている。

実家で会った時とも、街を案内してくれた時とも少し違う、旅人の顔だった。


「おはようございます」

「おはよう。待たせた?」

「いえ。私も今来たところです」

「そう」


テレースはそう言って、ゴレムの荷を一目見た。


「……ずいぶんきっちり詰めたのね」

「歩行時の揺れを考慮しました」

「そこまで考えるの」

「荷崩れは疲労に直結しますので」

「なるほど」


少しだけ口元を緩めるテレースを見て、ゴレムは胸の内で小さく安堵した。

どうやら変なことは言っていないらしい。


宿を引き払い、二人はゴドメの通りを南へ向かった。

朝の市場ではすでに魚が並び始めていて、威勢のいい声が飛んでいる。

焼き魚の匂い、潮の匂い、濡れた石畳の匂いが混ざり合い、ゴドメという街の朝を作っていた。


「名残惜しそうね」

「そう見えますか」

「少し」

「……良い街でした」

「ええ。私もそう思うわ」


それだけの短いやり取りなのに、ゴレムは少し救われた気持ちになった。

自分が良いと思ったものを、同じように良いと言ってもらえるのは、思っていたより心強い。


南門を抜けると、街道はしばらく海沿いに続いていた。

右手には青い海、左手には緩やかな起伏の丘と畑。

朝の光を受けた海面がきらきらと揺れている。

ゴドメの明るさは、街を出てもなおしばらく旅人の肩に残るらしかった。


「ナナメまでは、今日中に着きますか」

「着くわ。急げばもっと早いけれど、急ぐ必要はないでしょう」

「はい」

「途中で少し休みましょう。道は悪くないけれど、後半は景色が変わるから」

「景色が」

「ええ。ゴドメの延長みたいな気分でいると、少し驚くかもしれないわ」


その言い方が気になったが、ゴレムは深くは聞かなかった。

テレースがそう言うなら、見れば分かるのだろう。


しばらく歩くうちに、二人の歩調は自然と揃っていった。

最初こそゴレムは、相手に合わせるべきか、

自分の普段の速度を基準にしてよいものか迷っていたが、

テレースの方がそのあたりは慣れているらしい。

速すぎず遅すぎず、話すのにちょうどいい速さで歩いてくれる。


「その剣、普段から少し外寄りに吊っているのね」 と、テレースが言った。

「はい。狭い場所では不便ですが、抜きやすさを優先しています」

「癖?」

「防衛任務の名残です。通路や門上では取り回しより初動を重視しました」

「なるほど。ゴーレムヨンドらしいわね」

「……そうかもしれません」


自分の身についたものを、街の名で言い当てられるのは不思議な感覚だった。

少し照れくさいような、しかし嫌ではない。


昼前、街道脇の木陰で休憩を取った。

テレースは慣れた手つきで水筒を下ろし、布に包んでいた軽食を広げる。

ゴレムも自分の分を出そうとして、少しだけ動きを止めた。


「どうしたの」

「いえ。量が多かったかもしれないと」

「見せて」

「はい」


差し出すと、テレースは包みの中を見て、目を瞬いた。


「……本当に多いわね」

「長時間行動を想定しました」

「今日の行程で?」

「はい」

「野営三日分くらいあるけれど」

「そうでしょうか」

「そうよ」


言われてみればそうかもしれない、とゴレムは少し反省した。

旅の距離感はまだ完全には掴めていない。


「半分は夕方に回しましょう。傷むものから食べればいいわ」

「助かります」

「素直でよろしい」


テレースはそう言って、自分の分の果物を一つ寄越した。

ゴレムは一瞬受け取ってよいものか迷ったが、断る方が不自然だと判断して礼を言う。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」

「……旅慣れておられるのですね」

「それなりには。ゴドメの外も歩いてきたもの」

「頼もしいです」

「そういうことを真顔で言うのね、あなたは」

「事実ですので」

「そう」


テレースは少しだけ視線を逸らし、水を飲んだ。

ゴレムは自分が何かおかしなことを言っただろうかと考えたが、

特に失礼な点は思い当たらなかったので、そのまま果物を口にした。

甘かった。


休憩のあと、道は少しずつ表情を変えていった。

海はまだ見えるが、ゴドメのような開けた明るさは薄れ、

代わりに岩場や痩せた草地が増えてくる。

街道を行き交う旅人の顔ぶれも変わった。

商人風の者に混じって、武装した冒険者の姿が目立つ。


「増えましたね」

「何が?」

「武装した者です」

「ナナメが近いから」

「やはり、そういう街なのですね」

「ええ」


テレースは前を見たまま言った。


「ゴドメは準最前線。ナナメは最前線よ」

「……」

「ゴドメは笑って迎える街でいられる。

でも、それはナナメが前に立っているからでもあるの」


その言葉は、海風よりも静かに、しかし確かに胸に入ってきた。

ゴレムは振り返らなかったが、背後に置いてきたゴドメの賑わいを思った。

歌があり、温泉があり、魚があり、人が笑っていた街。

あの明るさは、ただ自然にそこにあったのではないのだ。


「ナナメは、魔大陸に近いのですか」

「近いわ。海の向こうを意識せずにはいられないくらいには」

「……魔王の」

「ええ。昔はもっと露骨だったでしょうね。今でも、あの街の空気は少し違うわ」


ゴレムは小さく息を吐いた。

自分は今、ただ次の街へ向かっているのではない。

世界の縁に近づいているのだと、ようやく実感が追いついてきた。


午後になると、空の色まで少し変わったように思えた。

陽射しは同じはずなのに、地面に落ちる影が硬い。

道の脇には古い石積みの跡があり、見張り台だったのかと思わせる高まりもある。

今は使われていなくとも、かつてここが備えの線上にあったことは、素人目にも分かった。


「見て」 テレースが指した先、遠くに灰色の輪郭が浮かんでいた。

「あれがナナメよ」


最初は低い雲かと思った。

だが近づくにつれ、それが城壁と建物の重なりであることが分かる。

ゴドメのような開放感はない。

厚みのある壁、抑えた色、

海を背にしながらもどこか内向きに力を溜めているような街の姿だった。


「……確かに、空気が違いますね」

「でしょう」

「同じ海辺でも、まるで別の街です」

「別の街だもの」


当然のことを言われているのに、少しだけ可笑しかった。

ゴレムは口元を緩める。

テレースもそれに気づいたのか、わずかに笑った。


街へ近づくにつれ、道を行く者たちの声は少なくなった。

門前には荷を検める列があり、冒険者らしい者も、商人も、皆どこか手早い。

無駄口を叩く雰囲気ではないが、張り詰めすぎてもいない。

慣れているのだ、この街はこういう空気に。


「まずはギルド?」 とテレースが聞く。

「はい。街の作法としても、その方が良いかと」

「真面目ね」

「必要な確認は先に済ませたいので」

「ええ、賛成」


門をくぐる直前、ゴレムは一度だけ後ろを振り返った。

北の方角、もう見えないゴドメのある方を見る。

潮の匂いはまだ同じはずなのに、ここでは少し違って感じた。


隣にテレースがいる。


その事実を、ゴレムは改めて静かに意識した。

知らない街へ入る緊張はある。最前線の空気に触れる硬さもある。

だが一人ではないというだけで、それはずいぶん違うものになるらしい。


「行きましょうか」 とテレースが言う。


「はい」 ゴレムは頷いた。


ゴドメを発ち、ナナメへ着く。

それはただの移動ではなく、旅がもう一段深い場所へ入っていく、その境目の一日だった。

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