ゴレムさん編 再出発
見難い火傷の子539
ゴレムさん編 再出発
その夜、ゴレムが旅館へ移ったあとで、テレースは実家へ戻った。
海風は昼より少し冷えていて、戸を開けると家の中にはまだ灯りが残っていた。
広間の卓には茶器が片づけきらないまま置かれ、窓辺にはパーピーが翼をたたんで座っている。
モルペーたちは、どう見てもまだ寝る気配がなかった。
嫌な予感がした。
「おかえりなさい、お姉さま」
モルペーがにこにこと言う。
その笑顔は可愛い。
可愛いが、こういう時はだいたいろくでもない。
「遅かったわね」
ライドネーが言う。
「旅館まで送っていっただけよ」
「へえ」
「へえ、じゃないわ」
テルクシオペーは何も言わなかったが、じっとこちらを見ている。
パーピーだけが、面白そうに片眉を上げた。
「座れ、テレース」
「どうして」
「尋問だろう」
「違うっす、尋問じゃなくて」
モルペーが妙に弾んだ声で言った。
「コイバナです」
テレースは無言になった。
やはりろくでもなかった。
「違うわ」
「何が?」
「全部」
「全部って便利ねえ」
ライドネーが笑う。
テルクシオペーが静かに補足した。
「でも、気にしているのは本当でしょう」
「気にしていないとは言わないけれど」
「ほら」
「ほら、じゃないわ」
テレースはため息をつき、仕方なく卓についた。
座った瞬間、三方向から視線が刺さる。
パーピーまで見ている。
なぜこの人まで参加するのだろう。
「で?」
モルペーが身を乗り出した。
「どういう人なの?」
「真面目な人よ」
「それは見れば分かる」
ライドネーが即答した。
「もっとこう、あるでしょう。優しいとか、堅いとか、不器用とか、好みとか」
「最後のは余計よ」
「余計じゃないっす」
モルペーが真顔で言う。
「大事っす」
「大事ではないわ」
「大事だ」
なぜかパーピーまで頷いた。
テレースは額を押さえた。
「……優しいし、堅いし、不器用ね」
「わあ」
「全部入り」
「好みの型だわ」
「だから最後のは余計だと言っているでしょう」
ライドネーとテルクシオペーが顔を見合わせて笑う。
モルペーは完全に面白がっていた。
「で、この後も同行するの?」
「しないわ」
テレースは即答した。
「私はここへ戻ってきたの。少し休むし、あなたたちのこともある」
「えー」
「えー、じゃない」
「でもあの人、絶対ひとりで放っておくと変なところで律儀に迷うっすよ」
「それは少し分かる」
思わず本音が出てしまい、三姉妹の目が一斉に光った。
「分かるんじゃない」
「分かるのね」
「やっぱり気にしてる」
「言葉尻を取らないで」
テレースは咳払いを一つした。
「とにかく、同行はしない。私はモルペーのマネージャー役もあるし」
「継ぐわ」
ライドネーが言った。
「何を」
「マネージャー役」
「私も手伝う」
テルクシオペーまで続ける。
「待ちなさい」
「だって、お姉さまがいなくても、もう回るもの」
モルペーが少しだけ真面目な顔になった。
「最初はお姉さまが全部やってくれたっす。
でも今は、私たちも分かる。
歌うだけじゃ駄目だってことも、段取りがいることも、相手を見ることも」
「そうよ」
ライドネーが頷く。
「いつまでもお姉さま一人に背負わせるつもりはないわ」
「それに」
テルクシオペーが静かに言った。
「お姉さま、少し外を見た方がいい」
テレースは言葉を失った。
それは、自分が誰かに言う側の台詞だと思っていたからだ。
「……私は十分見てきたわ」
「仕事としてはね」
ライドネーが言う。
「でも今回は違うでしょう」
「違わないわ」
「違うっす」
モルペーがきっぱり言った。
「だって、お姉さま、あの人のことになるとちょっと変だもん」
「変ではない」
「変だ」
パーピーが断言した。
テレースは思わずそちらを見る。
「あなたまで何なの」
「面白いから見ている」
「最悪ね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
広間に笑いが広がる。
テレースは深く息をついた。
押し切られそうな流れだと分かっていた。
「……同行はしないわ」
最後の抵抗のように言うと、モルペーがにっこり笑った。
「同行しなさい」
「しなさい」
「しなさい」
三姉妹が綺麗に重ねる。
パーピーは腕を組んだまま、ゆっくり頷いた。
「行ってこい」
多数決ですらなかった。
ただの圧だった。
その夜、テレースは自室へ戻ってからもしばらく眠れなかった。
窓の外では波の音がしている。
慣れた音のはずなのに、妙に落ち着かない。
同行しない。
そう言った。
言ったのに、頭のどこかで、もし頼まれたらどうするのだろうと考えている自分がいる。
馬鹿らしい、とテレースは思った。
あの人は真面目で、礼儀正しくて、不器用だ。
だからこそ、こちらからついて行く理由などない。
必要なら必要と言うだろうし、必要でないなら一人で行くはずだ。
そう考えて、ようやく少し眠った。
翌朝。
まだ日が高くなる前に、戸を叩く音がした。
テレースが広間へ下りると、モルペーたちはすでに起きていて、
しかも全員が妙に期待した顔をしていた。
嫌な予感しかしない。
「出て」
ライドネーが小声で言う。
「どうして私が」
「お姉さま宛てだから」
「まだ分からないでしょう」
「分かるっす」
モルペーが断言した。
テルクシオペーも静かに頷く。
パーピーは窓辺で、すでに面白がる顔をしていた。
テレースは半ば諦めて戸を開けた。
そこにいたのは、ゴレムだった。
昨日と同じく真面目な顔で、きちんと荷をまとめ、きちんと立っている。
ただ、その表情には少しだけ迷いがあった。
頼み事をしに来た人間の顔だと、テレースにはすぐ分かった。
「おはようございます」
「おはよう。どうしたの」
ゴレムは一度だけ視線を伏せ、それから言った。
「これからも、案内をしていただけないでしょうか」
広間の奥で、誰かが息を呑む音がした。
たぶんモルペーだ。
あるいは全員かもしれない。
テレースは一瞬、返事を忘れた。
頼まれたらどうするのだろう、と昨夜考えたばかりだったのに、
実際に言われると頭が少し白くなる。
「……私に?」
「はい」
「どうして」
「あなたは土地勘がありますし、いろいろ知っている。
私は見たいものがありますが、何をどう辿ればいいか、まだ分からないことが多いので」
実にゴレムらしい理由だった。
飾りがない。
誤魔化しもない。
必要だから頼んでいるのが分かる。
そしてその必要の中に、少しだけ信頼が混じっていることも。
テレースが何か言う前に、背後からモルペーの声が飛んだ。
「行くっすよね?」
「まだ何も言ってないわ」
「旅支度も済んでるし」
その一言で、ゴレムが初めてはっきりと目を見開いた。
「旅支度?」
しまった、と思った時には遅かった。
広間の隅には、昨夜のうちに半ば勢いでまとめられた荷が置いてある。
着替え、手帳、道具、旅用の外套。
同行しないと言い張りながら、もしもの時の支度だけはしてしまっていた、その証拠が。
ゴレムは荷とテレースを見比べた。
驚いている。だが、責めるような驚きではない。
純粋に意外だったのだろう。
「……すでに準備していたんですか」
「これは、その」
珍しく、テレースが言葉に詰まった。
後ろでライドネーが肩を震わせている。
テルクシオペーまで少し口元を押さえていた。
モルペーはもう隠す気がない。
「お姉さま、行く気満々だったっす」
「違うわよ」
「違わない」
「違うの」
「じゃあ何で荷があるの」
「それは……念のためよ」
「何の念」
ライドネーの追撃が鋭い。
テレースは一度目を閉じた。
勝てない。
これはもう勝てない流れだ。
パーピーが窓辺から低く笑った。
「観念しろ、テレース」
「あなたは本当に楽しそうね」
「楽しいからな」
ゴレムは状況を完全には理解していない顔だったが、それでも一つだけは分かったらしい。
テレースが同行を断りきれないところまで来ている、ということが。
「……無理にとは言いません」
ゴレムが静かに言った。
「ですが、もし来ていただけるなら、心強いです」
その言い方はずるい、とテレースは思った。
押しつけではない。
選ばせる形を残している。
だからこそ断りにくい。
しばらく黙ったあと、テレースは小さく息をついた。
「分かったわ」
広間の空気が一気に明るくなる。
「ただし、ずっとではないわよ」
「はい」
「行けるところまで。必要がなくなったら戻る」
「はい」
「それと、案内役だからといって、何でも分かると思わないで」
「分かっています」
「本当に?」
「分からないことが多いから、お願いしに来ました」
その返しに、テレースは少しだけ笑ってしまった。
やはり、この人は真面目だ。
「では、少し待っていて」
「はい」
と言ったところで、ゴレムの視線がもう一度荷へ向く。
旅支度は、少し待つどころか、ほとんど終わっていた。
「……本当に準備が早いですね」
「だから違うのよ」
「何がですか」
「全部よ」
後ろでモルペーたちがまた笑う。
テレースはもう訂正を諦めた。
見送りは、思ったより大げさになった。
モルペー、ライドネー、テルクシオペーが揃って手を振り、
パーピーまで門のところまで出てきた。
旅に出るのはテレース一人ではないのに、なぜか主役のような扱いである。
「お姉さま、ちゃんと食べるっすよー!」
「無茶しないでねー!」
「手紙を」
「気が向いたら書くわ」
「気が向かなくても書け」
パーピーの声が飛ぶ。
テレースは振り返らずに片手を上げた。
ゴレムはその隣で、少しだけ圧倒された顔をしていた。
だが嫌そうではない。
むしろ、こういう賑やかさにまだ慣れていないだけだ。
「……すごい見送りですね」
「いつもああではないわ」
「そうなんですか」
「たぶん、面白がっているのよ」
「それは少し分かります」
朝の海風が、二人の間を抜けていく。
街道へ向かう道の先には、まだ見ぬ土地が続いていた。
ゴドメの街を背にして、ゴレムとテレースは並んで歩き出す。
案内役と旅人。
けれど、もうそれだけでもない気がした。
最終発。
そんな言葉が、なぜかテレースの頭に浮かんだ。
駅馬車でも船でもないのに、ここから先は本当に戻れない何かが始まるような気がしたからだ。
ゴレムは隣で、いつもの真面目な顔をしている。
そのくせ、少しだけ歩幅が軽い。
テレースはそれを横目で見て、ほんの少しだけ口元を和らげた。
まあ、いいか。
そう思えた時点で、たぶんもう負けていたのだろう。




