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見難い火傷の子  作者: 清風
536/617

ゴレムさん編 有給休暇届けと旅立ち

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子536


ゴレムさん編 有給休暇届けと旅立ち


翌朝、ゴーレムヨンドの空はよく晴れていた。


晴れているからといって、見張り台の仕事が軽くなるわけではない。

むしろ遠見が利くぶん、監視兵はいつもより長く外を睨む。

城壁沿いの格納庫では、防衛ゴーレムの起動試験が始まっていた。

重い関節が軋み、装甲板の継ぎ目から白い蒸気が細く漏れる。

工房街の朝は相変わらず忙しい。


ゴレムは工房の戸を開ける前に、一度だけ広場の方を見た。


昨日、吟遊詩人の一座がいた場所は、もう半分ほど片付いていた。

色布は外され、荷車が並び、旅支度の気配がある。

あの女の姿は見えない。

見えないのに、いるかもしれないと思ってしまう自分が少し面倒だった。


工房へ入ると、まず帳簿を開いた。


旅に出る。

そう決めたのは昨夜だ。

だが決めたからといって、今日すぐ荷物を背負って町を出るわけにはいかない。


南門詰所の二号機は昨日見た。

第三格納庫の予備腕部は、あと二日で組み上がる。

北壁沿いの旧式機は、今週中に膝関節の交換が必要だ。

見張り台下の小型迎撃機は、魔導核の補助環が少し不安定で、

再調整の手順を書き残しておいた方がいい。


ゴレムは一つずつ確認し、紙へ書き出していった。

自分が数日抜けても回る形にしてからでなければ、外へ出る気にはなれない。

旅に出たいと思ったのは衝動だったが、衝動のまま町の防衛を雑に扱うほど、

彼は若くもなければ無責任でもなかった。


昼前には、引き継ぎ用の紙が三枚になっていた。


部品棚の番号。

交換時の注意。

応急処置で済ませてよい箇所と、絶対に後回しにしてはいけない箇所。

ワイバーンの爪痕が入った装甲板の見分け方まで書いてある。


「お前、死ぬのか」


背後から声がして、ゴレムは振り向いた。

向かいの鍛冶場の親父ではない。南門詰所付きの整備士、バルドだった。年はゴレムより少し上で、腕は悪くないが字が雑だ。


「死なん」


「じゃあこの遺言みたいな紙は何だ」


「引き継ぎだ」


「誰が辞めるって言った」


「辞めん。休むだけだ」


バルドはしばらく黙ってから、紙の束とゴレムの顔を見比べた。


「……休む?」


「有給が残っている」


「そういう話じゃない」


まったく同じことを、昨日親父にも言われた気がした。

ゴレムは少し眉を寄せた。


「未消化分を使うだけだ。規則上、問題はない」


「規則上はな。お前が休むのが問題なんだよ」


「なぜだ」


「お前が一番休まないからだ」


バルドは本気で言っているらしかった。

ゴレムは返答に困った。休まないつもりで休まなかったわけではない。

気づけばそうなっていただけだ。


「どこか悪いのか」


「悪くない」


「家の用事か」


「違う」


「じゃあ何だ」


ゴレムは少し黙った。

鉄道国の歌を聞いたからだ、とは言いにくい。

見知らぬ女の横顔が頭から離れないからだ、などとはもっと言えない。


「……調査だ」


「何の」


「外の」


バルドは数秒、真顔で止まったあと、腹を抱えて笑い出した。


「外の、って何だよ。お前、子どもか」


「子どもではない」


「知ってる。だから面白いんだ」


笑いながらも、バルドは引き継ぎの紙を一枚手に取った。

ざっと目を通し、途中から顔つきが少し真面目になる。


「細かいな」


「必要なことだけだ」


「必要なことが多すぎる」


「多いから書いた」


バルドは鼻を鳴らした。


「分かったよ。工房長には俺からも言っとく。だが自分で出せ」


「出す」


「当たり前だ」


昼過ぎ、ゴレムは工房長の部屋へ行った。


工房長は、古い防衛機の設計図を広げたまま、片眼鏡越しにこちらを見た。

白髪混じりの髭を撫でる癖がある男で、若い頃は自分でも前線機を組んでいたらしい。


「何だ」


ゴレムは一枚の紙を差し出した。


「休暇願いです」


工房長は紙を受け取り、目を落とした。

それから、もう一度ゴレムを見た。


「……休暇願い?」


「はい」


「お前が?」


「はい」


「病気か」


「違います」


「怪我か」


「していません」


「家族に何かあったか」


「ありません」


工房長は紙を机へ置き、椅子にもたれた。


「理由は」


「私用です」


「私用でお前が休むのか」


「規則上、理由の詳細までは――」


「規則の話はしていない」


ゴレムは少しだけ視線を逸らした。

工房長はしばらく黙っていたが、やがて低く息をついた。


「旅か」


図星だった。

ゴレムは顔を上げる。


「……なぜ分かったんです」


「お前みたいなやつが急に休む時は、倒れるか、旅に出るかのどちらかだ。

顔色が悪くないから後者だろう」


工房長はそう言って、机の端に置かれた引き継ぎ書の束を見た。

すでにバルドが持ち込んでいたらしい。


「これもお前か」


「はい」


「細かすぎる」


「必要なことだけです」


「お前は皆そう言う」


工房長は一枚ずつめくり、部品棚番号や応急処置の優先順位まで書かれているのを見て、

とうとう苦笑した。


「……まあいい。ここまで書くなら、数日抜けても何とかなるだろう」


「ありがとうございます」


「まだ許可していない」


ゴレムは姿勢を正した。

工房長は紙を机に置いたまま、少し遠くを見るような目をした。


「外を見てこい」


「え」


「この町の技師は、町の中だけ見ていると、町のことまで見えなくなる時がある。

お前は真面目すぎる。

真面目なのは悪くないが、視野まで狭くしてどうする」


意外な言葉だった。

ゴレムは返事を忘れた。


「ただし条件がある」


「はい」


「帰ってこい」


「……はい」


「見たものは持ち帰れ。

技術でも、話でも、失敗でもいい。

何も持たずに帰るな」


「はい」


「それから」


工房長は休暇願いに署名し、印を押した。


「土産は甘いものにしろ。前にバルドが買ってきた干し肉は三日で飽きた」


ゴレムは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく頭を下げた。


「承知しました」


部屋を出ると、廊下の向こうでバルドが待っていた。


「どうだった」


「通った」


「本当に通ったのか」


「通った」


「お前、何を言った」


「何も」


「何もで通るか」


「有給休暇願いを出した」


バルドは額を押さえた。


「そういう意味じゃねえ」


その日のうちに、町の半分くらいには話が回った。

ゴレムが休みを取る。

しかも旅に出るらしい。


工房へ部品を取りに来た者はみな一言ずつ何か言っていった。


「熱でもあるのか」

「賭け事か」

「女か」

「いや、あいつに限ってそれはない」

「失礼だろ」

「じゃあ本当に旅か……」


ゴレムはそのたびに「調査だ」と訂正したが、誰もまともに受け取らなかった。


夕方には荷造りを始めた。

といっても大した荷物ではない。


着替え

工具の最小限

手帳

地誌

予備の筆記具

旅費の入った革袋

それに、工房長への土産代を少し多めに見積もる。

甘いもの、と言われたのが妙に頭に残っていた。


荷をまとめながら、ゴレムは自分の部屋の狭さを改めて知った。

本と図面と部品に囲まれた、いかにも自分らしい部屋だ。

ここを離れるのは数日か、もう少し長いかもしれない。

そう思うと、少しだけ胸がざわつく。


不安がないわけではない。

外の世界は、この町ほど手順通りには動かないだろう。

ワイバーンの爪痕なら見れば分かるが、人の機微はそうもいかない。

それでも行こうと思うのは、昨日広場で聞いた歌のせいであり、あの女の声のせいでもあった。


見れば分かることが、誰にでも分かるわけではない。


あの言葉が、妙に残っている。

自分は何を見て、何を見落としてきたのだろう。

町を守ることに夢中で、町の外にあるものを、

最初から自分には関係ないと決めてはいなかったか。


翌朝、旅立ちの日。

見張り台の鐘が鳴るより少し早く、ゴレムは荷を背負って工房の前に立った。


空気は冷たく、石畳には夜露が残っている。

城壁の上では交代前の兵があくびを噛み殺し、

格納庫の前では防衛ゴーレムが朝の点検を受けていた。

いつもと同じ町だ。自分がいなくても、たぶん今日も同じように回る。


それが少し寂しく、少し安心でもあった。


「本当に行くのか」


声をかけてきたのはバルドだった。

片手にまだ温かい包みを持っている。


「行く」


「調査に」


「調査に」


「女じゃなくて」


「違う」


バルドは笑い、包みを押しつけてきた。


「朝飯だ。途中で食え」


「……すまん」


「土産は甘いものな。工房長がうるさい」


「分かっている」


向かいの鍛冶場の親父も戸口から顔を出した。


「おい、ゴレム」


「何だ」


「歌に釣られた男として、恥ずかしくない旅をしてこい」


「だから違う」


「はいはい」


笑い声の中で、ゴレムは一度だけ町を振り返った。

城壁。

見張り台。

工房の煙。

待機中のゴーレムたち。

守ってきたものがそこにある。


そして、その外にも道がある。


ナッツ大陸に軌道はない。

けれど道はある。

荷車の道、駅馬車の道、交易路、海路、そして歌が指し示す見えない道。


ゴレムは歩き出した。

まずは街道の宿場まで。

そこから乗合馬車を拾い、さらに先へ。

鉄道国の話を知る者がいる町へ。

爆炎の痕跡を見た者がいる土地へ。

昨日広場にいた一座が向かったかもしれない方角へ。


有給休暇届けは、もう受理されている。

引き継ぎも済ませた。

町の防衛は回る。

だから今だけは、自分の足で外を見に行っていい。


朝日が城壁の上へ差し始める。

背中に受ける光が、思ったより暖かかった。


ゴレムは荷を背負い直し、ゴーレムヨンドを後にした。


その旅が、後に冊子になり、町の外へまで読まれることになるとは、まだ本人も知らない。

ただこの時の彼は、真面目な顔で、少しだけ浮き足立っていた。


それはたぶん、旅立つ者としては、ひどく正しい顔だった。

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