ゴレムさん編 ゴーレムヨンドに吟遊詩人がやってきた(線路は続くよどこまでも)
見難い火傷の子535
ゴレムさん編 ゴーレムヨンドに吟遊詩人がやってきた(線路は続くよどこまでも)
ゴーレムヨンドの朝は、見張り台の鐘と工房の音で始まる。
夜明けの薄青い空の下、城壁の上では交代の兵が槍を持ち替え、
外縁の監視台では望遠鏡が東の空をなぞっている。
石造りの町はまだ半分眠っているのに、工房街だけはもう起きていた。
炉の唸り、槌の音、歯車を噛み合わせる乾いた響き。
石畳の上を、補給用の荷車と運搬ゴーレムが重たく行き交う。
この町では、それが日常だった。
ワイバーンのスタンピードは、昔話ではない。
いつ来るか分からないが、来る時は空が翳るほど来る。
だからゴーレムヨンドでは、城壁だけではなく、
街のあちこちに防衛用ゴーレムが配備されていた。
広場の脇、南門の詰所、外壁沿いの格納庫、見張り台の下。
普段は沈黙している巨体たちも、整備を怠ればただの鉄屑になる。
ゴレムの仕事は、その鉄屑を守護者のまま保つことだった。
工房の戸を開けると、油と煤と熱の匂いが鼻を打つ。
作業台の上には、昨夜のうちに外した防衛ゴーレムの肘関節が置かれていた。
分厚い装甲板の内側に、駆動軸と魔導核の補助環が覗いている。
右腕の可動が鈍いという報告だったが、見れば分かる。
砂塵が噛み、軸受けがわずかに削れていた。
ゴレムは無言で袖をまくり、工具を取った。
関節の整備は地味だ。
だが、地味な箇所ほど戦場ではものを言う。
空から降ってくるワイバーンの爪を受け止める時、腕が半拍遅れれば、
それだけで壁の上の誰かが死ぬ。
そういうことを、ゴレムは嫌というほど知っていた。
工房の外で、子どもが二人、待機中の小型運搬ゴーレムの脚を見上げていた。
「これ、ほんとにワイバーン倒せるの?」
「それは運ぶやつだ」
顔も上げずに言うと、子どもたちは「なんだ」と笑って走っていった。
倒すのはもっと大きい。
もっと重く、もっと鈍く、そしてもっと頑丈だ。
町の外壁沿いに並ぶ防衛機は、見慣れているはずなのに、朝靄の中では墓標のようにも見える。
「おい、ゴレム」
向かいの鍛冶場の親父が、煤けた前掛けのまま顔を出した。
「昼から広場へ行くか」
「行かん」
「まだ何も言ってねえぞ」
「どうせ見世物だろう」
「見世物じゃねえ。吟遊詩人だ。旅回りの一座が来た」
親父はそこで声を潜めるでもなく、むしろ面白がるように続けた。
「鉄道国の歌をやるらしいぞ。線路がどこまでも続く国だとよ」
ゴレムの手が、ほんの少し止まった。
鉄道国。
ナッツ大陸にはない文明の名だ。
軌道の上を走る巨大な車両、町と町を鉄の道で結ぶ仕組み、遠方の物資と人を一気に運ぶ技術。
書物で読んだことはある。
だが実物を見たことはない。
ゴーレムヨンドの技師にとって、それは現実というより、異国の機巧譚に近かった。
「それに爆炎の跡地の話もするらしい。温泉郷だの、バビロニアだの」
「……そうか」
「食いついたな」
「食いついてはいない」
「じゃあ来るなよ」
「行かんと言った」
親父はにやにやしながら去っていった。
ゴレムは小さく息をつき、再び関節へ向き直る。
だが、耳の奥に言葉が残った。
鉄道国。
爆炎の跡地。
バビロニア。
どれも、この町の空にはないものだった。
昼前、南門詰所から整備依頼が入った。
外壁沿い第三格納庫の防衛ゴーレム一機、左脚の応答が鈍いという。
ゴレムは工具箱を持って石畳を歩いた。
町の中央広場へ近づくにつれ、人の流れが妙に多い。
荷を抱えた女たち、仕事を抜けてきた若い衆、子どもを連れた老人。
みな広場の方を見ている。
吟遊詩人の一座が来ているのだろう。
別に見に行くつもりはない。
詰所へ向かう近道が広場脇を通るだけだ。
そう思いながら角を曲がると、色布を張った仮設の舞台が目に入った。
弦を鳴らす音が風に乗る。
歌い手の声はよく通り、石壁に反響して、町のいつもの槌音とは違う揺れ方をしていた。
歌は、遠い国の道を語っていた。
石ではなく鉄でできた道。
獣ではなく機関が引く旅。
煙を吐き、火を抱え、何百里も人を運ぶ列車。
その道が、焼けた土地を越え、湯気の立つ谷を抜け、夜の街へ続いていくこと。
ゴレムは足を止めた。
歌そのものに酔ったわけではない。
だが、語りの中に混じる機構の断片が妙に具体的だった。
車輪の径、連結の仕組み、勾配での制動、熱と湿気が金属へ与える影響。
作り話にしては、手触りがありすぎる。
その時、広場の端で小さなどよめきが起きた。
「車輪が引っかかってる!」
一座の荷車の一つが、石畳の段差に片輪を取られていた。
積み荷は楽器や衣装箱らしい。
押していた若い男が慌てているが、重心が悪い。
無理に引けば軸を痛める。
「そこ、止めて」
女の声がした。
人垣の向こうから現れたのは、一人の女だった。
華やかな舞台衣装ではない。
動きやすい旅装に、帳面と革鞄。
だが、広場のざわめきの中でも不思議と目を引く。
整いすぎるほど整った顔立ちと、無駄のない所作。
美しい、というより、完成されているという印象だった。
彼女は荷車を一目見て、短く指示を飛ばした。
「右を持ち上げないで。
後ろの箱を二つ下ろして、重心を戻してから。
……あなた、そこの方」
視線が、ゴレムへ向く。
「車輪、見られますか」
問い方に迷いがなかった。
頼むというより、見れば分かる人間だと判断した声だった。
ゴレムは工具箱を持ったまま近づいた。
しゃがみ込み、車軸を確かめる。
補強金具がわずかにずれている。
今すぐ壊れるほどではないが、このまま悪路へ入れば危ない。
「締め直せばまだ行ける。だが応急だ」
「今できますか」
「道具はある」
「お願いします」
彼女はすぐに周囲の人間を動かした。
積み荷を下ろす者、荷車を支える者、子どもを下がらせる者。
怒鳴りもせず、慌てもせず、必要なことだけを言う。
その手際は、舞台の上の歌よりよほどゴレムの目を引いた。
ゴレムは金具を外し、歪みを直し、軸を締め直した。
作業は数分で終わる。
だが終わる頃には、彼女がただの付き人ではないことが分かっていた。
人も荷も時間も、全部を頭に入れて動かしている。
「これでいい。次の大きな町で一度ばらせ」
「助かりました」
彼女はほんの少し頭を下げた。
礼の仕方まで簡潔だった。
「この町の技師ですか」
「……そうだ」
「防衛機の整備を?」
「見れば分かるだろう」
「ええ。だから聞いたの」
その返しに、ゴレムは少し言葉を失った。
彼女は帳面に何かを書きつける。
整備記録か、礼を返す相手の覚え書きか、それは分からない。
「腕がいいのね」
「見れば分かることをしただけだ」
「見れば分かることが、誰にでも分かるわけではないわ」
そう言って、彼女は舞台の方を振り返った。
歌い手が次の曲へ入る合図を待っているらしい。
彼女は軽く手を上げ、段取りを通す。
その横顔を見て、ゴレムは妙な既視感を覚えた。
この人は、前に立つ人間ではない。
だが、前に立つ者が無事に立てるよう、道を整える側の人間だ。
それは少し、自分の仕事に似ていた。
防衛ゴーレムが壁の上で動けるよう、見えないところを整える。
誰かが歌うために、誰かが守るために、壊れないようにしておく。
「では」
女は短く言い、去っていった。
名前は聞けなかった。
聞く理由もなかった。
ただ、その背中が妙に記憶に残った。
南門詰所での整備を終えた後も、広場からは歌が聞こえていた。
鉄道国の歌。
線路の歌。
どこまでも続く道の歌。
ゴレムは城壁の上から外を見た。
荒野の向こうには、もちろん線路などない。
あるのは乾いた地面と、低い丘と、ワイバーンの影が現れるかもしれない空だけだ。
それでも、歌を聞いた後では、その空の向こうに本当に別の仕組みの世界があるのだと思えた。
夜、工房へ戻ると、ゴレムは作業台の隅から古い地誌を引っ張り出した。
鉄道国についての記述はわずかしかない。
だが、車輪と軌道の概略図、遠方の都市名、交易路の断片が載っている。
そこに今日聞いた地名を重ねてみる。
爆炎の跡地。
温泉郷。
バビロニア。
どれも、自分の町を守るだけでは触れられない場所だ。
だが、守る者だからこそ、知っておくべきものもあるのではないか。
異国の防衛、異国の復興、異国の機巧。
ワイバーンの群れに備えるこの町に持ち帰れる知見が、どこかにあるかもしれない。
そう考えた時、昼間の女の声がふいに蘇った。
「見れば分かることが、誰にでも分かるわけではないわ」
あの人は、どこまで見てきたのだろう。
鉄道国も、爆炎の跡地も、バビロニアも。
ただ歌を運ぶだけの人間には見えなかった。
翌朝、ゴレムは帳簿を開き、休みの取れそうな日を数え始めていた。
向かいの鍛冶場の親父が、案の定にやにやしながら顔を出す。
「よう。昨日は行かんって言ってたわりに、しっかり広場にいたらしいな」
「詰所への近道だ」
「美人もいたろう」
「荷車の車輪を見ただけだ」
「ほう」
「ほう、ではない」
親父は作業台の上の地誌を見て、さらに口元を歪めた。
「で、どこまで行く気だ」
ゴレムは少し黙った。
まだ決めていない。
だが、決めていないということ自体が、もう昨日までとは違っていた。
この町には軌道はない。
だが、道がないわけではない。
荷車の道も、交易路も、駅馬車の道も、海路もある。
そして歌は、そのどれより先へ人の心を運ぶ。
「歌の続くところまでだ」
そう言ってから、自分で少し驚いた。
親父は腹を抱えて笑った。
「そりゃいい。町の連中に言っといてやるよ。ゴレムがとうとう歌に釣られたってな」
「違う。調査だ」
「はいはい。で、その調査の先に何がある」
ゴレムは答えなかった。
答えられなかった、という方が近い。
鉄道国の技術かもしれない。
爆炎の跡地の復興かもしれない。
バビロニアの機巧かもしれない。
あるいは、帳面を持ったあの女の正体かもしれない。
工房の外では、朝の見張り鐘が鳴った。
城壁の上で、防衛ゴーレムの起動試験が始まる。
重い関節が動き、金属の腕がゆっくりと空へ上がる。
ゴレムはその音を聞きながら、休暇願いの紙を引き寄せた。
字は相変わらず堅い。
だが筆先だけは、いつもより少し軽かった。
町を守るためにここへ留まることと、町を守るために外を知ることは、たぶん矛盾しない。
そう思えたのは、昨日広場へ来た歌のせいだ。
線路は、この大陸にはない。
けれど、どこまでも続く道ならある。
そしてたぶん、物語というものもまた、そういう道の一つなのだった。




