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見難い火傷の子  作者: 清風
509/651

ホーネット幕府編 様式美炸裂

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子509


ホーネット幕府編 様式美炸裂


倉の前に立っていた兵は、近づいてくる一行を見るなり露骨に顔をしかめた。


「何だお前ら」


槍の石突きを地面に打ちつける。

威嚇のつもりなのだろうが、手元が少しぶれている。

昼間から酒が入っているのかもしれない。


「村の者に用がある」


匠ーが言う。


「倉を見せろ」


兵は一瞬きょとんとしたあと、すぐに鼻で笑った。


「見せろ、だとよ」


もう一人の兵が広場の方を振り返る。

樽を囲んでいた連中がこちらに気づき、ぞろぞろと立ち上がった。

笑いながら近づいてくる。

鎧の紐は緩み、陣羽織は着崩れ、腰の刀だけがやけに目立った。


「旅人風情が、何の権限でだ」


「権限がなければ、村の倉は見られないんですか」


キールが平坦に返す。


兵の眉が吊り上がる。


「当たり前だ。今この村は我らが預かっている」


その言い方に、後ろにいた村長がびくりと肩を震わせた。

預かっている。

守っている、ではない。


匠ーは倉の扉を見た。

新しい傷がいくつも走っている。

こじ開けた跡だ。

鍵の周りの木が割れ、蝶番も片方が歪んでいる。

村人が日常的に使う開け方ではない。


「預かってるにしては、扱いが乱暴だな」


「補給だ。軍務に協力するのは民の務めだろうが」


「冬越しの分までか」


その一言で、兵の顔から笑いが少し消えた。

村長が思わず顔を上げる。

言ってしまったことを悔やむような目だった。


「誰に聞いた」


「見れば分かる」


匠ーの声は変わらない。

だが、その静かさがかえって兵を苛立たせたらしい。


「分かったような口を利くな、小僧」


兵が一歩前へ出る。

それに合わせてダンが半歩だけ動いたが、匠ーは手を上げて制した。


「話を聞きに来た」


「聞いてどうする」


「必要なら止める」


その場の空気が、わずかに変わった。


広場から来た兵たちの笑いが止む。

村人たちは息を呑み、家々の戸の向こうで気配が固まる。

言ってはいけないことを、匠ーはあまりにもあっさり口にした。


兵の一人が、わざとらしく肩をすくめた。


「止める、だとさ」


「お前が?」


「一人で?」


「その細腕で?」


下卑た笑いが広がる。

だが、誰も完全には笑いきれていなかった。

キールの目が笑っていないこと、ダンがもう荷を地面に下ろしていること、

ハナとマリーがいつでも動ける位置に散っていることに、遅れて気づき始めている。


「村長」


匠ーは兵から目を離さずに言った。


「この倉に、今、何が残ってる」


老人は唇を震わせた。

答えれば終わる。

答えなくても終わる。

そんな顔だった。


「……豆が少しと、干した根菜が少し」


「塩は」


「ほとんど」


「家畜は」


「鶏は、もう」


そこまで言って、老人は口をつぐんだ。


兵の一人が舌打ちする。


「余計なことを」


「余計かどうかは、こちらが決めます」


キールが言うと、兵は睨み返した。

だがその睨みは長く続かなかった。

キールの視線は、怒りより先に、相手の骨格と重心と利き腕を見ている目だったからだ。


広場の奥から、別の兵がやってきた。

今までの連中より鎧がましで、腰の刀も手入れされている。

副官格だろう。

顔つきには、酔いよりも苛立ちがあった。


「騒がしいと思えば何だ」


「旅人です。倉を見せろと」


「断れ」


副官は一瞥でそう言った。

それから匠ーたちを見回し、最後に村長へ冷たい目を向ける。


「余計な口を利いたか」


村長は反射的に頭を下げた。

その動きがあまりにも早く、あまりにも染みついていて、ニールが小さく息を呑む。


「この村は現在、幕府軍の管理下にある。部外者が口を挟むことではない」


「管理、か」


匠ーが繰り返す。


「ええ、管理です」


副官は平然と言った。


「街道警備のための正当な駐留であり、必要な補給を受けているだけだ。村人も了承している」


その言葉に、村のどこかで何かが倒れる音がした。

誰かが手を滑らせたのだろう。

すぐに静かになる。


了承。

その言葉が、村の空気にひどく不釣り合いだった。


「了承している村の顔には見えませんが」


マリーが吐き捨てるように言う。


副官の目が細くなる。


「女」


「何?」


「口の利き方に気をつけろ」


ダンの口元から笑みが消えた。

だがまだ何も言わない。


匠ーは一歩だけ前へ出た。


「確認する」


副官は眉をひそめる。


「この村から、若い娘がいなくなってるのも、お前らの管理か」


今度こそ、空気が凍った。


兵たちの顔つきが変わる。

笑っていた者が目を逸らし、強がっていた者が舌打ちし、何人かは露骨に不機嫌そうな顔をした。

副官だけは、数拍遅れてから鼻で笑った。


「何の話だ」


「帰ってこない者がいるそうだ」


「村の娘の出入りまで、我々が知るか」


「知らない、か」


「知らんな」


即答だった。

だが、その即答の速さが逆に不自然だった。


ハナが静かに言う。


「では、村の女たちが兵を避けて戸を閉めるのも偶然ですか」


「怯えているように見えるのも?」


マリーが重ねる。


「倉が空なのも?」


キール。


「子どもが“まだ帰ってこない”と言ったのも?」


ニールの声は小さかったが、その小ささがかえって響いた。


副官の顔が険しくなる。


「子どもの戯言だ」


「そうか」


匠ーはそれだけ言った。


その時だった。


村の外れの方から、誰かの悲鳴に近い声が上がった。

女の声だ。

短く、押し殺したような、それでも抑えきれなかった声。


全員の視線がそちらへ向く。


細い路地の向こう、二人の女が誰かを支えるようにして歩いてくるのが見えた。

最初は怪我人かと思った。

だが近づくにつれ、それが若い娘だと分かる。


裸足だった。

片方の袖が裂け、裾は泥に汚れ、髪はほどけて頬に張りついている。

泣いているのかどうか、遠目には分からない。

顔があまりにも空っぽで、表情というものが抜け落ちていた。


村長が息を止めた。


「お、おい……」


女たちの一人が首を振る。

来るな、という仕草だった。

だが娘の足がもつれ、その場に崩れかける。

支えていた女が慌てて抱きとめる。


ニールが一歩踏み出しかけ、ハナがそっと肩を押さえた。


娘は何かを言われても反応しなかった。

母親らしい女が駆け寄り、名を呼ぶ。

肩を抱く。

頬に触れる。

それでも娘の目は合わない。

開いているのに、何も見ていないようだった。


「どうした、何があった」


父親だろう男が震える声で問う。

返事はない。


「どこへ行っていた」


返事はない。


「誰に――」


その言葉にだけ、娘の肩がびくりと跳ねた。


それで十分だった。


村の空気が、音を失った。

家々の戸の向こうにいた気配が、いっせいに息を呑む。

誰も何も言わない。

言わなくても分かってしまったからだ。


ダンが低く息を吐く。

その音は笑いではなかった。


キールの視線が、ゆっくりと兵たちへ戻る。

副官は顔をしかめていた。

面倒事が起きた、とでも言いたげな顔だ。

それが何より雄弁だった。


「知らない、だったか」


匠ーの声は静かだった。


副官は舌打ちした。


「村の揉め事に軍を巻き込むな」


「村の揉め事」


匠ーが繰り返す。


「ええ。娘が勝手にどこへ行こうが――」


最後まで言わせなかったのは、ダンだった。

一歩前へ出たその足音だけで、兵たちが反射的に身構える。


「今の、もう一回言ってみろよ」


声は低い。

いつもの軽さは欠片もない。


「下がってください、ダンさん」


匠ーが言う。

ダンは止まった。

止まったが、引いてはいない。


副官は苛立ちを隠さず、腰の刀に手をかけた。


「貴様ら、何様のつもりだ」


「最後に確認する」


匠ーは懐へ手を入れた。


兵たちが一斉に身構える。

だが抜かれたのは武器ではなかった。


小さな印籠だった。


陽の下で、その意匠がはっきりと見えた瞬間、兵の何人かが息を呑んだ。

古い紋。

今の幕府の兵でも、知らぬでは済まない類のものだ。


副官の顔色が変わる。


「……それを、どこで」


「見れば分かるはずだ」


匠ーは印籠を掲げたまま言う。


「この場におけるお前たちの駐留、

徴発、

村人への威迫、

ならびに不法行為の疑いについて、

停止を命じる」


兵たちがざわめく。

さっきまで笑っていた顔が、今は互いを見合っている。

知らないふりをするには、印が重すぎた。


「武器を捨てろ。下がれ」


匠ーの声は高くない。

だが村の隅まで届くような静けさがあった。


「命令に従っただけの者まで、ここで問うつもりはない。

伏せて従う者は、その場で扱いを分ける」


兵の一人が槍を握る手を緩めた。

別の一人は明らかに迷っている。

だが副官が怒鳴った。


「惑わされるな!偽物に決まっている!捕らえろ!」


その瞬間、何人かの兵の顔から、最後の理性が消えた。

命令にすがるように槍を構える。

逆に、二、三人は半歩退いた。


匠ーはその全員を見た。

誰が従い、誰が逆らい、誰が便乗しようとしているのかを、一息で見分けるように。


それから、印籠を静かに下ろした。


娘はまだ母親に抱かれたまま、何も見ていない目で地面を見ていた。

村長は立ち尽くし、村人たちは戸の隙間から息を殺している。

兵は武器を向け、なおも“管理”を名乗っている。


もう十分だった。


匠ーは振り返らずに言った。


「ダンさん、キールさん。もういいでしょう」


ダンが、ようやく笑った。

今度の笑みは明るくない。獲物を前にした獣のそれに近い。


「待ってました」


キールは何も言わなかった。

ただ一歩、前へ出る。


その一歩だけで、兵たちは悟った。

自分たちが今から相手にするのは、旅人でも子どもでもない。

止めるために来た者たちだと。

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