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見難い火傷の子  作者: 清風
510/652

見難い火傷の子510 ホーネット幕府編 現行犯逮捕

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子509


見難い火傷の子510 ホーネット幕府編 現行犯逮捕



「待ってました」


ダンの声と同時に、最初の兵が槍を突き出した。


速い。

酔っていても、訓練を受けた兵の踏み込みだった。喉を狙った、ためらいのない一撃。普通の旅人なら、それで終わっていた。


だがダンは避けなかった。


半歩だけ踏み込み、槍の柄を横から叩く。

穂先が逸れ、兵の体勢が前へ流れる。そのまま空いた胸ぐらを掴み、腰を落とし、地面ごとひっくり返した。


鈍い音がした。

兵は息を詰まらせ、槍を手放す。そこへダンの膝が落ちる。胸骨を砕かないぎりぎりの重さで押さえ込み、腕を背へねじり上げた。


「一本」


軽く言ったが、目は笑っていない。


同時に、右から回り込んだ二人目の兵の手首が跳ね上がった。

キールだ。抜きかけた刀の鍔を指先で弾き、鞘ごと腰から外させる。兵が反射的に掴み直そうとした瞬間、肘を取って身体を入れ替え、そのまま肩から地面へ落とした。


受け身を取る暇もない。

背中を打った兵の喉元に、いつの間にか奪われた自分の鞘が突きつけられている。


「動くな」


低い一言。

兵は凍りついた。


正面では、副官の怒声が飛ぶ。


「何をしている! 囲め!」


三人がいっせいに前へ出る。

だがその足が揃った瞬間、マリーが横から滑り込んだ。低い姿勢のまま一人の足首を払う。崩れた兵が隣を巻き込み、槍列が半端に乱れる。


そこへダンが突っ込んだ。


「おらっ」


肩からぶつかる。

鎧ごと弾き飛ばされた兵が二人まとめて転がり、槍が宙を舞う。ダンはその一本を空中で掴み、穂先ではなく柄の方を使って三人目の膝裏を払った。兵が膝をついたところへ、首筋すれすれで柄を止める。


「寝てろ」


兵は青ざめた顔で固まった。


一方、倉の前に残っていた見張りの兵が、村長の方へ走ろうとした。人質にでもするつもりだったのだろう。

だが二歩目で、その足が止まる。


ハナがいた。


いつ動いたのか分からないほど自然に進路へ入り、兵の手首を外へ流す。掴もうとした腕は空を切り、逆に肩口を押されて重心が浮く。そこへ膝裏を軽く蹴られ、兵は前のめりに地面へ落ちた。


起き上がろうとした後頭部の横へ、短刀の峰がぴたりと添えられる。


「次は気絶では済みません」


声は静かだった。

兵は顔を土に押しつけたまま動かなくなる。


広場の端では、まだ迷っていた末端兵が二人、槍を構えたまま立ち尽くしていた。

前へ出るべきか、捨てるべきか決められない顔だ。


匠ーはその二人だけを見て言う。


「伏せなさい」


声は大きくない。

だが、戦場の真ん中とは思えないほどはっきり届いた。


「今なら問わない」


二人は顔を見合わせた。

次の瞬間、片方が槍を落とす。もう片方も遅れてそれに倣い、膝をついた。


副官が怒鳴る。


「貴様ら!」


その怒声の途中で、匠ーはもう動いていた。


速い、というより短い。

無駄な距離が一切ない。副官が刀を抜き切る前に懐へ入り、鞘走りした刃の角度を手の甲で逸らす。切っ先は匠ーの肩をかすめもせず空を切り、そのまま副官の手首に指がかかった。


捻る。


骨を折る寸前で止めた力加減だった。

刀が落ちる。副官が呻く。そこへ匠ーの足が相手の踵を払った。重心を失った身体が崩れ、膝をつく。喉元へ、拾い上げた刀の峰が静かに当てられた。


「終わりです」


副官の顔が引きつる。

まだ終わっていない、と叫ぼうとしたのかもしれない。だが声になる前に、背後から別の兵が匠ーへ斬りかかった。


それを止めたのはニールだった。


「危ない!」


叫びながら投げたのは、道端に転がっていた木桶だった。

狙ってやったわけではないだろう。だが桶は見事に兵の腕へぶつかり、刃筋がぶれる。その一瞬で匠ーは身を開き、逆手で兵の手首を取る。勢いのまま前へ引き、肩から地面へ落とした。


兵の手から刀が離れる。

匠ーはその刀を蹴って遠ざけた。


「助かりました、ニール」


「う、うん!」


声は上ずっていたが、ニールは逃げなかった。

その後ろで、村人たちが戸の隙間から目を見開いている。


残る兵は、もう半分も立っていなかった。


ダンに押さえ込まれた者。

キールに関節を極められた者。

マリーに足を払われて転がったまま起き上がれない者。

ハナに喉元を制され、顔色を失っている者。

そして、自分から槍を捨てて伏せた者。


それでも一人、酒臭い息を吐きながら突っ込んでくる兵がいた。

目が据わっている。恐怖より先に意地が出たのだろう。


「舐めるなあっ!」


振り下ろされた槍を、ダンが片手で受け止めた。


正確には、穂先の下、柄の中ほどを掴んだ。

そのまま引く。兵の身体が前へ泳ぐ。ダンは逆の拳で鳩尾を打ち抜いた。鎧の上からでも呼吸が止まる一撃だったが、骨は折っていない。兵は白目を剥いて崩れ落ちる。


ダンは槍を放り捨て、周囲を見回した。


「まだやるやつ、いるか?」


返事はない。


あるのは荒い息と、土の上で身じろぎする音だけだった。

さっきまで広場に満ちていた下卑た笑いは、もうどこにもない。


キールが副官の腕を後ろへ回し、膝で背を押さえつける。

抵抗しようとしたところへ、さらに角度を増した。


「っ、ああっ!」


「静かに」


キールの声は冷たい。


「折っていないだけ、温情だと思え」


副官は歯を食いしばり、それ以上は動かなかった。


匠ーは周囲を見渡した。

立っている兵は、もういない。

伏せている者、うずくまる者、気絶している者。武器は地面に散らばり、陣の形は完全に崩れていた。


死んだ者はいない。


だが、誰一人として戦える状態でもなかった。


「縄を」


匠ーが言うと、村長がはっとしたように顔を上げた。

すぐには動けない。何が起きたのか、まだ理解が追いついていないのだろう。


代わりにハナが近くの荷から縄を引き出し、マリーへ放る。

ダンは押さえ込んでいた兵の腕を器用にまとめ上げ、キールは副官の手首を縛る。抵抗しそうな者から先に、無駄のない手つきで拘束していく。


「武器を捨てて伏せた者は後回しでいい」


匠ーが言う。


「主犯格と、命令を飛ばした者を先に」


その言葉に、伏せていた末端兵の一人が顔を上げた。

信じられないものを見る目だった。全員まとめて叩き潰されると思っていたのだろう。


「お、おれは……」


「動かないでください」


ハナが言う。


「従うなら、扱いは分けます」


兵は唇を噛み、再び額を土につけた。


村の家々の戸が、少しずつ開き始める。

ほんの指一本分だった隙間が、やがて人の顔を覗かせるほどになる。

誰も声は出さない。だが、その目はさっきまでと違っていた。


怯えだけではない。

まだ信じきれないまま、それでも確かに見ている目だ。

軍が止められた、その瞬間を。


母親に抱かれていた娘は、なおも何も言わなかった。

けれど、広場から兵の怒声が消えたことだけは分かったのか、わずかに肩の震えが弱まっていた。


村長が、ようやく一歩前へ出る。


「……終わった、のですか」


「まだです」


匠ーは答えた。


「終わらせるために、ここから分けます」


その声に、村長は深く息を吸った。

長いあいだ止めていた呼吸を、やっと思い出したように。


広場には、倒れた兵と散らばった武器と、拘束されていく指揮役たちがいる。

だがそれ以上に目立っていたのは、血の少なさだった。


斬り伏せたのではない。

壊したのでもない。

止めたのだ。


それがかえって、匠ーたちの異様さを際立たせていた。


ダンが縛り終えた兵を転がしながら、肩を鳴らす。


「いやあ、ワイバーンよりは楽っすね」


「比べる相手が間違ってる」


マリーが呆れたように言う。


「でも、まあ」


ダンは広場を見回し、口の端だけで笑った。


「これでようやく、話ができる」


キールが副官を立たせる。

腕を取られたままの副官は、さっきまでの威勢が嘘のように青ざめていた。


匠ーはその前に立つ。


「これより、実行犯、命令者、黙認者を分けて拘束します」


副官は何か言い返そうとした。

だが匠ーの目を見て、言葉を失う。


「軍の裁きは軍で受けてもらいます」


匠ーは静かに続けた。


「ですが、その前に逃がしません」


広場の空気が、そこでようやく完全に変わった。


兵が支配していた村ではない。

兵が縛られ、村人が見ている広場だ。


モンシロ村は、遅れてきた静けさの中で、初めて自分たちの息を取り戻し始めていた。

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