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見難い火傷の子  作者: 清風
507/650

マンティス公国編 魔大陸史

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子507


マンティス公国編 魔大陸史


小さな町外れに、その学校はあった。


石と木を組み合わせた二階建ての校舎は、派手さこそないがよく手入れされていて、

窓辺には季節の花が並んでいる。

昼前の校庭では、低学年らしい子どもたちが木球を追いかけて走り回っていた。


その前を、爆炎パーティの一行が通りかかる。


先頭を歩く匠ーの後ろで、ダンがのんびりと欠伸を噛み殺し、

ニールは校庭の子どもたちへ目を向けた。

マリーは校舎の壁に貼られた行事予定らしき紙を眺め、

ハナは何気なく校門や周囲の様子を見ている。

キールだけは少し離れた位置から、校門脇に立つ初老の男へ先に視線を向けていた。


「平和っすねえ」

ダンが言う。

「お前が言うと不安になるわね」

マリーが返す。

「なんでっすか」

「だいたいその直後に面倒ごとが来るからよ」

「ひどいっす」

「でも、楽しそう」

ニールが校庭を見ながら小さく言った。

「……そうだな」

匠ーが短く答える。


その時だった。


「おや」


声をかけてきたのは、校門脇に立っていた初老の男だった。

丸眼鏡をかけ、きちんとした上着を着た、いかにも学者肌の人物である。


「旅の子たちかな」

男は穏やかに目を細めた。

「見ない顔だね。保護者の方はご一緒で?」


一瞬、沈黙が落ちた。


ダンが口を開きかけ、マリーが顔を背け、ハナがこめかみを押さえる。

ニールはきょとんとした顔で自分たちを見回し、キールは無言のまま目を細めた。

匠ーだけが、いつも通りほとんど表情を変えない。


男はその反応を、緊張か人見知りと受け取ったらしい。

ますます優しい声になる。


「いやいや、警戒しなくていい。私はこの学校の校長だ」

胸に手を当てて軽く会釈する。

「よかったら授業を見ていくかね。

ちょうど今、午前の授業中でね。

来年あたり入学する子には、雰囲気を見るのも悪くない」


ダンが吹き出しかけた。

マリーの肘が脇腹へ入る。

ニールは一瞬だけ「え、ぼくら?」という顔をし、ハナは空を仰いだ。

キールは視線を逸らした。

笑ってはいないが、止める気もなさそうだった。


「……どうする」

マリーが小声で言う。

「断る理由も薄いわね」

ハナが低く返す。

「面白そうっす」

「お前は黙って」

「はいっす」

「ぼくたち、ほんとに入るの?」

ニールが小さく聞く。

「流れ的にはそうなる」

キールが短く答えた。

「……そう」


結局、流れのまま案内されることになった。


校長はすっかり善意の人だった。

廊下を歩きながら、教室のこと、先生方のこと、この町の子どもたちのことを楽しそうに話す。

どうやら本気で、旅の幼い子どもたちに学校を見せてやろうと思っているらしい。


「一年生の授業かと思ったんだけどな」

ダンがぼそりと呟く。

「言うな」

匠ーが短く返した。

「でも、なんで二階なんだろ」

ニールが首を傾げる。

キールが廊下の札へ目をやる。

「……低学年ではないな」

「え?」

ダンが顔を上げた。


だが校長が案内したのは、一階ではなく二階だった。

しかも廊下の先、扉の札にはこうある。


第五学年


「……五年生?」

ハナが小さく呟く。

「一年じゃないっすね」

ダンが言う。

「見れば分かるわよ」

マリーが返す。

「ぼくら、ここ入るの?」

ニールが今度ははっきり聞いた。

「今さら戻れんだろ」

キールが淡々と言う。

「うむ」

校長はにこやかに頷いた。

「ちょうど歴史の授業でね。少し難しいかもしれないが、聞いているだけでも面白いよ」


マリーが口元を押さえた。

笑いを堪えている。


「難しいかもしれない、ですって」

「やめなさい」

ハナが低く言う。

「今さら引き返せないわよ」


校長が扉を軽く叩き、教室の中へ声をかける。


「失礼します。旅の子たちが見学に来ていてね。少し後ろで見せてもらってもいいかな」


教壇に立っていた教師が振り返り、少し驚いた顔をしたあと、すぐに頷いた。


「ええ、もちろん。静かにしていられるなら歓迎しますよ」


教室の中の視線が一斉に集まる。

爆炎パーティは、どう見ても入学前後の年頃にしか見えない。

その小さな一団が五年生の教室へ入ってきたのだから、注目されないはずがなかった。


「うわ、見られてるっす」

「当たり前でしょ」

マリーが囁く。

ニールは少しだけ肩をすくめ、匠ーの近くへ寄る。

キールは周囲の視線を一度だけ流し見て、そのまま何事もない顔で後方の椅子へ向かった。

「座るわよ」

ハナが言う。


教室の後ろに並べられた予備椅子へ腰を下ろす。

教師は一度だけ彼らを見て、それから黒板へ向き直った。


黒板にはすでに、いくつかの語が大きく書かれていた。


エクソスケルトン朝

コウチウ幕府

ホーネット幕府

マンティス藩


ハナの目が、わずかに細くなる。

匠ーも無言のまま黒板を見た。

キールは腕を組まず、ただ静かに座っている。

ニールは文字を追うように目を動かし、

ダンは「おお」と小さく息を漏らした。

マリーは面白がるような顔をしながらも、意外と真面目に黒板を見ていた。


「では続けます」

教師は白墨を持ち直した。

「前回までで、

エクソスケルトン朝が魔大陸の広い範囲を支配した古い統一政権であったことは学びましたね」


前列の生徒たちが頷く。


「今でこそエクソスケルトン帝国と呼ばれていますが、

古い時代には“朝”と呼ばれていました。

これは単なる名前の違いではありません。

王朝としての権威が前面にあった時代と、

領域国家としての帝国へ移っていった時代の違いを示しています」


ニールが小さく首を傾げる。

「“朝”と“帝国”って、そんなに違うんだ」

「静かに」

ハナが囁く。

「でも、そういうことだ」

キールがごく小さな声で補った。

ニールは「そっか」と頷いて口を閉じた。


教師は黒板に一本の線を引いた。


「しかし、広すぎる支配はやがて綻びます。

朝廷の権威は残っても、地方の実務は回らなくなった。

そこで政務を引き受ける形で台頭したのが、コウチウ幕府です」


白墨が、次の名を丸で囲む。


「徴税、巡見、裁可、地方統制。

こうした実務の多くは、次第にコウチウ幕府が担うようになりました。

つまりこの時代、権威は朝、実務は幕府という二重構造が成立していたのです」


一人の生徒が手を挙げた。


「先生、じゃあエクソスケルトン朝は偉いだけで、仕事はしてなかったんですか」


教室に笑いが起きる。

教師も少しだけ笑った。


「乱暴に言えば、そう見える時期もありました。

ただし、権威というのはそれだけで力です。

実務を担う幕府も、朝の名を完全には無視できなかった」


「へえ」

ダンが感心したように呟く。

「お前、ちゃんと聞いてるのね」

マリーが小声で言う。

「聞いてますよ?」

「珍しい」

「ひどいっす」


教師は、さらに右へ線を伸ばした。


「そしてコウチウ幕府の分流として現れたのが、ホーネット幕府です。

最初は地方統治を任された分家筋にすぎませんでしたが、

やがて独自の軍政と監察網を持ち、強い勢力となりました」


後ろの席の生徒が言う。


「でも今はホーネット幕府の方が有名じゃないですか」


「その通り」

教師は頷く。

「だからこそ、歴史を知らないと誤解しやすい。

本来の政務継承筋はコウチウ側です。

ホーネット幕府は分家でありながら、幕府を名乗り続け、自らを実務正統の継承者と見なした。

言ってしまえば、本家気取りの分家ですね」


教室が少しざわついた。


マリーが小さく肩を震わせる。

「先生、言うわね」

「分かりやすいっす」

ダンが囁く。

「でも、そう思われても仕方ないかも」

ニールが黒板を見ながら言う。

「力がある方が本家みたいに見えるし」

キールがわずかに目を向けた。

「……それを歴史でひっくり返す授業だ」

「なるほど」

ニールは素直に頷いた。


教師はさらに黒板の端へ書き足す。


コウチウ王国


「一方で、コウチウ幕府も永遠ではありませんでした。

時代が進むにつれ、その体制は衰え、現在のコウチウ王国へと姿を変えます。

ここで大事なのは、幕府ではなくなっても、古い正統まで消えたわけではないということです」


教師はそこで、少し間を置いた。


「諸君、“印籠”という言葉は知っていますね」


何人かの生徒が頷く。

何人かは首を傾げる。


「印籠は単なる飾りや身分証ではありません。

特にコウチウ王国が授けるものは、コウチウ幕府以来の政務正統を引く証として扱われます。

さらに遡れば、エクソスケルトン朝の統治正統にも連なる。

だから今でも、旧幕府系の土地では無視しきれない重みを持つのです」


匠ーは何も言わなかった。

だがダンがちらりと横目で彼を見る。

ニールもつられるように匠ーを見て、それからすぐ前へ向き直った。

キールは表情を変えなかったが、視線だけが一瞬だけ細くなった。


教師は最後に、黒板の下へもう一つ書いた。


マンティス藩 → マンティス公国


「これも重要です。

現在のマンティス公国は、かつてホーネット幕府の一地方であるマンティス藩でした。

独立後に公国へ改めましたが、古い統治語彙や作法は今も残っています」


「たとえば?」

生徒が聞く。


「年配者が地方行政官を“代官”と呼ぶことがあります。

中央の監察筋を“公儀筋”と呼ぶ古い言い回しも残っていますね。

制度は変わっても、人の言葉と感覚はそう簡単には変わらないのです」


「へえ……」

ニールが感心したように呟く。

「昔の呼び方って、残るんだね」

「残る」

キールが短く言う。

「名前が変わっても、中身まで一度に変わるわけじゃない」

ハナが小さく頷いた。

「その通りね」


教師は白墨を置いた。


「王朝は衰え、帝国は名を変え、幕府は分かれ、王国になる。

ですが、権威の記憶は長く残る。

今日の要点はそこです」


授業の終わりを告げる鐘が鳴った。


教室がざわめき始める。

生徒たちは見学に来た小さな一団を気にしているが、

さすがに五年生ともなると露骨には騒がない。

それでも何人かは、ちらちらとこちらを見ていた。


校長は満足そうに頷いた。


「どうだったかね。少し難しかったかな」


マリーが口元を引きつらせる。

ダンは今にも吹き出しそうだ。

ニールは少し困ったように瞬きをし、キールは無言のまま立ち上がった。

ハナは一拍置いてから、きわめて真面目な顔で答えた。


「……ええ。とても勉強になりました」


「それはよかった」

校長は嬉しそうに笑った。

「高学年の授業は少し早かったかもしれないが、賢そうな子たちだからね」


教室を出て廊下を歩きながら、ダンがついに噴き出した。


「賢そうな子たち、だって」

「笑うな」

ハナが低く言う。

「いやでも、五年生の授業見学させられるとは思わなかったっす」

「ぼく、最初ほんとに一年生の教室に行くのかと思った」

ニールが言う。

「お前だけじゃない」

マリーが返す。

「内容は悪くなかったわ」

「むしろ整理されてて助かったくらいだ」

キールが言った。

ダンが目を丸くする。

「キールがちゃんと感想言った」

「失礼だな」

「いや、珍しくて」

「珍しいのはお前の理解力だ」

「ひどくないっすか」

ニールがくすっと笑う。

「でも、分かりやすかったのはほんとだね」

「……そうだな」

匠ーが短く言った。


ダンがさらに目を丸くする。


「そこも肯定するんすね」

「分かりやすかった」

匠ーはそれだけ言う。

ハナは小さく息を吐いた。


「印籠の権威が、今でもどこまで通るのか。改めて聞くと、軽くは扱えないわね」

「持ってる本人が一番そう思ってそう」

マリーが匠ーを見る。

「どうなの」

匠ーは少しだけ黙った。


「重いな」

それだけ言う。


ニールがその横顔を見上げる。

ダンが肩をすくめた。

「そりゃそうっすよね」

キールは何も言わなかったが、否定もしなかった。


校舎の外へ出ると、昼の光が眩しかった。

校庭では低学年の子どもたちが、何事もなかったように走り回っている。


背後では、校長がまだ手を振っていた。

ニールが小さく手を振り返し、ダンもつられて振る。

マリーは苦笑し、ハナは軽く会釈した。

匠ーとキールも、それぞれ短く頭を下げる。


爆炎パーティは再び道を歩き出す。


見た目だけなら、今度小学校へ上がるくらいの年頃。

だが背負っているものは、子どもの鞄よりずっと重い。


それでも今しがた聞いた授業は、ただの寄り道では終わらなかった。

古い王朝の名残。

分かれた幕府の正統争い。

そして、今なお消えきらない印籠の重み。


それらは遠い歴史の話であるはずなのに、

不思議なほど今の自分たちの足元へ繋がっている気がした。


「次はどこ行くの?」

ニールが聞く。

「飯だ」

ダンが即答する。

「お前に聞いてない」

マリーが切る。

「でも腹は減った」

キールが淡々と言う。

「ほら見ろっす」

「お前が誇ることじゃない」

ハナが言った。


少しだけ笑いが起きる。


昼の町は明るく、平和で、何も知らない子どもたちの声が風に混じっていた。

その中を、爆炎パーティはいつもの歩幅で進んでいく。


歴史は授業の中だけにあるものではない。

今もなお、誰かの手の中で続いているのだ。

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