マンティス公国編 北の兵道を進み、廃鉱区の外縁へ到達する
見難い火傷の子504
マンティス公国編 北の兵道を進み、廃鉱区の外縁へ到達する
北の兵道を進み、廃鉱区の外縁へ到達する
北の兵道は、道というより傷跡に近かった。
山肌を斜めに切り裂くように残る、古い石敷きの痕。
ところどころで崩れ、土に埋もれ、木の根に持ち上げられている。
だが完全に消えてはいない。
人の手で作られた線として、今も山の中に残っていた。
先頭を行くガレスが、足元を確かめながら進む。
「ここはまだましだ」
「“まだまし”ってことは、この先もっと歩きにくいんすよね」
ダンが言う。
「飛べるのに足場を選んで進むの、だいぶ旅っす」
「怖がって足を止めるな」
ハナが返す。
「止めてないっす。面倒だって言ってるだけっす」
「似たようなものよ」
「ひどいっすね」
朝の空気は冷たく、沢筋から上がってくる湿気が衣服にまとわりつく。
村の周囲より木々はまばらで、代わりに岩肌が目立つ。
山が痩せてきているのだ。
土の匂いより、石の冷たさが近い。
匠ーは周囲を見ながら歩いていた。
兵道は確かに荷を通すには向いている。
幅がある。
勾配も、他の山道よりは緩い。
だがその分、使う者がいれば痕跡も残る。
「止まれ」
ガレスがしゃがみ込む。
一行もすぐに足を止めた。
石敷きの切れ目、湿った土の上に、浅い轍のような跡が残っている。
荷車ほど大きくはない。
だが、何かを載せた小型の運搬具を引いたような筋だ。
「新しい?」
マリーが問う。
「昨日より前」
ガレスが答える。
「でも古すぎない」
「砦が潰れる前か後か」
ハナが言う。
「微妙ね」
「どっちでも面倒っすね」
ダンがぼそりと言う。
「継続して使われてるってことっすから」
「その通りだ」
匠ーが答えた。
さらに進むと、道の脇に倒れた石碑が見えた。
トマが言っていた分かれ道だ。
石碑は半ば苔に埋もれ、刻まれた文字もほとんど読めない。
左へ折れる道は細く、斜面が崩れかけている。
右は遠回りだが、まだ踏み跡が残っていた。
「右だな」
匠ーが言う。
「ええ」
ガレスがうなずく。
「左は落ちる」
「簡潔っすね」
ダンが言う。
「でも十分っす」
右へ折れてしばらくすると、沢の音が遠のいた。
最初は気づかないほど自然に。
だが、ある地点を越えた途端、周囲が妙に静かになる。
風の音と、靴が石を踏む音だけが残る。
ダンが顔を上げた。
「……あ」
「気づいたか」
ガレスが言う。
「沢の音、消えたっす」
「トマの言ってた場所ね」
マリーが周囲を見回す。
「地面、割れてるの?」
「見えるところにはない」
ハナが答える。
「でも下が空洞でもおかしくない」
「坑道の上か」
匠ーが低く言う。
「可能性は高い」
「下が空洞って分かってる地面を歩くの、気分はよくないっすね」
ダンが言う。
「こういう時だけ、地面を使う移動の不便さが出るっす」
「跳ねるなよ」
マリーが言う。
「跳ねないっすよ。余計な振動は出したくないっす」
セレネは足元よりも、空気の流れを気にしていた。
「冷たい風が下から来ています」
「やっぱり空洞がある」
ハナが言う。
「ええ」
「坑道が近いわね」
その先で、兵道は一度大きく山腹を回り込んだ。
視界が開ける。
遠く、北側の斜面に、灰色の傷のような地帯が見えた。
木が少ない。
地面がむき出しになっている。
崩れた櫓の影。
黒い穴のようなものがいくつも口を開けている。
廃鉱区だ。
ユノが息を呑む。
「……あれか」
「たぶん」
ガレスが答える。
「見たことあるの?」
マリーが聞く。
「遠目になら」
「近づいたことは」
「ない」
「賢明ね」
「そういう場所だ」
ダンが目を細める。
「砦よりだいぶ本丸寄りっすね……」
「また妙な言い方してる」
マリーが言う。
「でも、気持ちは分かるわ」
「分かるんすか」
「ちょっとだけ」
廃鉱区へ近づくにつれ、山の様子が変わっていった。
木々は減り、代わりに砕けた石と古い土留めが増える。
斜面には人工的な段差が残り、かつて人が大勢働いていた痕跡が見える。
だが今は静かだ。
静かすぎるほどに。
鳥の声も少ない。
獣の気配も薄い。
人がいないからではない。
長く人が出入りし、自然の方が距離を取ったような静けさだった。
ガレスが手を上げる。
「ここからは低く行く」
一行は身を屈め、崩れた石積みや低木を遮蔽にしながら進んだ。
廃鉱区の外縁には、古い作業小屋の残骸がいくつかある。
屋根は落ち、壁も半分崩れている。
だが、そのうち一つだけ、妙に形が残っていた。
「……あれ」
ユノが指す。
「壁、直してある」
「ええ」
ハナが目を細める。
「完全な廃墟じゃない」
「使ってるっすね」
ダンが言う。
「外縁まで手が入ってる」
「使ってる」
匠ーが短く答えた。
さらに観察すると、地面に新しい踏み跡がある。
しかも一人二人ではない。
複数が行き来している。
小屋の裏には、布で覆われた何かが積まれていた。
木箱か、樽か。
距離があって断定はできない。
だが、放置された廃鉱区の景色には見えない。
「外縁に見張り拠点」
ハナが言う。
「砦より一段奥の層ね」
「本体の前の門番か」
マリーが言う。
「そんな感じっすね」
ダンがうなずく。
「砦で終わりじゃなくて、ちゃんと奥があるっす」
その時、風向きが変わった。
かすかに、鼻を刺す匂いが届く。
セレネが眉を寄せた。
「薬品……?」
「分かるの?」
ユノが聞く。
「はっきりとは言えません」
セレネは慎重に答える。
「でも、砦で見た薬瓶の残り香に近いです」
「ここでも使ってる」
匠ーが言う。
「可能性は高い」
「当たりっすね」
ダンが言う。
「うれしくない方の」
匠ーは地形を見た。
外縁の小屋。
その奥に続く斜面。
さらに上には崩れた櫓。
下には坑口らしき黒い穴が三つ。
中央の一つだけ、周囲の石が比較的片付いている。
「中央の坑口」
匠ーが言う。
「使われてる」
「私もそう思う」
ハナが答える。
「左右は崩れすぎてる」
「真ん中だけ人の手が入ってるわね」
マリーが言う。
「荷を運ぶなら、あそこ」
「見張りは?」
匠ーが問う。
「まだ見えてない」
ガレスが答える。
「だが、いないとは思わん」
「当然だ」
「見えないのが一番面倒っすね」
ダンが言う。
「見えたら見えたで処理はしやすいんすけど」
一行はさらに位置を変え、別角度から外縁を観察した。
すると、小屋の陰から男が一人出てきた。
肩に短槍。
腰に笛。
砦の連中より装備が少しましだ。
歩き方にも油断が少ない。
「見張り」
ガレスが低く言う。
「一人確認」
「他にもいる」
匠ーが答える。
「ええ」
ハナがうなずく。
「交代要員がいないわけがない」
「砦より締まってるっすね」
ダンが言う。
「外縁の時点でこれなら、奥はもっと手順で回してるっす」
「その認識でいい」
匠ーが答えた。
見張りの男は小屋の前を一巡りし、中央の坑口へ視線を向け、それからまた陰へ戻った。
動きに無駄がない。
少なくとも、ただの山賊の見張りではない。
マリーが小さく息を吐く。
「砦は雑だったけど、こっちは違うわね」
「ええ」
セレネが言う。
「管理されている感じがあります」
「つまり、黒幕に近い」
ユノが緊張した声で言う。
「近い」
匠ーが答えた。
ダンが小さく息を吐く。
「……で、順当なら」
「何だ」
匠ーが問う。
「まず外縁の小屋を読む流れっすよね」
「そうだ」
「ですよね」
「何か不満か」
「不満というか、ここで雑に入ると後が面倒っす」
「順当だからやる」
「はいっす」
匠ーは全員を見た。
「今日は踏み込まない」
意外そうにユノが顔を上げる。
「え」
「外縁だけ読む」
「夜を待つ?」
マリーが聞く。
「待つ」
「妥当ね」
ハナが言う。
「ここは砦より広い」
「見張りもいる」
「坑道に入るなら、なおさら雑に動けない」
「了解っす」
ダンがうなずく。
「先に癖を掴んだ方が早いっす」
「今日は、だ」
「分かってるっす」
日が傾き始める中、一行は廃鉱区の外縁を見下ろす岩陰へ身を潜めた。
ここから先は、砦の延長ではない。
もっと組織立ち、もっと奥行きのある場所だ。
人を荷として扱う仕組みの、その先。
外縁の小屋。
中央の坑口。
薬の匂い。
締まった見張り。
黒幕の層は、もう目の前にある。




