マンティス公国編 刃鎌の砦へ突入し、盗賊たちを制圧する
見難い火傷の子500
マンティス公国編 刃鎌の砦へ突入し、盗賊たちを制圧する
合図は、短く、乾いていた。
石が一つ、門柱の根元へ投げ込まれる。
それが崩れた石に当たり、甲高い音を立てた。
カン、と。
門の内側をうろついていた見張りの男が、反射的にそちらを振り向く。
「何だ?」 その一瞬で十分だった。
マリーが正面の陰から飛び出し、低い姿勢のまま間合いを詰める。
男が弓へ手を伸ばすより早く、足払いが膝裏を払った。
体勢が崩れたところへ、柄頭が鳩尾に入る。
「がっ……!」
男は声にならない息を吐いて折れた。
そこへハナが滑り込み、短剣を喉元へ突きつける。
「騒ぐな」 低い一言。
男は顔を引きつらせたまま固まった。
同時に、裏手では匠ーとダンが崩れた壁の穴から砦内へ入り込んでいた。
足元は瓦礫と湿った土。
崩れた通路の先に、薄暗い中庭の端が見える。
「うわ、ほんとに入ったっすね……」 ダンが小声で言う。
「今さらだ」 匠ーが答える。
「今さらなんすけど、言いたくなる時ってあるじゃないっすか」
「黙れ」
「はいっす」
中庭には、粗末な天幕と木箱がいくつか置かれていた。
火の跡もある。
完全な廃墟ではない。
人が寝起きし、荷を置き、見張りを立てるための拠点として使われている。
そして、門側から短い呻き声が聞こえた。
正面の制圧が始まったのだ。
「行く」 匠ーが言う。
「はいっす」
二人が物陰から出た瞬間、天幕の脇にいた男がこちらに気づいた。
「誰だ!」 叫びかけた口へ、匠ーの踏み込みが先に届く。
槍の石突が喉元を打ち、男は言葉を飲み込んで後ろへ倒れた。
その横から別の男が短剣を抜いて飛び出す。
「てめ――」
「うわっ」 ダンが反射的に身を引く。
だが引いた勢いのまま荷袋を振り回し、男の手首にぶつけた。
「いっ!?」 短剣が落ちる。
「当たったっす!?」
「拾うな!」 匠ーが言う。
「はいっす!」
匠ーはその隙に男の肩を掴み、壁へ叩きつけた。
鈍い音。
男は崩れ落ちる。
門側では、ユノが西の抜け道へ走る影を見つけていた。
「逃がすな!」 ガレスが弓を引く。
矢は逃走者の足元へ突き立ち、男がたたらを踏む。
そこへユノが体当たりし、二人まとめて地面へ転がった。
「ぐっ……!」
「動くな!」 若い声だが、必死さは本物だった。
男が肘で振り払おうとするが、ガレスが追いつき、腕を捻り上げる。
「終わりだ」 その頃、セレネは門の奥に見えた木組みの囲い――檻へ向かっていた。
マリーが前を払い、ハナが周囲を警戒する。
「中、見えますか」 セレネが声を潜める。
「……二人」 マリーが答える。
「いや、三人?」
「生きてる?」
「一人は動いた」
「鍵は」
「外側」 ハナが言う。
「雑な作りだけど、逆に急造っぽい」
檻の中から、怯えた目がこちらを見た。
若い男。
年配の女。
そして、壁際にうずくまるもう一人。
痩せている。
手首には縄の擦れ跡が赤く残っていた。
「助けに来ました」 セレネが静かに言う。
「騒がないでください」
「ほ、本当に……?」 若い男の声が震える。
「村の者か?」 「違います」 マリーが答えた。
「でも、あんたたちをここから出す側よ」
「鍵、開けるわ」 ハナが手を伸ばす。
その瞬間、砦の奥から怒鳴り声が響いた。
「何してやがる!」 大柄な男が現れた。
革鎧の上に毛皮を羽織り、片手には鉈のような幅広の刃。
顔には古い傷。
目つきは獣じみている。
後ろにはさらに二人。
「侵入者だ!」
「殺せ!」 ダンが思わず叫ぶ。
「うわ、親玉っぽいの出たっす!」
「叫ぶな」 匠ーが言う。
「いや無理っす!」
大柄な男は一直線に檻の方へ向かった。
人質を取る気だ。
「させるか」 マリーが前へ出る。 鉈が振り下ろされる。
重い一撃。
マリーは真正面では受けず、半歩ずらして流した。
火花が散る。
そのまま懐へ入ろうとするが、男は体格に任せて肩をぶつけてくる。
「っ……!」
「力任せっすね!」 ダンが言う。
「見れば分かる!」
匠ーは横から回り込もうとした二人目を槍で牽制した。
狭い中庭では長物は不利にも見える。
だが匠ーは突くのではなく、間合いを切るために使っている。
石突で膝を払う。
穂先で喉元を止める。
踏み込みを許さない。
「近づくな」 二人目が舌打ちし、三人目が裏から回ろうとする。
そこへハナが飛び込んだ。
「そっちは私」 短剣が閃く。
相手の手首を浅く裂き、刃を落とさせる。
返す肘打ちが顎に入り、男はよろめいた。
ハナは追撃せず、そのまま足を払って地面へ転がす。
「生け捕り優先!」 セレネが叫ぶ。
「分かってる!」 マリーが返す。
大柄な男は檻を背にしながら鉈を振るう。
力は強い。
だが動きは荒い。
人を脅し慣れてはいても、鍛えられた兵のそれではない。
マリーが一撃をいなし、二撃目の軌道を読んで踏み込む。
柄を押さえ、肘を打ち、体勢を崩す。
そこへ匠ーの石突が男の脇腹へ入った。
「ぐおっ!」 男が膝をつく。
ダンが思わず言う。
「今っす!」
「見れば分かる!」 またマリーが返す。
男はなおも鉈を離さない。
歯を剥き、立ち上がろうとする。
その目が檻の中の人間へ向いた瞬間、匠ーの声が落ちた。
「そっちを見るな」 短い一言と同時に、槍の柄が男の手首を打つ。
鉈が飛ぶ。
マリーが蹴りで遠ざけ、ハナが背後から首筋へ打撃を入れた。
大柄な男はついに地面へ沈んだ。
残る二人も、すでに形勢を失っていた。
一人はハナに倒され、もう一人は匠ーの牽制から逃げられず、
最後はガレスとユノに取り押さえられる。
中庭に、荒い息だけが残る。
ダンが肩で息をしながら言った。
「お、終わったっすか……?」
「まだ確認」 匠ーが答える。
「建物の中」
「ですよね……」
「ダン」
「はいっす」
「ついてこい」
「やっぱりっすか……」
匠ーとダン、ハナ、ガレスが砦の奥を確認に向かう。
マリーは捕縛した男たちを見張り、セレネはすぐに檻の鍵を開けた。
軋む音とともに扉が開く。
「もう大丈夫です」 セレネが言う。
「立てますか」 若い男はふらつきながらも出てきた。
年配の女は足を引きずっている。
壁際の一人は、顔を上げた瞬間、ユノが息を呑んだ。
「……ロム?」 見回り組の一人。
行方不明になっていた三人のうちの一人だった。
痩せ、頬がこけ、目の下に濃い隈がある。
だが生きている。
「ユノ……?」 掠れた声が返る。
「本当にユノか」 「そうだよ!」 ユノが駆け寄る。
「生きてたのか……!」
「死ぬかと思った」 ロムは乾いた笑いのような息を漏らした。
「でも、まだだった」
セレネはすぐにロムの手首と首筋を診る。
「脱水と衰弱」
「打撲もあります」
「でも、今すぐ命が危ない状態ではありません」
「よかった……」 ユノの声が震えた。
その頃、砦の奥を確認していた匠ーたちは、小部屋の一つでさらに痕跡を見つけていた。
床に並ぶ木箱。
空の水差し。
薬瓶。
そして、壁際に積まれた衣類や荷物。
ダンがその中の一つを持ち上げる。
「これ、村の織りじゃないっすか」
「見せろ」 ハナが受け取る。
「……ええ。北の村でよく使う柄ね」
「行方不明者の持ち物か」 ガレスが言う。
「可能性は高い」 匠ーは薬瓶を見た。
底にわずかに残る液体。
鼻を寄せると、苦い匂いがした。
「レジンに飲まされたものと同系統かもしれない」
「眠らせる薬?」 ダンが聞く。
「あるいは熱を上げる」
「嫌な用途しか思いつかないっす」
さらに奥の部屋には、乾いた血の跡があった。
だが大量ではない。
解体場のようなものでもない。
むしろ、抵抗した者を殴り、引きずった痕に近い。
ハナが低く言う。
「“人食い”そのものの証拠はない」
「ああ」 匠ーが答える。
「でも、人攫いと監禁は十分ある」
「噂を幕にしてたわけっすね」 ダンが言う。
「最悪っす」
確認を終え、一行が中庭へ戻ると、捕らえた男たちは縄で縛られていた。
大柄な男も意識を取り戻しかけているが、まだ動けない。
マリーが匠ーを見る。
「どうだった」
「監禁の痕跡」
「薬」
「行方不明者の持ち物らしきもの」
「十分ね」
「十分だ」 匠ーは倒れた男たちを見下ろした。
人食いの噂。
その核には、確かに血と恐怖があった。
だが少なくともこの砦で行われていたのは、怪物の饗宴ではない。
もっと人間的で、もっと卑劣なことだ。
噂を利用し、人を攫い、閉じ込め、運ぶ。
見られた者には薬を飲ませ、死んだことにする。
村の恐怖を盾にして、山の中で好き勝手に動く。
それが、この砦の正体だった。
ダンがぽつりと言う。
「……なんか、人食いの方がまだ分かりやすかったっすね」
「分かりやすいだけで、ましではない」 セレネが答える。
「ええ」 ハナが続ける。
「人間がやる分、余計に悪い」
「それはそうっす」
ユノはロムを支えながら、捕らえた男たちを睨んでいた。
「こいつらが……」
「まだ全部じゃない」 匠ーが言う。
「荷の受け渡しは続いていた」
「じゃあ、他にもいる?」 マリーが問う。
「いる」 匠ーは短く答えた。
「少なくとも受け取り側が別にいる」
「砦は中継地点か」
「その可能性が高い」
「じゃあ終わってないっすね……」 ダンが肩を落とす。
「終わっていない」
「知ってたっす」
霧はまだ砦の周囲に残っていた。
だが、その中身は少し見えた。
人食いの噂は、完全な嘘ではない。
血も、恐怖も、失踪もあった。
だがその正体は、怪物ではなく、人間の悪意だった。
そして、その悪意はまだ先へ続いている。




