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見難い火傷の子  作者: 清風
490/555

マンティス公国編 村長から正式に依頼を受ける

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子490


マンティス公国編 村長から正式に依頼を受ける


夕方になる頃には、山の空気はいっそう冷えていた。


村の上を覆う雲は低く、尾根の向こうは早くも薄暗い。

風は湿り気を帯び、木々の梢を鳴らしながら、どこか落ち着かない気配を運んでくる。

匠ー一行は、村の中央広場に面した空き小屋を借り、そこで村長の帰りを待っていた。


聞き込みの間に見て回った村の様子は、やはり穏やかではなかった。


戸締まりは早い。

家畜小屋の閂は二重。

干し棚は低く下ろされ、夜の見回り用らしい槍や鉈が、どの家の軒先にも立てかけてある。

子どもは日が傾く前に家へ入れられ、若い男たちは二、三人ずつで固まって歩いていた。


噂は、確かに村の暮らしを変えていた。


「ここまで来ると、もう噂だけでも十分被害っすね」 ダンが窓の外を見ながら言う。

「夜のたびにこんな調子じゃ、そりゃ皆くたびれるっす」

「眠れないし、働きにも響くもの」 マリーが答える。

「畑も山仕事も、朝から動かなきゃいけないのに」

「しかも、疑心暗鬼が広がる」 セレネが静かに言った。

「外から来る者を警戒し、隣人の話にも怯え、夜の物音ひとつで戸を閉ざす。

長引けば、村そのものが痩せていきます」

「痩せるのは畑だけで十分っす」 ダンがぼやく。

「精神まで痩せるのはきついっす」


ハナは壁に立てかけられた見回り用の槍を見ていた。


「でも、村が何もしていないわけじゃない」

「そうね」 マリーがうなずく。

「ちゃんと守ろうとはしてる」

「守ろうとして、守りきれていない」 ハナは短く言った。

「だから余計に怖いのよ」


その時、外から複数の足音が近づいてきた。

戸が叩かれ、続いて低い声がする。


「入るぞ」


返事を待たず、戸が開いた。


入ってきたのは、五十を過ぎたと思しき大柄な男だった。

肩幅が広く、山仕事で鍛えられた腕をしている。

髪には白いものが混じり、頬には古い傷が一本。

厚手の外套の裾には泥がつき、腰には実用本位の山刀。

後ろには若い男が二人、見回りの組らしく槍を持って控えていた。


「村長っすか」 ダンが小声で言う。

「たぶんね」 マリーも声を潜める。


男は一行を見回し、最後に匠ーへ視線を止めた。


「よそ者の旅人だと聞いた」

「そうだ」 匠ーが答える。

「噂の件で話を聞いている」

「勝手に、な」

「必要だった」

「必要かどうかを決めるのは本来こっちだ」

「だから今、会っている」


村長はしばらく匠ーを見ていたが、やがて鼻を鳴らした。


「……図太いな」

「よく言われる」

「褒めてない」

「承知している」


ダンが小さく顔をしかめる。


「初手から火花散ってるっす」

「でも、追い返されてはいないわ」 セレネが言った。


村長は戸口の若者たちに顎をしゃくった。


「お前らは外で見張れ」

「はい」 二人は素直に従い、戸の外へ下がる。

村長は自分で戸を閉めると、空いていた椅子へどっかり腰を下ろした。


「俺はこの村の村長、ドゥガンだ」

「匠ーだ」

「そっちは?」

「マリー、ハナ、セレネ、ダン」

「……変わった組み合わせだな」

「よく言われるっす」 ダンが言う。

「褒めてないぞ」

「知ってたっす」


村長ドゥガンは腕を組んだ。


「で、どこまで聞いた」

「行方不明者が三人」 匠ーが言う。

「旧道で赤い火を見たという話。荒らされた小屋。噂で街道の流れが鈍っていること」

「そこまでか」

「十分重い」

「……そうだな」


ドゥガンは一度、深く息を吐いた。

その息には疲れが混じっていた。


「正直に言う。俺は“人食い盗賊団”なんて話は信じていない」

「でも、何かは起きている」 ハナが言う。

「起きている」 ドゥガンは即答した。

「それは間違いない」


匠ーは黙って先を促した。


「最初に消えたのは、炭焼き小屋の見習いだ。名はレム」 ドゥガンが言う。

「十七の若造で、山は慣れていた。炭窯の見回りに出て、そのまま戻らなかった」

「捜索は?」 セレネが問う。

「した。村の男を十人出して二日探した。沢で斧が見つかっただけだ」

「次は?」

「薬草採りの婆さま、イェルダ。七十近いが足腰は強かった。

いつもの尾根道へ入って、帰らなかった。籠だけが見つかった」

「最後が荷運びの男」 マリーが言う。

「ガレスだ」 ドゥガンがうなずく。

「三十過ぎ。峠下の宿場まで荷を運ぶ途中で消えた。

荷そのものは見つからず、荷紐だけが旧道の脇に落ちていた」

「三人とも、消えた場所が少しずつ違う」 ハナが言う。

「でも、全部山の中」

「そうだ」

「村の近くで襲われた形跡は?」

「ない」

「血痕は?」

「決め手になるものはない」

「獣の足跡は?」

「雨と霧で流れる。見つかっても当てにならん」


セレネが静かに言った。


「“人食い盗賊団”というには、証拠が薄いですね」

「だから俺は信じていない」 ドゥガンは苛立ちを抑えるように言う。

「だが、信じていなくても村は怯える。荷は減る。若いのは夜に山へ入らなくなる。

女や子どもは戸を閉める。見回りを増やせば働き手が削られる」

「噂が現実を食ってるわけっすね」 ダンが言う。

「うまいこと言ったつもりか」

「全然うれしくないっす」


ドゥガンは少しだけ口元を緩めたが、すぐ真顔に戻った。


「さらに悪いことに、噂が広がってから盗みまで増えた」

「やっぱり便乗犯がいる」 マリーが言う。

「干し肉、塩漬け、油、縄。山で使えるものばかりだ」

「金目の物じゃないのね」

「この村で金目の物なんぞ、そうそうない」

「盗んだ者は山に潜っている可能性が高い」 ハナが言う。

「あるいは、山に潜っているように見せたいか」 セレネが続けた。


匠ーが村長を見る。


「村として、何を望む」

「……何?」

「噂を止めたいのか。消えた者を見つけたいのか。

盗人を捕まえたいのか。旧道を確かめたいのか」

「全部だ」 ドゥガンは低く言った。

「だが、全部は無理だ」

「なぜ」

「人手が足りん。夜の見回りだけで精一杯だ。山狩りをするには人数がいる。

旧道を封鎖するにも見張りがいる。峠下へ使いを出すにも荷がいる」

「つまり、村は守るだけで手一杯」

「そうだ」


しばし沈黙が落ちた。


外では風が強まり、戸板がかすかに鳴った。

夕暮れはもう終わりかけている。

山国の夜は早い。


ドゥガンは匠ーを見た。


「お前たちは何者だ」

「旅人だ」

「それだけで、こんな話に首を突っ込むか」

「突っ込む」

「なぜだ」

「放っておくと道が死ぬ」 匠ーは変わらぬ調子で言った。

「道が死ねば、村も痩せる」

「……本気でそれを言ってるのか」

「本気だ」

「変なやつだな」

「よく言われる」

「褒めてない」

「承知している」


ダンが小さくつぶやく。


「このやり取り、今日二回目っす」

「気に入られ始めてるのかもね」 マリーが言う。

「嫌な兆候っす」


ドゥガンは腕を解き、膝に肘をついた。


「正直、よそ者に頼るのは好かん」

「だろうな」

「だが、このままでは村がもたん」 その声には、村長としての意地と疲労が同時に滲んでいた。

「だから聞く。お前たち、どこまでやれる」

「まず旧道を見る」 匠ーが言う。

「噂の火が見えた場所、行方不明者の痕跡、盗みの流れ。そこを確かめる」

「夜にか」

「夜の方が分かることもある」

「やっぱりそうなるっすよね……」 ダンが頭を抱えた。


ドゥガンはしばらく考え込み、やがて決めたように顔を上げた。


「なら、正式に頼む」 空気が少し張った。


村長は椅子から立ち上がり、一行を見回した。


「この村で起きている行方不明と盗み、

そして“人食い盗賊団”の噂。その正体を探ってほしい」

「報酬は?」 ハナが即座に聞く。

「現金は多く出せん」 ドゥガンは苦い顔をした。

「だが、食料、寝床、山案内、それに必要なら村の若いのを二人まで貸す」

「若いのは危ないわね」 マリーが言う。

「案内だけで十分かもしれない」

「案内も危ない」 ドゥガンは言った。

「だが、旧道は入り組んでる。よそ者だけでは迷う」

「案内は必要ですね」 セレネがうなずく。

「ただし、無理はさせない方がいい」

「分かっている」


匠ーは村長を見た。


「依頼は受ける」

「早いな」

「断る理由がない」

「あるっすよ、危ないとか怖いとかいっぱいあるっすよ」 ダンが抗議する。

「だが受ける」

「受けるんすね……」


ドゥガンは初めて、わずかに肩の力を抜いた。


「助かる」

「まだ助かったとは限らん」 匠ーが言う。

「確かめるまではな」

「それでもだ」 ドゥガンは低く答えた。

「誰かが“ただの噂じゃない”と向き合ってくれるだけで違う」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。


村長は戸口へ向かい、外にいた若者の一人を呼んだ。

入ってきたのは、昼に広場で見かけた、まだ二十にもならない痩せた青年だった。

目つきは鋭いが、緊張が隠せていない。


「こいつはトマ」 ドゥガンが言う。

「旧道と山道に詳しい。今夜、お前たちの案内をさせる」

「今夜確定なんすね」 ダンが遠い目をした。

「明日に延ばす理由がない」 匠ーが言う。

「いっぱいあるっすよ。睡眠とか心の準備とか」

「心の準備は歩きながらしろ」

「雑っす」


トマは一行を見て、少しだけ唇を引き結んだ。


「本当に行くんですか」

「行く」 匠ーが答える。

「旧道の火が見えた場所まで」

「……なら、灯りは絞った方がいいです。尾根の風下から回れば、向こうに気づかれにくい」

「気づかれたくない前提なんすね」 ダンが言う。

「そりゃそうだろ」 トマは真顔で返した。

「もし本当に何かいるなら」


外では、完全に夜が降り始めていた。


村の家々に灯がともる。

だがその灯は明るさよりも、閉ざされた内側の温もりを守るためのものに見えた。

戸は閉まり、閂がかかり、見回りの若者たちが槍を手に持ち場へ散っていく。


噂は、この村の夜を変えてしまっていた。


そして今、一行はその夜の中へ踏み込もうとしている。


人食い盗賊団の噂。

消えた三人。

旧道の赤い火。

荒らされた小屋。

山に潜む何者か、あるいは何もいないのに膨れ上がった恐怖。


そのどれが真実で、どれが噂なのか。

それを分けるための最初の一歩が、今夜になる。


ダンは荷を確かめながら、心底嫌そうに言った。


「正式依頼になったせいで、逃げ道がきれいに消えたっす……」


誰も否定しなかった。


山の夜は深い。

そして旧道は、その深さの中で静かに待っていた。

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