マンティス公国編 最初の村での聞き込み
見難い火傷の子489
マンティス公国編 最初の村での聞き込み
刃鎌の砦へ続く街道の手前、山腹にへばりつくようにして、その村はあった。
石垣で段々に均された斜面に、木と石を組んだ家々が並んでいる。
屋根は急で、雨と雪を落としやすい造りだ。
畑は狭く、代わりに山羊小屋と干し棚が多い。
山国の村らしく、土地は痩せているが、人の手はよく入っていた。
だが、活気は薄かった。
昼だというのに戸を閉めた家が多い。
道を歩く者は少なく、いても皆、よそ者を見る目が硬い。
荷を背負った女は一行の姿を認めると、足を速めて脇道へ消えた。
子どもたちは物陰から覗くだけで、近寄ってこない。
ダンが小声で言った。
「歓迎されてる感じ、まるでしないっすね」
「噂の最中の村なんて、だいたいこんなものよ」 ハナが周囲を見回す。
「外から来た人間は、助けか厄介事か分からないもの」
「どっちかと言うと、うちは後者寄りに見られてそうっす」
「否定しづらいわね」 マリーが苦笑した。
村の中央には、小さな広場があった。
井戸と、荷の計量台と、半ば閉じた共同倉。
その脇に、村で唯一らしい雑貨兼酒場の店がある。
匠ーはそこへ視線を向けた。
「まずはあそこだな」
「やっぱり酒場からっすか」
「人が集まる」
「集まってないっすけど」
「それでも、他よりはましだ」
一行が店へ入ると、鈴の代わりに吊るされた金具が乾いた音を立てた。
中は薄暗く、燻煙と乾燥肉の匂いがこもっている。
棚には塩、干し豆、油壺、縄、釘、薬草束。
奥には粗末な卓が三つ。
客は二人だけで、どちらも一行を見るなり口を閉ざした。
店番をしていた女が、無言でこちらを見た。
三十代半ばほど、日に焼けた頬に疲れがにじんでいる。
愛想はないが、敵意をむき出しにするほどでもない。
「何の用だい」
「少し休ませてもらいたい」 匠ーが言う。
「それと、話を聞きたい」
「買い物なら歓迎する。話は内容次第だね」
「では、まず買おう」 匠ーは干し肉と茶葉、それに塩を見繕った。
女は手際よく包みながら、一行を値踏みするように見た。
「旅人にしちゃ、山へ入る顔をしてる」
「そう見えるか」
「見えるよ。しかも、噂を聞いて来た顔だ」
「そんな顔あるんすか」 ダンが思わず口を挟く。
女は初めて少しだけ口元を緩めた。
「あるさ。このところ、たまに来る。腕自慢、物好き、正義漢。だいたい長居しない」
「帰るから?」 セレネが問う。
「怖くなって、ね」
「それとも」 ハナが静かに続ける。
「何も掴めないから?」
女は包みの手を止めた。
「……両方だよ」
店の奥にいた老人が、低く咳払いした。
白髪混じりの髭を撫でながら、こちらを見ている。
村人らしい厚手の上着に、山刀を腰へ差していた。
「よそ者」 老人が言った。
「人食いの話を聞きに来たなら、やめておけ」
「なぜです?」 セレネが聞く。
「ろくな話じゃない」
「だから聞きに来た」 匠ーが答える。
老人は眉をひそめた。
「面白半分なら帰れ」
「面白がってはいない」
「なら何だ」
「道が死ぬ前に、確かめに来た」 その言葉に、店の空気が少しだけ変わった。
女が匠ーを見る。
老人も、値踏みするように目を細めた。
「……道、か」
「噂が広がれば、人は通らなくなる」 匠ーは静かに言う。
「通らなくなれば、村は困るだろう」
「困るどころじゃない」 女が吐き捨てるように言った。
「もう困ってるよ。塩も油も遅れる。干し肉は安く買い叩かれる。
山向こうへ出す荷は減る。来るはずの鍛冶屋も来ない」
「やっぱり実害が出てるっすね」 ダンが小さく言う。
「だから言ったでしょう」 マリーが返した。
老人は卓を指で叩いた。
「だが、噂は噂だ」
「本当に“噂だけ”なんですか?」 ハナが問う。
「……分からん」
「襲われた村は?」
「あると聞く」
「聞くだけ?」
「この村じゃない」
「行方不明者は?」
「出た」
「何人?」
「三人」 ダンが目を上げた。
「いるじゃないっすか」
「山で消える者なんぞ珍しくもない」 老人は不機嫌そうに言う。
「崖、獣、滑落、吹雪。理由はいくらでもある」
「でも今は“人食い盗賊団”の噂と結びついている」 セレネが言った。
「時期が重なりすぎています」
「だから面倒なんだ」 老人は苦い顔をした。
「昔から山で人が消えることはあった。だが今は、何でもかんでも人食いの仕業にされる」
匠ーが椅子を引いた。
「詳しく聞こう」
「勝手に座るな」
「茶も頼む」
「図々しいな」
「代金は払う」
「……ならいい」
女が呆れたように茶を淹れ始める。
ダンがぼそりとつぶやいた。
「この流れ、毎回ちょっと強引なんすよね」
「でも座れたじゃない」 マリーが小声で返す。
「結果が大事よ」
「過程も大事にしてほしいっす」
湯気の立つ茶碗が並べられた。
匠ーは一口すすってから、老人へ向き直る。
「三人消えたと言ったな」
「ああ」
「いつだ」
「ひと月半で三人だ。最初は炭焼きの若いの。次が薬草採りの婆さま。最後が荷運びの男」
「共通点は?」
「山へ入った」
「それだけ?」
「それだけだ」
「遺留品は」
「炭焼きの斧が沢で見つかった。婆さまの籠は尾根道の脇。荷運びの男は、荷紐だけだ」
「血痕は?」
「はっきりしたものはない」
「争った跡は?」
「ない」
「獣の痕跡は?」
「それも決め手がない」
セレネが指先で卓をなぞる。
「妙ですね」
「どこがだ」
「人食い盗賊団にしては、痕跡がなさすぎる。盗賊なら奪うものを奪う。
襲撃なら争った跡が出る。人を攫うなら目撃が出る」
「獣にしても中途半端ね」 ハナが続ける。
「獣害なら、もっと露骨に痕が残ることが多い」
「じゃあ何だってんだ」 老人が苛立ったように言う。
「分からないから困ってるんだろうが」
その時、店の隅で黙っていたもう一人の客が、ぼそりと口を開いた。
痩せた男だった。片腕に包帯を巻いている。
「見た奴なら、いる」 店の空気が止まった。
女が鋭く振り向く。
「おい」
「見たんだよ」 男は茶碗を見たまま言った。
「少なくとも、俺はそう思ってる」
「何を見たんですか」 セレネが静かに問う。
男は唇を湿らせた。
「夜道でな。旧道の分かれ道の先だ。荷を運んで戻る途中、林の向こうに火が見えた。
焚き火みたいな、赤い光だ」
「盗賊の野営?」 マリーが言う。
「そう思った。だから近づかなかった。けど、声が聞こえた」
「声?」
「ああ。笑ってた」
「それだけなら人間っすね」 ダンが言う。
「問題はその後だ」 男の顔色が悪くなる。
「何かを引きずる音がした。獣かと思った。だが違った。月が出て、少し見えた」
「何が」
「脚だ」
「脚?」
「人の脚だった」
沈黙。
ダンがごくりと唾を飲み込む。
「……生きてたんすか」
「分からん」 男は首を振る。
「動いてたかもしれんし、そう見えただけかもしれん。だが、その後……」
「その後?」
「噛む音がした」
店の中の誰も、すぐには口を開かなかった。
女が低く言う。
「酒が入ってたんだろ」
「入ってた」
「見間違いだ」
「そうならいい」 男はかすれた声で言った。
「だが次の日、あの辺りで荷運びのガレスが消えた」
ハナが目を細める。
「その包帯は?」
「転んだ」
「逃げたのね」
「……ああ」
「誰にも言わなかったの?」
「言ったさ。だが、酔ってたって笑われた。俺もそう思いたかった」
匠ーが男を見る。
「場所は分かるか」
「やめとけ」 女が即座に言った。
「旧道は今、誰も通らない」
「だからこそ見る価値がある」 匠ーは答える。
「価値とかそういう話じゃないんだよ」 女の声が少し強くなる。
「もし本当に何かいるなら危ない。何もいなくても、崖と霧で十分危ない」
「どのみち危ないっすね」 ダンが言う。
「帰っていいっすか」
「だめよ」 マリーが即答した。
「即答っすね」
老人が深く息を吐いた。
「……村長に話を通せ」
「会えるか」
「夕方には戻る。見回りに出てる」
「見回り?」
「噂が立ってから、夜戸締まりを厳しくしてる。若いのを組にして、周りを見させてるんだ」
「村としても放置はしていないわけですね」 セレネが言う。
「当たり前だ」 老人は苦々しくうなずいた。
「だが、見つからん。何もな」
匠ーは立ち上がった。
「では、村長を待とう」
「待つ間、村を見て回っても?」 ハナが聞く。
「勝手に変なところへ入るなよ」 女が釘を刺す。
「納屋と家畜小屋は特にだ」
「何かあったの?」 マリーが問う。
「荒らされた家がある」
「この村で?」
「ああ。人が消えた家じゃない。留守の小屋だ。
戸が壊されて、中の干し肉と塩漬けがなくなってた」
「食料狙い……?」 ダンが言う。
「盗賊っぽくなってきたっすね」
「でも“人食い”とは繋がらない」 セレネが言う。
「むしろ、誰かが噂に便乗して盗みを働いている可能性もあります」
匠ーはうなずいた。
「まずは村の中を見る。次に村長。旧道はその後だ」
「順番がまともで助かるっす」 ダンが胸をなで下ろす。
「いきなり夜の旧道へ行くとか言い出したらどうしようかと」
「夜の方が見えるものもある」 匠ーが言った。
「やめてほしいっす」
一行が店を出ると、山の空気はいっそう冷えていた。
雲が低く垂れこめ、尾根の先は白く霞んでいる。
村の道には人影が少なく、戸口の隙間から視線だけがこちらを追っていた。
噂は、確かにこの村を蝕んでいた。
誰もが怯えている。
だが、何に怯えているのかは、まだ誰にも分からない。
人食い盗賊団なのか。
山に潜む別の何かなのか。
それとも、恐怖そのものが形を持って歩いているのか。
ダンは肩をすくめた。
「聞き込みした結果、余計に嫌な感じが増しただけなんすけど」
「上出来よ」 ハナが言う。
「最初の聞き込みなんて、だいたいそういうもの」
「上出来の基準がおかしいっす」
「でも、手がかりは出たわ」 マリーが指を折る。
「行方不明者三人。旧道。赤い火。引きずる音。荒らされた小屋」
「あと、噂のせいで村が萎縮してる」 セレネが付け加える。
「それ自体が被害です」
「やっぱりそこに戻るんすね」
「戻るわよ」 マリーが言う。
「匠ー一行だもの」
「嫌な納得感っす……」
匠ーは黙って、霧のかかる山腹を見上げていた。
旧道は、村の北端から森へ入る。
今は誰も通らない、細く古い山道。
噂の火が見えたのも、その先だという。
風が吹き、木々がざわめいた。
まるで山そのものが、余計な詮索を拒んでいるようだった。
だが、それでも確かめねばならない。
噂の正体を。
消えた者たちの行方を。
そして、この村を閉ざしつつある恐怖の正体を。
夕方、村長が戻れば、次はもっと踏み込んだ話になるだろう。
そして夜になれば――旧道を見に行くことになる。
その予感に、ダンは早くも顔をしかめた。
「絶対そうなると思ったっす……」
山は黙したまま、薄い霧の奥で暗く連なっていた。




