第五話 また鉄道国作っちゃったよこの人
見難い火傷の子487
第五話 また鉄道国作っちゃったよこの人
蟻人女王国での試験線成功は、思った以上に波紋を広げた。
地下倉庫区から中央市場までを結ぶ短い貨物線。
たったそれだけのはずだった。
だが、たったそれだけで十分だったのである。
荷崩れは減り、搬送時間は短縮され、昇降路の混雑は緩和された。
市場側の荷受けも安定し、補修資材の移動も早くなった。
軍隊蟻人からは負傷者搬送への転用案まで出始め、技官たちは延伸計画を真顔で議論している。
「中央市場から南倉庫区へ」
「いや、先に昇降塔接続だ」
「保守区画を独立させるべきでは」
「貨客分離も将来的には必要だな」
宿の食堂の隅でその話を聞きながら、ダンは遠い目をしていた。
「嫌な予感しかしないっす」
「もうしてる段階じゃないわね」 マリーが言った。
「進んでるもの」 ハナも言った。
その翌日、一行は宰相から再び城へ呼ばれた。
「またっすか」 ダンが露骨に嫌そうな顔をした。
「またです」 セレネが言った。
「そしてたぶん、ろくでもない方向に話が進みます」
「分かってるなら止めてほしいっす」
通された会議室には、前回よりも人数が増えていた。
宰相、技官長、物流監督官、土木責任者、ギルド長モハメド。
そこまではまだいい。
だが今回はさらに、コオチウ王国からの使者、
マンティス公国の視察官、
アラクネ共和国の交易代表、
シュリンプ自由連盟の港湾商会代表、
レッドクラブ国の外務官までいる。
ダンは席に着く前から頭を抱えた。
「増えてるっす」
「増えてるわね」 マリーが言った。
「嫌な増え方」 ハナが言った。
宰相が静かに口を開いた。
「蟻人女王国での試験線成功を受け、各国から問い合わせが相次いでいる」
「でしょうね」 セレネが言った。
「物流改善の効果が明白でしたから」
「うちの山越え輸送にも応用できるのではないか」 マンティス公国の視察官が言った。
「交易路の定時性が上がるなら、共和国としても無視できません」 アラクネ共和国の代表が言う。
「港から内陸への搬送が早くなるなら、
連盟としては大歓迎ですな」 シュリンプ自由連盟の商会代表が笑った。
「うちも導入したい」 レッドクラブ国の外務官が短く言った。
「ほら始まったっす」 ダンが小声で言った。
コオチウ王国の使者が、地図を広げた。
「問題は、単独導入では効率が薄いことです」
「その通り」 キールがうなずいた。
「鉄道は線で終わるより、網になってから本領を発揮する」
その一言で、会議室の空気が変わった。
「網」
「ネットワーク」
「広域連結」
「幹線化」
技官たちと使者たちの目が、同時に輝いた。
「言わなくていいことを言ったっすね」 ダンがキールを見た。
「ごめん」 キールは素直に謝った。
「でも事実だから」
「事実でも黙っててほしい時があるんすよ」
宰相は慎重に言葉を選んだ。
「ここで問題になるのは、国境をまたぐ運営だ」
「線路敷設権」
「通行税」
「貨物検査」
「保守責任」
「沿線治安」 各国代表が次々に論点を挙げる。
「普通の商会では扱いきれませんな」 シュリンプ自由連盟の代表が言った。
「かといって、どこか一国の直轄では他国が乗れない」 アラクネ共和国の代表も言う。
「共同管理機構が必要だな」 マンティス公国の視察官が腕を組んだ。
そこで、全員の視線が自然とリーダーに向いた。
ダンはその瞬間、終わったと思った。
「やめるっすよ」 小声で言った。
「今、絶対やめるところっすよ」
「……」 リーダーは少し考えていた。
考えている時点で危ない。
「会社にすればいい」 リーダーが言った。
ダンは机に突っ伏した。
「出たっす……」
「出たわね」 マリーが言った。
「CEOの顔」 ハナが言った。
「各国共同出資の株式会社にする」 リーダーは地図を見ながら続けた。
「ただし、駅、操車場、保線区、主要橋梁、トンネル、沿線保安地帯については、
一定の自治権と中立性を持たせる」
「中立性」 宰相が反応する。
「国境をまたぐ以上、どこか一国の都合だけで止められない方がいい」
「なるほど」 コオチウ王国の使者がうなずいた。
「共同出資なら発言権も配分できる」 アラクネ共和国の代表が言う。
「港湾側も参加しやすい」 シュリンプ自由連盟の代表が笑う。
「軍事転用時の規定も必要だな」 レッドクラブ国の外務官が言った。
「保守と運行を分ける案もあります」 技官長が言った。
「止まらないっす」 ダンが顔を上げた。
「誰か止めてほしいっす」
セレネが静かに手を挙げた。
「確認します」 その一言で会議室が静まる。
「それはつまり、株式会社でありながら、
国家的権限を一部持つ超国家的運営体ということですね」
「そうなる」 宰相が言った。
「通称が必要ですな」 シュリンプ自由連盟の代表が楽しそうに言った。
少しの沈黙の後、モハメドがぼそりと言った。
「鉄道国でいいんじゃないか」
会議室が静まった。
「雑っす」 ダンが言った。
「でも分かりやすい」 マリーが言った。
「分かりやすすぎるわね」 ハナが言った。
「株式会社で、国家的でもある」 アラクネ共和国の代表が整理する。
「なら、株式国家鉄道国……?」
「それだ」 コオチウ王国の使者が言った。
「語感が強い」 マンティス公国の視察官もうなずいた。
「強すぎるっす」 ダンが言った。
だが、名前がついた瞬間、概念は現実味を帯びる。
それは会議というものの恐ろしいところだった。
「では、株式国家鉄道国設立準備会議として」 宰相が言いかけたところで、
「待ってください」 ダンが珍しく大きな声を出した。
全員が彼を見た。
「何だ」 モハメドが聞く。
「何だ、じゃないっすよ!」 ダンは立ち上がった。
「印籠の旅だったじゃないっすか!」
「そうだったな」 リーダーが言った。
「軽いっす!」
「腐敗を正して、旅して、必要なら印籠を出す。そういう話だったじゃないっすか!」
「そうね」 マリーがうなずく。
「それがどうして、また鉄道国作る話になってるんすか!」
会議室に、なんとも言えない沈黙が落ちた。
誰も反論できなかった。
あまりにも正論だったからである。
そしてダンは、深く、深くため息をついて言った。
「……また鉄道国作っちゃったよこの人」
その一言は、妙に会議室にしっくり馴染んだ。
マリーが吹き出した。
ハナも口元を押さえた。
キールは申し訳なさそうに目を逸らし、ニールは遠い目でうなずいている。
セレネは目を閉じて、静かに現実を受け入れていた。
「また、なのか」 レッドクラブ国の外務官が聞いた。
「またです」 ダンが即答した。
「前科があるんす」
「前科扱いなんだ」 マリーが笑った。
リーダーは少しだけ考えてから言った。
「必要だったから」
「必要でも毎回国を増やさないでほしいっす」 ダンが言った。
宰相は咳払いをした。
「……では、議事を進めよう」
「進めるんすね」
「進める」
「止まらないっすね」
「止まらない」
こうして、株式国家鉄道国設立準備会議は正式に始まった。
出資比率、議決権、幹線優先順位、保守区分、駅の中立地位、貨物税、旅客運賃、
軍事利用制限、沿線警備。
決めることは山ほどあった。
だが各国とも、利益が見えている話には真剣だった。
その横で、ダンは椅子に座り直しながら、ぼそりとつぶやいた。
「もう印籠、駅長室に飾っとけばいいんじゃないっすか」
「やめて」 セレネが即答した。
「それは本当にやりかねない」
「やらない」 リーダーが言った。
「ちょっと考えたっすね今」
「少し」
「少しでもだめっす」
夕方、会議が終わる頃には、地図の上に何本もの線が引かれていた。
ロクド、コオチウ王国、クワガタ公爵領、蟻人女王国、マンティス公国、
アラクネ共和国、シュリンプ自由連盟、レッドクラブ国。
それぞれを結ぶ未来の幹線である。
印籠の旅の地図だったはずのものは、いつの間にか鉄道構想図になっていた。
「ほんとにこうなっちゃうんすね」 ダンが言った。
「なっちゃったわね」 マリーが言う。
「でも、ちょっと面白い」
「面白いけど」 ハナが肩をすくめた。
「印籠旅ではないわね、もう」
「半分くらいは」 キールが言った。
「半分も残ってないっすよ」
それでも旅は続く。
印籠もたぶん、まだ出番はある。
ただしその横で、鉄道もまた、着実に敷かれていくのだろう。
そしてダンはきっと、これから先も何度でも言うのだ。
「また鉄道国作っちゃったよこの人」
と。
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貴族が列車を止めて鉄道国が本気で怒る
その日、南方幹線第三便は、定刻より二分早く中継駅へ到着していた。
貨車には中央市場向けの保存食、港湾積み替え用の織布、蟻人女王国向けの工具箱、
そしてマンティス公国方面へ送る保守部材が積まれている。
旅客車には商人、職人、役人、巡礼者。
どれも遅らせていい理由のないものばかりだった。
「よし、定刻発車」 駅長が懐中時計を見て言った。
「南方幹線第三便、発車準備よし」 助役が復唱する。
「接続便、北回り支線、積み替え班、すべて予定通りです」
ホームの空気は張っていたが、整っていた。
鉄道国の駅とはそういう場所だった。
慌ただしくても、乱れてはいない。
忙しくても、崩れてはいない。
そこへ、遠くからラッパの音が聞こえた。
嫌な音だった。
駅長と助役が同時に顔を上げる。
駅前広場の方から、派手な旗と飾り槍を掲げた一団が近づいてくる。
先頭は騎乗の従者、その後ろに豪奢な馬車。
さらに護衛、荷車、召使い、楽師までいる。
助役が小さくつぶやいた。
「……貴族行列」
「しかも嫌な種類だな」 駅長が言った。
馬車が駅前で止まり、従者が大股で改札へやってきた。
「この駅の責任者は誰だ!」
「私だが」 駅長が一歩前に出る。
「南方中継駅駅長、ベルグだ」
従者は鼻を鳴らした。
「我が主、東境伯アルヴェン閣下がこの列車を利用なさる」
「乗車券は」
「は?」
「乗車券、座席指定、貨物申請、事前通告、いずれかは」
「閣下だぞ!」
駅長は一切ひるまなかった。
「当駅では、閣下であっても定められた手続きが必要です」
「無礼者!」
「無礼ではない。規則だ」
従者の顔が赤くなる。
その後ろで、豪奢な馬車の扉が開いた。
東境伯アルヴェンは、年の頃五十前後。
立派な髭、重い外套、宝石のついた杖。
いかにも「自分が通る道は空くもの」と信じて疑わない顔をしていた。
「騒がしいな」 東境伯がゆっくり言った。
「何をもめている」
「はっ、閣下。この者ども、閣下のご乗車に際し、列車を待たせることすら渋っております」
「ほう」
東境伯はホームに停車中の列車を見た。
蒸気が白く上がり、車輪は静かに待機している。
あと数分で発車する列車だった。
「待たせればよかろう」 東境伯は当然のように言った。
「余が乗るのだ。数刻の遅れなど誤差だ」 その瞬間、ホームの空気が変わった。
助役が目を伏せた。
積み替え班の手が止まった。
車掌が無言で帽子のつばを押さえた。
駅長だけが、静かに東境伯を見ていた。
「訂正を求めます」 駅長が言った。
「何?」
「数刻の遅れは誤差ではありません」 駅長の声は低く、平坦だった。
「南方幹線第三便が三刻遅れれば、中央市場向け保存食の荷受けが翌朝にずれます。
港湾積み替え便との接続が切れ、織布は船積みを逃します。
蟻人女王国向け工具箱の到着が遅れれば、地下保守区画の補修計画が一日ずれます。
マンティス公国方面の保守部材が遅れれば、山岳区間の夜間作業が中止になります」
東境伯は眉をひそめた。
「だから何だ」
「だから、止められません」 駅長は言った。
「この列車は、あなた一人の都合で止めてよいものではない」
従者が怒鳴った。
「無礼だぞ!閣下の御身と荷が優先されるに決まっている!」
「決まりません」 助役が初めて口を開いた。
「鉄道国運行規程第七条、定刻運行の優先。第十一条、事前申請なき特別列車の不許可。
第十四条、身分による発車遅延命令の無効」
「そんなもの、地方貴族たる閣下の前では――」
「有効です」 助役は言い切った。
東境伯の顔色が変わった。
「余に逆らうのか」
「逆らってはおりません」 駅長が答える。
「運行しています」
その言い方が、かえって東境伯の癇に障った。
「よかろう。ならば命じる」 東境伯は杖で線路を指した。
「この列車を止めよ。余の一行が乗り込むまで、一歩たりとも動かすな」
沈黙。
そして駅長は、ゆっくりと懐中時計を閉じた。
「記録係」
「はい」
「今の発言を全文記録」
「記録しました」
「運行監査局へ即時送達」
「送達します」
「沿線警備隊へ通報。運行妨害の恐れあり」
「通報済みです」
東境伯が目を見開いた。
「……何?」
「あなたは今、公衆輸送の運行に対し、身分を用いて不当な停止命令を出しました」
駅長は一歩も引かずに言った。
「これは鉄道国法における重大な運行妨害行為です」
「法だと?」
「はい、法です」 助役が冷たく言う。
「そしてこの駅は、その法の執行地です」
東境伯の護衛たちがざわついた。
だがその時、駅の外から別の足音が響いた。
重い、揃った足音。
振り向けば、黒と赤の外套をまとった一団が、駅前広場から整然と入ってくる。
胸には鉄道国の歯車章。
肩には爆炎クランの炎紋。
剣、短槍、盾、そして保線用にも見える頑丈な工具。
先頭の女が一礼した。
「沿線防衛隊、南方分遣隊長リゼル」 声は静かだった。
「運行妨害の通報を受理しました」
東境伯の従者が一歩下がる。
「ば、馬鹿な、こんなことで武装隊を出すのか」
「こんなこと?」 リゼルが首をかしげた。
「定刻運行中の幹線列車を、私的都合で停止させようとしたのですが」
「閣下だぞ!」
「存じています」 リゼルはうなずいた。
「ですので、まだ丁寧に話しています」
怖かった。
怒鳴っていない。
剣も抜いていない。
だが、誰の目にも分かった。
この女たちは本気だ、と。
リゼルは駅長に向き直る。
「発車時刻は」
「あと一分」
「遅延見込みは」
「現時点でゼロ」
「維持してください」
「了解」
それだけだった。
東境伯の存在は、もはや“運行上の障害物”として処理されていた。
「待て!」 東境伯が怒鳴る。
「余を誰だと思っている!」
「東境伯アルヴェン閣下」 リゼルは即答した。
「南部三郷の領主、王国東境の監督者、騎士団名誉後援者。記録と照合済みです」
「ならば――」
「そのうえで申し上げます」 リゼルの声が一段低くなった。
「時刻表を乱す者に、例外はありません」
汽笛が鳴った。
短く、鋭く、定刻の合図。
車掌が旗を振る。
機関士が応じる。
車輪がきしみ、列車がゆっくりと動き出す。
「止めろ!」 東境伯が叫んだ。
「止めろと言っている!」
誰も止めなかった。
列車はそのまま、定刻通りにホームを離れた。
白い蒸気を引き、貨物と旅客と接続と秩序を乗せて、南へ走っていく。
静寂が残った。
東境伯の顔は怒りで真っ赤だった。
だがその怒りを受け止める者は、もういない。
駅長は記録書類を整え、助役は次便の確認に入り、積み替え班は作業を再開している。
防衛隊はただ静かに立っていた。
リゼルが告げる。
「東境伯アルヴェン閣下」
「……何だ」
「あなたには二つの選択肢があります」
「ほう」
「正式な手続きを経て次便に乗るか」 一拍置いて、
「運行妨害の責任者として監査局へ同行するか」
従者が青ざめた。
「き、貴様……閣下を拘束する気か」
「必要なら」 リゼルは淡々と言った。
「ただし現時点では、閣下が規則を理解し、協力的である可能性を尊重しています」
東境伯は何か言い返そうとして、言葉を失った。
周囲の視線が違ったからだ。
護衛たちも、召使いたちも、駅員たちも、商人たちも。
誰一人として「閣下が正しい」とは思っていない目だった。
ここでは、身分より時刻表の方が重い。
その事実を、東境伯はようやく理解した。
「……次便はいつだ」 絞り出すように東境伯が言った。
助役が即答する。
「二時間後です」
「特別車は」
「空きがあれば手配可能です」
「貨物は」
「申請内容次第で積載します」
「……申請書を出せ」
助役は一礼した。
「かしこまりました」
東境伯は杖を強く握りしめたまま、何も言わなかった。
怒りは消えていない。
屈辱も消えていない。
だが、それでも列車は戻らない。
定刻は、貴族の機嫌では曲がらない。
その一部始終を、少し離れたベンチから見ていたダンは、深いため息をついた。
「怖いっす……」
「何が?」 マリーが聞く。
「爆炎クランも怖いっすけど、それ以上に駅員が怖いっす」
「分かる」 ハナがうなずく。
「全然ぶれてなかったもの」
「貴族相手にあそこまで言い切るんすよ?」 ダンは顔をしかめた。
「この国、ほんとに時刻表を乱すと本気で切れるんすね」
「そうね」 セレネが静かに言った。
「彼らにとって時刻表は予定ではなく秩序ですから」
「秩序で済ませていい顔じゃなかったっすよ」
「でも正しい」 リーダーが言った。
「正しいのが一番怖いっす」
南へ去っていく列車の煙を見ながら、ダンはぼそりとつぶやいた。
「この国、王様より発車時刻の方が偉いんじゃないっすか」
誰も、すぐには否定しなかった。




