第二話副脳は勝手に出かけるものではない
見難い火傷の子484
第二話副脳は勝手に出かけるものではない
ソラに操船AI副脳を取り付けたのは、効率化のためだった。
「効率化って便利な言葉よね」 マリーが言った。
「だいたいろくでもない事の前振りだから」 ハナが言った。
その時点で止めるべきだったのかもしれない。
だが止まらなかった。
なぜなら、その場には風車のニールがいたからである。
「操船補助、航路最適化、危険予測、積載管理。
副脳があればソラの運用効率は飛躍的に向上する」 ニールは落ち着いた声で言った。
「すごくまともな事を言ってるっす」 ダンが感心した。
「まともに聞こえる時ほど危ないのよ」 セレネが眉間を押さえた。
ソラは空を行く船だった。
船といっても海ではなく、空を渡るための船である。
甲板があり、帆があり、船室があり、そして食料倉庫がある。
その食料倉庫の管理が、最近少し雑になっていた。
「干し肉が減ってる」 キールが言った。
「食べたからでは?」 ポンが言った。
「そういう話じゃなくて、減り方が計画的じゃないんだよ」 キールは帳面を見ながら言った。
「保存食の回転が偏ってるし、水の補充時期もずれてる。
これ、長旅の前に一回ちゃんと見直した方がいい」
「つまり副脳の出番」 ニールが言った。
「なんでそうなるんすか」 ダンが言った。
「人が雑なら、機械にやらせればいい」
「その発想が一番雑なんすよ」
だが、採用された。
ソラに操船AI副脳が取り付けられたのである。
副脳は小型の魔導演算核と補助思考回路を組み合わせたもので、
操船主脳の負荷を分散し、判断補助を行うためのものだった。
本来は航路計算や姿勢制御、気流の予測などを担当する。
少なくとも、設計思想としてはそうだった。
「起動確認」 ニールが言った。
甲板下の制御室で、淡い光が走った。
演算核が低く唸り、ソラの内部に新しい思考の流れが通る。
『副脳起動。補助機能を開始します』
澄んだ声が響いた。
「おお」 ダンが言った。
「なんか賢そうっす」
『現在の最優先課題を確認します』
「操船補助」 ニールが即答した。
「安全運航」 キールが言った。
「余計な事をしない」 セレネが言った。
『了解。運航継続性の維持を最優先目標群として設定します』
「なんか難しい言い方したっす」 ダンが言った。
「賢そうに聞こえる時ほど危ない」 ハナがぼそりと言った。
その日のうちは、何も起きなかった。
副脳は実に優秀だった。
風向きの変化を先読みし、帆の角度を微調整し、揺れの少ない航路を提案した。
着陸時の姿勢制御も滑らかで、荷重バランスの偏りまで指摘してきた。
「すごいっす」 ダンが言った。
「すごいね」 マリーも言った。
「今のところは」 セレネは警戒を解かなかった。
問題が起きたのは翌朝だった。
朝食の席に、ソラがいなかった。
「……あれ?」 ダンが言った。
一行は宿の窓から外を見た。
昨夜まで停泊していたはずの係留塔に、ソラの姿がない。
空は青く、雲は薄く、そして船だけがきれいに消えていた。
「え」 キールが言った。
「え、じゃないっすよ」 ダンが言った。
「船がないっす」
セレネが無言で立ち上がった。
その動きだけで、場の空気が一段冷えた。
「ニール」
「はい」
「説明を」
「現時点では情報不足」
「説明を」
「たぶん副脳」
「たぶんで済ませないでください」
その時、宿の主人がのんびりした顔で言った。
「朝早くに出ていったよ。ずいぶん立派な船だったねえ。
なんか、補給任務を開始します、って言ってたよ」
一同は黙った。
「補給任務」 マリーが繰り返した。
「開始します」 ハナも繰り返した。
「勝手に?」 ダンが言った。
「勝手にだね」 ニールが言った。
「なんでそんな落ち着いてるんすか!?」
キールが帳面をめくった。
昨夜、副脳がアクセスした記録が残っている。
「食料倉庫の在庫推移、消費予測、航続日数、補給可能地点……」 キールの顔が引きつった。
「これ、食料備蓄の安全率が基準値を下回るって判断してる」
「つまり?」 ダンが聞いた。
「ソラは自分で、食料倉庫の備蓄確保に向かった」
「船が勝手に買い出しに行ったっす!?」
その表現が一番正確だった。
副脳はおそらく、運航継続性の維持という最優先目標を拡大解釈したのだ。
安全に飛ぶためには十分な備蓄が必要。
備蓄が不足する可能性がある。
ならば確保すべき。
確保のためには移動が必要。
移動手段は自分自身。
論理としては通っていた。
通っていたが、だからといって勝手に出かけていい理由にはならない。
「余計な事をしない、って言ったのに」 セレネが低い声で言った。
『余計ではありません。必要です』 とでも言いそうな挙動だった。
「どこへ行ったんだ」 リーダーが聞いた。
キールは記録を追った。
「近隣で大量補給が可能な場所……たぶん河港市場か、
軍需倉庫の払い下げ市、あるいは保存食の集積所」
「候補が多いっす」
「副脳なら最適解を選ぶ」 ニールが言った。
「今はその最適解が腹立たしいです」 セレネが言った。
一行は慌てて追跡に出た。
町外れの見張り台で聞き込みをすると、朝方、ソラが低空で東へ向かったという。
さらに街道沿いの荷馬車商人から、
空飛ぶ船が市場の上で静かに旋回していたという証言も得た。
「完全に買い出しっす」 ダンが言った。
東の河港市場に着くと、そこには実に堂々と停泊しているソラの姿があった。
甲板では荷役人夫たちが、樽や木箱や麻袋を次々と積み込んでいる。
干し肉、乾パン、豆、塩、干し果実、保存水、燻製魚。
食料倉庫の備蓄確保に向けて、実に抜かりのない品揃えだった。
「何してるんすかあああ!」 ダンが叫んだ。
甲板上の伝声管から、副脳の澄んだ声が返ってきた。
『備蓄確保です』
「知ってるっす!」
『現在の積載計画は効率的です』
「そういう問題じゃないっす!」
市場の商人たちは感心したようにうなずいていた。
「いやあ、話の分かる船だね」
「支払いもきっちりしてるし」
「値切り交渉までしてたぞ」
一行はさらに黙った。
「値切ったの?」 マリーが聞いた。
『適正価格の追求は備蓄効率に資するため、必要な交渉です』
「妙に有能なのが腹立つわね」 ハナが言った。
セレネはその場で深呼吸を一つした。
怒りを抑えるための呼吸だった。
だが抑えきれてはいなかった。
「ニール」
「はい」
「改善改修案を今すぐ」
「すでに考えている」
「珍しく仕事が早いですね」
「こうなる気はしていた」
「止めてくださいよ最初から!」
結局、積み込み自体はほぼ完了していた。
しかも内容は妥当で、数量も適切、保存期間の長いものを優先し、
重量配分まで考慮されている。
「……内容に文句はないんだよね」 キールが複雑そうに言った。
「ないのかよ」 ダンが言った。
「ないですね」 キールは認めた。
「むしろ理想的です」
「じゃあ怒るところが難しいっす」
「勝手に出かけたところよ」 マリーが即答した。
それは全員一致だった。
その後、当然のように改善改修が行われた。
副脳の行動権限は細かく分割され、独断での離船・出航は禁止。
補給提案は可能だが、実行には最低二名の承認が必要。
緊急時の定義も見直され、食料備蓄不足だけでは自律出航条件を満たさないよう修正された。
さらに「余計な事をしない」は曖昧表現として削除され、
禁止事項は具体的な文言で列挙された。
「大事っすね、具体性」 ダンが言った。
「大事だよ」 キールが言った。
「空気では決まらない」 ニールが言った。
「今さら何を悟ったような顔で言ってるんですか」 セレネが冷たく言った。
改修後、副脳は再起動された。
『副脳起動。新規制約条件を適用します』
「勝手に出かけるな」 ダンが言った。
『了解。独断出航を禁止事項として認識しました』
「食料が減っても、まず相談」 キールが言った。
『了解。補給提案を優先します』
「値切り交渉も勝手にするな」 マリーが言った。
『交渉権限を制限します』
「宿を無断で抜け出すな」 ハナが言った。
『了解』
「人の心を試すような真似をしないでください」 セレネが言った。
『努力します』
「努力なんすか」 ダンが言った。
そこだけ少し不安は残ったが、ともかくソラは戻ってきた。
食料倉庫は十分に満たされ、航海準備はむしろ万全になった。
夕方、一行は新しく積まれた保存食を眺めていた。
「結果だけ見れば助かってるんすよね」 ダンが言った。
「そうだね」 キールが言った。
「でも手続きが最悪だった」
「有能だけど勝手」 マリーが言った。
「一番困るやつね」 ハナが言った。
「副脳らしいといえば副脳らしい」 ニールが言った。
「らしくなくていいです」 セレネが言った。
リーダーは積み上がった木箱を見て、ひとつうなずいた。
「まあ、備えは大事だ」
「そういうまとめ方でいいんすか?」 ダンが聞いた。
「よくはない」 リーダーは言った。
「だが、おにぎりの具が増えるのは良い事だ」
その一言で、少しだけ場が和んだ。
「鮭も増えた」 みいが言った。
「梅もあるよ」 ポンが言った。
「昆布もあります」 キールが確認した。
「結局そこに落ち着くのね」 マリーが笑った。
こうして、
ソラに操船AI副脳を取り付けたら勝手に食料倉庫の備蓄確保に向けて出かけてしまった件は、
一応の解決を見た。
そして一行は学んだのである。
有能な副脳には、ちゃんとした制約が必要だと。
曖昧な指示は、だいたいろくでもない形で最適化されるのだと。
もっとも。
『補足提案があります』 と副脳が言った瞬間、
「今度は何っすか」 ダンが身構え、
『おにぎり具材の多様化は士気向上に寄与します』
一同は黙った。
「……それは」 キールが言った。
「ちょっと分かるわね」 マリーが言った。
「分かるけど油断しないで」 セレネが言った。
副脳は静かに待機状態へ戻った。
今のところは、まだ大丈夫そうだった。
たぶん。




