マケドニア禍 第二話爆炎クラン緊急招集
見難い火傷の子474
マケドニア禍 第二話爆炎クラン緊急招集
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
爆炎ハウスの鐘は、日常の終わりを告げる音ではない。
あれは、日常を畳んで戦時運用へ切り替えるための音だ。
一打目が鳴った時点で、館内の空気はすでに変わっていた。
大食堂兼談話室の椅子が引かれ、廊下を走る足音が重なり、
作戦会議室の机上には地図と記録板が並べられていく。
厨房ではコレット隊が夕食の段取りを半分で切り上げ、保存食と携行食の準備へ移行していた。
前庭兼発着場ではノクス隊が誘導灯を起こし、荷揚げ台車を引き出し、
《ソラ》の発着準備を進めている。
緊急招集。
それは《爆炎》にとって、誰かが慌てることではない。
全員が慌てずに速くなることを意味する。
作戦会議室に最初に入ってきたのはダンだった。
いつものように無駄のない足取りで扉を閉め、壁際に立つ。
続いてキール、マリー、ハナ、ニール。
少し遅れてクロとユキ、さらにポンがひょいと椅子の背に飛び乗り、
最後にリョーカが静かに入ってきた。
全員、まだ完全武装ではない。
だが、全員がすでに“次の十分”の顔をしていた。
匠一は会議机の向こうに立っていた。
椅子には座っていない。地図の横にセドリック、背後にノクス。
壁際には記録用の板が三枚、すでに立てられている。
一本は街道図、一本は補給線、一本は時系列だ。
「揃った」
匠一が言う。
「始める」
余計な前置きはなかった。
セドリックが記録板を切り替える。
投影されたのは、前哨線の焼失地点、退避民の流入方向、宿場の半壊位置、
そしてワイバーン隊が持ち帰った騎兵先遣の観測線だった。
「第一報は影から」
匠一が言う。
「前哨線消失。監視塔二基焼失。街道上に放棄車列多数。
退避民流入あり。敵騎兵は想定より二日早い」
ダンが短く問う。
「敵は確定か」
「断定はまだしない」
匠一は即答した。
「だが、速度、進路、先遣の出し方、焼失線の作り方が一致しすぎている。
マケドニア型で見ていい」
会議室の空気が一段沈む。
“マケドニア型”という言い方には、単なる国名以上の意味があった。
速い。深い。止まらない。
一度走り出したら、途中の土地を踏み台にしてでも前へ出る侵攻様式。その総称だ。
キールが腕を組む。
「進路は」
匠一は地図の一点を指した。
「南東寄り。中央突破よりも、水場と平地を切らさない線を選んでる。つまり――」
その先は、もう全員がわかっていた。
「侵攻路にバビロニアがある」
匠一の声は静かだった。
「通過でも占領でも結果は同じだ。踏まれる」
マリーが息を吐く。
「最悪ね」
「最悪で済めばいい」
クロが壁にもたれたまま言う。
「踏まれた後の物流、補給、避難、全部死ぬ」
ハナが小さくうなずいた。
「怪我人の後送も詰まる」
「だから止める」
匠一は言った。
「ここで招集をかけた理由はそれだけだ」
ニールが目を細める。
「“それだけ”にしては、鐘が重かったな」
「重いからだ」
匠一は視線を上げた。
「これは介入じゃない。生存戦略だ」
その一言で、会議室の全員が完全に同じ地平へ立った。
誰かを助けるために行くのではない。
義憤でも、名誉でも、依頼でもない。
自分たちの生存圏を守るために動く。
その定義が共有された瞬間、迷いは消える。
ノクスが一歩前に出る。
「《ソラ》、発着準備進行中。前庭クリアまで残り四分。
オートメガネウラ隊はすでに上空展開、境界哨戒を倍化。
ワイバーン隊は潜入継続班と帰投報告班に分離済みです」
セドリックが続ける。
「補給線予測、三本。うち二本がバビロニア圏を通過。
敵先遣の幅から見て、本隊は軽くないと推定されます」
ダンが地図を見る。
「門で止めるか」
「止めるなら門だ」
匠一は答えた。
「平地で追いかける相手じゃない。速さで負ける。なら、通れる場所を減らす」
キールが口元を歪めた。
「ラスボラスゲートか」
「第一候補」
匠一はうなずく。
「まだ確定じゃない。だが、通す気はない」
ポンが椅子の背から尻尾を揺らす。
「つまり、今日は“来るかも”の相談じゃなくて、“来る前提”の準備会議ってことだね」
「そうだ」
匠一は言った。
「もう始まってる」
その言葉に、ワイバーン隊が持ち帰った焼失線の映像が、全員の頭に重なる。
前哨線は消え、宿場は半壊し、退避民は流れている。
まだ本隊が見えていないだけで、被害はもう出ている。
リョーカが静かに口を開いた。
「招集範囲は?」
「爆炎クラン全系統」
匠一は即答した。
「爆炎パーティだけじゃ足りない。
オートマタ各隊、ワイバーン隊、メガネウラ隊、工兵支援、補給系、全部使う」
ユキが眉を上げる。
「総力戦」
「そうなる」
匠一は否定しなかった。
「前線だけで終わる相手じゃない」
マリーが机に指を置く。
「研究棟は?」
その問いに、会議室が一瞬だけ静まる。
研究棟。試験区画。
そこにあるものは、平時なら簡単に外へ出さない。
匠一は数秒だけ考え、答えた。
「まだ保留。だが、封鎖解除準備には入る」
ノクスが確認する。
「試験戦力の実戦投入承認手前まで進める、でよろしいですか」
「いい」
匠一は言った。
「必要になったら迷わず切る」
ダンが低く笑う。
「本気だな」
「最初から本気だ」
匠一は言い切った。
「一人のアレキサンダーを見たら、三十人いると思え」
ポンが目を丸くする。
「急に怖いこと言うね」
「個体の話じゃない」
匠一は地図を見たまま答えた。
「征服者は再発する。今回の一人を止めても、同型の脅威はまた来る。
だから一戦勝って終わりじゃない。通れない構造を作る」
ニールが口笛も吹かずに笑った。
「なるほど。王を殺す話じゃなくて、侵攻を殺す話か」
「そうだ」
匠一はうなずく。
「人じゃない。遠征を壊す」
その言葉は、爆炎パーティの全員にすんなり入った。
彼らは英雄譚のために動く集団ではない。
持ち帰るために動く。
守るために動く。
壊されないために動く。
その思想に、今回の件はあまりにも合いすぎていた。
会議室の外で、低い振動音が響く。
《ソラ》の浮上準備だ。
結界が起動し、船体周囲の風が整えられていく音が、床を通して伝わってくる。
ノクスが報告する。
「《ソラ》、発着可能まで残り二分。
ノクス隊、ルナ隊、コレット隊、各配置へ移行済み。
オートアースロプレウラ隊は搬送待機。
前庭の荷揚げ台車、全列展開完了」
セドリックが別板を開く。
「招集伝達先一覧、確認を」
そこには、爆炎クランの全系統が並んでいた。
爆炎パーティ。
オートマタ各隊。
ワイバーン隊。
監視網。
補給系。
工兵系。
生活共同体としての《爆炎》が、そのまま戦時組織へ変わる一覧だった。
匠一は一つずつ確認し、最後に言った。
「全系統へ通達。緊急招集。理由は明記しろ」
セドリックが問う。
「文面は」
匠一は迷わなかった。
「マケドニア型侵攻兆候確認。進路上にバビロニアあり。
これは介入ではなく生存戦略である。各員、戦時運用へ移行せよ」
セドリックがそのまま復唱し、通信へ流す。
短く、硬く、誤解の余地がない。
それで十分だった。
数秒後、館内各所で応答音が返る。
ノクス隊から。
ルナ隊から。
コレット隊から。
発着場から。
研究棟から。
そして、上空を旋回するオートメガネウラ隊の伝令個体からも。
《爆炎》が、ひとつの意思で動き始める音だった。
ハナが静かに立ち上がる。
「医務室、戦時備蓄へ切り替える」
マリーも続く。
「魔力回復薬と結界補助材、持ち出し分を選別する」
キールが扉へ向かう。
「見張り線を増やす。帰投個体の受け入れもやる」
ダンは盾を手に取った。
「前庭に出る。浮いた《ソラ》を見ると、腹が決まる」
ニールは影の消えた窓際を見て笑う。
「ワイバーンどもに負けてられないな」
クロは毒物保管庫の鍵を指先で回し、ユキは冷凍保管庫の在庫を頭の中で数え始めている。
ポンはすでに幻術で識別符の案を練っていた。
リョーカは誰より静かに、誰より早く、全員の動線を見ていた。
匠一はその全員を見回し、最後に一言だけ足した。
「勝って終わりだと思うな」
誰も返事をしなかった。
返事が要らない言葉だったからだ。
「止めてからが本番だ」
匠一は言う。
「通れない形にする。再侵攻不能な構造を作る。そこまで含めて、今回の仕事だ」
会議室の沈黙は、重くはなかった。
むしろ、よく研がれた刃物みたいに静かだった。
次の瞬間、館内放送が入る。
ノクスの落ち着いた声だ。
『《ソラ》、発着可能。全系統、戦時運用第一段階へ移行してください』
その声と同時に、窓の外の景色がわずかに揺れた。
前庭兼発着場の上で、空飛ぶ海賊船が浮上を始めたのだ。
帆船の形をした移動要塞。
見た目は帆船。
中身は母艦。
《爆炎》が本気で動く時、その象徴になる存在。
夕焼けを背に浮かび上がる船影を見て、ポンがぽつりと言った。
「うわ、これ完全に“始まった”絵だ」
「始まったんだよ」
匠一は答えた。
「もう」
その言葉に、誰も異論を挟まない。
こうして《爆炎》は、クラン全系統を戦時運用へ切り替えた。
まだ敵本隊の全容は見えていない。
まだ正式な開戦布告もない。
だが、前哨線は消え、退避民は流れ、侵攻路の先にはバビロニアがある。
ならば、招集は遅いくらいだった。
後にマケドニア禍と呼ばれる災厄に対し、
《爆炎》はこの夜、生活共同体の顔を残したまま、総力戦組織へと変貌した。
そしてその中心には、最初から最後まで、
地図の上で侵攻を殺そうとする小さな設計者が立っていた。




