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見難い火傷の子  作者: 清風
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472/506

ローマとカルタゴ第3話:ローマとカルタゴはバビロン輪住を受け入れる

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子472


ローマとカルタゴ第3話:ローマとカルタゴはバビロン輪住を受け入れる


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


バビロンの空は高く、乾いていた。


海の湿り気を含んだオケアヌス線沿いの風とも、

海底駅の観測窓の向こうに満ちる静かな水圧の気配とも違う。

ここでは空も石も、どこか古く、広く、そしてよく乾いている。

その乾いた都の一角に、鉄道国が対外滞在用に整えた居館群があった。


豪奢ではない。

だが不足もない。

政務室、会議室、護衛控室、書庫、通信室、専用の乗降場。

長く住むことを前提にした、実務的な造りだった。

客をもてなすための館ではなく、

ここで政務を続けさせるための建物である。


ローマとカルタゴの返答は、数日の差で届いた。


どちらの文面も硬い。

不満もある。

面白くないのも見え見えだった。

だが結論だけ見れば同じだった。


受け入れる。


オケアヌス線、港湾接続、海底駅周辺海域の安定維持のため、

両国統治者は一年ごとに交代でバビロンに滞在し、

必要な政務を継続する。


名目は広域幹線安定維持措置。

現場ではもっと簡単に、バビロン輪住と呼ばれていた。


「受けたか」


匠一は返答書を机に置いた。


「受けましたね」

ダンが言う。

「まあ、受けないともっと面倒ですし」


その通りだった。

ローマにとってもカルタゴにとっても、

オケアヌス線と港湾接続を敵に回すのは得ではない。

海底駅周辺の運用制限まで入れば、海域行動そのものがやりにくくなる。

戦争を始める前から、自分で自分の首を絞めるようなものだった。


「先は」

「ローマです」

ダンは返答書を見ながら言った。

「向こうも、その順で異存なしと」

「そうか」


匠一はそれ以上言わなかった。

順番が決まれば、それでいい。

大事なのは、誰が先かではなく、

これ以上オケアヌス線に余計な負担をかけさせないことだった。


数日後、バビロン駅はいつもより警備が厚かった。


列車の発着は平常通り。

旅客便も貨物便も定刻で動いている。

ただ、ホームの一角だけ導線が切られ、対外庁舎の職員と駅員が配置についていた。

来賓を迎えるためというより、余計な混乱を起こさないための配置だった。


「皇帝が来る駅って、毎回こうなんですかね」

ダンが言う。

「知らん」

「知らんで済ませるんですね」

「列車は定刻で着く。それで十分だ」


やがてローマ側の特別列車がホームへ滑り込んできた。

装飾は抑えられているが、普通の来賓列車ではないことはすぐにわかる。

扉が開き、ローマ皇帝が姿を現した。


威厳のある顔だった。

だが機嫌は悪い。

当然だった。

他国の都へ一年滞在しろと言われて、面白いはずがない。


匠一はホームの先で待っていた。

出迎えというより、確認のために立っているだけに近い。

ローマ皇帝が降りてきても、表情はほとんど変わらない。


「来たか」


それだけ言った。

歓迎の言葉はない。

ねぎらいもない。

鉄道国から見れば、相手は賓客ではなく、

すでに幹線へ迷惑をかけ始めている当事者だった。


ローマ皇帝が匠一を見る。


「ずいぶん簡素な迎えだな」

「必要なものは揃えてある」

「余は皇帝だが」

「知っている」

「それだけか」

「こっちはもう被害を受けてる。まずそっちが先だ」


ローマ側の随員が息をのんだ。

だが匠一は気にした様子もない。

肩書きに興味がないのではない。

興味を向ける優先順位が、完全に違うだけだった。


「案内する」

匠一は言った。

「滞在中の政務に必要な部屋は用意してある。

足りないものがあれば後で言ってくれ。

ただし、海底駅周辺とオケアヌス線に余計な負担をかける話は別だ」


ローマ皇帝は数歩だけ黙って歩き、

やがて低く言った。


「聞いていた通りだな」

「何がだ」

「権威にも金にも媚びん」

「そっちで線路は直らない」


ダンは横で黙っていた。

たぶん今のは、匠一なりにかなり普通の返答だった。


居館は静かだった。

政務机、書類棚、通信室、会議室、護衛控室。

どれも過不足なく整っている。

豪華さはないが、不足もない。

ここで暮らし、ここで政務を執り、ここで一年を過ごす。

そういう前提で作られている。


「牢ではないな」

ローマ皇帝が言った。

「当たり前だ」

匠一は答えた。

「政務を止めるために呼んだんじゃない。

こっちに被害を出させないために来てもらった」


その言い方に、ローマ側の随員たちは複雑な顔をした。

だが反論はしなかった。

実際その通りだったからだ。


その日の午後、対外庁舎で最初の確認会議が開かれた。


ローマ側からは皇帝本人と側近数名。

鉄道国側からは匠一、ダン、運行、港湾、保守の担当者。

議題は単純だった。


オケアヌス線、港湾接続、海底駅周辺海域に対する影響行為の停止。

軍需輸送の優先要求停止。

海域警戒行動の事前通告。

海底駅近海での艦隊行動自粛。


ローマ皇帝は資料を見て、眉をひそめた。


「細かいな」

「細かくしないと現場が困る」

匠一は答えた。

「現場、現場と繰り返す」

「実際に困ってるのが現場だからだ」

「帝国の威信よりもか」

「威信の話はしていない。

オケアヌス線と海底駅の話をしている」


会議室が静かになった。

ローマ側の随員が息をのむ。

だが匠一は止まらない。


「そっちが何を名目に動くかはそっちの都合だ。

こっちはもう予約外貨物を差し込まれてる。

港湾も詰まりかけた。

海底駅の保守計画にも圧がかかってる。

被害はもう出てる」


机上に資料が並べられる。

優先要請の一覧。

積替遅延の見込み。

海底駅周辺警戒による潜航点検への影響。

どれも感情ではなく、数字と工程で書かれていた。


「まだ開戦前だ」

匠一は言った。

「それでこれだ。

始まったらもっと悪くなる」


ローマ皇帝は資料から目を上げた。


「お前は本当に、我らの戦争を運行障害として見ているのだな」

「主にそうだ」

「隠しもしないか」

「隠す意味がない」


ダンは視線を伏せた。

後方の職員たちも、誰も驚かなかった。

たぶん全員、最初からそういう話だとわかっていた。


匠一はさらに一枚、海底駅保守計画の資料を開いた。


「海底駅は浪漫で動いてるわけじゃない。

耐圧殻、回廊、隔壁、排水、換気、観測窓、保守通路。

全部、手順と時刻で維持してる。

その近海で艦隊を動かされるのは迷惑だ」


ローマ皇帝はしばらく黙っていた。

怒っているというより、測っている顔だった。

目の前の男が、どこまで本気で、どこまで譲らないのかを。


「もし従わなければ」

やがて皇帝が言った。

「どうする」


「幹線保全措置に移る」

匠一は答えた。

「港湾優先枠は止める。

軍需関連輸送も受けない。

必要なら海底駅周辺の運用保全を優先して接続便も絞る」


淡々とした口調だった。

脅しの調子ではない。

だがそれだけに重い。

ローマ側も、それが実際に可能な措置だと理解していた。


「皇帝相手に、ずいぶんぶっきらぼうだな」

ローマ皇帝が言う。

「肩書きで保守計画は戻らない」

匠一は答えた。

「こっちは被害を止めたいだけだ」


しばらくして、ローマ皇帝は小さく息を吐いた。


「なるほどな」

「何がだ」

「お前は余を尊重していない」

「必要な範囲では扱ってる」

「言うな」

「事実だ」


その返答に、ローマ皇帝は一瞬だけ目を細め、

それからわずかに笑った。

愉快だからではない。

呆れと確認が半分ずつ混じったような笑いだった。


「だが、筋は通っている」

「通ってないと困る」


数日後、今度はカルタゴ側の列車がバビロンへ到着した。


こちらはローマより表情を整えていた。

不満がないわけではない。

だがカルタゴは交易と計算の国だ。

損得で見れば、この措置を受け入れる方がまだ安いと理解している顔だった。


カルタゴ皇帝はホームへ降り立つと、まず駅の構造を見た。

ホームの幅、導線、警備配置、積替場への接続。

その視線に、商人国家の長らしい癖が出ている。


匠一はやはりホームの先で待っていた。


「来たか」


カルタゴ皇帝はその一言を聞いて、わずかに眉を上げた。


「歓迎の言葉はないのか」

「必要か」

「普通はある」

「普通じゃないだろ、今回は」


カルタゴ側の随員が一瞬だけ固まる。

だがカルタゴ皇帝は、むしろ少しだけ口元を動かした。


「なるほど。

少なくとも、取り繕う気はないらしい」

「そっちの都合でこっちが迷惑してる。

そこを取り繕う意味はない」


カルタゴ皇帝は、そこで初めて小さく笑った。

商人の笑いだった。

相手の値付けが見えたときの顔に近い。


「嫌われたものだ」

「好かれる理由がない」

「率直だな」

「時間が惜しい」


カルタゴ側との確認会議は、ローマ側より実務的に進んだ。

港湾優先枠停止の影響、海域警戒の通告範囲、

海底駅周辺での商船護衛の扱い、積替遅延時の補償。

カルタゴ側は感情より先に計算を持ち込んできた。

その分、話は早い。


「つまり」

カルタゴ皇帝が言った。

「こちらが海域で余計な動きをしなければ、

オケアヌス線も港湾接続も平常通り使える」


「そうだ」

「逆に言えば、動けば止める」

「必要な範囲で止める」

「徹底しているな」

「半端にやると現場が困る」


カルタゴ皇帝は資料を閉じた。


「お前は、我らを恐れていないな」

「恐れる理由が薄い」

「強国だぞ」

「強国でも海底駅の保守は代わりにやってくれない」


ダンは、そこは本当に一貫してるな、と思った。

相手が皇帝でも、商人でも、助役でも、

匠一の基準はほとんど変わらない。

持ち込まれた問題が何か、それだけだ。


こうして、ローマとカルタゴは交互にバビロンへ滞在する体制へ入った。

表向きには広域幹線安定維持措置。

現場ではもっと簡単に、バビロン輪住と呼ばれた。


制度が動き始めると、現場の空気は目に見えて変わった。


港湾駅では、予約外の優先要請がぴたりと減った。

積替場では、護衛付き封緘貨物の差し込みが整理された。

海底駅保守区画では、延期されかけていた潜航点検が予定通りに戻される。

警戒は残る。

不穏も消えてはいない。

だが少なくとも、無秩序な割り込みは止まった。


「戻りましたね」

ダンが運行記録を見ながら言う。

「何がだ」

「平常ですよ」

「まだ完全じゃない」

「でも、かなりましです」


匠一は記録表に目を落とした。

発着時刻は整い、接続遅れも減っている。

海底駅保守班からの報告も、数日前よりずっと穏やかだった。


「保守班は」

「だいぶ機嫌が直ってました」

「そうか」

「そこなんですね、やっぱり」

「大事だ」


夕方、匠一は海底駅から上がってきた保守報告を読んでいた。

外殻点検、回廊接合部、観測窓周辺、排水系統、換気系統。

どれも予定通り。

異常なし。

その簡潔な文面が、今は何より好ましかった。


窓の外では、オケアヌス線の列車が定刻で走っている。

港湾を抜け、海底駅を通り、また次の都市へ向かう。

旅客も貨物も、いつも通りの顔で流れていく。


ローマとカルタゴの火種が消えたわけではない。

覇権も、利害も、海域の緊張も、そのまま残っている。

ただ、それらは今、バビロンという乾いた都の中へ押し込められていた。

少なくとも、時刻表の外へあふれ出さないように。


「世界はこれを平和維持って呼ぶんでしょうね」

ダンが言った。


「そうかもしれない」

匠一は答えた。


「でも実際は」

「主にオケアヌス線が乱れるから止めただけだ」


ダンは苦笑した。

たぶん、その通りなのだろう。

そして、その程度の理由で二つの大国の戦争を止めてしまうのが、

この鉄道国であり、匠一という男だった。


その夜、バビロン駅を発った定期便は一分の遅れもなく西へ向かった。

乾いた都の灯りを背に、列車は正確な時刻で闇へ入っていく。


戦争は止まった。

少なくとも、時刻表の上では。

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