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見難い火傷の子  作者: 清風
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471/504

ローマとカルタゴ第2話:定時平和令

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子471



ローマとカルタゴ第2話:定時平和令



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


バビロンの朝は、乾いた光の中で始まる。


オケアヌス線の海の青とも、深海駅の観測窓に満ちる静かな闇とも違う。

砂と石と熱に磨かれた古い都の光だった。

その中心にある鉄道国の対外庁舎は、古代都市の景観を壊さぬよう抑えた外観をしていながら、

内部だけは別の時代のように整えられている。

広い会議室、正確な時計、各路線の運行図、港湾接続表、海域警戒図。

外交のための建物でありながら、どこか運行指令室に近い空気があった。


その朝、ローマとカルタゴの使節は、ほぼ同時にその庁舎へ入った。


偶然ではない。

到着時刻は、最初からそう組まれていた。


ローマ側は赤縁の外套をまとった一団で、足取りに無駄がない。

カルタゴ側は濃紺の衣を整えた一団で、視線の動きに商人らしい計算が見えた。

互いに相手を見たが、挨拶はない。

ただ、同じ場へ呼ばれたという事実だけは、嫌でも共有していた。


案内役の職員は、いつも通りの声で言った。


「本日の会談は定刻で開始いたします。

どうぞこちらへ」


その言い方に、ローマ側の年長使節がわずかに眉を動かした。

カルタゴ側の代表も、何も言わなかったが、面白くはなさそうだった。

だがここでは、誰もその程度の感情で時刻を動かせない。


会議室の中央には長い卓が置かれ、その正面に匠一が座っていた。

隣にはダンが控え、さらに後方には運行、港湾、保守、対外調整の担当者が並んでいる。

兵を威圧のために並べるのではない。

必要な部署を最初から揃えているだけだ。

その実務的な配置が、かえって場の空気を重くしていた。


「お呼び立てに応じていただき、ありがとうございます」


匠一はそう言った。

声は平坦で、礼を述べているようでいて、実際には会議の開始を告げているだけに近い。


ローマ側の使節が先に口を開いた。


「我らは急な通達に応じて参上した。

まずは、その理由を伺いたい」


カルタゴ側も続く。


「こちらとしても同意見です。

海域情勢に関する照会であるとは聞いておりますが、

鉄道国が両国を同時に招集するのは、いささか穏やかではない」


「穏やかでないのは承知しています」

匠一はうなずいた。

「だから先に確認します」


そう言って、机上の書類を一枚開いた。

そこにはオケアヌス線の運行図、港湾積替表、海底駅周辺海域の警戒図が並んでいる。


「ローマ、カルタゴ両国に確認します。

オケアヌス線、港湾接続、海底駅周辺海域を巻き込む規模の軍事行動を企図していますか」


会議室の空気が、一段静かになった。


ローマ側の使節はすぐには答えなかった。

カルタゴ側の代表も、視線を細めたまま沈黙している。

問いそのものが予想外だったのではない。

問いの置き方が予想外だった。


領土でも、正統性でも、同盟でもない。

最初に問われたのは、幹線と港湾と海底駅だった。


「……仮に」

やがてローマ側の使節が口を開いた。

「仮に、両国間の緊張が高まっているとして、それがなぜ鉄道国の直接的関心事になるのです」


「主にオケアヌス線が乱れるからです」


あまりにも即答だった。

ダンは横で、やっぱりそこをそのまま言うんだな、と思った。


カルタゴ側の代表が、わずかに目を細める。


「それは、比喩ですかな」

「いいえ」

匠一は淡々と答えた。

「港湾が詰まる。積替が遅れる。

軍需輸送が優先を要求する。

海域警戒が増えれば海底駅保守の手間も増える。

開戦後は難民輸送も入る。

結果として、オケアヌス線全体の定時運行に支障が出ます」


会議室の端で、港湾担当が無言で一枚の資料を差し出した。

そこには、すでに増え始めている予約外貨物と優先要請の一覧が記されていた。

続いて保守担当が、海底駅周辺の警戒強化による点検計画への影響を示す。


「まだ開戦前です」

匠一は言った。

「それでこの状態です。

始まればもっと悪くなる」


ローマ側の使節は、わずかに不快そうに言った。


「我らの国家間問題を、運行上の不都合として扱うと?」


「はい」


間を置かない返答だった。

その一言で、場の空気がさらに重くなる。

だが匠一は気にした様子もなく続けた。


「もちろん、それだけではありません。

海底駅は代替の利きにくい基幹設備です。

その近海で艦隊行動や封鎖が行われれば、保守、安全、旅客、貨物のすべてに影響が出ます。

保守班を危険にさらすのもよくない」


最後の一言だけ、少しだけ低かった。

ダンは、それがこの場でいちばん本音に近い部分だろうと思った。


カルタゴ側の代表が、慎重に言葉を選ぶ。


「仮に、我らが海域の安全確保のために艦船を動かすとしても、

それは主権の範囲内の行動です」


「海底駅周辺は違います」

匠一は言った。

「少なくとも、こちらの運用に影響する範囲では、こちらの関心事です」


「ずいぶん強く出られる」

ローマ側の使節が言う。


「必要だからです」


匠一は一枚の文書を卓上に置いた。

対外庁舎の印章が押された正式文書だった。


「そこで、鉄道国は両国に対し、広域幹線安定維持措置を通達します」


ダンは内心で、ずいぶん角の取れた正式名称にしたな、と思った。

だが次の説明を聞けば、角が取れているのは名前だけだとすぐにわかる。


「両国がオケアヌス線、港湾接続、海底駅周辺海域に影響する規模の軍事行動を準備、企図、

または実施した場合、

両国統治者は一年ごとに交代でバビロンに居住し、鉄道国監督下で政務を執るものとします」


沈黙。


今度の沈黙は、先ほどまでとは質が違った。

ローマ側の使節は一瞬、言葉を失ったように見えた。

カルタゴ側の代表も、さすがに表情を消しきれなかった。


「……それは」

ローマ側の使節がようやく言った。

「統治者に対する拘束ですか」


「はい」


「人質と何が違う」

カルタゴ側の代表が低く問う。


「定期的に帰れます」

とダンが言いかけて、匠一に横目で見られて口を閉じた。


匠一は気にせず続けた。


「違いはいくつかあります。

第一に、これは開戦抑止措置です。

第二に、両国同時適用です。

第三に、バビロンでの政務継続を認めます。

第四に、目的は広域幹線の安定維持です」


「要するに」

ローマ側の使節が言う。

「戦争を始めれば、皇帝がここへ住まわされると」


「そうです」


「理由は」

カルタゴ側の代表が、半ば確認するように問う。


匠一は一拍も置かなかった。


「時刻表を乱すからです」


ダンは視線を伏せた。

後方の職員たちも、誰も驚かなかった。

たぶん全員、最終的にそこへ着地することは知っていた。


ローマ側の使節は、さすがに言葉を選び直した。


「……我らの戦争を、そのような理由で制約すると?」


「主にその理由です」

匠一は言った。

「他にも、旅客、民需貨物、保守、安全、難民輸送、海底駅運用があります」


「主に、なのですね」

カルタゴ側の代表が、妙にそこを拾った。


「はい」


会議室の空気は重いままだったが、

その重さの質が少し変わっていた。

侮られているのではない。

本気でそう言っているのだと、両国とも理解し始めていた。


匠一はさらに資料を開いた。

そこには海底駅の保守計画、潜航点検の工程、港湾積替の時刻表、

旅客便と貨物便の接続図が並んでいる。


「海底駅は浪漫で動いているわけではありません」

匠一は言った。

「耐圧殻、回廊、隔壁、排水、換気、観測窓、保守通路。

そのすべてが定められた手順と時刻の上で維持されています。

その近海で艦隊を動かされるのは迷惑です」


ローマ側の使節は、もはや怒るより先に困惑しているようだった。

カルタゴ側の代表は、逆に少しだけ納得した顔をしていた。

商人の国の人間だけあって、損害計算の話としては理解しやすいのかもしれない。


「もし、我らがこの措置を拒めば?」

ローマ側の使節が問う。


「港湾優先枠を停止します。

軍需関連輸送は受けません。

海底駅周辺海域の運用保全を優先し、必要なら接続便も制限します」


淡々とした口調だった。

だが内容は十分に重い。

ローマ側もカルタゴ側も、それが脅しではなく、実際に実行可能な措置だと理解していた。

鉄道国は軍を並べなくても、流れを止められる。

それだけで十分に強い。


「……ずいぶんと」

カルタゴ側の代表が言った。

「徹底しておられる」


「止めるなら、半端にしない方がいい」

匠一は答えた。


その言葉に、会議室は再び静かになった。


やがてローマ側の使節が、長く息を吐いた。


「本国へ持ち帰ります」


カルタゴ側の代表も続く。


「こちらも同様に」


「そうしてください」

匠一はうなずいた。

「ただし、返答までの間も、オケアヌス線と海底駅周辺への影響行為は控えてください」


「控えなければ?」

ローマ側の使節が最後に問う。


匠一はいつもの調子で答えた。


「その前に、こちらが先に動きます」


会談はそこで終わった。

定刻通りに始まり、定刻通りに終わった。

退出する両国使節の足取りは、入ってきたときより明らかに重い。

屈辱、困惑、警戒、不快。

いろいろ混じっているだろう。

だが少なくとも、軽く見て帰る者はいなかった。


扉が閉まると、ダンがようやく息をついた。


「いやあ……言いましたねえ」

「何をだ」

「だいたい全部です」

「必要なことだけだ」

「“時刻表を乱すからです”を真正面から言う人、あんまりいないと思いますよ」

「だが事実だ」

「それはそうなんですけど」


匠一は机上の資料を閉じた。


「海底駅の近海でやられるのは困る」

「はい」

「オケアヌス線も困る」

「はい」

「保守班にも迷惑だ」

「はい」

「なら止める」


ダンは苦笑した。

理屈としては一貫している。

一貫しすぎていて、たまに周囲がついていけないだけだ。


窓の外では、バビロンの乾いた空の下を列車が走っていた。

古い都の石壁の向こうを、正確な時刻で。


世界はたぶん、この措置を平和維持だとか、広域安定化だとか、

もっと立派な名前で呼ぶのだろう。


だが匠一にとっては違う。


主にオケアヌス線が乱れる。

海底駅の保守に迷惑がかかる。

だから止める。


それだけの話だった。

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