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見難い火傷の子  作者: 清風
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469/500

乗りと勢いで入ったが…

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子469



乗りと勢いで入ったが…



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


入隊したその日から、旗羽族たちは思い知ることになった。


憧れだけでは、隊にはいられない。


噂のデスパトロールに叩きのめされ、その強さに目を輝かせ、

勢いのまま入隊希望を出した時には、誰もがもっと別の未来を思い描いていた。

もっと華やかで、もっと自由で、もっと空を駆けるものだと。

だが実際に始まったのは、地味で、厳しく、反復ばかりの訓練だった。


飛べるから飛ぶな。

速いから先走るな。

勝てると思った瞬間ほど、隊列を崩すな。

一人で映えるな。

隊として勝て。


旗羽族にとって、それはほとんど生き方そのものを矯正されるような日々だった。

好き勝手に飛び、好き勝手に騒ぎ、風の向くまま群れで流れてきた者たちにとって、

時間厳守も、行動制限も、許可なく飛ぶなという命令も、息が詰まるほど窮屈だった。


夜になると、その窮屈さは余計に骨身にしみた。

昼間は意地で平気な顔をしていても、宿舎の天井を見上げた瞬間に、空の狭さを思い知る。

風が足りない。

羽を広げる場所がない。

故郷の夜気が恋しい。

見回りの途中で、

宿舎の裏にしゃがみ込んで目元をこすっている新人を見つけることも、

一度や二度ではなかった。


「泣いてない」

「まだ何も言ってません」

「言うな」

「はい」


そんなやり取りを、カナタは何度もした。


逃げ出そうとした者もいた。

夜明け前、外壁を越えようとして途中で降りられなくなり、情けない声で助けを求めた者。

訓練場の端で、ほんの少しだけ外の風を吸いたかったのだと言い張った者。

本気で辞めるつもりだったのか、自分でも分かっていなかった者。

レイラはそういう連中を片っ端から捕まえては、呆れた顔で引きずって戻した。


「逃げるなら、せめて見つからないようにやりなさいよ」

「それ、逃げていいって意味ですか……」

「違うわよ。雑すぎるって意味」


昼は訓練、夜は座学。

叩き込まれるのは技術だけではない。

待つこと。

合わせること。

やりすぎないこと。

勝てる相手を潰しすぎないこと。

力を持つ側の加減を間違えないこと。


それは旗羽族たちが憧れた“格好良さ”の、ずっと手前にあるものだった。


だから、夕食時にはよく空気が湿った。

昼の訓練で絞られ、夜の座学で削られ、ようやくありついた飯を前にして、

長机に並んだ新人たちは揃って羽を落としていた。


「……何で入ったんだろうな」

ぽつりと漏れた一言に、誰も笑わなかった。

むしろ、何人かが無言でうなずいた。


「こんなに辛いなら、入らなきゃ良かった……」

そう言った本人が、次の瞬間には飯を口に運びながらぽろぽろ泣き出した。

涙が椀に落ちる。


「おい、泣くなって」

「泣いてねえし……」

「いや泣いてるだろ」

「飯がしょっぱい……」

「それお前の涙だよ」

「分かってるよ……!」


情けなくて、みっともなくて、それでもどこか切実だった。

憧れだけでは越えられない現実が、そこにはあった。


それでも訓練の日々が暮れてゆく。


泣こうが、愚痴ろうが、逃げかけようが、朝は来る。

点呼があり、訓練があり、また怒鳴られ、またやり直し、また飯を食う。

そうして日々が積み重なるうちに、少しずつ変わる者が出てきた。


合図の前に飛び出さなくなる者。

一人で決めに行かず、隣を見るようになる者。

速さを誇る代わりに、位置取りを覚える者。

泣きながらでも、翌朝にはちゃんと整列している者。


憧れは、ようやく少しずつ形を持ち始めていた。


そして訓練終了の日が来た。


新人たちは整列していた。

入隊した頃のきらきらした目は、もうあの時のままではない。

泣いた夜も、逃げかけた朝も、飯がしょっぱかった夕暮れも越えて、

どうにかここまで立ってきた顔だった。


やがて、一人ずつ名が呼ばれる。


短い返答。

そして告げられる所属部隊名。


そのたびに空気がわずかに揺れた。

安堵する者。

強張る者。

意味が分からず隣を見そうになって、慌てて前を向き直す者。

群れとして押し込まれてきた旗羽族たちは、その時初めて、個として行き先を与えられた。


配属が終わると、各部隊の先輩たちが前に出た。

新人たちはようやく肩の力を抜きかけたが、その期待はすぐに裏切られる。


「じゃあ案内する」

先輩の一人が、何でもないことのように言った。

「石炭紀ツアーだ」

石炭紀ツアー、などと軽く言うが、もちろん本当に遠足のようなものではない。

石炭紀に遠足気分で行くのは、爆炎パーティくらいなものだった。


新人たちは一斉に顔を上げた。

石炭紀。

その単語だけで、空気がまた別の意味で張りつめる。


「……ツアー?」

誰かがかすれた声で言う。

「見学みたいなもんだ」

先輩は軽く答えた。

「吐くなら今のうちにしとけ」

「見学の前置きじゃないですよね、それ」

「石炭紀だからな」

それで説明になっているような、なっていないような返答だった。


新人たちは先輩に連れられ、ぞろぞろと歩き出した。

訓練を終えたばかりの足取りはまだ頼りない。

それでも、もう後戻りする顔ではなかった。

あれほど狭く感じた世界を抜けた先に、今度は別の意味で途方もなく広い現場が待っている。

訓練で叩き込まれたことが、初めて本物の景色に接続されるのだ。


その背を見送りながら、カナタは小さく息を吐いた。

レイラも隣で肩を回す。


「行ったわね」

「行きましたね」

「泣くかと思ったけど」

「何人かは泣いてた気がします」

「まあ、あれは泣くわよね」


二人はその足で匠ーのもとへ向かった。

報告のためである。

何しろ、あの旗羽族たちだ。

最後の最後で何かやらかしていても不思議ではなかった。

だが今回は、どうにか最後まで送り出せた。


執務室で深淵珈琲を飲んでいた匠ーが、二人を見る。


「ん?」

カナタは一礼して告げた。


「あいつら、無事石炭紀に行きました」


一瞬の沈黙。

それから匠ーは、いかにもどうでもよさそうに、しかし少しだけ口元を緩めて言った。


「そうか」

深淵珈琲を一口飲む。

「じゃあ、ひとまず上出来だな」


レイラが息を吐く。

「石炭紀に行っただけで褒められるの、だいぶ感覚おかしくなってきたわよ」

「おかしくなる場所だからな」

匠ーは平然としていた。


カナタは少しだけ笑った。

目を輝かせて入ってきた旗羽族たちは、泣いて、愚痴って、逃げかけて、

それでも訓練を終え、とうとう次の景色へ進んだのだ。

まだ何者でもない。

だが、もうただの憧れだけで立っているわけでもない。


そのことだけは、確かだった。


…………………………………………………………………………………………………………………


乗りと勢いで入ったが…その後の静けさ

訓練場の喧騒が遠ざかり、夕刻の風が第十六エリアの空を撫でていく。


新人たちの背が見えなくなるまで見送ったあと、

カナタとレイラはしばらくその場に立ち尽くしていた。


「……静かですね」

カナタがぽつりと言う。


「さっきまで、あんなに騒がしかったのにね」

レイラは肩を回しながら空を見上げた。


旗羽族の新人たちが去った訓練場は、妙に広く感じた。

昼間はあれほど叫び声で満ちていたのに、

今はただ、風の音だけが残っている。


「でも、あいつら……」

レイラが言いかけて、少し笑った。

「泣きながらでも、ちゃんと立ってたね」


「はい」

カナタも静かに頷く。

「憧れだけでは続かない場所ですが……それでも、続けようとしていました」


その言葉には、どこか誇らしさがあった。


訓練は厳しい。

現場はもっと厳しい。

石炭紀はさらに厳しい。


それでも、あの新人たちは泣きながらでも前を向いた。

逃げかけても戻ってきた。

愚痴をこぼしながらも、翌朝には整列していた。


その姿は、かつて自分たちが通ってきた道の影を、どこか思い出させるものだった。


「……私たちも、あんな時期あったよね」

レイラが言う。


「ありましたね」

カナタは少し遠い目をした。

「今思えば、よく続けられたと思います」


「まあ、あの人がいたからね」


レイラは執務室の方角を親指で示した。


匠一。


あの人がいたから、続けられた。

あの人がいたから、折れずに済んだ。

あの人がいたから、今ここに立っている。


「……あいつらにも、そういう存在になれるんですかね」

カナタが小さく呟く。


レイラは少しだけ考えてから、肩をすくめた。


「なるしかないでしょ。勝手に憧れて勝手に入ってきたんだから」


「責任重大ですね」


「まあ、匠一さんほどじゃないけどね」


二人は同時に小さく笑った。


その笑いは、訓練の疲れを少しだけ溶かすような、柔らかいものだった。


やがて、レイラが言う。


「……帰ろっか。今日くらいは早く寝たい」


「そうですね」


二人は訓練場を後にした。

夕刻の風が背を押すように吹き、遠くで深淵ダンジョンの灯りが揺れていた。


新人たちは石炭紀へ向かった。

自分たちは帰路につく。

それぞれの道が、また少しだけ広がった日だった。

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