デスパトロールからの相談
見難い火傷の子468
デスパトロールからの相談
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
難案件を抱えたカナタとレイラは、早々に匠ーの執務室を訪ねた。
自分たちだけで抱えるには少し重い。現場で対処はできる。
だが、どう対処するのが正しいのか、その加減が難しかった。
扉を叩くと、応対に出たのは匠ー本人ではなく筆頭秘書セレネだった。
「申し訳ありません。匠ー様はただいまご不在です」
「ご不在?」
カナタが思わず聞き返す。匠ーが席を外すこと自体は珍しくない。
だが、こういう時に限って、という思いはあった。
「はい。アノマノカリス狩りに行ってくるとおっしゃって、先ほど」
「……アノマノカリス狩り?」
レイラが片眉を上げる。
「はい。深淵珈琲受けに丁度いいんだ、と」
カナタは一瞬、言葉の意味を頭の中で並べ直した。
アノマノカリス。
狩り。
深淵珈琲。
珈琲受け。
意味は分かる。
分かるが、理解は追いつかない。
「止めなかったんですか」
ようやくそう尋ねると、セレネは淡々と答えた。
「止めました」
「それで?」
「笑っておられました」
それだけで十分だった。
なるほど、止まらなかったのだろう。
しかもセレネは、ここまで一切表情を崩していない。
おそらく、この冷静さこそが筆頭秘書の条件なのだ。
レイラが小さく息を吐く。
「……あの人ならやるわね」
「今じゃなくてもよくないですか」
「今だから行ったのかもよ。揚げ物って、食べたいと思った時が一番おいしいし」
「そこに理解を示すんですか、レイラさん」
半ば本気で困っているカナタをよそに、セレネは静かに一礼した。
「お急ぎのご用件でしたら、戻られ次第お伝えいたします」
「いえ、待ちます」
レイラが即答した。
「ここまで来て帰る方が面倒だし」
「……そうですね」
待つしかない。
難案件は難案件のままそこにあり、匠ーはアノマノカリス狩りに出ている。
深淵ダンジョンの現実は、時々こういう形で人の理解を置き去りにする。
それからしばらくして、廊下の向こうから足音がした。
次いで扉が開き、当の本人が何事もなかったような顔で入ってくる。
「お、来てたのか」
匠ーの手には大皿があった。
山盛りにされた唐揚げが、まだじゅうじゅうと油の名残をまとっている。
香ばしい匂いが、部屋の空気を一気に塗り替えた。
「今揚がったところだ」
匠ーは機嫌よく卓上に皿を置く。
「丁度いい。一口食べてけ」
「……それ、まさか」
カナタが恐る恐る尋ねる。
「アノマノカリスの唐揚げ」
匠ーはこともなげに答えた。
「深淵珈琲受けに丁度いい」
言われてみれば、先ほどセレネも同じことを言っていた。
だからといって納得できるわけではないが、少なくとも匠ーの中では一貫しているらしい。
「相談があって来たんですが」
カナタがようやく本題を思い出して口を開くと、匠ーはうなずいた。
「聞くぞ。だが揚げたては今しかない」
「相談は逃げないが、揚げたては逃げる、ですか」
レイラが半ば呆れたように言うと、匠ーは笑った。
「分かってるじゃないか」
結局、断りきれずに二人も席についた。
レイラは一つ摘まんで、軽く目を見開く。
「……あ、これ普通においしい」
「おいしいんですか」
「悔しいけど」
「悔しがるところなんですか、それ」
匠ーは満足そうにうなずき、自分でも一つ口に放り込んだ。
「で、相談ってのは?」
その声音は軽い。
だが、軽いだけではない。
聞く姿勢そのものは最初から崩れていなかった。
だからカナタも気持ちを切り替え、話を始める。
「旗羽族が、こちらを挑発してきています」
「ほう」
「噂のデスパトロールがなんぼのもんじゃい、と」
匠ーの眉がわずかに上がった。
面白がっているのか、呆れているのかは分からない。
カナタは続ける。
「正面から相手をすること自体は可能です。ですが、真剣にやると過剰処理になります」
「こっちが本気を出すと、向こうが保たないのよ」
レイラが後を継いだ。
「でも、舐められたまま引くのも違う。どの程度の加減が妥当か、その判断に迷ってる」
匠ーはしばらく黙って唐揚げを噛んだ。
深淵珈琲が運ばれてくる。セレネがいつの間にか用意していたらしい。
やはり有能だった。
匠ーは珈琲を一口飲み、それから言った。
「鼻っ柱を折れ。翼までは折るな」
短い言葉だった。
だが、二人はその意味をすぐに測りかねて、黙って続きを待つ。
「勝てないと分からせろ。殺せると見せる必要はない」
匠ーは指先で唐揚げを一つ示した。
「噂を本物にするのはいい。だが、化け物にしすぎるな」
「……過剰処理は、こっちの評判も悪くするってことですか」
カナタが問う。
「それもある」
匠ーはうなずく。
「怖がらせすぎると、相手は二つに割れる。
二度と近寄らなくなるやつと、意地になって武勇伝を欲しがるやつだ。
後者が面倒だ」
「なるほどね」
レイラが腕を組む。
「じゃあ、完膚なきまでに叩き潰すのは悪手か」
「楽だが、後が面倒だ」
匠ーはあっさり言った。
「相手に理解を残せ。恐怖だけ残すな」
カナタはその言葉を胸の中で反芻した。
勝負にならないと理解させる。
だが、恨みだけを育てるほどにはやらない。
たしかに、それが一番難しい。難しいが、目指すべき線としてははっきりしていた。
「具体的には?」
レイラが尋ねる。
「先手は取らせろ」
匠ーは即答した。
「挑発してきた連中には、自分たちが仕掛けたと思わせた方がいい。
で、仕掛けた瞬間に全部潰す」
「全部?」
「動きだ。隊列。退路。連携。そういうのを潰せ」
匠ーは淡々と続ける。
「骨まで折るな。誇りは少し傷つけろ。だが、立て直せる余地は残せ」
「絶妙に嫌な線ですね」
レイラが言う。
「だから効く」
匠ーは平然としていた。
カナタは思わず苦笑する。
たしかに、それなら相手は理解するだろう。
自分たちは相手にならない。
だが、見逃された。
次はない。
そのくらいの線が、一番長く効く。
「あと」
匠ーが唐揚げをもう一つ摘まむ。
「笑うなよ」
「……はい?」
「相手した時に、余裕ぶって笑うな。あれは効きすぎる」
レイラが吹き出しかけた。
「経験談?」
「経験談だ」
匠ーは真顔で答えた。
「笑われると、相手は一生覚える。恨み方が深くなる」
それは妙に説得力があった。
カナタはうなずき、頭の中で対応の形を組み直していく。
制圧はする。
だが、破壊はしない。
格差は見せる。
だが、絶望までは与えない。
噂は補強する。
だが、怪談にはしない。
「分かりました」
カナタは背筋を伸ばした。
「勝てないと理解させる。けれど、潰しすぎない」
「そういうことだ」
匠ーは満足そうにうなずいた。
「デスパトロールなんて呼ばれてるうちは、まだ華だ。
ほんとにまずいのは、名前を口にしたがらなくなった時だからな」
部屋が一瞬、静かになった。
軽口のようでいて、その実かなり重い言葉だった。
レイラが小さく肩をすくめる。
「相変わらず、変なところで線引きがうまいわね」
「線引きができないやつは、長く上に立てんよ」
そう言って匠ーは深淵珈琲を飲み、唐揚げをもう一つ口に放り込んだ。
難案件の相談は終わった。
答えは出た。
なのに卓上にはまだ、揚げたてのアノマノカリスが湯気を立てている。
カナタは一つ摘まみ、意を決して口に入れた。
衣は軽く、噛めば白身に近い弾力がある。
思ったより癖はなく、香辛料の利き方も絶妙だった。
「……おいしいですね」
思わず漏れた本音に、匠ーがにやりとする。
「だろう?」
「悔しいですけど」
レイラが即座に言った。
「そこは悔しがるところなのか」
「なんか全部この人のペースで進んだ感じがするから悔しいのよ」
それにはカナタも反論できなかった。
難案件を抱えて相談に来たはずなのに、気づけば助言を受け、
深淵珈琲を前にアノマノカリスの唐揚げを食べている。
匠ーの周囲では、ときどき物事の順番がおかしくなる。
だが、おかしくなった順番の先で、必要な答えだけはきちんと手に入るのだった。
………………………………………………………………………………………………………
旗羽族への対応は、匠ーの助言どおりに進められた。
先手は取らせる。
挑発に乗ったと思わせて、仕掛けてきた瞬間に動きを潰す。
隊列を崩し、退路を断ち、連携を殺す。
だが、骨までは折らない。
誇りは傷つけるが、立て直せないほどにはしない。
勝てないことだけを、きっちり理解させる。
その線を守るのは簡単ではなかったが、カナタとレイラはやり切った。
旗羽族たちは勢いよく飛び込み、そして勢いよく叩き落とされた。
空を取ったつもりでいた者は足場を失い、
包囲を抜いたつもりでいた者はいつの間にか進路を塞がれていた。
見事なくらいに勝負にならなかったが、見事なくらいに壊しすぎてもいなかった。
処理後、カナタはひとまず胸を撫で下ろした。
過剰処理にはなっていない。
恨みを買いすぎた様子もない。
少なくとも、匠ーの言った線は守れたはずだった。
「……うん、悪くないんじゃない?」
レイラも周囲を見回しながら言った。
「ちゃんと鼻っ柱は折れたし、翼までは折ってない」
「そうですね」
カナタもうなずく。
「これなら、相手も無茶は――」
そこで言葉が止まった。
旗羽族たちの様子が、どうにもおかしい。
倒れた者も、尻もちをついた者も、息を切らしている者もいる。
だが、その目が、やたらときらきらしていた。
「すげえ……」
誰かがぽつりと漏らした。
「今の見たか?」
「見たけど見えてねえよ!」
「何だあれ、いつ回り込まれた?」
「退路、最初から切ってたのか?」
「噂のデスパトロールって、ああいうのか……」
嫌な予感がした。
カナタは隣を見る。
レイラも同じことを思ったらしく、無言で額を押さえていた。
「……レイラさん」
「言わないで。たぶん同じこと考えてるから」
「ですよね」
旗羽族の一人が、まだ地面に座り込んだまま顔を上げた。
その表情には悔しさもある。
あるのだが、それ以上に妙な熱があった。
「おい」
その声に、カナタは反射的に身構える。
だが、次に飛んできた言葉は予想の斜め上だった。
「どうやったら、ああなれる?」
カナタは黙った。
レイラも黙った。
数拍遅れて、二人は同時に空を仰いだ。
「いや、そこ?」
レイラが思わず言う。
「そこだろ!」
別の旗羽族が即座に返した。
「何だよあの動き! 全然勝負にならなかったぞ!」
「勝負にならなかったことに、もうちょっと悔しがってください」
カナタは真顔で言ったが、相手はまるで堪えていない。
「悔しいに決まってるだろ!」
「でも、すげえもんはすげえ!」
「噂って盛ってると思ってた!」
「全然盛ってなかった!」
「むしろ足りてなかった!」
ひどい騒ぎだった。
ついさっきまで挑発してきていた相手とは思えない。
いや、挑発してきたからこそ、真正面から叩き返された結果、
変な方向に火がついたのかもしれない。
レイラが小声で言う。
「これ、抑止成功って言っていいの?」
「少なくとも敵意は薄れています」
「方向性が最悪なんだけど」
その後、旗羽族たちはやたらと素直だった。
撤収の指示には従う。
余計な挑発もしない。
むしろ妙に礼儀正しい。
そして帰り際、何人かが何度もこちらを振り返っていた。
その目がやっぱりきらきらしていて、カナタは頭痛を覚えた。
嫌な予感は、たいてい当たる。
数日後。
巡行隊の詰所に、見慣れない影があった。
旗羽族の若者たちである。
しかも一人や二人ではない。
受付担当が困った顔で書類を持ってきた時点で、カナタはもう察していた。
「……何ですか、それ」
「入隊希望届です」
「誰の」
「全員分です」
カナタは無言になった。
横から覗き込んだレイラが、盛大に顔をしかめる。
「うわあ」
「うわあ、じゃないですよ」
「いや、でも、うわあ、でしょこれは」
受付担当は半ば泣きそうな顔だった。
「どうも、先日の件で憧れたようで……」
「憧れ」
カナタは遠い目をした。
たしかに恨みは買わなかった。
過剰処理にもならなかった。
だが、まさかこうなるとは聞いていない。
その日のうちに、二人は再び匠ーのもとを訪ねることになった。
今度は在室していた。
しかも、深淵珈琲を飲んでいた。
「で、どうなった」
匠ーは実に気楽そうに尋ねた。
「過剰処理にはなりませんでした」
カナタが答える。
「うん」
「恨みも、たぶん買っていません」
「うん」
「ただ」
「ただ?」
「処理後、旗羽族たちの目がやたらきらきらしていました」
匠ーの手が止まった。
「……ああ」
「その後、入隊希望者が出ました」
「何人ですか」
レイラが横から紙束を差し出す。
匠ーは受け取ってざっと目を通し、少しだけ眉を上げた。
「思ったより多いな」
「思ったより、で済ませるんですか」
カナタは思わず言った。
「済むだろ。死人が出たわけじゃない」
「そういう問題じゃありません」
「いや、かなり大事な問題でしょ、それは」
レイラも呆れたように言う。
「抑止のつもりが勧誘になってるんだけど」
匠ーはしばらく黙っていたが、やがて深淵珈琲を一口飲んでから言った。
「それは旗羽族が悪い」
「そんな雑な結論あります?」
「ある」
匠ーは平然としていた。
「強いもの見て目を輝かせる手合いは、一定数いる。あいつらはそういう種だ」
「種族特性みたいに言わないでください」
「実際そうだろう」
レイラがため息をつく。
「否定しづらいのが腹立つのよね」
「で、どうするんですか」
カナタは本題を戻した。
「入隊希望、受けるんですか?」
匠ーは紙束を机に置き、少しだけ笑った。
「希望するのは勝手だ」
「選抜はする、と」
「当然だ。憧れだけで務まるほど軽くない」
その声音は、今度は少しだけ厳しかった。
「だが、入口に立ちたがるやつを最初から追い返す必要もない。
噂を聞いて逃げるやつより、見てなお来るやつの方が使い道はある」
カナタはその言葉に、少しだけ納得した。
たしかに、あの場で格の違いを見せられてなお、
怖じるより先に目を輝かせたのなら、それはそれで資質なのかもしれない。
少なくとも、普通ではない。
「じゃあ、試験ですか」
「やるならお前たちが見ろ」
匠ーはあっさり言った。
「え?」
カナタが固まる。
「だって、お前たちに憧れて来たんだろう?」
「いや、そうですけど」
「なら責任持て」
「理屈が雑です!」
「でも筋は通ってる」
レイラがぼそっと言った。
「レイラさん、そっちに乗らないでください」
匠ーは楽しそうだった。
どう見ても楽しんでいた。
この人はたぶん、こういう予想外の転がり方を嫌いではない。
「まあいい」
匠ーは椅子にもたれた。
「恐怖だけ残さなかった結果だ。悪い話じゃない」
「……そうかもしれませんけど」
「化け物にしすぎなかったから、手を伸ばしたくなったんだろうさ」
その言葉に、カナタは少し黙った。
たしかに、もしあの場で徹底的に叩き潰していたら、
旗羽族たちは憧れではなく恐怖しか抱かなかっただろう。
理解を残したからこそ、届かない高さとしてではなく、
目指せる背中として見えてしまったのかもしれない。
レイラが肩をすくめる。
「つまり、加減は正しかった。でも相手が悪かった」
「そういうことだ」
匠ーはうなずいた。
「旗羽族が悪い」
「便利ですね、その結論」
「便利だぞ」
結局、入隊希望者たちは正式な選抜に回されることになった。
その知らせを受けた旗羽族たちは、やはり目をきらきらさせていた。
カナタは頭を抱え、レイラは笑いをこらえ、セレネはいつもの無表情で必要書類を整えていた。
後になって振り返れば、あれはたしかに一つの事件だったのだろう。
挑発への対処としては成功。
抑止としては半成功。
そして採用活動としては、妙に大成功だった。
少なくとも、処理後の旗羽族たちの目がやたらときらきらしていた時点で、
もっと強く警戒しておくべきだった。
そのあと入隊希望者になったのは、言うまでもない。




