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見難い火傷の子  作者: 清風
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449/483

古代湖線失踪事件編・第8話

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子449


古代湖線失踪事件編・第8話


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


研究区画と湖底空洞


シーラが浮上した時、接続停泊地にいた全員が、ほとんど同時に息を吐いた。


青い巨体は水を割って現れ、接岸部の脇でゆっくりと姿勢を保つ。

背部の副脳灯はまだ点いている。

だが光り方が不安定だった。

脈打つ間隔が、普段よりわずかに乱れている。


「損傷は」

匠一が言う。

セレネはすぐに端末を確認した。

「外装軽微。

推進器正常。

ただし副脳補助系に一時的な照合遅延が出ています」

「戻るか」

「時間はかかりますが、致命ではありません」

「ならいい」


シーラは接岸部へ鼻先を寄せたまま、しばらく動かなかった。

疲労というより、まだ水の下の何かを警戒しているように見える。

生体としての本能が、異常域の存在を覚えてしまったのだろう。


ノクスが低く言う。

「嫌な学習をしましたね」

「忘れてくれると助かるんだがな」

匠一が返す。

「無理でしょう」

「だろうな」


副脳ログの回収は、その場ではなく接続停泊地の管理室で行われた。

現地職員たちは、シーラを見た時点でかなり動揺していたが、

ログの内容を知ってからはさらに口数が減った。


帯状落差。

湖底空洞。

人工構造物様反応。

七前後の微弱反応。

そして、大型遊泳反応。


紙に落とすと、どれも簡潔な語句でしかない。

だが、その一つ一つが古代湖線失踪事件を“ただの行方不明”から完全に引き剥がしていた。


「研究区画側へ照会は?」

匠一が聞く。

「すでに出しています」

セレネが答える。

「現行図面、旧図面、増設記録、封鎖区画、湖底基礎構造。

出せるものは全部」

「返答は」

「一部到着済みです。

ただし」

「渋ってるか」

「はい」


ヘルムが苦い顔で言う。

「研究区画は、昔から外部照会に素直ではありません」

「今さらだな」

匠一は鼻で笑った。

「湖の下に何か埋めてるなら、なおさらだ」


管理室の机上に広げられた図面は、最初から妙だった。


現行図面では、研究区画接続停泊地の基礎は湖底へ向けて単純な支持杭で降りている。

保守用通路も、接続部周辺に限られている。

だが旧図面を重ねると、一部の線が合わない。


「ここです」

セレネが指した。

「旧図面では、接続停泊地の下に補助基礎区画があります」

「現行にはないな」

「はい。削除されています」

「廃止した?」

「その記録がありません」


ノクスが別紙を引き寄せる。

「さらに、この年代の増設記録。

研究区画本体の拡張時期と、古代湖線の定期便増便時期が近い」

「偶然か?」

匠一が聞く。

「偶然にしては、接続停泊地の運用変更も同時期です」

「何が変わった」

「停泊時間の短縮。

乗降確認の簡略化。

そして、接続通路の一部閉鎖」


ヘルムが眉をひそめた。

「そんな記録、現場には」

「上まで来ていないのでしょう」

セレネが淡々と言う。

「あるいは、意図的に分断されています」


匠一は図面の上に指を置いた。

接続停泊地。

その下に、旧図面でだけ示される補助基礎区画。

さらにその先、シーラが拾った帯状落差と空洞反応の位置。


「繋がってるな」

「はい」

ノクスが答える。

「少なくとも、位置関係は」

「研究区画の下に、湖底空洞へ触る何かがある」

「その可能性が高いです」


その時、研究区画側からの追加返答が届いた。


セレネが端末を受け取り、数秒だけ無言で読む。

それから、珍しく露骨に眉を寄せた。


「どうした」

匠一が聞く。

「封鎖区画の存在を認めました」

部屋の空気が変わる。

ヘルムが息を呑む。

ノクスは静かに視線を上げた。


「理由は」

「“旧式基礎設備の安全上の問題により閉鎖”」

「雑だな」

「はい。

しかも閉鎖時期が、失踪発生の少し前です」

「最悪だな」

「ええ」


さらに読み進め、セレネは続ける。

「旧式基礎設備の一部は、湖底観測用の導流筒を兼ねていた、とあります」

「導流筒?」

ヘルムが聞く。

「湖底の魔力流や水流を、研究区画側で観測するための設備です」

ノクスが答えた。

「古い研究施設では珍しくありません」

「それを閉じた?」

「はい」

セレネが言う。

「ただし、完全停止ではなく“封鎖後も最低限の自動観測は継続”と」

「止めてないのか」

「止めていません」


匠一はしばらく黙っていた。

やがて低く言う。


「それだな」

「断定はまだです」

セレネが返す。

「でも近い」

「はい」


もし湖底空洞の上に、研究区画の旧式導流設備が残っているなら。

もしそれが閉鎖後も半端に動き続けているなら。

異常域を“観測”しようとして、逆に引っかけている可能性がある。


人を。

便を。

認識を。


ノクスが静かに言った。

「異常そのものを作ったのではなく、既存の異常域へ設備が触れ、

流れを歪めたのかもしれません」

「湖の底に元から何かあった?」

ヘルムが聞く。

「はい。

そこへ研究区画の設備が干渉した。

その結果、航路上まで認識阻害が滲み出した」

「だから、失踪が二か月前から急に増えた」

セレネが頷く。

「閉鎖時期と一致します」


匠一は立ち上がった。

「行くぞ」

「どこへ」

ヘルムが反射的に聞く。

「研究区画だ」

「許可が」

「取る。

取れなきゃ踏み込む」

「匠一様」

ノクスが一応たしなめる。

「順番は守ってください」

「守る気はある。

でも遅いのは嫌いだ」

「それは存じています」


研究区画への移動は、その日のうちに決まった。


接続停泊地から伸びる管理通路は、一般利用者の目に触れないよう半ば覆われている。

湖の上を渡る細長い通路。

左右は水面。

足元の板越しに、暗い湖が近い。


風はある。

だが通路の中は妙に音がこもる。

外へ抜けるはずの音が、途中で薄くなる。

匠一は歩きながら、何度か足を止めそうになった。

止めたくなるのではない。

距離感が一瞬だけ曖昧になるのだ。


「ここもか」

「はい」

ノクスが答える。

「接続停泊地より薄いですが、流れています」

「研究区画まで上がってる?」

「おそらく」


研究区画の外観は、遠目に見た時よりさらに馴染まなかった。

石造の基礎に、後付けの金属梁。

古い塔屋に、新しい観測窓。

継ぎ足しの歴史がそのまま外へ出ている。

便利さを優先して、景観も整合も後回しにした建て方だった。


出迎えたのは、研究区画管理官補佐を名乗る女だった。

年齢はセレネより少し上か。

灰色の外套。

表情は整っている。

だが目だけが硬い。


「照会の件でお待ちしていました」

「待たせたな」

匠一が言う。

「こちらとしては、もっと早く全部出してほしかった」

「機密区画が含まれますので」

「湖の下に七人分の反応が出てる」

匠一は一歩も引かなかった。

「まだ機密で押すか」

女の表情が、そこで初めてわずかに揺れた。


応接室へ通される。

出された資料は、やはり一部が欠けていた。

だが欠け方が、もう露骨だった。


旧式導流設備。

封鎖区画。

自動観測継続。

異常値発生。

保守延期。

責任部署移管中。


「責任部署移管中?」

セレネが読み上げる。

「はい」

管理官補佐が答える。

「閉鎖後、旧設備は研究区画本体ではなく、外縁保守部門の扱いとなり」

「その外縁保守部門は?」

「現在、再編中です」

「便利ですね」

セレネの声は静かだった。

だがかなり冷えていた。


ノクスが別紙を見て言う。

「異常値発生記録がありますね」

「あります」

「いつから」

「二か月前」

「失踪と一致します」

「……はい」


匠一が机を軽く叩いた。

「で、何を観測してた」

管理官補佐は一瞬だけ黙り、それから答えた。

「湖底魔力流の偏向です」

「何のために」

「研究区画基礎への負荷予測と、深層生体反応の監視」

「深層生体?」

「古代湖には以前から、大型遊泳反応の伝承がありましたので」

「レッシー対策か」

「俗称としては」


ヘルムが思わず口を挟む。

「知っていたんですか」

管理官補佐は視線を向けた。

「伝承レベルでは」

「でも観測していた」

「はい」

「現場には何も下りてきていません」

「確証がなかったので」

「今は?」

「今は、確証がなくても黙っていていい段階ではありません」


その返答だけは、少しまともだった。


やがて、封鎖区画への立ち入りが認められた。

完全な許可ではない。

管理官補佐と研究区画側の技術員が同行する条件付きだ。

だが十分だった。


封鎖区画へ降りる階段は、研究区画の裏手にあった。

普段使われていないのだろう。

空気が冷たい。

石壁には古い水染みが残り、ところどころに後付けの配線が走っている。


下へ行くほど、音が減った。


足音はする。

衣擦れもある。

だが反響が薄い。

まるで空間そのものが、音を覚えていられないようだった。


「嫌な場所ですね」

セレネが言う。

「はい」

管理官補佐も否定しなかった。

「閉鎖後、長居する者はいません」


最下層に近づくと、古い金属扉が現れた。

封鎖札。

保守停止印。

そして、その上から新しく貼られた注意札。


認識障害様症状報告あり/単独立入禁止


ヘルムが息を呑む。

「こんなもの、初めて見ました」

「最近追加されたのでしょう」

ノクスが言う。

「報告が上がっていた証拠です」


扉が開く。


その先は、半円形の古い観測室だった。

壁面に沿って計器。

中央に導流筒の監視盤。

そして床の一部が、厚い硝子越しに湖底側へ抜けている。


全員が、無意識にその硝子床を見た。


下は暗い。

だが完全な闇ではない。

遠く、深いところに、青白い揺らぎがある。

シーラの残した観測灯か。

あるいは、別の何かか。


セレネが監視盤へ近づく。

「……動いています」

「最低限の自動観測だけです」

管理官補佐が言う。

「停止申請は出していましたが」

「通っていない」

「はい」


ノクスは硝子床の縁に立ち、目を細めた。

「下です」

「空洞か」

匠一が聞く。

「はい。

この真下に近い」


その時、監視盤の一つが、遅れて小さく点滅した。


誰も触っていない。

それでも、古い計器が勝手に反応したのだ。


技術員が青ざめる。

「おかしい……この系統は切ってあるはずです」

「切れてないんだろ」

匠一が言う。

「いえ、物理的には」

「じゃあ何だ」

「……分かりません」


セレネが盤面を覗き込む。

古い表示窓に、断続的な数値が浮かんでは消える。

魔力流量。

偏向率。

深層反応。

そして、一つだけ読める語があった。


導流偏位:開


「開いている?」

ヘルムが言う。

「封鎖したんじゃ」

「封鎖は通路です」

ノクスが答えた。

「導流そのものは、まだ生きています」


匠一の顔つきが変わる。

「つまり」

セレネが静かに言う。

「研究区画は、閉じたつもりで閉じていない。

湖底異常域へ触る管だけが、今も残っている」


その瞬間、硝子床の下で、何かが動いた。


長い影。

青白い揺らぎの向こうを、ゆっくり横切る。

レッシーめいた大型遊泳反応か。

それとも別のものか。

だが今度は、前より近い。


技術員が後ずさる。

管理官補佐も息を止めた。

ヘルムは言葉を失う。

匠一だけが前へ出る。


「見えるな」

「はい」

ノクスが答える。

「ここは縁に近すぎます」


影はすぐに消えた。

だが消えた後も、硝子の向こうの暗さだけが濃く残る。


セレネが監視盤の記録紙を引き抜いた。

そこには断続的な自動記録が残っていた。

二か月前から、偏向率が急上昇している。

しかも、便の通過時刻と近い周期で揺れていた。


「これです」

彼女が言う。

「便が異常域を横切るたび、導流が引かれている」

「設備が吸ってるのか」

匠一が聞く。

「完全には。

ですが、少なくとも流れを歪めています」

「だから人が引っかかる」

「はい。

認識を削られた対象が、空洞側へ流される」


ノクスが低く付け加える。

「そして大型遊泳反応は、その周辺を巡っている。

異常に寄ってきたのか、元からそこにいたのかはまだ不明です」


匠一は硝子床の下を見下ろした。

七つの微弱反応。

湖底空洞。

導流偏位。

全部が一本に繋がり始めている。


「止めるぞ」

短く言う。

「導流をか」

セレネが聞く。

「まずそれだ。

止めて、流れを戻す。

その上で、引っかかった連中を引き上げる」

「可能性はあります」

ノクスが頷く。

「完全に失われていないなら」

「やるしかない」

「はい」


管理官補佐が、ようやく口を開いた。

「停止には、主導流弁の手動閉鎖が必要です」

「どこだ」

「この下です」

「下?」

「観測室のさらに下、保守導路の先。

空洞縁に最も近い位置にあります」


ヘルムが顔を引きつらせた。

「最悪ですね」

「ええ」

セレネが静かに言う。

「ですが、そこへ行かないと終わりません」


匠一は笑わなかった。

ただ、いつものように短く言う。


「なら行く」


湖底空洞は、もう真下にある。

研究区画はそれに触れ、古代湖線はその上を渡り、七つの反応はまだそこに留まっている。


事件は、ついに解決手順の形を取り始めた。

だがその手順は、最も危険な場所へ降りることを意味していた。


硝子床の下で、青白い揺らぎがまた一度だけ明滅する。

それはまるで、湖底の何かがこちらを見返したようだった。

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