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見難い火傷の子  作者: 清風
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448/459

古代湖線失踪事件編・第7話

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子448


古代湖線失踪事件編・第7話


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


湖底異常域


青白い光は、水面の下で一度だけ強く瞬き、すぐに沈んだ。


接続停泊地の縁に立つ全員が、無言で湖を見ていた。

風はある。

旗も揺れている。

だが水面だけが、何かを隠したまま静かすぎた。


補助端末の表示は乱れたまま、数秒ごとに途切れ途切れの文字列を返している。


《現在位置再計算失敗》

《地形照合不能》

《魔力密度上昇》

《……》

《視界ノイズ増大》


若い職員が思わず一歩前へ出かけ、ヘルムに腕を掴まれて止められた。

「下がれ」

「でも」

「見えないものに近づくな」


匠一は端末から目を離さずに言う。

「ノクス」

「はい」

「まだ追えるか」

「反応はあります。

ただし、位置が固定しません」

「シーラが動いてるのか、湖の方がずれてるのか」

「両方かもしれません」


セレネは端末の出力を紙へ転記していた。

乱れた文字列も、そのまま残す。

今は整えるより、欠ける前に拾う方が先だった。


やがて表示が一瞬だけ安定する。


《深度移行》

《浅層離脱》

《湖底地形照合……》

《帯状落差確認》

《通常測深図との差異あり》


「帯状落差」

ヘルムが呟く。

「測深図にないのか」

「古い図には浅い落ち込みだけでした」

セレネが答える。

「ですが今の出力では、もっと長く、深い」

「地形が変わった?」

「あるいは、見えていなかった」


ノクスが湖面を見たまま言う。

「異常域が、地形の認識そのものを薄めていた可能性があります」

「地面までか」

匠一が低く言う。

「はい。

人だけではなく、場所の輪郭も削るなら説明がつきます」


端末がまた乱れる。


《照合不能反応、帯状落差に沿って移動》

《追尾》

《……》

《追尾維持困難》

《対象輪郭、固定不可》


その瞬間、湖面の少し沖で、細い波筋が横へ走った。

魚が跳ねたのではない。

もっと長い。

もっと重い。

だが、水の上に現れたのは“動いた痕”だけだった。


若い職員が息を呑む。

「今の……」

「見たな」

匠一が言う。

「はい」

「何を見た」

「……分かりません」

「だろうな」


シーラの副脳出力が再び戻る。


《帯状落差下部に空洞反応》

《自然地形との一致率低》

《人工構造物様反応……》

《……照合失敗》


ヘルムが顔を上げた。

「人工?」

セレネの筆が止まる。

ノクスも初めてはっきりと眉を寄せた。


「研究区画か」

匠一が言う。

「可能性はあります」

セレネが答える。

「ただし、現行図面に湖底構造の記載はありません」

「隠してる?」

「断定はできません。

ですが、記載がないのに反応があるなら、どちらにせよ問題です」


端末の文字列がさらに続く。


《空洞周辺で認識阻害様反応増大》

《副脳記録に欠損発生》

《補完処理開始》

《……補完失敗》


「欠損が出た」

セレネが言う。

「どの程度だ」

匠一が聞く。

「まだ不明です。

ですが、観測している最中の記録が、その場で抜けています」

「人間と同じか」

「はい。

ただし、機械は“抜けた”ことを出力できます」


それが、今この場では何より大きかった。


人間は思い出せない。

だが副脳は、少なくとも“ここが欠けた”と示せる。

それだけで、異常は主観ではなく現象になる。


ノクスが静かに言う。

「匠一様」

「何だ」

「失踪者は、落ちたのではないかもしれません」

「どういう意味だ」

「帯状落差と空洞反応。

もし異常域がその周辺に広がっているなら、

便上で認識を削られた対象が、湖底側へ“引かれる”可能性があります」

「物理的にか」

「完全に物理とは限りません。

ですが、少なくとも“いなくなる先”が湖底側にある」


ヘルムの顔色が変わる。

若い職員は完全に黙り込んでいた。


匠一は腕を組んだまま、湖面を睨む。

「つまり、古代湖線はただの通り道じゃない」

「はい」

セレネが答える。

「異常域の上を、定期的に横切っている」

「だから便ごとに出たり出なかったりする」

「濃度と条件が揃った時だけ、表に出るのでしょう」


その時、端末に新しい出力が走った。


《照合不能反応、複数化》


全員が固まる。


「複数?」

ヘルムが掠れた声で言う。

「魚群ではありません」

ノクスが即座に答える。

「反応の質が違います」


副脳出力は続く。


《一:大型遊泳反応》

《二:帯状落差沿い固定反応》

《三:断続的微弱反応群》


セレネが低く言った。

「微弱反応群……」

「何だ」

匠一が聞く。

「失踪者の可能性があります」

ヘルムが息を呑む。

若い職員が顔を上げる。

「生きてるんですか」

「まだ分かりません」

セレネは即答した。

「反応があることと、生存は別です」

「でも、ゼロではない」

「はい」


匠一の目つきが変わった。

ここまで来て初めて、調査だけではなく“回収”の可能性が生まれたからだ。


「ノクス」

「はい」

「微弱反応、どう見る」

「固定されていません。

ですが、完全な残滓とも違う。

何かに引っかかったような、薄い存在反応です」

「人間に近い?」

「近いです。

ただし、輪郭が削られすぎている」


端末がまた乱れた。


《大型遊泳反応、接近》

《警告》

《警告》

《輪郭照合不能》


次の瞬間、水面が盛り上がった。


跳ねたわけではない。

下から押し上げられたように、湖面が一瞬だけ膨らむ。

その下を、巨大な影が横切った。


長い。

だが魚とも蛇ともつかない。

頭部らしきものがあった気もする。

だが見た直後から、その印象が崩れていく。


若い職員が後ずさる。

ヘルムも息を止めた。

匠一だけが前へ出る。


「レッシー、か」

誰にともなく言う。


古代湖には昔から、湖の主めいた伝承がある。

長い影。

水の下を渡るもの。

見た者ほど形を説明できないもの。

笑い話として語る者もいれば、禁句のように避ける者もいる。


ノクスが低く答える。

「伝承の核になった存在かもしれません」

「本物ってことか」

「少なくとも、何かはいます」


シーラの副脳出力が激しく乱れた。


《接近対象、敵対判定不能》

《回避》

《回避》

《……》

《副脳補助系に干渉》


「干渉?」

セレネが顔を上げる。

「魔力的です」

ノクスが言う。

「対象が近づいたことで、シーラの補助系が揺らいでいる」

「引き上げるか」

匠一が問う。

セレネは一瞬だけ迷い、それから答えた。

「まだです。

微弱反応群の位置だけでも確定したい」

「危険だぞ」

「承知しています」

「シーラが飛ぶかもしれん」

「……はい」

ヘルムが怪訝な顔をした。

「飛ぶ?」

「気にするな」

匠一が切った。

「今は潜らせろ」


端末に新しい線が走る。


《微弱反応群、空洞縁に集積》

《数……》

《……》

《七前後》


その場の空気が凍った。


七前後。


失踪件数と一致する。

偶然では済まない。


セレネが、珍しくはっきりと息を呑んだ。

ノクスの目も細くなる。

ヘルムは言葉を失い、若い職員は顔面蒼白だった。


匠一が低く言う。

「七件」

「はい」

セレネが答える。

「一致します」

「生きてるかは」

「まだ不明です」

「でも、いる」

「反応はあります」


その時、シーラの出力が一瞬だけ途切れた。


完全な沈黙。


湖面は静かだ。

静かなまま、何も返さない。

だがその数秒が、今までで一番長く感じられた。


やがて、遅れて文字が戻る。


《空洞縁、視認》

《開口部様構造》

《内部へ流入する魔力流確認》

《微弱反応群、一部流動》

《……》

《警告。大型遊泳反応、再接近》


「空洞の中へ流れてるのか」

匠一が言う。

「はい」

ノクスが答える。

「異常域は湖底空洞へ向かって流れています。

人の認識を削りながら、そこへ引く形です」

「研究区画の下か?」

「位置的には近いです。

ですが、完全一致はまだ」

「十分だ」


匠一は即座に判断した。

「次は空洞だ」

ヘルムが振り向く。

「行くんですか」

「行かなきゃ終わらん」

「湖底へ?」

「その前に、研究区画の図面を全部出させる」

セレネがすでに頷いている。

「はい。

現行図面、旧図面、増設記録、封鎖区画の有無まで照会します」

「最優先だ」

「承知しました」


ノクスはまだ湖面を見ていた。

その視線の先で、水の下の影がもう一度だけ動く。

だが今度は、前よりもはっきり見えた気がした。


長い影。

湖底空洞の上を巡るもの。

異常域の縁をなぞるように泳ぐもの。


それはただの怪物ではない。

番人か。

寄生者か。

あるいは、異常そのものに引かれて集まった別種の存在か。


まだ分からない。

だが一つだけ確かなことがある。


古代湖線失踪事件の中心は、

もう便の中ではない。


湖底だ。


人が消え、

その認識が削られ、

最後に薄い反応だけが空洞の縁へ集まる。


もしそれが本当なら、

七件は終わっていない。

まだ“そこにいる”。


シーラの副脳出力が最後に短く走る。


《浮上開始》

《一次観測終了》

《推奨:空洞接近には追加対策必須》


匠一は頷いた。

「当然だ」


湖面の下から、青白い光がゆっくり戻ってくる。

シーラが浮上してくるのだ。


だがその光を見ながら、三人の意識はもう次へ向いていた。


研究区画。

湖底空洞。

七つの微弱反応。

そして、異常域を巡る長い影。


事件は、ようやく中心を見せ始めた。

だが見えた中心は、想定よりずっと深かった。

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