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見難い火傷の子  作者: 清風
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447/464

古代湖線失踪事件編・第6話

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子447


古代湖線失踪事件編・第6話


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


湖底観測とシーラ投入

便が終点側停泊地へ着いた時、誰もすぐには立ち上がらなかった。


到着の鐘は鳴った。

係留索も渡された。

乗務員も下船案内を出した。

それでも船内には、まだ“何かが終わっていない”空気が残っていた。


一席分の空白。

それは到着しても埋まらない。

むしろ陸へ着いたことで、逆に異様さだけがはっきりした。


匠一は最後まで空席を見ていた。

誰かが戻ってくる気配はない。

だが、最初から誰もいなかったと断じるには、船内の全員がもう遅すぎた。


「降りる。

記憶が飛ぶ前に、陸で合わせる」


セレネはすでに紙束を抱えていた。

ノクスは乗客の顔を順に見ている。

今のうちに、誰が何を覚えているかを拾わなければならない。


終点側停泊地の詰所は、接続停泊地より広かった。

だが空気は軽くない。

便が着くたびに人は出入りする。

荷も動く。

声もある。

それでも、今しがた到着した便の周囲だけ、妙に音が沈んでいた。


ヘルムが現地職員へ短く指示を飛ばす。

「別室を使う。

今便の乗務員、販売担当、可能なら乗客数名にも協力を頼む」

「はい」

「“可能なら”じゃない」 匠一が言う。

「今ここで逃がしたら、次はもっと曖昧になる」 ヘルムは一瞬だけ詰まり、それから頷いた。

「……承知しました」


別室へ通されたのは、乗務員三名、販売担当、親子連れの母親、年配夫婦、

それに書類筒の男だった。

全員、顔色が悪い。

だが恐怖だけではない。

“何を怖がっているのか説明しにくい”顔だった。


セレネが机上へ記録紙を並べる。

「順に確認します。

まず、空席が発生したと認識した時点を」

「発生、というか……」 年配夫婦の夫が口を開き、すぐに言いよどむ。

「最初から空いていた気も、まだ」

「今はそう感じても構いません」 セレネは淡々と言った。

「ただし、“そう感じる前に何を見たか”を先に答えてください」


その言い方は冷たい。

だが必要だった。

今この場では、感覚の後書きより、最初の反応の方が価値がある。


母親が震える声で言う。

「子どもが、誰かいたと言いました」

「その前は?」

「笑い声が、あった気がします」

「誰の?」

「……分かりません」

「男か女か」

「それも」

「顔は?」

「思い出せません」


販売担当は回収盆を抱えたまま、視線を落としていた。

「果実水が一つ、多かった気がしたんです」

「気がした、ではなく、最初にどう思いましたか」 セレネが問う。

「……誰かに出した、と思いました」

「誰に?」

「それが」 彼女は唇を噛む。

「分からないんです。

でも、“出した”という手の感覚だけが残っていて」


ノクスがそこで口を挟んだ。

「感覚の残り方が、対象より行為に寄っていますね」

「はい」 セレネが短く応じ、書き留める。

“対象識別消失、行為記憶のみ残存”


書類筒の男は、最初から落ち着きがなかった。

だが今はそれ以上に、自分の記憶へ腹を立てているように見えた。


「私は中央列にいました」

「はい」

「後ろで椅子が鳴った。

だから見た。

見たはずなんです」

「何を」

「空席を」

「その前は?」

「……誰かがいた、ような」

「ような、ではなく」

「だから分からないんだ!」 男が思わず声を荒げる。

部屋が静まる。

彼はすぐに息を呑み、額を押さえた。

「すまない。

だが、本当に、そこが抜ける」


匠一は壁際に立ったまま、そのやり取りを聞いていた。

怒鳴りたいわけではない。

だが苛立ちはある。

相手にではなく、この現象そのものに対してだ。


「ノクス」

「はい」

「共通してるのは」

「対象の輪郭が先に落ちています。

音、動作、注文、席の違和感は残る。

ですが“誰だったか”だけが抜ける」

「人だけじゃないな」

「はい。

人と行為を結ぶ認識が削られています」


セレネが次の紙を出した。

「乗船控えと販売記録、席札の照合です」 乗務員の一人がそれを見て、顔をしかめた。

「……薄い」

「何がです」

「この列の記号です。

最初からこうだったか、今こう見えるのか、自信がありません」

「原票は複写がありますか」

「あります」

「全部持ってきてください」

「はい」


複写を並べても、結果は同じだった。

数字はある。

記号もある。

だが一箇所だけ、意味の結びつきが弱い。

紙の上の情報としては存在するのに、そこから“誰か一人”を引き出せない。


「記録自体が消えているわけではない」 セレネが言う。

「はい」 ノクスが頷く。

「読む側の認識が滑っています」

「なら、紙だけじゃ追えない」

「ええ」


匠一はそこで、ようやく椅子へ腰を下ろした。

「便はなぞれた。

空席も出た。

水の下の影も見た。

……で、次だ。

船の中だけ見てても埒が明かん」


ヘルムが慎重に口を開く。

「湖上保守局に、水中観測の簡易機材ならあります」

「簡易で足りると思うか」

「……正直、足りないでしょう」

「だろうな」


ノクスが静かに言った。

「シーラを呼びましょう」 部屋の空気が少しだけ変わる。

ヘルムはその名を知らなかったらしく、目を瞬かせた。

「シーラ?」

「水中観測と追跡に適した個体です」 セレネが簡潔に説明する。

「通常の保守機材より、異常域への追従性が高い」

「危険では?」 ヘルムが聞く。

「危ない」 匠一が即答した。

「だから使う」


その返答で、話は決まった。


爆炎ハウス側への連絡は、終点停泊地の通信室を借りて行われた。

長距離中継符。

湖上研究区画経由の補助回線。

応答まで少し時間がかかる。


待つ間、匠一は窓の外の湖面を見ていた。

終点側の水は、接続停泊地より少し明るい。

だが安心感はない。

ただ“まだ薄い”だけだ。


やがて中継符が淡く光り、応答が返る。

セレネが受けた。


「こちらセレネです。

古代湖線現地。

シーラの出向を要請します」 短い沈黙。

それから、向こうの担当が何かを返す。

セレネは表情を変えずに聞き、すぐに答えた。

「はい。

通常観測ではなく、異常域接触前提です。

副脳記録の全開放許可も申請します」 さらに数語。

「承知しました。

受け入れ側停泊地は研究区画接続停泊地。

到着後、即時投入を希望します」


通信が切れる。


「来るか」 匠一が聞く。

「はい。

最短で明朝です」

「早いな」

「“失踪七件・認識異常・湖上路線”で優先が通りました」

「助かる」

「ただし」 セレネが一拍置く。

「副脳側から、異常域での記録欠損可能性について注意が出ています」

「機械でも飛ぶか」

「はい。

むしろ観測機構がある分、先に乱れる可能性があります」 ノクスが小さく頷いた。

「それでも、人よりは拾えるでしょう」

「だな」


その夜、三人は終点側停泊地に近い宿舎の一室を臨時の作業部屋にした。

机の上には、便内記録、乗客証言、席札複写、販売記録、停泊地図、湖上航路図が並ぶ。


セレネは便の通過位置を線で引き直していた。

「接続停泊地通過後、中間域に入る手前で最初の違和感。

その後、空席発生。

さらに水中影の視認と船体下の擦過感」

「順番はそれでいい」 匠一が言う。

「問題は、全部同じ場所で起きてるかだ」

「完全一致ではありません」 ノクスが答える。

「ですが、重なりはあります。

異常域は点ではなく、帯状かもしれません」

「航路を横切る帯か」

「あるいは、湖底地形に沿った層です」


セレネが地図の一点を指した。

「ここです」 研究区画接続停泊地から終点側へ向かう中間域。

航路がわずかに湾曲する箇所。

「失踪便の注記時刻、今回の試乗便での違和感発生時刻、

それぞれ誤差を含めて重ねると、この周辺に集まります」

「湖底は?」

「保守局の古い測深図では、ここだけ落ち込みが深い」

「深淵か」

「小規模ですが」

「十分嫌だな」


翌朝、古代湖は薄い霧に覆われていた。


主停泊地でも接続停泊地でもない、

研究区画接続停泊地の一角に、臨時の観測準備場が設けられる。

保守局の簡易測深器。

魔力濃度計。

記録端末。

係留具。

そして、現地職員たちの落ち着かない視線。


「本当に来るんですか」 若い職員がヘルムに小声で聞く。

「来る」

「魚、なんですよね」

「魚だ」

「魚でいいんですか」

「よくはない」 ヘルムは疲れた顔で答えた。

「だが、今はそれで行く」


やがて湖面の向こうに、波筋が立った。


最初はただの航跡に見えた。

だが近づくにつれ、それが船ではないと分かる。

水を割る位置が低すぎる。

しかも速い。

さらに、時折、水面下で青白い光が走る。


現地職員の何人かが息を呑んだ。


「……来たな」 匠一が言う。


次の瞬間、巨大な影が水面直下を横切り、接続停泊地の手前でゆるやかに浮上した。


シーラだった。


青い鱗に覆われた巨体。

生体の輪郭を持ちながら、その側面には明らかに人工の推進器と観測機構が組み込まれている。

背部には電磁加速砲とレーザー砲。

側面装甲の継ぎ目からは、推進系か観測系に由来する淡い光が脈打つように漏れていた。


現地職員が完全に言葉を失う。

若い職員など、一歩下がっていた。


「魚でいいんですか、じゃないな」 匠一がぼそりと言う。

「もう少し説明しろ」

「今さらです」 セレネは平然としていた。


シーラは接岸部の脇で静止し、ゆっくりと頭部を上げた。

濡れた巨体から水が落ちる。

その目は生き物のものだ。

一見すれば巨大な水棲生物にしか見えない。

だが直後、補助端末へ接続音が入り、

規則的な簡易出力が流れ込んだことで、

その内部に高度な補助演算系が組み込まれていることがはっきりした。


《接続確認。観測個体シーラ、現地投入待機》


若い職員が小さく呻く。

「喋った……」

「正確には副脳出力です」 ノクスが訂正した。

「本体の反応もありますが」


シーラは停泊地の縁へ鼻先を寄せ、それから湖面へ向き直った。

その動きが、そこで初めて止まる。


匠一が気づく。

「どうした」 セレネも端末を見る。

副脳出力に、短い遅延が出ていた。


《周辺水域走査開始》

《……》

《警告。基準外揺らぎ検出》


ノクスの目が細くなる。

「早いですね」

「まだ入ってないぞ」 匠一が言う。

「接岸部です」 セレネが答える。

「それでも反応しています」


副脳出力が続く。


《魔力密度、局所的上昇》

《流向不定》

《輪郭照合……不安定》


ヘルムが息を呑んだ。

「輪郭?」

「対象識別です」 セレネが短く言う。

「水中の地形、流体、存在反応の照合」

「まだ何もいないのに?」

「“何もいない”かどうかを、今見ています」


シーラが低く身を沈めた。

普段の待機姿勢ではない。

警戒している。

生体としての本能が、先に何かを拾っているようだった。


匠一が近づき、巨体の側面を軽く叩く。

「行けるか」 シーラは答えない。

だが副脳が代わりに出力する。


《観測継続可能》

《ただし、深度移行時の記録欠損率上昇予測》

《推奨:段階潜航》


「慎重だな」

「賢明です」 ノクスが言う。

「この水域は、すでに縁に触れています」


セレネは観測手順を読み上げた。

「第一段階。接続停泊地周辺の浅層走査。

第二段階。失踪便異常発生推定帯への移動。

第三段階。深度を落として湖底地形と魔力濃度の重ね取り」

「異常が強ければ?」 匠一が聞く。

「即時浮上。

ただし、可能なら副脳ログを優先回収します」

「本体よりログ優先か」

「両方です」 セレネは一拍置いてから言った。

「ですが、今回必要なのは“見た”という証拠です」


匠一は頷いた。

「いい。行け」


シーラが動いた。


巨体が静かに水へ滑り込む。

推進器の光が一度だけ強く脈打ち、次の瞬間には水面下へ消える。

残ったのは、広がる波紋と、補助端末へ流れ込む副脳の簡易ログだけだった。


《浅層走査開始》

《視界良好》

《水流正常域……》

《……訂正。局所乱流あり》


端末の文字列が、一瞬だけ乱れた。


セレネがすぐに記録する。

ノクスは湖面を見つめたまま動かない。

匠一は腕を組み、波紋の消え方を見ていた。


数秒後、副脳出力が再開する。


《存在反応、複数》

《魚群》

《底生大型一》

《……照合不能反応一》


「来たな」 匠一が低く言う。

ヘルムの顔が強張る。

「照合不能?」

「既知の生体反応と一致しない、という意味です」 ノクスが答えた。

「あるいは、一致しても固定できない」


副脳出力がさらに続く。


《照合不能反応、移動》

《追尾開始》

《魔力密度上昇》

《輪郭照合……》

《……》


そこで、表示が止まった。


若い職員が息を呑む。

ヘルムも声を失う。

セレネの指だけが、端末の縁を強く押さえていた。


数秒。

長い。

湖面は静かなままだ。


やがて、遅れて文字が戻る。


《警告》

《観測対象周辺で認識阻害様反応》

《地形照合ずれ》

《現在位置再計算》

《……再計算失敗》


匠一が顔を上げた。

「湖底で迷ってるのか」

「位置認識が滑っています」 ノクスが言う。

「人間と同じです。

ただし、シーラはそれを“異常”として出力できる」


セレネが静かに言った。

「これで確定です」

「何が」 ヘルムが聞く。

「古代湖線の失踪は、証言の崩れだけではない。

湖そのものに、認識照合を乱す異常域があります」


その時、水面の少し沖で、青白い光が一度だけ強く瞬いた。


シーラが、異常帯へ入ったのだ。

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