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見難い火傷の子  作者: 清風
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444/463

古代湖線失踪事件編・第3話

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子444


古代湖線失踪事件編・第3話


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


古代湖が見えたのは、街道の最後の高台を越えた時だった。


それは湖というより、内海に近かった。

視界の端から端まで、水面が鈍く光っている。

風はある。

だが波は高くない。

広いくせに、妙に静かだった。


岸辺には古い桟橋群が伸び、停泊地ごとに形の違う塔屋と待合棟が並んでいる。

観光向けに整えられた白木の回廊もあれば、保守用らしい無骨な石積みの足場もある。

そのさらに向こう、湖の中央寄りには、薄く霞んだ構造物の影が見えた。


「研究区画か」

匠一が目を細める。


ノクスが地図と見比べた。

「おそらく。接続停泊地からさらに先、湖上区画へ伸びる施設群です」

「遠いな」

「はい。視認できるだけでも規模は大きいです」

「湖の真ん中に、あんなものを作るか」

「作ったのでしょう」

「身も蓋もないな」

「事実ですので」


馬車を降りた時、空気の冷たさが街とは違った。

湿っている。

だが生臭さは薄い。

代わりに、石を長く水に沈めたような匂いがした。


古代湖線の主停泊地は、観光地として見ればよく整っていた。

広い発着場。

案内板。

待合棟。

土産物の小店。

遊覧案内の旗。

湖景を売りにした茶屋まである。


だが、その整い方の上に、薄く緊張が乗っていた。


人はいる。

便も動いている。

職員も持ち場についている。

それでも、どこか声が低い。

笑い声が長く続かない。

視線だけが、時折、湖面の方へ流れる。


「止まってはいないんだな」

匠一が言う。

「はい」セレネが答えた。

「失踪後も全面運休には至っていません。減便と一部区間の点検のみです」

「強いのか鈍いのか分からんな」

「両方かもしれません」

ノクスが淡々と言った。

「止めれば湖上交通そのものが詰まる。

止めなくても不安は残る。

現場としては最も嫌な状態です」


受付棟で名乗ると、現地側の対応は早かった。

すでに照会が入っていたためだろう。

奥から出てきたのは、古代湖線運行局の現地統括補佐だという中年の男だった。

制服は整っている。

だが襟元に、何度も指を入れたような癖がついていた。


「お待ちしておりました。

現地統括補佐のヘルムです」

「匠一だ」

「ノクスです」

「セレネです」


ヘルムは一礼し、三人を応接用の小部屋へ通した。

窓からは発着場と湖面が見える。

見晴らしはいい。

よすぎるくらいだった。


着席してすぐ、セレネが資料封筒を机上に置く。

「事前照会の続きです。

まず、失踪便と同型便の運行状況、停泊地ごとの確認手順、

それから確認者注記の原票について、現物確認を希望します」

「はい、準備しております」

ヘルムは答えた。

答えはしたが、最後の一語だけわずかに遅れた。


匠一はそれを聞き逃さなかった。

「準備してるなら早い。助かる」

「ええ、まあ……この件は、現場でも軽く見ていたわけではありませんので」

「軽く見てない割に、上がってきた報告は薄かったな」

「それは……」

ヘルムの言葉が一度止まる。

「報告書式に落とす段階で、断定しにくい部分が多く」

「“空席に違和感あり”は断定じゃなくて現象だろ」

「はい」

「じゃあ、なぜ薄まる」

「現場の確認者自身が、書いた直後に自信を失うのです」


部屋が静かになった。


ノクスが視線を上げる。

「書いた内容に、ですか」

「ええ」

ヘルムは乾いた唇を一度だけ舐めた。

「最初は“おかしい”と思う。

だが、数刻もすると、“気のせいだったのではないか”という感覚が混じる。

原票には残るのですが、要約段階で弱くなることがあるのです」

「報告者の保身ではなく?」

セレネが問う。

「それもゼロではありません。

ですが……それだけでは説明しきれません」


匠一が椅子に深く座り直した。

「いいな。そういうのを先に聞きたい」

「申し訳ありません」

「謝罪は後でいい。

まず現場を見せろ」


最初に案内されたのは、主停泊地の発着管理卓だった。

乗降確認、便札管理、停泊地間連絡、簡易販売記録の集約。

路線の表側を回している場所である。


帳面は整っていた。

札も揃っている。

連絡板の更新も早い。

少なくとも、怠慢で崩れている現場ではなかった。


「ここで人数確認を?」

セレネが聞く。

「主には乗船時と到着時です」

案内役の若い職員が答える。

まだ年若いが、返答は訓練されている。

ただし声が少し硬い。

「混雑時は補助確認を入れます。

観光便では席札と目視、生活便では通行優先で簡略化することもあります」

「失踪が出た便は?」

「定期中距離便です。

観光客と通勤利用が混ざる時間帯でした」

「一番面倒なやつだな」

匠一が言う。

若い職員は、否定もできずに小さく頷いた。


次に見せられたのは、終点側から回収された確認帳票の保管棚だった。

原票の束。

日付順。

便別。

注記ありの札が挟まったものもある。


セレネが手袋をはめ、該当束を抜き出す。

ノクスは横から原票の筆跡と追記時刻を確認していた。

匠一はその間、棚の並びと部屋の出入口を見ている。


「どうです」

ヘルムが聞く。

「改ざんの雑さはない」

匠一が先に答えた。

「少なくとも、後から慌てて作った束には見えない」

「はい」

「でも、薄まってる」

「……はい」


セレネが一枚を示した。

「この原票、注記の筆圧が強いですね」

「ええ」

「ですが要約報告では“特記事項なしに近い扱い”になっている」

「その確認者は、後で“自分でも何に違和感を覚えたのか説明できなくなった”と」

「記録は残したのに?」

「はい」

「嫌な話ですね」

セレネの声は静かだったが、温度は低かった。


原票確認の後、三人は実際の発着場へ出た。


湖面は近くで見ると、遠目よりさらに静かだった。

風はある。

旗も揺れている。

だが水だけが、妙に重い。

細かな波紋は立つのに、広がり方が鈍い。

まるで水面の下に、目に見えない厚みがもう一枚あるようだった。


「……変だな」

匠一が言う。

「何がです?」ヘルムが聞く。

「音が遠い」

ヘルムは答えなかった。

代わりに、若い職員が一瞬だけ顔を上げ、それからすぐ視線を落とした。


ノクスが湖面を見たまま言う。

「反響が鈍いですね。

開けた水面のわりに、音の返りが薄い」

「はい……そう言う方は、います」

ヘルムがようやく答える。

「昔からですか?」

セレネが問う。

「昔から、という者もいます。

ただ、最近は少し強い気がする、と」

「誰が?」

「現場の者が」

「報告には?」

「……雑音として落ちやすい項目です」


匠一が鼻で笑った。

「便利な言葉だな、雑音」

「申し開きはありません」


主停泊地から最初に向かったのは、失踪案件で複数回名の出ていた研究区画接続停泊地だった。


移動用の小型艇は、古代湖線本便よりずっと小さい。

屋根付きで、実務用の匂いが強い。

観光向けの飾りはなく、座席も硬い。

湖上を進む間、主停泊地の喧騒はすぐに遠ざかった。


湖の中央へ出るにつれ、岸の気配が薄くなる。

水と空と、遠くの構造物だけが残る。

研究区画の塔群は近づくほど無機質だった。

石と金属とガラスを継ぎ足したような外観で、景観に馴染む気が最初からない。


「嫌われそうな建て方だな」

匠一が言う。

「実際、好かれてはいません」

ヘルムが答えた。

「便利ではあるのですが」

「便利なものは嫌われる時ほど便利だからな」

「否定できません」


接続停泊地は、主停泊地よりもずっと静かだった。

利用者が少ないのもある。

だがそれだけではない。

降りた瞬間、空気が一段冷える。

風向きが変わったわけでもないのに、肌に触れる感覚だけが違った。


セレネが足を止める。

「……ここですね」

「何が」

「資料上で線が集まりやすい場所です」

「空気で分かるか?」

「空気ではありません」

「じゃあ何だ」

「言語化しにくい違和感です」

「最悪だな」

「はい」


停泊地の構造は単純だった。

本便用の接岸部。

研究区画へ渡る管理通路。

入退記録卓。

待機用の小部屋。

警備詰所。

見通しは悪くない。

隠れる場所も少ない。


「ここで人が消えるなら、目立つはずだ」

匠一が周囲を見回す。

「はい」ノクスが答える。

「物理的には」

「その“物理的には”が嫌なんだよ」

「同感です」


入退記録卓には、年配の管理員がいた。

ヘルムよりさらに現場寄りの顔をしている。

日に焼け、目の下に疲れが溜まっていた。


「照会の件で来た」

匠一が言う。

管理員は帽子を取り、一礼した。

「聞いております」

「ここ、何かあるな」

あまりに直球だったせいか、管理員はすぐには答えなかった。

視線が、卓上の記録板へ落ちる。


「……何もない、とは言えません」

「何がある」

「分からないのです」

「分からないまま七件か」

「はい」


セレネが記録板を見せてもらいながら問う。

「乗降確認時、具体的に何が起きますか」

「人数は合っているように見える時があります」

「“ように見える”?」

「はい。

数えた直後は整合している。

だが、後で帳面を見返すと、一人分の扱いが曖昧になることがある」

「記録漏れ?」

「そう思って確認し直すのですが……」

管理員はそこで言いよどんだ。

「……確認し直した時には、何を確認しようとしていたのか、自分でも少し薄くなるのです」


匠一は無言で管理員を見た。

相手は目を逸らさなかった。

誇張ではない。

そう分かる顔だった。


ノクスが静かに聞く。

「この停泊地で、最初に異常を自覚したのはいつですか」

「はっきりとは」

「おおよそで」

「二か月ほど前から、報告にしにくい違和感が増えました」

「失踪時期と重なりますね」

「はい」


その時、接続通路の奥から、短く金属音が響いた。

誰かが扉を閉めた音だろう。

それだけのはずなのに、全員がそちらを見た。


遅れて、匠一が小さく舌打ちする。

「今の、近かったか?」

ヘルムが眉をひそめる。

「……いえ。距離のわりに近く聞こえました」

「さっきは音が遠いって話だったな」

「はい」

「統一しろよ」

「できれば苦労しません」

ヘルムの返しは半ば本音だった。


セレネは通路の床、壁、記録卓、接岸部の位置関係を順に見ていく。

ノクスは目を閉じ、数秒だけ周囲の気配を探った。

そして、ゆっくり目を開ける。


「濃淡があります」

「魔力か?」

「はい。

ただし、強い一点があるというより、薄い層が重なっている感じです」

「霧みたいなものか」

「近いです。

場所によって、認識の引っかかりが変わる」

「最悪だな」

「ええ」


一通り見た後、三人は接続停泊地の待機室へ入った。

小さな部屋だった。

長椅子。

壁掛け時計。

便案内札。

窓からは接岸部が見える。


「ここで待って、便に乗るわけか」

匠一が言う。

「はい」ヘルムが答える。

「失踪便と同型の定期便が、夕刻に一本あります」

「手配は」

「済ませています。

一般客扱いではなく、調査協力名目で席を確保しました」

「貸切にはしないのか」

「完全貸切にすると、普段との差が出ます」

ノクスが先に答えた。

「異常が便そのものに紐づくなら、通常運行に近い条件の方がいい」

「その通りです」ヘルムが頷く。

「乗客数も、ある程度は普段に寄せます」

「嫌な試乗だな」

「はい」


セレネはすでに持ち出し資料を机上へ並べていた。

失踪便の発生時刻。

同型便の座席配置。

接続停泊地経由の有無。

確認注記の位置。

同行者証言の崩れ方。


「試乗前に確認します」

彼女が言う。

「座席は分散しすぎない方がいい。

ただし固まりすぎると観察範囲が狭くなります」

「どう置く」

匠一が聞く。

「匠一さんは後方観光席寄り」

「死角担当か」

「はい。ノクスさんは中央通路側。

視線の流れと乗客反応の確認。

私は前寄りで乗務員区画と販売記録の動きを見ます」

「妥当ですね」

ノクスが頷く。

「接続停泊地通過時刻は?」

「日没前後です」

ヘルムが答える。

「光量が落ち始める時間帯になります」

「嫌な合わせ方だな」

「偶然です」

「だといいがな」


待機室の窓の外で、次便の小型艇が離れていく。

水面に引かれた航跡は、すぐには消えなかった。

白く残るでもなく、黒く沈むでもなく、ただ水の上に“跡だけが遅れて薄れる”ように見えた。


匠一がそれを見て、ふと目を細める。

「……なあ」

「何ですか」セレネが顔を上げる。

「この湖、消える時も遅いのか」

誰もすぐには答えなかった。


ノクスが窓の外を見たまま、静かに言う。

「そう見えるだけならいいのですが」

「よくない言い方だな」

「事実ですので」


ヘルムは黙っていた。

現場の人間として、否定できないのだろう。


やがて、遠くで定期便の到着鐘が鳴った。

低く、長い音だった。

だがその余韻は、途中でどこかへ吸われるように薄れた。


夕刻の便まで、まだ少し時間がある。

だが、待つだけで済む空気ではなかった。


古代湖線失踪事件。

その現場は、派手に壊れてはいない。

血もない。

悲鳴もない。

路線もまだ動いている。


それでも、ここには確かに異常があった。


人が消える前から、

気づいた者の認識の方が先に揺らぎ始める。


匠一は立ち上がり、窓の外の接岸部を見た。

次に乗るのは、失踪便と同型の定期便。

調べるなら、乗るしかない。


「……いい」

低く言う。

「乗って確かめる」


セレネが資料を閉じる。

ノクスも頷いた。


湖は静かだった。

静かすぎるほどに。


その静けさの下で、

何かが、こちらが来るのを待っているようだった。

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