表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見難い火傷の子  作者: 清風
PR
443/459

古代湖線失踪事件編・第2話

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子443


古代湖線失踪事件編・第2話


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


セレネが執務室へ戻った時には、机上はすでに“照会待ち”の段階を過ぎていた。


追加で取り寄せた資料が、順に届き始めている。

広域交通管理局からの便別記録。

古代湖線運行局からの運行図と停泊地一覧。

研究区画接続側からの入退記録照会への一次回答。

そして、遅れて現場停泊地管理所からの簡易報告。


紙と端末の両方から流れ込む情報を、セレネは無言で仕分けていく。


失踪者軸。

便軸。

停泊地軸。

証言原文。

未確認。

照会中。


分類札を置くだけで、机上の混沌が少しずつ形を持ち始める。


「来たか」


匠一が顔を上げた。

執務机の向こうでは、ノクスがすでに一部資料へ目を通している。


「はい。一次回答が揃い始めています」

「早いな」

「“失踪七件”と明記したので、先方も優先度を上げたのでしょう」

「助かる」


セレネはまず、便別一覧の初稿を机上に広げた。


「現時点で判明している範囲です」


匠一とノクスが視線を落とす。


失踪は計七件、被害者は七名。

ただし便数で見ると、完全に別便へ散っているわけではなかった。


「……同一便があるな」匠一が言う。

「はい」セレネが頷く。

「第三失踪と第六失踪は、同一便です」

ノクスがすぐに日付欄を見る。

「発生日は違いますね」

「はい。同じ便番号ですが、別日運行です」

「固定便か」

「古代湖線の定期中距離便です」


匠一は表の上を指でなぞった。


「同じ乗務員か?」

「一部重複しています」

「誰だ」

「船上主任補佐、名簿上はラダン。

それと、停泊地側の誘導員に二名、複数件で重複があります」

「全件じゃない?」

「全件ではありません」


ノクスが別紙を引き寄せる。


「重複はあるが、一本ではない。

特定個人だけを軸にするには、まだ弱いですね」

「だな。じゃあ停泊地は?」


セレネは次の紙を差し出した。


「研究区画接続停泊地を経由しているのは五件です」

「多いな」

「はい。ただし古代湖線の主要便では比較的高頻度で経由するため、

これだけでは決め手になりません」

「観光停泊地は?」

「三件」

「保守用小停泊地」

「通常便では寄らないため、該当なしです」


匠一は椅子にもたれた。

まだ線にはならない。

だが、ばらばらでもなかった。


「連れの証言は」

「一件だけ先に届いています」


その一言で、部屋の空気が少し締まった。


セレネは薄い紙束を一番上に置く。


二名連れで乗船し、片方だけが失踪した事案。

添付されていたのは、同行者本人への聞き取り原文の写しだった。


匠一が手を伸ばすより早く、ノクスが一読し、そこで止まった。

珍しく、読む速度が落ちる。


「……どうした」匠一が聞く。

ノクスは紙から目を離さずに答えた。


「妙です」

「どこが」

「証言内容が、途中で崩れています」


匠一が紙を受け取る。

セレネも控えを見ながら、該当箇所を追った。


証言者は、失踪者と同じ卓につき、乗船後しばらく会話していたと述べている。

飲み物も二つ頼んだ。

研究区画接続停泊地の手前までは、相手が窓の外を見ていた記憶がある。


そこまでは自然だった。


だが、その先が妙だった。


――気づいた時には、向かいの席が空いていた。

――いつ席を立ったのかは分からない。

――ただ、最初から一人で乗っていたような気もする。

――しかし飲み物は二つ来ていた。

――自分が二つ頼んだのかもしれない。

――でも、話していた気がする。

――何を話したかは思い出せない。

――顔も、今はうまく思い出せない。


匠一は最後まで読み、紙を机に置いた。


「……嫌だな」

「はい」セレネが静かに言う。

「かなり」


ノクスが補足する。


「単なるショックによる記憶混乱では説明しきれません。

“いた記憶”と“最初からいなかった感覚”が、同時に残っています」

「しかも飲み物二つは物証寄りだ」

「ええ」

「注文記録は?」

「照会中です」セレネが答える。

「ただ、便内販売記録は保存期間が短く、一部欠損の可能性があります」

「都合悪いな」

「はい」


匠一は証言写しをもう一度見た。


「顔が思い出せない、か」

「はい」

「名前は?」

「失踪者名は記録上あります。

ただし同行者証言では、途中から呼称が抜けています」

「抜ける?」

「はい。“あの人”“相手”“向かいの人”という表現に変わっています」


数秒、誰も喋らなかった。


それは、ただの失踪ではない。

少なくとも、普通の聞き取り記録では出てこない崩れ方だった。


やがて匠一が低く言う。


「認識に触ってる可能性があるな」

ノクスが頷く。

「その可能性はあります」

「幻惑、記憶阻害、存在認識の希薄化……」

「あるいは場所に紐づく現象か、対象に紐づく現象か」

「まだ切れないな」

「はい」


セレネは次の資料を差し出した。


「もう一つあります」

「何だ」

「研究区画接続側の入退記録です」


匠一が受け取り、ざっと目を通す。

そして眉を寄せた。


「……失踪者のうち二名、研究区画に入った記録がない」

「はい」

「でもその便は接続停泊地に寄ってる」

「寄っています」

「降りてない?」

「少なくとも、正規記録上は」


ノクスが表を見比べる。


「逆に、研究区画側から古代湖線へ戻った記録もありませんね」

「つまり?」匠一が聞く。

「接続停泊地を経由した便で消えていますが、研究区画には入っていない。

にもかかわらず、便の終点にもいない」

「停泊地上で消えた?」

「その可能性もあります。

ただし停泊地側の通過記録も曖昧です」


「曖昧?」

「はい」セレネが別紙を示す。

「停泊地管理所の簡易報告では、“当該便の乗降人数は概ね一致”とされています」

「概ね?」

「原文ママです」

「嫌な言葉だな」


匠一は紙を置き、指先で机を軽く叩いた。


概ね一致。

この件数の失踪に対して、使っていい言葉ではない。


「人数が合ってるのか、合ってないのか、どっちだ」

「現場報告では断定していません」ノクスが言う。

「乗降確認が目視主体で、混雑時は誤差を含む運用のようです」

「閉じた路線なのに、そこは雑なのか」

「観光路線と生活路線の中間だからでしょう」

「最悪だな」


セレネは手元の一覧へ追記しながら、静かに言った。


「ただし、完全に雑というわけでもありません」

「ん?」

「四件です」

「何が」

「乗車処理記録と終点側確認記録の間に、“確認者注記あり”が残っている件数です」

「注記の中身は」

「まだ未着です。原票取り寄せ中です」

「最優先」

「すでに指定済みです」


ノクスがそこで、ふと運行図へ目を落とした。


「匠一様」

「何だ」

「座席配置図が一部届いています」

「あるのか」

「全便ではありませんが、定型配置はあります」


紙が広げられる。

古代湖線の標準客席配置。

中央通路。

左右に向かい合わせの座席。

窓側席。

後方に半個室に近い観光席。

前方に乗務員区画。


匠一は図を見て、すぐに顔をしかめた。


「……死角があるな」

「はい」ノクスが答える。

「完全な密室ではありませんが、視線の切れる箇所があります。

特に後方観光席と接続通路の曲がり角」

「見えてるようで、全部は見えない」

「ええ」

「でも、それだけで人は七人も消えない」

「はい」


セレネは失踪者ごとの暫定座席情報を並べた。


「現時点で判明している三件では、二件が後方寄り、

一件が中央窓側です」

「偏ってる?」

「まだ断定できません」

「だな」


部屋の空気は、朝よりもさらに重くなっていた。

最初は“変な失踪”だった。

だが今は違う。


証言が崩れる。

同行者の記憶が途中から曖昧になる。

接続停泊地を経由しても、入退記録に現れない。

人数確認は“概ね一致”。

そして、確認者注記が伏せられたまま残っている。


線はまだ一本ではない。

だが、どの線もまともではなかった。


その時、追加資料の受信音が鳴った。

セレネが端末を確認し、すぐに画面を止める。


「来ました」

「何が」匠一が聞く。

「確認者注記の原票写しです」


彼女は数秒だけ無言で画面を読み、

それから珍しく、ほんのわずかに眉を寄せた。


「……どうした」

「注記が、想定より悪いです」


匠一とノクスが同時に見る。

セレネは端末を机上へ向けた。


原票には、簡潔な手書き注記が残されていた。


【終点到着時、一席分の空席に違和感あり】

【乗客数は記録上整合】

【ただし、誰が欠けたのか即時判別できず】

【一時的に“最初から空いていた”印象あり】


部屋が静まり返る。


匠一は、しばらく何も言わなかった。

やがて、低く吐き出す。


「……それを先に出せよ」


ノクスの声も、いつもよりわずかに硬かった。


「現場は異常を認識しています。

ただし、報告段階で薄まっています」

「上に上がる途中で削られたか、書いた本人が飲み込んだか」

「どちらもありえます」

「でも、これで確定だな」匠一が言う。

「普通の行方不明じゃない」


セレネは端末を伏せ、静かに頷いた。


「はい。

少なくとも、通常の失踪事案ではありません」


匠一は立ち上がった。

椅子が短く鳴る。


「現地行く」

「はい」

「今日中に出る」

「準備します」セレネが即答する。

「必要資料は持ち出し用に再編します」

「ノクス」

「現地で確認すべき点を絞ります」

「頼む」


匠一は机上の運行図を掴み、古代湖線の線を見下ろした。


湖を渡る一本の路線。

閉じている。

だが、閉じているからこそ、異常が逃げ場なく残るはずだった。

本来なら。


それなのに、消える。

しかも、人だけではない。

その人がいたという手触りまで薄れていく。


「……湖そのものか、便そのものか、乗った誰かか」

ノクスが答える。

「あるいは、その全部にまたがる何かです」

「最悪だな」

「はい」

「でも、行けば少しは見える」

「見えればいいのですが」


セレネは持ち出し資料の束を整えながら、最後に時系列表へ視線を落とした。


二か月。

ばらばらに見えて、どこかで繋がっている。

そして今、ようやく一つだけはっきりした。


古代湖線では、ただ人が消えるのではない。

その不在そのものが、遅れて曖昧になる。


それは事故よりも悪く、

事件よりもなお悪かった。


爆炎ハウスの外では、日が高くなり始めている。

だが二階の執務室には、湖の底を覗き込むような冷たさが残っていた。


もう、机上で済む案件ではない。


匠一は資料を閉じる。


「出発準備、急げ」


その一言で、古代湖線失踪事件は、

照会案件から現地介入案件へと変わった。


湖へ向かう。

人が消え、

その記憶まで薄れる路線へ。


まだ誰も、その中心に何があるのか知らない。

だが少なくとも一つだけ、確かなことがあった。


あの路線では、

“空席”の方が先に異常を知っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ