古代湖線失踪事件編・第1話
見難い火傷の子442
古代湖線失踪事件編・第1話
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
湖上路線にて、誰かが消える
正式発令から三日後。
爆炎ハウス二階、筆頭秘書席に届いた朝一番の案件票は、妙に薄かった。
紙の枚数ではない。
記載されている情報の“手触り”が薄い。
セレネ・アストラは、差出元を確認する。
広域交通管理局。
件名は簡潔だった。
【古代湖線における乗客失踪事案について】
彼女は一読し、すぐにもう一度最初から読み直した。
失踪者、計七名。
発生期間は直近二か月。
いずれも古代湖線運行区間内、またはその前後で消息を絶ったとされる。
年齢、性別、所属、居住地に明確な共通性はない。
単独乗車が五件、二名連れが一件。
事故、転落、自発的失踪、事件性のいずれも現時点では断定不可。
そこまではいい。
問題は、その先だった。
添付された簡易報告には、現場職員の証言要約が並んでいる。
「確かに乗車していた」
「途中までは見かけた」
「終点到着時には見当たらなかった」
その一方で、別の欄にはこうある。
「当該人物について明確な記憶なし」
「そもそも同便に該当者がいたか不明」
「記録上は乗車処理あり、ただし目視印象が薄い」
セレネは紙の端を指で軽く押さえた。
――曖昧すぎる。
証言が割れること自体は珍しくない。
だが、この報告書の不自然さは、単なる食い違いではない。
“見た”と“いなかった”が、同じ温度で並んでいる。
しかも、誰もそれを強く異常視していない。
彼女は最後のページをめくる。
そこには古代湖線の簡易説明が添えられていた。
古代湖線。
古代湖を横断する半閉鎖型湖上路線。
観光、生活輸送、研究区画接続を兼ねる中距離運行線。
途中停泊地は限られ、通常運行中の任意離脱は困難。
水上・桟橋・浮遊接続路を組み合わせた特殊構造を持つ。
――閉じている。
閉じた路線で、人が消える。
それだけでも十分に嫌な案件だった。
セレネは席を立った。
案件票と添付資料を揃え、匠一の執務室へ向かう。
廊下はまだ朝の静けさを残している。
一階からは食堂の準備音がかすかに上がってくる。
爆炎ハウスは起き始めているが、まだ本格稼働前だ。
その静かな時間に持ち込むには、あまり気分のいい案件ではなかった。
扉の前で一度だけ資料を整え、ノックする。
「どうぞ」
中では、匠一が机に向かっていた。
以前よりは整った机だ。
それでも、完全に何もないわけではない。
ただ、今は少なくとも“意味のある束”だけが置かれている。
セレネは机の前まで進み、一礼した。
「朝一番の新規案件です」
「重いか?」 匠一は顔を上げる。
「おそらく」
「どれ」
資料を受け取り、件名を見た瞬間、彼の眉がわずかに寄った。
古代湖線における乗客失踪事案。
「……失踪?」
「はい」
「事故じゃなく?」
「現時点では、失踪として整理されています」
「現時点では、か」
「はい。断定材料が不足しています」
匠一は一枚目を流し読みし、二枚目で手を止めた。
「証言、変だな」
「はい」
「“見た”と“いなかった”が同居してる」
「しかも、どちらも断言の強度が低いです」
「目撃の食い違いっていうより、印象そのものが薄い感じか」
「そのように読めます」
匠一は椅子にもたれ、資料をもう一度見下ろした。
「古代湖線って、湖上の半閉鎖路線だったよな」
「はい。途中離脱が難しい構造です」
「なのに消える」
「はい」
「終点でいない」
「はい」
「途中停泊地は?」
「限定的です。添付資料では三か所。ただし、通常便で全停泊するとは限りません」
「ふむ」
数秒、部屋が静かになる。
匠一はこういう時、すぐに喋らない。
頭の中で、まず構造を組む。
セレネはそれを知り始めていたので、急かさず待った。
やがて彼が口を開く。
「ノクス呼ぶ」
「承知しました」
「あと、追加で欲しい」
「何を」
「失踪者七名の便別記録。
乗車処理時刻、座席位置があるならそれも。
途中停泊地の有無。
乗務員一覧。
それと、古代湖線の運行図」
「手配します」
「広域交通管理局からだけじゃ足りないな」
「はい。現場側の生記録が必要です」
「だよな」
セレネはすぐにメモを切り、必要先を頭の中で振り分ける。
広域交通管理局。
古代湖線運行局。
現場停泊地管理所。
必要なら、研究区画接続側の入退記録も。
「もう一つ」 匠一が言う。
「はい」
「この案件、最初から“変な話”として扱う」
「事故前提ではなく?」
「事故の可能性は切らない。
でも、“閉じた路線で人が消える”って時点で、普通の行方不明として見ると見落とす」
「承知しました」
その時、扉が二度、軽く叩かれた。
「入れ」 匠一が言う。
ノクスが入室する。
いつも通り、無駄のない足取りだった。
「お呼びでしょうか」
「新規案件だ」 匠一が資料を差し出す。
「古代湖線の失踪」 ノクスは受け取り、数秒で一通り目を通した。
その視線が、証言欄でわずかに止まる。
「……不鮮明ですね」
「やっぱりそう見えるか」
「はい。
証言が割れているというより、対象認識が安定していません」
「それ」 匠一が指を鳴らすように言う。 「俺もそこが気になった」
「加えて、報告書のまとめ方が妙です」 セレネが補足する。
「妙?」 匠一が見る。
「はい。
通常なら“証言不一致”として強く注記される箇所が、平板に並べられています。
書き手が異常性を十分に拾えていない可能性があります」
ノクスが頷く。 「同感です」
匠一は机上に資料を広げた。
「整理するぞ。
まず、閉じた路線で七人消えた。
二か月で七件。
少ないようで、少なくない」
「はい」 ノクスが応じる。
「偶発事故としては密度が高い」
「しかも、共通点が薄い」 セレネが言う。 「年齢も所属もばらけています」
「逆に言えば、“誰でもいい”可能性がある」 匠一が低く言う。 「あるいは、共通点がまだ見えていないか」
「はい」
ノクスは資料の末尾をめくった。
「古代湖線は、観光客、生活利用者、研究区画関係者が混在する路線です。
利用者層が広い分、表面的な共通点は埋もれやすい」
「なら、失踪者本人じゃなく、乗った便の方を見るべきか」 匠一が言う。
「便、停泊地、乗務員、天候、積載、同乗者」
「ええ」 ノクスが頷く。
「人ではなく、運行単位で揃える方が早いかもしれません」
「セレネ」
「はい」
「失踪者軸と便軸、両方で一覧作れるか」
「可能です」
「頼む」
「承知しました」
セレネはすぐに手元の端末へ必要項目を打ち込み始めた。
失踪者名。
年齢。
所属。
乗車日。
便番号。
乗車地点。
終点到達確認。
目撃証言。
降車記録。
停泊地。
乗務員。
備考。
その横で、匠一は古代湖線の簡易図を見ていた。
湖を横断するように伸びる主路線。
途中に浮桟橋が三つ。
一つは観光停泊地。
一つは研究区画接続。
もう一つは保守用の小規模停泊地。
通常便はすべてに寄るわけではない。
便によって停泊順も微妙に違う。
「……嫌だな」 匠一がぽつりと言う。
「何がです?」 セレネが顔を上げる。
「構造が、消えるのに向いてる」 部屋の空気が少し冷えた気がした。
ノクスが静かに続ける。
「閉鎖性が高い一方で、視界は開けています。
つまり、“見えているはずなのに見落とす”環境です」
「それ」 匠一が頷く。
「密室じゃない。でも、閉じてる」
「はい」
「しかも湖上。転落なら痕跡が出る。自発的離脱なら接続点記録が残る。なのに曖昧」
「はい」
セレネは一覧の雛形を作りながら、ふと一つの違和感に気づいた。
「匠一様」
「ん?」
「失踪者七名のうち、二名は“連れあり”です」
「そう書いてあったな」
「ですが、連れの証言要約が添付されていません」 ノクスがすぐに資料を見直す。
「……本当ですね」
「普通、最優先で付くはずです」 匠一の目が細くなる。 「抜けてる?」
「意図的か、単純漏れかは不明です」 セレネが答える。 「ですが、不自然です」
「最優先で取り寄せる」 匠一が即断する。
「はい」
「連れが“どこまで一緒にいたか”で、かなり変わる」
「ええ」
ノクスはすでに次の手配を考えていた。
「現地入りの前に、最低限そろえるべき資料は以下です。
便別運行記録。
乗務員勤務表。
停泊地入出記録。
失踪者の乗車処理原票。
連れの証言原文。
可能なら、当日の座席配置」
「監視記録は?」 匠一が聞く。
「古代湖線の便内常時映像記録は限定的です」 ノクスが答える。
「停泊地側に一部ある可能性はありますが、全便全区間ではありません」
「だろうな」
「ただし、ない前提で動くべきです」
「同感だ」
セレネは一覧雛形を整え終え、紙で一部出力して机に置いた。
「一次整理表です。失踪者軸と便軸、両方で追記可能にしています」
匠一がそれを見て、短く頷く。 「早いな」
「必要ですので」 「最近それ聞くと安心するようになってきた」
「便利ですので」
「認めるのか」
だが、誰も笑わなかった。
案件の空気が、それを許さない。
一階から、食堂の開く音がかすかに聞こえる。
爆炎ハウスの日常はいつも通り始まっている。
だが二階のこの部屋だけは、もう別の空気に入っていた。
古代湖線。
閉じた湖上路線。
消えた七人。
見たはずなのに、見ていない。
乗ったはずなのに、印象が薄い。
終点に着いた時には、いない。
匠一は資料の上に指を置いたまま、静かに言った。
「現地行くぞ」
セレネが顔を上げる。 「いつ」
「資料が最低限そろい次第。今日中に動けるなら今日、無理でも明朝」 ノクスが頷く。 「妥当です」
「セレネ」
「はい」
「現地入り前に、失踪七件の時系列を一本にしてくれ」
「承知しました」
「あと、古代湖線そのものの構造も。人が消える余地がどこにあるか、先に見たい」
「はい」
「……一本目から、嫌な案件だな」 匠一の声は低かった。
「ですが」 セレネが静かに言う。 「整った直後でよかった、とも言えます」
匠一は一瞬だけ彼女を見て、それから小さく息を吐いた。 「そうだな」
ノクスもまた、淡々と続ける。 「少なくとも、今は案件を抱えたまま埋もれさせずに済みます」
「それはでかい」 匠一は立ち上がった。 「よし。
古代湖線失踪事件、正式にこっちで引き取る準備に入る」
その言葉で、部屋の空気が定まった。
ただの照会ではない。
ただの交通局案件でもない。
爆炎パーティが動く案件になる。
セレネは資料を抱え直し、一礼して部屋を出た。
やることは多い。
だが、もう流れは見えている。
失踪者七名。
便ごとの違い。
証言の揺れ。
抜け落ちた連れの証言。
閉じた湖上路線。
どこかに、一本の線がある。
まだ見えていないだけで、必ず。
廊下を歩きながら、セレネは思った。
この事件は、たぶん最初の印象より悪い。
そしておそらく、ただ“誰かが消えた”だけでは終わらない。
古代湖線では、何かが起きている。
人の見落としだけでは説明のつかない何かが。
その正体に、匠一たちはまだ触れていない。
だが、もうすぐ湖へ向かうことになる。
閉じた水路の上で、誰かが消える。
その異常の中心へ。




