はぐれモルヴァン討伐
見難い火傷の子440
はぐれモルヴァン討伐
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
古代湖駅近くの冒険者ギルドは、朝から妙に騒がしかった。
依頼板の前に人だかりができている。
普段なら採集や護衛の札を眺める冒険者たちが、
今日は一枚の新しい依頼札にばかり視線を集めていた。
匠一はその少し外れで、いつものように深淵珈琲を飲んでいた。
ついでにモササウルスサンドも頼んでいたが、まだ一口しか食べていない。
嫌な予感がした時ほど、食事は中断される。最近よく学んだことだった。
依頼札には、こうある。
緊急討伐依頼
対象:はぐれ巨大モルヴァン一体
備考:昨日、古代湖駅周辺を荒らした二体のうち残存個体。
一体は近衛兵シーラにより討伐済み。
残る一体は逃走後も周辺をうろつき、荷運びの列や人の薄い場所を狙って出没。
性質きわめて悪質。早急な討伐を要す。
報酬:高額
素材回収:可
緊急度:高
「……なるほど」
匠一が小さく呟いた、その時だった。
「やっぱり出てた!」
「高額ね」
「素材回収可、だって」
「そこを見るの、サフィだけだと思ってたわ」
聞き覚えのある声が四つ、ほとんど同時に重なった。
人だかりの前列で背伸びしていたのは、先日古代湖線の車内で「二頭いた」「いや水鳥だった」と騒いでいた冒険者大学の女学生たちだった。
ミナ、リラ、サフィ、ネマ。
今日は休暇の小旅行ではなく、揃って実習装備を固めている。
肩掛け鞄の代わりに固定帯や手甲、膝当て、補助具。
大学の徽章だけは、あの日と同じように胸元で揃っていた。
「ほんとに受ける気?」
リラが依頼札を見上げたまま言う。
「見物と実地は別よ」
「だからこそでしょ」
ミナが即答する。
「昨日あれだけ見せられて、今日これが出てるのに、受けない方が変じゃない?」
「私は賛成」
サフィが手を挙げる。
「こういうの、大学に戻ってから『現場を見ただけです』って言うより、
『実際に応用しました』って言えた方が絶対いいもの」
「応用、ね」
ネマが静かに依頼札を読む。
「対ワイバーン徒手制圧術の大型水棲種への転用。理屈としては成立する」
「ほら、ネマもそう言ってる」
「理屈としては、よ」
「でもやるんでしょ?」
「やる」
即答だった。
匠一は深淵珈琲を置いた。
どうやら今日は静かに朝食を終えるのは無理らしい。
その時、ギルドの入口近くで、軽い羽音に似た駆動音が響いた。
人垣のざわめきが、すっと割れる。
黒と鈍銀の外殻を持つ小型のオートメガネウラが、滑るように入口前で減速した。
その機体の傍らに立つのは、細縁の魔導眼鏡をかけたウラ。
そして、その半歩後ろに、濃い色の外套を肩にかけた長身の女がいた。
リン。
ギルドの中にいた何人かが、その姿を見た瞬間、無意識に声を落とした。
誰かが名を呼んだわけではない。
だが、場の空気が静かに変わる。
ウラの後ろに立っているのではない。
ウラが前に立つことを許している側の女だった。
さらにその後ろには、見覚えのある女たちの姿もある。
バルダ、セハラ、ジェルマ。
古代湖駅前に現れた、あの女旗羽族の面々だ。
「朝からずいぶんな騒ぎだね」
ウラが言った。
だが、その声より先に、リンが依頼札へ目をやる。
一読。
それだけだった。
「残り一体か」
低い声が、短く落ちる。
受付嬢が思わず背筋を伸ばした。
「は、はい。昨日、古代湖駅周辺を荒らした二体のうち、
一体はシーラが討伐済みです。残る一体が逃走後も周辺をうろついていて――」
「性悪で、人の流れを見る」
リンが依頼札の文面をなぞるように言う。
「なら、放ってはおけないね」
それだけで、ウラが口元を少しだけ上げた。
「聞いたろ。今日は出るよ」
ミナが思わず一歩前へ出た。
「あなたたちも受けるの?」
ウラがそちらを見る。
女子大生四人をひと目で見て、徽章と装備と立ち位置まで確かめる。
その目つきはあの時と同じ、見落とさない目だった。
「学院の子か」
「冒険者大学です」
リラが一礼する。
「見れば分かる」
ウラはさらりと言った。
「騒がしいわりに、立ち位置は悪くない」
「褒められてる?」
サフィが小声で言う。
「たぶん」
ネマが答えた。
ミナは負けじと顎を上げた。
「そっちこそ、すごいわね。それ」
そう言って、オートメガネウラを見る。
「いい機体だよ」
ウラが言う。
「追うにはね」
「追うだけじゃ終わらない」
ネマが静かに言った。
「地上で仕留める必要がある」
「できるのかい、学院の子」
ウラが面白そうに目を細める。
「できます」
ネマは即答した。
「対ワイバーン徒手制圧術は、飛行種専用の技術じゃない。
大型危険生物の突進軸をずらし、前半身の主導権を奪い、
暴れる方向を限定する技術です。
相手が魚型でも、本質は変わらない」
「首がないなら、前半身を首扱いにする」
リラが続ける。
「感覚器官束の根元を制御点にするのよ」
「私は最初に入る」
ミナが拳を握る。
「軸をずらして、起こさせない」
「私は補助と崩し」
サフィが笑う。
「滑る相手なら、固定帯と足運びで支える方が向いてる」
ウラが吹き出した。
「いいじゃない。学院の子らしい理屈だ」
「理屈だけじゃありません」
ネマが言う。
「実地で通します」
そこで初めて、リンが女子大生たちを見た。
長くは見ない。
だが、その一瞥だけで、四人とも背筋が伸びた。
「悪くない」
リンが言う。
「なら、空はこっちが受け持つ。地上はあんたたちでやりな」
短い。
だが、それで決まった。
ウラが眼鏡を指先で直す。
「聞いたろ。空組と地上組。どっちが先に仕事を決めるか、競争だ」
「面白そう!」
ミナが即座に食いつく。
「あなたはそう言うと思った」
リラが額を押さえる。
「でも悪くないわね」
サフィが笑う。
「空から追い込むレディースと、地上で制圧する冒険者大学生。絵になるじゃない」
「絵で決めないで」
ネマが言った。
「ただし、役割分担としては合理的」
受付嬢が咳払いをひとつした。
「一応申し上げますが、今回の依頼は駅周辺利用者の安全確保が最優先です。
競争は勝手ですが、危険行為は厳禁です」
「分かってる」
ウラが答える。
「遊びじゃない」
リンが続けた。
その一言で、場がまた少し締まった。
そこへ、ギルドの入口が勢いよく開いた。
荷運び人らしい男が、息を切らして飛び込んでくる。
「出たぞ!」
「どこです!」
受付嬢が即座に反応する。
「駅道の南外れだ!荷車の列を避けて、
湿地側へ回った!また人の薄い方を選んでやがる!」
「ほんとに性格悪いわね」
リラが顔をしかめる。
「でも、癖はある」
ネマがすぐに言った。
「人の流れを横切るんじゃなくて、散らした先を狙ってる。進路に偏りがあるはず」
「行くよ、ウラ」
リンが言う。
「ええ」
オートメガネウラが高い駆動音を立てる。
ウラが把手を握り、機体を滑らせる。
リンは別の機体へは乗らない。
ただ歩き出し、その後ろにバルダ、セハラ、ジェルマが自然に続いた。
総長が前に出る時は、自分で飛ぶ必要がない。
前線を誰に任せるか決めるだけで十分だった。
「私たちも!」
ミナが駆け出す。
「待ちなさい、隊列くらい合わせて!」
リラが追う。
「面白くなってきたわね」
サフィが笑い、
「面白がる場面じゃない」
ネマが言いながらも足は止めない。
匠一は残されたモササウルスサンドを見た。
まだほとんど手つかずだった。
「……帰ってきたら食えるか」
「たぶん冷めてますね」
受付嬢が気の毒そうに言う。
「だろうな」
古代湖駅の外へ出ると、朝の空気にはまだ昨日の騒ぎの名残があった。
荷車の列は普段より短く、露店も半分ほどしか開いていない。
それでも人の営みは止まらない。
止められないからこそ、性悪な個体に狙われる。
駅道の南外れへ向かう途中、すでに痕跡は見えていた。
ひしゃげた物資箱。
泥に刻まれた長い這い跡。
途中でわざと荷車の車輪を壊したような痕。
食うためだけではない。
慌てさせ、流れを乱し、弱いところを狙う動きだった。
「嫌なやつ」
ミナが吐き捨てる。
「でも、分かりやすくもある」
ネマがしゃがみ込んで泥を見た。
「湿地の縁を使って、草地の陰へ抜ける癖がある。人の視線が切れる場所を選んでる」
「見えた」
先に口を開いたのはリンだった。
全員が顔を上げる。
リンは湿地の先、草の揺れ方だけを見ていた。
オートメガネウラの駆動音より先に、逃げ道を読んでいる。
「右へは行かない」
短く言う。
「人が多い。あれは人の薄い方を選ぶ。左へ流れる」
「聞いたろ」
ウラが笑う。
「左へ追うよ」
オートメガネウラが草地すれすれを走る。
高い駆動音に反応したのか、湿地の縁で青銅色の巨体がぬるりと向きを変えた。
はぐれ巨大モルヴァン。
昨日シーラが討った個体の相方。
わずかに細身だが、そのぶん動きが鋭い。
感覚器官を広げ、上空の機械と人影を見てから、
今度は逆に人の少ない外れ道へ逃げようとする。
「逃がさないよ!」
ウラが急加速する。
オートメガネウラを低く滑らせ、進路の上へ圧をかける。
モルヴァンは真正面からぶつからず、ぬるりと横へ逃げる。
「右は切った」
リンが言う。
「左へ寄る。学院の子、来るよ」
その一言で、ミナたち四人が動いた。
「来る!」
ミナが一歩前へ出る。
「焦らない!」
リラが声を飛ばす。
「正面で止めるんじゃない、軸をずらすの!」
「分かってる!」
ミナは半身に構えた。
武器は抜かない。
手甲と膝当て、固定帯だけで迎える。
「本当にやるのか」
匠一が小さく言う。
「やる」
ネマが短く答えた。
「対ワイバーン徒手制圧術は、別にワイバーンだけの技術じゃない。
大型危険生物の運動軸を崩して制圧する理屈です。
相手が魚型でも、応用は利く」
「首がないなら、前半身を首扱い」
サフィが固定帯を構える。
「感覚器官束の根元を制御点にする」
モルヴァンが跳ねた。
魚類じみたしなりを使った、低く速い突進だった。
正面から受ければ吹き飛ぶ。
だがミナは真正面には立たない。
「第一、突進軸ずらし!」
ぶつかる寸前で半身に流れ、前半身の向きを手甲で押しずらす。
完全に止めるのではない。
軸を折る。
それだけで、巨体のしなりがわずかに狂う。
「今!」
リラが踏み込んだ。
「第二、前半身制御!」
横から入り、感覚器官束の根元へ腕を差し込む。
ワイバーンなら頸部を取るところだ。
だが相手に首がないなら、前半身の主導点を首扱いにする。
モルヴァンが濁った音を立てて暴れる。
ぬめる。
重い。
速い。
教本通りの相手ではない。
「滑る!」
ミナが叫ぶ。
「だから支えるのよ!」
サフィが横から入った。
固定帯をリラの腕とモルヴァンの前半身に絡め、足場を作るように体重を預ける。
「第三、補助固定!」
「そんな名前だった?」
「今つけた!」
ネマがその横で冷静に位置を読む。
「頭を上げさせないで!後半身のしなりが来る!」
「どっち!」
「左!」
「左だ」
リンの声が重なった。
「押し返されるな。そこで折れ」
短い。
だが、その一言でミナの踏ん張りが変わる。
「第四、しなり殺し!」
リラが声を上げる。
ミナが体を沈め、リラが前半身の向きを地面へ落とし、サフィが固定帯で支える。
そこへネマが横から膝を入れ、巨体の起き上がりの軸をずらした。
巨体が大きくぶれた。
「通る!」
ネマの声が鋭くなる。
「理屈は通る!そのまま押し切って!」
上空でウラが低く滑り込む。
旗羽を打ち、オートメガネウラの駆動音をモルヴァンの感覚器官の上で弾かせる。
感覚器官が一瞬だけそちらへ引かれた。
「今だ」
リンが言う。
その一言で、四人が同時に動いた。
「ミナ!」
「任せて!」
ミナが踏み込む。
横倒しになりかけた前半身、その制御点へ膝と体重を叩き込む。
サフィが固定帯を締め上げ、ネマが起き上がりの角度を読む。
リラが全体重をかけて向きを落とす。
「第五、落とし込み!」
鈍い音。
突進軸を折られ、前半身を制御され、しなりを殺された巨大モルヴァンが、
ついに横倒しになる。
泥が大きく跳ねた。
それでもなお、後半身が暴れた。
起き上がろうとする。
「まだ!」
ミナが歯を食いしばる。
「三秒押さえて!」
ネマが言う。
「ウラ」
リンが呼ぶ。
「分かってる!」
オートメガネウラがさらに低く降りた。
左右へ切り返し、高い駆動音で感覚器官を散らす。
モルヴァンの起き上がりが一瞬だけ遅れる。
「十分だ」
リンが言った。
四人が同時に体重をかけた。
前半身の主導点が完全に地面へ落ちる。
巨体が大きく痙攣し、それから動きを止めた。
風だけが草を揺らしていた。
しばし、誰も動かなかった。
「……勝った?」
ミナが息を切らして言う。
「討ちました、よね?」
サフィが確認する。
「制圧完了」
ネマが言う。
「応用、成立」
「やった……!」
リラがようやく息を吐いた。
匠一は倒れた巨大モルヴァンを見て、それから六人を見る。
空から追い込み、地上で軸を折り、応用で制圧した。
荒いところはある。
危なっかしいところもある。
だが、見せ場としては十分だった。
「悪くない」
その一言で、ミナたち四人が一斉に顔を上げる。
ウラも口元を上げた。
だがリンだけは、倒れたモルヴァンを見たまま、ほんのわずかに顎を引いただけだった。
「聞いた!?」
「悪くない、いただき!」
「応用、通ったわ!」
「理屈は正しかった!」
「空がなければ届かなかったよ」
ウラが言う。
「でも、地上も悪くなかった」
ミナが目を丸くする。
「褒めた?」
「事実を言っただけさ」
少し遅れて、ギルドの回収班が駆けつけてきた。
倒れた巨体を見るなり、先頭の職員が目を見開く。
「終わってる!?」
「終わった」
「早いですね!?」
「一体だけだったからな」
職員たちはすぐに処理具を打ち込み、曳航索を通し始めた。
手際がいい。
昨日の騒ぎで慣れたのかもしれないし、
単に貴重なタンパク源への執念が強いのかもしれない。
「素材回収、問題ありません!」
「そこは本当にぶれないな……」
受付嬢も少し遅れて追いついてきた。
息を整えながら、倒れたモルヴァンを見て、それから匠一たちを見る。
「確認します。対象は残存はぐれ巨大モルヴァン一体。討伐完了、でよろしいですね」
「ああ」
「周辺に追加反応は?」
と匠一が訊く。
受付嬢は後ろの職員から紙片を受け取り、目を走らせた。
「現時点ではなしです。
昨日確認された二体については、これで両方とも処理完了になります」
その言葉で、場の空気がようやく緩んだ。
そして当然のように、次の問題が始まる。
「で」
と、ウラが言った。
「今の、誰の勝ち?」
「そこは地上でしょう」
ミナが即座に返す。
「仕留めたのはこっちよ」
「追い込んだのは空だよ」
ウラも譲らない。
「逃げ道を切らなきゃ、あんたたちの前には出てこなかった」
「でも制圧は私たち」
リラが言う。
「応用が通ったから倒せたのよ」
「補助固定も忘れないで」
サフィが言う。
「理論解析も」
ネマが続ける。
見事に収拾がつかない。
その時だった。
「今回は引き分けだ」
リンが言った。
全員が黙る。
リンは倒れたモルヴァンから視線を外さず、淡々と続けた。
「空がなければ、地上は届かない。
地上がなければ、空は仕留め切れない。
どっちかが欠けてたら逃がしてた」
それから、ようやく女子大生たちを見る。
「学院の子ら、初手は悪くない」
次にウラを見る。
「ウラ、遊びすぎるな」
「遊んでないよ」
「半分は遊んでた」
「……否定しにくいね」
バルダが後ろで吹き出し、セハラが肩をすくめ、
ジェルマは何も言わずに桟橋の方角を見ていた。
ミナが少しだけ唇を尖らせる。
「総長がそう言うなら……」
「悔しいけど」
リラも続ける。
「理屈としては正しい」
ネマが頷く。
「でも次は勝つ」
サフィが笑った。
その時、湖の方から低く長い汽笛のような音が響いた。
全員がそちらを見る。
古代湖の青い水面の向こう、遊覧航路のあたりを、青い巨体が静かに進んでいた。
「シーラ……」
サフィが小さく呟く。
昨日、一体を討ち取った近衛兵。
今日もまた、何事もなかったように航路を見回っている。
青い生体潜航艦は、ただ静かに持ち場を守っていた。
「昨日の一体はシーラ」
ネマが言う。
「今日の一体は私たち、ってことね」
ミナが続ける。
「数だけ見ればね」
ウラが笑う。
「数だけだ」
匠一が答える。
「数だけですか」
リラが少し唇を尖らせる。
「数だけだ」
即答すると、ミナたち四人も、ウラも、少しだけ悔しそうな顔をした。
だがリンだけは、湖面の向こうを見たまま、ほんのわずかに口元を動かした。
「それでいいさ」
誰に向けた言葉かは分からない。
だが、その一言だけで、今日の勝負はもう十分だと思わせるものがあった。
回収班が巨大モルヴァンを引いていく。
駅道には、壊れた箱と泥の跡だけが残る。
それもじき片付くだろう。
人の流れは戻り、荷車はまた行き交い、古代湖駅の朝は何事もなかったように続いていく。
受付嬢が書類を閉じた。
「緊急討伐依頼、完了です。皆さん、お疲れさまでした」
「報酬は?」
サフィが訊く。
「もちろん出ます」
「評価記録は?」
ネマが続く。
「実地協力として残します」
「対ワイバーン徒手制圧術の応用成功例も?」
リラが訊く。
「……たぶん大学側が喜びますね」
その一言で、ミナたち四人の目が輝いた。
「オートメガネウラの運用実績も残しな」
ウラが言う。
「空からの追い込みがなきゃ、今日は終わってない」
「記録します」
受付嬢が頷く。
リンは何も言わなかった。
ただ、受付嬢が差し出した確認札に目を通し、短く顎を引く。
それだけで十分だった。
匠一は少し遅れて、ようやく思い出した。
「……モササウルスサンド、食いかけだったな」
受付嬢が気の毒そうに笑う。
「たぶんもう冷めてますね」
「だろうな」
「深淵珈琲も」
「それはもともと苦い」
即答すると、ウラが吹き出し、バルダが笑い、サフィまでつられて笑った。
ミナもリラも顔を見合わせ、ネマまで少しだけ口元を緩める。
リンだけは笑わなかったが、否定もしなかった。
古代湖の風が吹く。
駅道の草が揺れ、遠くでシーラの青い影が水面を滑っていく。
昨日暴れたはぐれ巨大モルヴァン二体のうち、一体はシーラが討ち、
残る一体は今ここで沈んだ。
これでようやく、古代湖駅近くの騒ぎもひとまず片がついたことになる。
そして、冒険者大学の女学生たちと、
伝説の女総長リンを頂く女旗羽族レディースによる討伐競争も、
いちおう今回は引き分けらしい。
もっとも、本人たちはまるで納得していない顔だったが。
「次は勝つわよ」
ミナが言う。
「次は空組が取るさ」
ウラも負けていない。
「次がない方がいいけど」
サフィが笑い、
「もしあったら、今度はもっときれいに決める」
ネマが静かに言った。
「その時は私たちも負けません」
リラが続ける。
リンは最後に一度だけ、女子大生たちを見た。
「精進しな」
短い。
だが、それだけで四人は思わず背筋を伸ばした。
匠一はその後ろ姿を見送り、ひとつ息を吐く。
「……帰ったら、サンドの続きだな」
だがたぶん、落ち着いて食べられる頃には、もう夕方になっている。
古代湖駅の一日は、今日もなかなか静かには終わらない。
「……ってなわけで、依頼完了のサイン、ここに頼むぜ、リーダー」
ギルドの喧騒を離れた駅前のベンチ。
ダンが討伐完了報告書の束を匠一の前に差し出した。
匠一は冷めきった深淵珈琲を一口すすり、万年筆を走らせる。
「現場の安全確保および外来種の駆除成功。
ここまでは予定通りだ。
だが、冒険者大学の学生と女旗羽族の『私闘』に近い競争行動は、
ギルドの規定上、看過しがたいグレーゾーンだな」
「堅いこと言うなよ。結果オーライ、誰もケガしなかったんだからよ」
ダンが笑いながらモササウルスサンドの残りを勝手に口へ放り込む。
「運用データの回収という点では、非常に興味深いサンプルが取れたがね」
ベンチの影から姿を現したのは、魔導測定器を小脇に抱えたエリス・ウェインだった。
彼女は眼鏡をきらりと光らせ、手帳の数値を匠一に見せる。
「見てください。
ウラさんのオートメガネウラが発した高周波駆動音と、
学生たちの『徒手制圧術』による衝撃波の波形です。
これらを組み合わせると、
モルヴァン級の大型水棲魔物の固有振動数を完全に相殺
できることが分かりました!」
「なるほど」
匠一の目が、初めて合理的な関心によって細められた。
「つまり、彼女たちの連携は、
偶然にも対大型魔物用の『音響指向性障壁』として機能していたわけか。
これをトマスの排障器に応用すれば、
次回からの防衛行動をさらに自動化できる」
「その通りです! すぐに図面を引きますね!」
エリスが嬉々としてペンを取り出す。
その時、駅のホームの方から、再び賑やかな声が近づいてきた。
報酬の山分け(あるいは素材の取り分)についての議論をまだ続けているらしい、
ミナたち四人とウラたちの一行だ。
「あ、CEO! まだそんな冷めたサンドイッチ食べてるんですか?」
ミナがからかうように覗き込んできた。
「冷めてはいるが、栄養価とカロリーの摂取効率に問題はない」
匠一は淡々と答え、手帳を閉じて立ち上がった。
「それより、冒険者大学の諸君。
今回の『対ワイバーン徒手制圧術』の転用データ、
および女旗羽族の空路誘導記録は、
我が鉄道国の『運行安全白書』に正式に記録させてもらう。
実地貢献度として、
君たちの大学での成績評価にプラス3.5パーセントの修正をかけるよう、
教授陣へ通達を出しておいた」
「えっ、本当ですか!?」
ネマの目が色めき立つ。
「3.5パーセント……! これで次期の研究予算の申請が通るわ!」
「やったね、ネマ!」
サフィとリラがハイタッチを交わす。
ウラはオートメガネウラに腰掛けたまま、不敵に笑って眼鏡を直した。
「ふん、お役所仕事のわりには粋な計らいじゃない。
まあ、私たちのウラ(機体)の性能が桁違いだってことが、
これで証明されたわけだしね」
「私たちの地上制圧が確実だったからですよ!」
すかさずミナが言い返す。
「はいはい、そこまでにしな」
それまで黙って湖を見つめていた総長・リンが、静かに言葉を挟んだ。
その一言で、再び全員の口がぴたりと止まる。
リンはゆっくりと匠一に向き直ると、外套の裾を翻した。
「鉄道国のCEO。あんたの作った『鉄の道』のおかげで、
この土地の獲物(魔物)の質が変わってきた。……退屈しなくて助かるよ」
「それは重畳だ。
物流の活性化は、あらゆる事象の流動性を高める。
今後も防衛への協力を期待する、レディースの総長」
二人の間に、一瞬だけ視線の火花が散った。
お互いに馴れ合うつもりは毛頭ない。
だが、この新時代の混沌をそれぞれの方法で支配しようとする者同士の、
奇妙な信頼がそこにはあった。
キィィィィン――。
再びオートメガネウラの高い羽音が響き、
女旗羽族の面々は風のように駅道を去っていく。
ミナたち大学生も、「次の講義、遅刻しちゃう!」と大騒ぎしながら、
慌てて改札口へと走っていった。
静けさを取り戻した古代湖駅のベンチで、匠一は最後の一口の珈琲を飲み干した。
「リーダー、次はオケアヌス線の夜間試運転の立ち会いっすよ」
ダンが懐中時計を見ながら急かす。
「分かっている。定刻三分前だ」
陸には鉄の合理、空には誇り高きレディース、
そして底知れぬ深淵の湖には、青い生体潜航艦シーラ。
騒がしい一日は、新時代の歯車をさらに力強く噛み合わせながら、
次のダイヤへと正確に進み始めていた。




