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見難い火傷の子  作者: 清風
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436/459

表彰式

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子436



表彰式



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


工場中央展示場は、普段の油と鉄の匂いを薄めるように、今日ばかりは磨き上げられていた。

天井からは社旗が垂れ、壇上には演台、演台の脇には表彰状を載せた盆、

さらにその脇には副賞の目録が整然と並べられている。

現場の人間からすれば、いささか場違いなほどに儀礼的な光景であった。


もっとも、その表彰理由自体は、現場の人間にとってこそ理解しやすいものである。


アフメット工場長は、展示場の改装にあたり、完成品だけを並べることをよしとしなかった。

ひび割れた試作品。

焼成に失敗した部材。

強度不足で破断した旧型部品。

設計変更前の不格好な試作機。

加えて、それぞれに添えられた失敗原因、改良点、再発防止策の記録。

見栄えだけを考えるなら撤去されてしかるべきそれらを、彼はあえて残したのである。


良い品だけを並べても、良い工場にはならない。

何を誤り、どう直したかまで残してこそ、次の者がより良いものを作れる。


そうした趣旨の説明文が、展示場入口の銘板には簡潔に刻まれていた。


その判断を高く評価したのが、CEOの匠ーであった。


式次第は簡潔であり、ゆえに逃げ場もなかった。

司会役の総務主任が一歩前に出て、抑揚を抑えた声で読み上げる。


「アフメット工場長。貴殿は工場展示場の刷新に際し、完成品のみならず、

失敗の記録、試作品、改良前製品をも保存展示し、ものづくりの過程を誠実に示した」


会場は静まり返っていた。

現場監督たちも、事務方も、来賓も、誰一人として咳払いひとつしない。

こういう場では、沈黙もまた制服の一部であるらしかった。


「その教育的価値は高く、後進育成への寄与は多大であり——」


壇下で、アフメットは背筋を伸ばしていた。

伸ばしてはいたが、内心まで伸びているわけではない。

むしろ逆である。

胃のあたりは縮み上がり、肩は自分でも分かるほど固い。

隣に立つファトマは穏やかな顔をしていたが、夫の緊張には気づいているらしく、

袖口のあたりをそっとつまんでいた。

そのさらに横で、エムレは落ち着きなくきょろきょろしている。


嫌な予感がした。


「以上の功績により、ここに表彰する」


総務主任が一礼し、匠ーが進み出る。

会場の空気が、わずかに引き締まった。


匠ーは賞状を手に取った。

重厚な縁取りの施された、いかにも賞状然とした賞状である。

紙質もよい。無駄に立派だ、とアフメットは思った。

こういうとき、人はどうでもいいことを考えることで正気を保つ。


「アフメット工場長、前へ」


「はっ」


返事をして、一歩進み出る。

その瞬間であった。


壇の脇から、小さな影がするりと前へ出た。


エムレである。


五歳児は、儀礼の重みというものをまだ十分には理解していない。

理解していないがゆえに、最も見てはならないものを、最もよく見ていることがある。

彼は匠ーの手元の賞状を見上げ、目を輝かせた。

そして、胸を張って宣言した。


「ヒョーショージョー」


会場は静まり返った。


それは先ほどまでの、儀礼に必要な静粛とは別種の沈黙であった。

誰もが一瞬、判断を保留したのである。

今の発声は事故か。

進行上の瑕疵か。

あるいは、何らかの余興か。

少なくとも式次第には記載されていない。


アフメットの思考は停止した。

停止したが、身体だけは正直である。

額に汗がにじむのを感じた。

止めるべきか。

謝るべきか。

回収すべきか。

だが何をどう回収すればよいのか、そもそもこの事態に回収という概念が適用可能なのか、

その判断材料がない。


ファトマは口元に手を当てていた。

笑いをこらえているのか、息を呑んでいるのか、夫には判別できなかった。

おそらく両方である。


総務主任は、書類を持つ手を微動だにさせなかった。

長年の事務経験が、こういうとき人間を石像に変えるのであろう。


そして匠ーは、賞状を持ったまま、エムレを見下ろした。


数秒。

あるいは一秒にも満たなかったかもしれない。

だが、その間に会場の全員が、次の一言を待っていた。


匠ーは、静かにうなずいた。


「うむ。表彰状である」


会場の空気が、奇妙なかたちで安定した。


それは事態の解決というより、

制度の側が幼児の発声を正式な確認手続きの一部として受理した結果であった。

少なくとも、その場にいた全員がそう理解するほかなかった。


エムレは満足げにうなずいた。

自分の認識が最高責任者によって承認されたのだから、当然である。


「では、授与しよう」


匠ーは何事もなかったかのように言い、改めて賞状を差し出した。


アフメットは受け取った。

受け取るしかなかった。

この時点で彼に許されているのは、感謝と直立だけである。


「……身に余る光栄です」


声が少し上ずったが、致命傷ではないと信じたかった。


匠ーは続けて、副賞の目録を手に取る。


「副賞として、古代湖シーラ遊覧券、一家分を贈る」


そこで初めて、会場の後方にわずかなざわめきが走った。

古代湖。

シーラ遊覧。

現場の人間にも分かる、明確にうれしい副賞である。

記念盾よりはるかに実用的であり、しかも家族向けだ。


「おおだいこ!」


エムレが叫んだ。


「こだいこだ」


ファトマが小声で訂正した。


「こだいこ!」


エムレは訂正された部分だけを元気よく復唱した。

訂正の成果としては限定的であったが、ゼロではない。


匠ーは目録をファトマにも見えるよう、わずかに傾けた。


「家族で行くとよい。働きの報いは、本人だけでなく、支えた者にも分かたれるべきだ」


その言葉に、ファトマは深く一礼した。


「ありがとうございます」


アフメットは一瞬だけ、妻と息子を見た。

エムレはまだ賞状のほうを見ている。

どうやら副賞よりも、あの大きな紙のほうが気になるらしい。

ファトマは穏やかに微笑んでいた。

その顔を見て、ようやくアフメットは、自分が表彰されたのだという実感を少しだけ持った。


総務主任が、式の終了を告げる。


「以上をもって、表彰式を終了する」


拍手が起こった。

控えめで、しかし確かな拍手である。


その最中、エムレは父の袖を引いた。


「ちちうえ」


「なんだ」


「もういっかい、ヒョーショージョー?」


アフメットは数秒、無言だった。

それから低い声で言った。


「だめだ」


「そうか」


エムレは素直に引き下がった。

引き下がったが、納得した顔ではなかった。

おそらく彼の中では、先ほどの一件はきわめて成功裡に終わっている。


壇上では、匠ーが展示場の失敗品群へ視線を向けていた。

ひび割れた試作品。

歪んだ旧型部品。

焼成不良の部材。

どれも本来なら、倉庫の奥か廃棄箱の中に消えるはずだったものだ。


だが、失敗を隠さず残すこと。

それを恥ではなく、次の者への道標として示すこと。

その価値を理解する者がいて、こうして表彰にまで至った。


工場というものは、完成品だけでできているわけではない。

無数の失敗と修正、その記録の上に、ようやく一つの製品が立つ。

そして時に、その厳粛な認識のただ中へ、五歳児が現れて「ヒョーショージョー」と言う。


組織とは不思議なものである、と誰かが思ったかもしれない。

あるいは、家族とはそういうものだ、と別の誰かが思ったかもしれない。


いずれにせよ、その日の表彰式は滞りなく終了した。

記録上も、おそらくは問題なく処理されるだろう。


ただし、展示場の片隅でこの一部始終を見ていた若い工員たちのあいだでは、

後にこう語られることになる。


アフメット工場長は、失敗を展示して表彰された。

そしてその表彰は、エムレ坊ちゃんによって、正式に「ヒョーショージョー」と認定されたのだ、と。


………………………………………………………………………………………………………………………


シーラ遊覧

終点、ブリタニア、ブリタニアです。

古代湖線へは、ブリタニアでお乗り換えです。


車内に流れた案内は、妙に澄んだ声で、旅の終わりではなく次の始まりを告げていた。

アフメットは荷棚から鞄を下ろし、肩に掛ける。

ファトマは膝の上で眠りかけていたエムレの帽子を直し、窓の外を見た。


「着いたのね」


「ああ。ここから古代湖線だ」


ブリタニア駅は、海峡を越えてきた旅人を受け止めるための駅らしく、

どこか風が抜けるような造りをしていた。

高い天井、白い梁、遠くで鳴る発車鈴。

大陸側の駅とは少し違う、乾いた明るさがある。


ホームへ降りると、エムレはさっそく目を丸くした。


「ここがブリタニア!」


「そうよ」


「こだいこ、まだ?」


「まだだ。乗り換えだ」


表彰式から数日。

副賞として贈られた古代湖シーラ遊覧券は、ファトマがきちんと封筒に入れて持っていた。

賞状は家に飾ったが、遊覧券のほうは実用物資として扱われている。

アフメットとしては、そのほうが落ち着いた。


古代湖線の列車は、本線よりも小ぶりだった。

車体は深い青緑色で、側面に銀の細い帯が走っている。

観光路線らしく窓が大きく、座席も少し柔らかい。

乗客には家族連れや年配の夫婦が多く、皆どこか浮き立った顔をしていた。


「ほんとうに、みんなシーラを見に行くのかしら」


ファトマが小声で言う。


「半分は景色だろう」


「もう半分は?」


「見えるかもしれない、という話を買いに行くんだ」


そう答えてから、アフメットは自分でも少し気取った言い方だったと思った。

だがファトマは笑わず、むしろ感心したように目を細めた。


「あなた、たまにそういうこと言うのね」


「たまに、とはなんだ」


「たまに、よ」


エムレは窓に張りついている。

列車が動き出すと、ブリタニアの街並みはほどなく低くなり、

やがて草地と林と、ゆるやかな丘に変わった。

空は広く、雲の影が地面をゆっくり流れていく。

ところどころに石造りの家が見え、羊の群れが白い点のように散っていた。


「うみじゃない」


「湖だからな」


「みずはおなじだろう?」


エムレの問いに、アフメットは少し考えた。


「……大きく違うのは、向こう岸があることだ」


「あるの?」


「湖ならな」


「じゃあ、シーラはにげられない?」


その発想に、ファトマが吹き出した。


「逃げる前提なのね」


「だって、みつかったらたいへんだろう」


「見つかるための遊覧でしょうに」


列車は小さな駅をいくつか過ぎ、やがて速度を落とした。

車窓の向こうに、光の面が見えた。

最初は空の切れ端かと思ったが、違う。

地平の一角が、風を受けてきらきらと揺れている。


「みず!」


エムレが叫ぶ。


古代湖だった。


それは海のように果てしなくはない。

だが、湖という言葉から想像するよりはるかに大きく、静かで、深かった。

岸辺には背の高い葦が揺れ、沖には白い鳥が浮かんでいる。

遠くの水面は空の色を映して青く、近くは緑がかって見えた。


古代湖駅は、観光地の玄関口らしく、木と石を組み合わせた瀟洒な駅舎だった。

改札を出ると、すぐに案内板がある。


古代湖遊覧船のりば

シーラ観測周遊便


エムレは案内板を見上げ、読めない文字の多さに圧倒されつつも、知っている単語だけを拾った。


「しーら!」


「そう、シーラよ」


「いる?」


「さあ」


「いるといいな」


ファトマはそう言った。

アフメットは少し意外に思って妻を見る。


「君は、そういうのは信じないほうだと思っていた」


「信じる信じないじゃないの。いたら、エムレが喜ぶでしょう」


「なるほど」


「それに」


ファトマは湖のほうを見た。


「いそうな景色、というのはあるものよ」


のりばへ向かう道には、土産物屋や茶店が並んでいた。

シーラの絵姿は店ごとに違う。

蛇のように長いもの、魚に近いもの、竜めいたもの、妙に愛嬌のある丸い顔のもの。

伝説というのは、観光地に来ると急に量産される。


遊覧船は、白い船体に青い縁取りの入った二階建てだった。

船腹には金文字で《シーラ号》とある。副賞の遊覧券を見せると、係員はにこやかに一礼した。


「表彰の副賞でお越しとのこと、おめでとうございます。どうぞごゆっくりお楽しみください」


アフメットは、こういうとき何と返すのが正解なのか分からず、

とりあえず「ありがとうございます」とだけ言った。

ファトマは慣れた調子で会釈し、エムレは「しーら、みる」と宣言した。


二階の甲板席は風が気持ちよかった。

湖面を渡る風は海ほど塩気を含まず、草と水の匂いがした。

船が岸を離れると、古代湖駅の建物も、土産物屋の屋根も、少しずつ小さくなっていく。


案内係の女性が、拡声器を使わずによく通る声で説明を始めた。


「皆さま、本日は古代湖シーラ観測周遊便にご乗船いただき、ありがとうございます。

古代湖は古くから霧と深水の湖として知られ、湖の主シーラの伝承が各地に残っております」


乗客たちが、いっせいに湖面へ目を向ける。

こういうとき、人は説明を聞いているようで、半分はもう探している。


「もっとも、近年確認されているのは大型魚類、浮遊木材、波浪の錯視、

ならびに観光客の期待でございます」


船内に小さな笑いが起きた。

案内係は顔色ひとつ変えない。


「ただし、期待は観光資源としてきわめて重要ですので、引き続き保持していただければ幸いです」


アフメットは思わず感心した。

この土地の人間は、伝説の扱いに慣れている。


エムレは手すりにしがみつき、真剣な顔で水面を見ていた。

五歳児にとって、伝説はまだ比喩ではない。

いるか、いないか、そのどちらかである。


「ちちうえ」


「なんだ」


「しーらって、どこからでる」


「さあな」


「した?」


「たぶんな」


「じゃあ、ぼく、みてる」


「落ちるなよ」


「おちない」


そう言った直後に身を乗り出しかけたので、アフメットは襟首をつかんで引き戻した。

ファトマがため息をつく。


「見たい気持ちは分かるけれど、シーラより先にあなたが湖に入ってどうするの」


「むこうがきたら?」


「来ても、まず挨拶なさい」


「こんにちは、しーら」


「そう、それでいいの」


船は湖の中央へ向かって進んでいく。

岸辺のざわめきが遠のき、水の音だけが近くなる。

空は高く、雲は薄く、湖面にはところどころ風の筋が走っていた。

遠くに黒い影のようなものが見え、乗客の何人かが一斉にそちらを指さす。


「あれではありませんか」


「いや、鳥だ」


「いや、流木では」


「いや、期待だな」


最後の一言に、また小さな笑いが起きた。


エムレだけは笑わない。

彼は本気で見ている。

その真剣さが、アフメットには少し眩しかった。


工場では、失敗の記録を残す。

原因を調べ、形を見て、次に活かす。

だが世の中には、原因も形もはっきりしないまま、人を惹きつけるものもある。

湖の主、というやつだ。


「あなた」


ファトマが小声で言った。


「なんだ」


「あそこ」


彼女の指さす先、船の進行方向やや右手。

水面が、妙に長く盛り上がって見えた。

波というには筋が通りすぎている。

流木というには滑らかで、鳥影というには低い。


アフメットは目を細めた。


「……魚か」


「魚にしては大きいわ」


「錯視かもしれん」


「期待かも」


「それはさっき聞いた」


エムレはもう半分立ち上がっていた。


「しーら!」


案内係も、さすがにそちらを見た。

乗客たちのざわめきが広がる。

水面の影は、ひとつ、ふたつと揺れ、それからすっと沈んだ。


何も残らない。

ただ、遅れて広がる波紋だけが、そこに何かがいたかもしれないという形をしばらく保っていた。


船内は、妙な静けさに包まれた。

誰も断言しない。

断言した瞬間に、今見たものの価値が減ると知っているような沈黙だった。


やがて案内係が、実に職業的な落ち着きで言った。


「ただいま右舷側に、何らかの興味深い現象が確認されました」


乗客の何人かが吹き出した。

だがその言い方は、むしろ親切だった。

何かだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

その両方を壊さずに済む。


エムレは振り返り、目を輝かせた。


「みた!」


「見たな」


アフメットは答えた。


「しーら!」


「……そうかもしれん」


ファトマが微笑む。


「あなた、否定しないのね」


「今日はな」


湖の風が吹いた。

船はゆっくりと進み、波紋はもう見えなくなっていた。

だがエムレの中では、あれは完全にシーラだった。

そしてたぶん、それでよかった。


副賞として渡された遊覧券は、単なる観光券ではなかったのかもしれない。

表彰のあとに家族で出かけ、広い水面を見て、何かがいたかもしれないと思う。

そういう曖昧で、しかし確かな時間そのものが、報いだった。


帰りの船着場で、エムレは土産物屋の木彫りのシーラを指さした。


「これ、ほんもの?」


「違う」


「じゃあ、ちいさいしーら?」


「違う」


「しーらのこども?」


「違う」


アフメットが即答するたび、ファトマの肩が揺れる。


「じゃあ、なに」


「土産だ」


「おみやげか」


エムレはしばらく考え、それから真剣な顔でうなずいた。


「じゃあ、ひとつつれてかえる」


「買って帰る、だ」


「かってかえる」


訂正の成果は、今日は比較的良好だった。


湖のほうを見ると、午後の光の中で水面が静かに光っていた。

何かがいたのかもしれないし、いなかったのかもしれない。

だが少なくとも、また来たいと思わせるには十分だった。


そしてそれこそが、古代湖シーラ遊覧というものの、最も正しい効能なのだろう。


………………………………………………………………………………………………………………………


数日後、休暇を終えたアフメット工場長は、再び油と鉄の匂いが満ちる工場中央展示場に立っていた。


磨き上げられた床、整然と並ぶ「失敗作」の部品群。

その片隅、新しく設けられた案内デスクの端に、場違いなものが一つだけ置かれている。

古代湖の土産物屋でエムレが「連れて帰る」と言い張った、あの少し不格好な木彫りのシーラだ。


「工場長、お戻りですか」

声をかけてきたのは、表彰式で石像のように直立していた総務主任だった。

その視線が、デスクの上の木彫りに留まる。

「それは……湖の主ですか」


「ああ。息子がどうしても展示場に置くと聞かなくてな。本来なら規程違反だが……」

アフメットが苦笑交じりに言い訳をしようとしたその時、展示場の入り口から、

あの聞き慣れた足音が響いてきた。


CEOの匠一だった。

彼はいつも通り、手元に運行管理の書類束を抱え、鋭い視線で展示品の並びを確認している。

そして、デスクの端の木彫りの前でぴたりと足を止めた。


アフメットは一瞬、背筋が凍るのを覚えた。

ここは「失敗と修正の歴史」を誠実に示すための厳粛な場所だ。

そこに観光地のいい加減な土産物を置くなど、

合理主義の塊であるCEOに対する最大の不敬にあたるのではないか。


「すみません、CEO。すぐに撤去させます。息子の悪戯で――」


「いや、そのままでいい」

匠一は木彫りのシーラを指先で軽く突ついた。

木の人形が、コトコトと不格好に揺れる。

「アフメット工場長。古代湖の観光需要は、現在、

鉄道国全体の旅客流動予測において最も不確定な変数パラメータだ。

人々が『いるかもしれない』という実体のない期待だけで、どれだけの切符を買い、

どれだけの物資を消費するか。それを測るデータが不足していた」


「は、はあ……」


「あんたの息子がその『期待』をここに持ち帰った。ならば、これも一つの観測結果だ」

匠一は懐中時計を確認し、いつも通りの平坦な声で続けた。

「遊覧船はどうだった。遅延は?」


「定刻通りの運用でした。

ただ……右舷側に『興味深い現象』が起きた際、乗客が一斉に片側に寄ったため、

船体がわずかに傾斜しました。

運航上の復原力には問題ないレベルでしたが」


「なるほど。乗客の『期待』による突発的な偏荷重か。メモしておこう」

匠一は手帳に何かを素早く書き込んだ。

どこまでも夢のない、しかし徹底的に実務的な男だった。

「いい休暇だったようで何よりだ。副賞の予算は正しく執行されたと判断する」


匠一がそのまま次の現場へと歩き出そうとした時、展示場の物陰から、

小さな影がトコトコと走ってきた。

手には、表彰式でもらったあの立派な賞状を持っている。


「あ、CEO!」

エムレだった。

彼は匠一の前に立つと、再び胸を張ってあの宣言を繰り出した。


「ヒョーショージョー、お留守番してた!」


アフメットは今度こそ頭を抱えたが、匠一は立ち止まり、静かにエムレを見下ろした。

そして、やはり大真面目な顔で小さく頷いた。


「うむ。留守番の完了を確認した。賞状の管理状態も良好だ」


「うん!」


満足したエムレがファトマの元へと走っていくのを見送りながら、匠一は最後にアフメットを見た。


「失敗を記録し、次に活かす。それがこの工場の強みだ。

だが、時には『形のない期待』のために鉄を動かすことも、物流の目的の一つだよ。

明日からの新ラインの立ち上げ、期待している」


「――はっ、お任せください」


アフメットが深く一礼すると、最高責任者はそのまま夜の帳が下りつつある工場を後にした。


夕暮れの光が展示場の窓から差し込み、ひび割れた試作品と、

小さな木彫りのシーラを同じように赤く染めていく。

無数の失敗の記録と、ほんの少しの夢。

それらが奇妙なバランスで噛み合いながら、この巨大な工場は、

そして鉄道国の時代は、明日もまた正確なダイヤの通りに動き出そうとしていた。

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