海底都市アプスー捕物帖(密貿易)
見難い火傷の子420
海底都市アプスー捕物帖(密貿易)
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
帰還直後の静けさは、長く続かなかった。
南分署全域に、短く鋭い警報音が走る。
整備区画の空気が変わった。
工具音が止まり、端末の表示が一斉に切り替わる。
壁面投影に赤い帯が走り、要請種別と区画識別が浮かび上がった。
潜入班情報連動案件/優先度高
南六号水門区画/不審搬出反応
保守回廊第三枝路/接触事故発生
違法改造機識別信号確認
現場封鎖未完了/機動対応要請
レイラが表示を見て、眉をひそめた。
「潜入班?」
匠一はもう端末を手に取っていた。
投影された補足情報を一瞥し、必要な部分だけを拾う。
「密貿易案件だ」
その一言で、整備区画の空気がさらに重くなる。
海底都市アプスー南域。
水門区画と保守回廊を使った密貿易は、珍しくない。
珍しくないが、だからといって軽いわけではない。
流れるのは禁制資材、違法改造部品、封鎖区画由来の回収物、時には生体素材。
どれも表に出せない。
だから運ぶ側は、見つかった時の逃げ方まで含めて準備している。
「潜入班が南六号水門系の搬出情報を上げてた」
匠一が言う。
「受け渡し時刻も、おおよその経路も出ていた。だから張っていた」
カナタが短く問う。
「本命か」
匠一は壁面投影を拡大した。
断続的な現場映像、識別信号の乱れ、搬出経路予測。
その中心に、一つの名前が表示される。
レイラがそれを見て、露骨に嫌な顔をした。
「うわ」
「知ってるのか」
匠一が聞く。
「知ってるも何も、南域の密貿易で名前が出るやつじゃない」
レイラが言う。
「表に出ること自体が珍しい類の」
匠一は頷いた。
「南域搬出路統括。組織全体の頂点ではないが、南水門系の受け渡しと搬出調整を仕切る実務責任者だ」
カナタが表示を見たまま言う。
「現場ボスか」
「そう思っていい」
匠一が答える。
「捕まれば南域の流れが止まる」
つまり逃がせない。
少なくとも、簡単には。
レイラが小さく舌打ちした。
「帰還初日に引く案件じゃないのよね、それ」
「事件も事故も待ってくれない」
匠一が即答する。
レイラは一瞬だけ黙り、すぐに肩を落とした。
「言うと思った」
匠一は続ける。
「南分署機動対応班、出る。
対象は南六号水門区画および保守回廊第三枝路。
事故処理を表に置くが、密貿易案件として動け。
接触事故は偶発と決めるな」
それが、カナタとレイラの所属部署だった。
南分署機動対応班。
海底都市アプスー南域において、事件と事故の境目が崩れた時、最初に投げ込まれる班。
追跡だけではない。
制圧だけでもない。
事故処理だけでもない。
浸水、圧差、違法改造機、密輸、保守回廊の破損、封鎖前の混乱。
そういう、分類している暇のない現場に最初に触る部署だった。
だから配備されている機体も、普通ではない。
整備区画の奥、隔壁付きの専用ドックで二機の起動灯が走る。
青白機と緑機。
南分署機動対応班専用、オートメガネウラ。
通常の警邏機より軽く、保守回廊用作業機より速い。
狭所、乱流、水圧変動、封鎖前の混線区画。
そういう“待ってくれない現場”に無理やり間に合わせるための機体。
高機動追跡、短距離制圧、事故初動、離脱補助。
どれか一つに特化した機体ではない。
全部が必要な現場のための機体だった。
レイラは緑機へ向かいながら、壁面映像を見た。
「接触事故が先なら、搬出側の足止め。
でも違法改造機信号が同時ってことは、事故を起こして封鎖を遅らせた可能性がある」
「逆もある」
カナタが青白機の固定具を外しながら言う。
「追跡を引きつけるために、わざと目立つ機体を走らせた」
「雑に見せてる?」
レイラが言う。
「そうだ」
カナタが答える。
「雑に見せて、追わせる」
匠一は二人を見た。
一週間前なら、ここでもう少し説明が必要だった。
今は要らない。
映像の切れ方。
信号の乱れ方。
散乱物の位置。
事故の起き方。
そういうものから拾った違和感が、二人の中でほぼ同じ形になっている。
整備員が補助端末を持って駆け寄る。
「現場映像、断続です!」
「十分だ」
匠一が言う。
「寄越せ」
壁面に荒れた映像が出る。
警告灯。
傾いた保守台車。
散乱した固定材。
擦過痕。
そして一瞬だけ映る、外殻の一部を不自然に削った違法改造機。
レイラが低く言う。
「ぶつける気で走ってる」
カナタも頷く。
「当たり屋だ」
匠一が短く息を吐いた。
「相手は現場統括だ。逃げるだけじゃない。追跡側の優先順位を壊しに来る」
それが、この捕縛対象の厄介さだった。
正面から勝つ必要がない。
事故を起こし、封鎖を遅らせ、救護を発生させ、追跡側の“正しい対応”を足止めに変える。
その隙に本命を抜く。
あるいは自分が抜ける。
そういう勝ち方を知っている相手だった。
「最悪」
レイラが言う。
「最悪だ」
匠一も認めた。
「だからお前たちが出る」
二人は何も言わなかった。
言い返す余地がないと分かっている顔だった。
隔壁が開く。
オートメガネウラの翅が低く唸り、外装ロックが順に解けていく。
整備員の一人が、思わず小さく呟いた。
「またあれが出るのか……」
無理もない。
オートメガネウラは、平穏な日に出る機体ではない。
あれが出る時はたいてい、現場が分類不能になっている。
事故班だけでは足りない。
警邏だけでも足りない。
追跡班だけでも遅い。
だから南分署機動対応班が出る。
だからオートメガネウラが出る。
レイラが搭乗前に一度だけ匠一を見る。
「で、捕まえるのはいいとして。相手が本当にその“現場ボス”なら、ぶつけてでも抜けるわよ」
「分かってる」
匠一が答える。
「機体を壊されても?」
匠一は一拍だけ黙った。
それから言う。
「帰って直している間に逃げられる相手だ」
レイラが目を細める。
カナタはもう青白機に乗り込んでいた。
「つまり」
レイラが言う。
「現場で判断しろ」
匠一が答えた。
雑な指示だった。
だが、この班にはそれで足りる。
足りるようにされてしまった。
カナタが接続を確認しながら、短く言う。
「了解」
レイラも緑機に身体を沈める。
「了解。最悪だけど、了解」
壁面投影の警報表示が更新される。
南六号水門区画/搬出反応移動
保守回廊第三枝路/接触事故拡大
違法改造機信号、識別変動
消えない。
消えないということは、まだ近い。
あるいは、近いと思わせている。
どちらにせよ、待ってはくれない。
発進灯が青に変わる。
匠一が最後に言った。
「行くぞ」
青白機と緑機が、ほとんど同時に南分署発進路を抜けた。
海底都市アプスー南域。
水門区画へ続く保守回廊は、昼夜を問わず薄暗い。
壁面導光は青白く、補修跡の残る外殻が鈍く光を返す。
狭い。
曲がる。
枝分かれする。
しかも今日は、事故警報と封鎖未完了の表示が重なっていた。
つまり最悪である。
先行するのはカナタの青白機。
半機体ぶん遅れて、レイラの緑機がつく。
速度は高い。
だが無茶な詰め方はしていない。
視界の先だけではなく、壁面表示、流体圧、散乱物、退避灯、回廊幅。
そういうものをまとめて見ている。
「第三枝路まで二十」
レイラが言う。
「事故点はその先」
カナタが返す。
短い。
だがそれで足りる。
壁面投影に断続的な現場映像が差し込まれる。
傾いた保守台車。
散乱した固定材。
外殻を擦った痕。
そして一瞬だけ映る、不自然に細い機影。
レイラが先に言った。
「いた」
カナタも見ている。
見て、すぐに追わない。
一拍だけ、映像の切れ方を見る。
「見せてる」
「うん」
「でも近い」
「近いわね」
その“近い”の質は、単なる距離ではなかった。
逃走の余裕、回廊幅、接触可能角、事故点との位置関係。
そういうものを含めての近さだった。
第三枝路へ入る。
事故の痕跡はすぐに見えた。
保守台車が横倒しになり、固定材が散り、壁面の一部が削れている。
負傷者は既に退避済みらしい。
血はない。
だが、止まって確認している時間もない。
「右壁、擦過新しい」
レイラ。
「二機分」
カナタ。
「片方は重い」
「もう片方は逃げ足重視」
その瞬間、前方の曲がり角の向こうで、警告灯が一つだけ不自然に揺れた。
カナタが機首をわずかに落とす。
レイラは半拍遅れて外側へ開く。
相談はない。
視線も交わしていない。
だが、互いに相手が何を見るか分かっている。
次の瞬間、機影が飛び出した。
速い。
細い。
外殻の一部を意図的に削って、回廊壁との接触を恐れない形にしてある。
違法改造機。
しかもただの運び屋ではない。
逃げるための機体だ。
「いた!」
レイラが言う。
だが相手は逃げなかった。
いや、逃げながら、こちらへ寄せてきた。
「来る」
カナタが低く言う。
その言葉の意味を、レイラは説明なしで理解した。
相手は進路を空けない。
むしろ青白機の内側へ、わずかに、だが確実に食い込んでくる。
普通の逃走なら取らない角度。
抜けるためではない。
ぶつけるための角度だった。
「当たり屋!」
レイラが叫ぶ。
違法改造機の機首が、青白機の翅基部側へ滑り込む。
真正面からではない。
避ければ追跡線が切れ、受ければ機体の要所を持っていかれる、最悪の角度。
カナタは機体を捨てるような回避をしなかった。
半身だけずらす。
致命を外し、追跡線を残すための最小回避。
それでも、接触は避けきれなかった。
鈍い衝撃。
金属が擦れ、翅軸近くで嫌な音が鳴る。
青白機の姿勢が一瞬だけぶれる。
壁面警告が赤く染まった。
始動補助系異常。
スターター応答低下。
再始動機能不安定。
レイラが息を呑む。
「最悪!」
だが相手はそこで離れた。
離れて、振り返りもしない。
最初からそれだけが目的だったみたいに、細い機影が前方へ滑っていく。
「やったわね、あいつ……!」
レイラが吐き捨てる。
カナタの声は低い。
「スターターが死にかけてる」
「主機関は?」
「まだ生きてる」
「まだ、ね」
青白機の出力は一瞬だけ持ちこたえた。
だが次の曲がり角へ入る直前、翅軸の唸りが不自然に落ちる。
嫌な間が空いた。
そして、魔導エンジンが止まった。
青白機の機首がわずかに沈む。
推力が抜け、機体が慣性だけで前へ滑る。
「カナタ!」
レイラが叫ぶ。
「落ちた」
返答は短い。
壁面表示がさらに赤く塗り替わる。
主機関停止。
始動補助系異常。
スターター応答なし。
今度ははっきりしていた。
もうスターターではかからない。
前方では、現場ボスの違法改造機が速度を落とさない。
落とさないどころか、こちらが止まることを知っているみたいに、絶妙に追える距離だけを残して逃げていく。
「帰る?」
レイラが言う。
短い問いだった。
だが中身は重い。
帰投して修理。
安全。
正しい。
そしてたぶん、逃がす。
カナタは一瞬だけ黙った。
表示を読む。
翅軸反応あり。
主機関停止。
スターター応答なし。
魔導圧残量、わずか。
完全死ではない。
「主機関そのものは死んでない」
カナタが言う。
「でもスターターじゃ起きない」
「そうだ」
「現場修理は?」
「時間がない」
「徒歩追跡」
「もっとない」
前方の違法改造機が枝路へ消えかける。
南六号水門区画へ抜ける最短。
抜けられれば、流路も死角も増える。
追跡は一気に面倒になる。
レイラが低く言った。
「帰って直してる間に、逃げる」
「逃げる」
カナタが答える。
そこで、ほんの一瞬だけ間が空いた。
長くはない。
本当に一瞬だった。
保守回廊第四接続路。
わずかな下り勾配。
直線距離。
回廊幅。
翅を開ける余地。
残っている魔導圧。
翅軸反応。
二人とも、同じものを見た。
レイラが先に言う。
「……押しがけ」
カナタが即座に返す。
「できる」
「ここで?」
「ここしかない」
「一回よ」
「分かってる」
「失敗したら終わり」
「分かってる」
説明はなかった。
必要もなかった。
スターターは死んだ。
だが主機関は完全には死んでいない。
なら、再始動だけ別の手で叩き起こす。
整備班が聞いたら顔をしかめる。
匠一が聞けば止めはしない。
ニールなら、たぶん何も言わない。
事件も事故も待ってくれない。
だから現場でやるしかない。
レイラの緑機が青白機の後方へ回り込む。
距離を測る。
角度を合わせる。
保守回廊の壁面導光が、二機の外殻を青く滑っていく。
「速度、乗せる」
レイラが言う。
「接続はこっちで見る」
カナタが返す。
「翅軸、死なせないでよ」
「お前こそ押し込みすぎるな」
レイラが短く笑った。
「こんな時だけ注文多いのよ」
前方の違法改造機は、もう次の区画へ消えかけている。
本当に、待ってくれない。
レイラが息を整える。
緑機の推力が低く唸る。
青白機の後部外装へ、ぴたりと軸を合わせる。
「行くわよ」
緑機が押した。
青白機が前へ滑る。
最初は鈍い。
だが少しずつ、少しずつ速度が乗る。
慣性が死んだ機体を引きずり、翅軸が震え、沈んでいた魔導回路に負荷が返っていく。
カナタが表示を睨む。
まだだ。
まだ足りない。
「もう少し」
「言われなくても!」
回廊の下り勾配が始まる。
速度が一段伸びる。
青白機の外殻が細かく震えた。
翅軸反応、微増。
魔導圧、揺り戻し。
主機関接続待機。
「今だ」
カナタが言う。
青白機の内部で、死にかけていた魔導エンジンへ再接続が叩き込まれる。
一拍。
二拍。
沈黙。
その沈黙が、やけに長い。
「――っ」
レイラが奥歯を噛む。
緑機は押している。
押しているのに、青白機の翅軸はまだ本格的に起きない。
回廊の下り勾配が終われば、速度は落ちる。
落ちれば終わる。
カナタは表示を睨んだ。
翅軸反応、微増。
魔導圧、揺り戻し。
主機関接続待機。
まだ足りない。
あと少し。
だが、その少しが遠い。
「まだ?」
レイラが言う。
「まだだ」
カナタが返す。
「勾配、終わる!」
「分かってる」
青白機の外殻が細かく震える。
死んだままではない。
だが生き返りきらない。
半端に目を開けて、また沈みかけるみたいな反応だった。
前方では、現場ボスの違法改造機がもう次の区画へ消えかけている。
本当に、待ってくれない。
レイラが低く吐き捨てた。
「起きなさいよ……!」
緑機の推力が一段上がる。
押し込みが強くなる。
青白機が前へ滑る。
外殻同士が軋み、保守回廊の壁面導光が流線になって伸びる。
警告が跳ねた。
翅軸反応、上昇。
魔導圧、再流入。
主機関接続――
そこで一度、表示が落ちた。
「切れた!」
レイラが叫ぶ。
「いや、まだだ」
カナタの声は低い。
「もう一回入る」
「根拠!」
「癖だ」
意味の分からない返答だった。
だがレイラはそこで問い返さなかった。
今は信じる方が速い。
勾配が終わる。
速度が落ち始める。
本当に、これが最後だった。
カナタが接続を叩く。
死んだスターターではない。
回転と圧を無理やり拾って、主機関へ噛ませる。
整備手順としては褒められない。
だが現場は、褒められるためにあるわけではない。
「――起きろ」
青白機の奥で、何かが噛んだ。
次の瞬間、沈んでいた魔導エンジンが咳き込むように震えた。
一度。
二度。
三度目で、火が入る。
低く、重い唸りが機体の芯を走った。
「入った!」
レイラが叫ぶ。
青白機の翅が跳ねる。
沈んでいた推力が一気に戻り、機体が自力で前へ出る。
押していた緑機がわずかに弾かれ、レイラが即座に姿勢を立て直した。
壁面表示が更新される。
主機関再起動。
出力回復中。
始動補助系異常、継続。
スターター応答なし。
完全復旧ではない。
だが十分だった。
少なくとも、追える。
「カナタ!」
「行ける」
「止まったら次はないわよ」
「止まらない」
短い。
だがそれで足りる。
青白機が前へ出る。
緑機がその外側へ並ぶ。
二機の間に、もう迷いはなかった。
前方区画の壁面表示に、違法改造機の識別が一瞬だけ戻る。
南域搬出路統括。
まだ近い。
まだ届く。
「第四接続路抜ける!」
レイラが言う。
「水門側へ寄る」
カナタが返す。
「本命は最短を取る」
「囮じゃなくて本人が走ってるなら?」
「なおさら抜ける前に押さえる」
青白機の出力はまだ不安定だった。
だが、さっきまでの死んだ滑走とは違う。
今は機体が自分の意志で前へ出る。
それだけで十分だった。
回廊の先、曲がり角の向こうで警告灯がまた一つ揺れる。
わざとらしい。
だが今度は、もう迷わない。
「見せてる」
レイラが言う。
「分かってる」
カナタが答える。
「でも近い」
前方の違法改造機は、まだ速度を落とさない。
だが、その逃げ方はさっきまでと少し違っていた。
一定だったはずの間合いが、わずかに乱れている。
レイラが先に気づく。
「焦ってる」
「計算がずれた」
カナタが答える。
「止まったまま帰ると思ってた」
押しがけで再始動したこと自体が、相手の読みを外している。
一度止まった青白機は、ここで追跡線から落ちる。
そう読んでいたからこその当たり屋だった。
なら、その前提が崩れた今、相手は逃走経路を組み直さなければならない。
それは速い相手ほど痛い。
速い相手ほど、最初の設計に依存している。
「水門前に入る」
カナタが言う。
「広場側?」
「いや、その手前の絞り込み」
レイラは即座に理解した。
南六号水門区画の手前には、保守用の補強骨格が張り出した狭い接続路がある。
幅はあるように見えて、実際には逃走角度が限られる場所。
速い機体ほど、自由に見えて自由がない。
「外、切る」
レイラが言う。
「頼む」
カナタが返す。
二機が分かれる。
青白機は内側へ。
緑機は外側へ。
相談はない。
だが、もうそれで足りる。
前方の違法改造機が、次の分岐で一瞬だけ迷った。
本当に一瞬だった。
だが、その一瞬で十分だった。
「見えた」
カナタが低く言う。
相手は最短で水門へ抜けたい。
だが最短は内側だ。
内側は青白機が食う。
なら外へ振るしかない。
だが外はレイラが切る。
つまり、もう遅い。
違法改造機が外へ逃げようと機首を振る。
その先へ、緑機が滑り込んだ。
真正面からぶつけるのではない。
逃走角度の先に、ぴたりと機体を置く。
抜け道だけを消す、嫌な止め方だった。
「そっちはなし」
レイラが言う。
相手は即座に切り返す。
速い。
判断も鈍っていない。
だが、その切り返し先はもう読まれている。
青白機が内側から前へ出た。
押しがけ直後の不安定さを感じさせない、短く鋭い加速。
完全に追い越すのではない。
相手の機首が向く先へ、半機体ぶんだけ先に入る。
それだけで十分だった。
違法改造機の進路が消える。
「――っ」
相手が初めて、露骨に制動を入れた。
壁面との接触を避けるための、苦しい減速。
逃げるための機体にとって、一番やりたくない止まり方だった。
「今!」
レイラが叫ぶ。
緑機が外側から寄せる。
青白機が内側を締める。
二機で挟む。
押し潰すのではない。
速度と角度を奪って、逃走の余地だけを消す。
違法改造機がなおも暴れる。
細い機体を活かして骨格の隙間へ潜り込もうとする。
だが水門前の補強骨格は、逃走用に都合よくはできていない。
削った外殻も、細い機首も、ここでは決定打にならない。
「終わり」
カナタが言う。
青白機の制動鉤が伸びる。
違法改造機の翅基部側へ噛む。
完全破壊ではない。
だが、翅軸の自由を奪うには十分だった。
同時に、レイラの緑機が反対側から機体を押さえ込む。
逃げようとした違法改造機の姿勢が崩れ、補強骨格の手前で半ば横滑りのまま止まった。
警告灯が乱反射する。
金属音。
短い火花。
それで終わりだった。
違法改造機は、もう走れない。
数秒だけ、回廊に荒い駆動音の残響が残る。
それもすぐに薄れた。
レイラが息を吐く。
「……捕まえた」
カナタはまだ気を抜かない。
表示を確認する。
対象機、機動停止。
翅軸反応低下。
外部拘束、維持。
搭乗者生体反応、あり。
「生きてる」
カナタが言う。
「そりゃそうでしょ。死なれたら面倒が増える」
レイラが返す。
だが声の端に、わずかな安堵が混じっていた。
違法改造機の外装が、内側から一度だけ叩かれる。
まだ諦めていない音だった。
レイラが機体越しに吐き捨てる。
「往生際、悪っ」
通信を開く。
匠一へ直通。
「南分署機動対応班より報告」
カナタが言う。
「対象、南六号水門区画手前で停止。現場統括級一名、機体ごと確保」
短い沈黙のあと、匠一の声が返る。
「損害は」
レイラが先に答えた。
「青白機のスターター死亡。主機関は無理やり起こした。整備班にはたぶん怒られる」
間があった。
それから匠一が言う。
「生きて帰ってきてから怒られろ」
レイラが笑う。
「了解」
通信が切れる。
水門前の警告灯が、遅れて封鎖完了を示し始める。
もう相手は抜けられない。
もう遅い。
カナタは停止した違法改造機を見た。
南域搬出路統括。
密貿易網南水門系の現場責任者。
事故と事件の境目を壊し、追跡側の正しさを足止めに変える相手。
その相手を、今回は止めた。
レイラが青白機の方を見る。
「で、止まったら次はないって言ったの、覚えてる?」
「覚えてる」
カナタが答える。
「帰りは止まらないでよ」
カナタは一拍だけ黙った。
それから言う。
「善処する」
「それ、止まるやつの台詞なのよ」
緊張が切れたせいか、レイラの声にはいつもの調子が戻っていた。
だが二人とも、まだ完全には気を抜いていない。
確保は終わりではない。
ここから引き渡し、押収、経路洗い、荷の確認が始まる。
それでも、一つだけははっきりしていた。
現場ボスは逃げ切れなかった。
正しい撤退を選ばせるための当たり屋も、スターター潰しも、押しがけの無茶も、全部ひっくるめて、
最後に残ったのは確保だった。
海底都市アプスー南域。
事故と事件の境目が崩れた現場で、南分署機動対応班は今日も間に合った。




