海底都市アプスー捕物帖(ニール)
見難い火傷の子418
海底都市アプスー捕物帖
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
匠一が人を褒める時は、だいたいろくなことにならない。
少なくともレイラはそう思っているし、カナタもたぶん否定しない。
南分署の整備区画は、夜勤明けの気だるい静けさに沈んでいた。
保守回廊での小競り合いと違法改造機の追跡を終え、青白機と緑機はようやくドックに戻され、
翅の点検と外装の洗浄を受けている。
照明は白く、工具の音は乾いていて、消毒液と機械油の匂いが薄く混ざっていた。
レイラは壁際の簡易ベンチに腰を下ろし、まだ温い缶を片手で揺らしていた。
中身はぬるい栄養飲料だ。
おいしくはないが、夜明け前の身体には染みる。
カナタは少し離れた場所で、整備記録端末に必要最低限の入力をしている。
必要最低限というのは、匠一に突き返されないぎりぎりの量、という意味だ。
その匠一は、青白機の翅基部に半身を潜らせたまま、しばらく何も言わなかった。
言わないまま、工具の先で何かを確かめ、端末に数値を打ち込み、また沈黙する。
嫌な予感がした。
「……何」
レイラが先に言った。
「まだ何も言ってない」
「言ってない時の方が嫌なのよ、あなたは」
翅基部の下から、匠一がようやく出てくる。
作業手袋を外しながら、いつもの調子で言った。
「今回の追跡、悪くなかった」
「へえ」
「珍しい」
レイラとカナタの声が、ほとんど同時に重なる。
匠一は気にした様子もなく続けた。
「南三号の分岐で、二人とも判断が早かった。無理に詰めすぎなかったのもいい。
あの床面データ不足で追っていたら、どちらかが外殻に擦っていた」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「気持ち悪いわね」
「率直な感想をありがとう」
カナタが端末から顔を上げる。
「陽動への対応も、ということか」
「そうだ。片方が釣られても、もう片方が戻せていた。連携としては上出来だ」
「上出来」
レイラは缶を見下ろした。
「今日、何か降る?」
「降らない」
「じゃあ何。怖いんだけど」
匠一はそこで、ほんの少しだけ間を置いた。
その間の置き方が、よくない。
レイラは缶を持ったまま眉をひそめ、カナタは無言で端末を置いた。
二人とも、次に来るものが褒め言葉の続きではないと分かっている。
「君たちは凄い」
匠一が言った。
レイラは目を細めた。
「やめて」
「まだ何もしてない」
「その言い方の時は、だいたい何かする気でしょ」
「する」
「ほら」
カナタが短く息を吐く。
「話を聞く」
「助かる」
匠一は作業台の端に端末を置き、二人を見た。
整備灯の白い光の下で、その顔はいつも通り無愛想だったが、言う内容だけは妙に真面目だった。
「君たちは現場適性が高い。反応も早いし、無茶の見切りもまだ残ってる。
片方が突っ込んでも、もう片方が止められる。逆もある。そこは評価していい」
「“まだ”って付いたのが気になるんだけど」
「気にしていい」
「最悪」
匠一は続ける。
「ただし、足りないものもある」
「来た」
レイラが天井を仰いだ。
「褒めたあとに落とすやつ」
「落としてはいない。事実を言ってる」
「その事実がだいたい重いのよ」
カナタは黙って聞いている。
匠一はその視線を受けて、言葉を選ぶように少しだけゆっくり話した。
「君たちは、条件が悪くなるほど個々の強さで押し切ろうとする」
「悪いこと?」
「短期なら強い。長期だと死ぬ」
即答だった。
レイラが口をつぐむ。
「疲労が溜まった時、休息が足りない時、情報が欠けた時、
二人とも“今ある力”で何とかしようとする癖がある。
何とかできる場面も多い。だから余計に矯正しにくい」
「……」
「だが、何とかできることと、持続できることは別だ」
カナタが静かに問う。
「それで」
「紹介した」
「何を」
「ニールを」
数秒、整備区画が静かになった。
遠くで洗浄ノズルの水音がして、誰かが工具箱を閉じる音がした。
そんな日常の音だけがやけに鮮明で、レイラは一瞬、自分が聞き間違えたのかと思った。
「……今、何て?」
「ニールを紹介した」
「聞き取れなかったんじゃなくて、理解したくなかっただけだったわ」
「それは気の毒だな」
「他人事みたいに言わないでくれる?」
カナタは表情を変えなかったが、沈黙がほんの少し長かった。
「選抜試練か」
「そうだ」
「受理された?」
「された」
「早い」
「推薦状は昨日出した」
「昨日?」
レイラが立ち上がる。
「昨日って、あの追跡の前?」
「前だ」
「前から決めてたの!?」
「決めていた」
「相談は!?」
「していない」
「でしょうね!」
レイラの声が整備区画に響き、近くの整備員が一人だけそっと視線を逸らした。
関わりたくない時の顔だった。
「ちょっと待って。待って。順番に怒るから待って」
「助かる」
「助からないのよ、こっちは!」
カナタが口を開く。
「理由を聞く」
「さっき言った通りだ。君たちは強い。だが、強いままだと危ない」
「矛盾してる」
「していない。強さの種類の話だ」
匠一は端末を操作し、二人の前に一枚の通知を投影した。
簡潔な文面。
所属、対象者名、実施期間、担当教導官。
そこにある名前を見て、レイラは露骨に嫌な顔をした。
「うわ」
「うわ、で済むのか」
「済まないけど、まず“うわ”が出たの」
「自然だな」
通知の末尾には、実施期間が明記されていた。
一週間。
たった七日。
されど七日。
レイラは額を押さえた。
「地獄の一週間じゃない」
「通称はそうらしい」
「らしい、じゃないのよ。受けた人みんな遠い目になるやつでしょ」
「そう聞く」
「なんでそんなものを、そんな落ち着いた顔で人に渡せるの?」
「必要だと思ったからだ」
匠一の声は平坦だった。
平坦だが、冗談ではない時の硬さがあった。
「今の君たちは、現場で通用する。かなり高い水準で」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「だが、もっと悪い条件が重なった時、どこかで破綻する」
「……」
「カナタは壊れるまで動く。レイラは壊れる前に気づけるが、その分だけ神経を削る。
二人で補えているうちはいい。だが補えない状況は来る」
「だからニール?」
「だからニールだ」
カナタが通知を見たまま言う。
「断ることは」
「できる」
匠一は答えた。
「形式上は」
「形式上」
「実質的には?」
レイラが睨む。
「おすすめしない」
「最悪」
匠一は少しだけ視線を落とし、それから珍しく、言葉を足した。
「死んでほしくない」
レイラが黙る。
カナタも何も言わない。
整備区画の白い光の中で、その一言だけが妙に重く残った。
匠一は普段、そういう言い方をしない。
必要だ、非効率だ、危険だ、そういう言葉は使う。
だが今みたいに、感情の輪郭が見える言い方は滅多にしない。
「……ずるい言い方するじゃない」
レイラが小さく言う。
「ずるくするつもりはない」
「結果的にずるいのよ」
カナタが通知を閉じた。
「いつからだ」
「三日後」
「近い」
「準備期間としては妥当だ」
「受ける前提で話が進んでるの腹立つわね」
「受けないのか」
「そう言われると受けるしかないみたいになるでしょ」
「なるな」
「認めるのね」
匠一はそこで、ほんのわずかに口元を緩めた。
笑ったというほどではない。
だが、整備区画の照明の下ではそれでも十分に珍しかった。
「君たちは凄い」
もう一度、匠一が言う。
「だから、凄い君たちに次を紹介する」
レイラは半眼になった。
「その言い回し、今後禁止」
「善処する」
「しない顔してる」
「しないな」
カナタが言った。
レイラは深く、長く息を吐いた。
ぬるくなった缶を見下ろし、それから一気に飲み干す。
まずい。
知っていたが、やっぱりまずい。
「……で、そのニールの選抜試練とやらは、何をするの」
「詳細は本人から説明がある」
「嫌な予感しかしない」
「正しい予感だ」
「慰める気ゼロね」
「慰めても内容は変わらない」
カナタが短く頷く。
「必要なら受ける」
「納得は?」
レイラが横目で見る。
「していない」
「でしょうね」
少しの沈黙のあと、レイラは肩を落とした。
「分かったわよ。受ける。受けるけど、あとで絶対文句言うから」
「受け付ける」
「受け流す気でしょ」
「内容による」
「だいたい受け流すやつの返事なのよ、それ」
匠一は端末を回収し、再び青白機の翅基部へ向き直った。
話は終わった、という背中だった。
いつものことだ。
爆弾だけ置いて、本人は整備に戻る。
レイラはその背中を見て、心底嫌そうに言った。
「ねえカナタ」
「なんだ」
「匠一が人を褒める時って、やっぱりろくなことにならないわね」
「同感だ」
「しかも今回は最悪の部類」
「ああ」
整備灯の下、二人の前にはまだ通知の残像が薄く焼きついている気がした。
ニールの選抜試練。
通称、地獄の一週間。
受ける前から、まったくうれしくない。
だが匠一がああいう顔で勧める時は、たいてい本当に必要なのだ。
それが分かってしまうのが、いちばん腹立たしかった。
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ニールが現れ、
カナタとレイラはドナドナされていった。
それから一週間後である。
南分署の整備区画は、相変わらず白かった。
照明は白く、床も白く、壁も白い。
清潔で、機能的で、少しだけ冷たい。
消毒液と機械油の匂いが薄く混ざっている。
見慣れた場所だった。
見慣れているはずだった。
匠一は青白機の脚部外装を開いたまま、整備記録を確認していた。
手は動いている。
視線も端末に落ちている。
だが意識の一部は、区画入口の方に向いていた。
戻る時刻は聞いている。
遅れることはないだろうとも思っていた。
ニールが関わる案件で、時間だけ曖昧ということはあまりない。
嫌な意味で正確な男である。
整備区画の自動扉が、静かに開いた。
足音は二つ。
軽くはない。
重いというほど乱れてもいない。
一定だった。
妙に一定である。
匠一は端末から顔を上げた。
ニールが先に入ってきた。
いつも通りだった。
静かで、整っていて、何も起きていない顔をしている。
そういう顔で人を返しに来るのはやめてほしい。
毎回ではないが、毎回嫌である。
その後ろから、カナタとレイラが入ってきた。
一見して、ひどく変わったようには見えなかった。
怪我はない。
包帯もない。
歩けている。
立っている。
顔色も、倒れそうなほど悪くはない。
だが、違った。
まず、入ってきた瞬間に二人とも止まらなかった。
立ち止まって周囲を見るのではなく、歩きながら整備区画全体を一度で拾っていた。
出入口。
整備員の位置。
工具台。
開いた機体。
死角。
音源。
視線。
そういうものを、見たというより通した感じだった。
レイラが先に匠一を見つけた。
いや、見つけたというより、最初からそこに含めていた。
そんな視線だった。
「ただいま」
声はいつも通りだった。
少なくとも言葉だけなら。
だが少し低い。
無駄に跳ねない。
息の置き方が変わっていた。
カナタも言う。
「戻った」
短い。
いつも通り短い。
だが、短さの質が違った。
削ったというより、最初から必要量しか出していない感じがする。
匠一は二人を見た。
見て、数秒黙った。
「……生きてるな」
レイラが少しだけ笑った。
笑った、はずだった。
口元はそう動いた。
だが目があまり笑っていない。
「たぶん」
「曖昧だな」
「一週間ずっと曖昧じゃなかった時間が無かったのよ」
軽口の形は残っていた。
残っているのに、前より軽くない。
妙な感じだった。
ニールが一歩下がる。
「予定課程は終了した」
ニールが言う。
「基礎選抜は通過。以後は現場での定着を見る」
匠一は頷いた。
「分かった」
それだけだった。
詳しく聞かない。
聞いても全部は返ってこないと知っている顔だった。
だが今回は、ニールの方から続けた。
「追加指示についても完了している」
匠一の視線がわずかに上がる。
レイラは嫌な予感しかしなかった。
カナタは黙っている。
黙っているが、たぶん同じことを思っている。
「対象の所作、筋肉の反応、目の動き、唇の動き、呼吸、重心移動、
発話前後の間、視線の置き方、反応の遅速。
有りと有らゆる微細情報から情報を拾う技術は定着させた」
嫌な報告だった。
内容が嫌だし、言い方も嫌だった。
定着させた、で済ませるにはだいぶ嫌なものを定着させている。
ニールはさらに続ける。
「合わせて連携も一段引き上げた。
打ち合わせ、目配せ、合図を必要としない状態まで到達している」
整備区画が少し静かになった気がした。
実際には何も変わっていない。
工具の音もある。
洗浄ノズルの水音もある。
端末の通知音も遠くで鳴っている。
だが、その報告だけが妙に鮮明だった。
匠一は二人を見る。
二人は何も言わない。
否定しない。
つまりそういうことなのだろう。
最悪である。
いや、必要だったのだろう。
それがさらに最悪だった。
レイラが先に口を開いた。
「その言い方だと、なんか部品交換みたいなのよね」
「違う。だが調整は必要だった」
ニールが答える。
「たぶん人間だから、その違いは大事にして」
「たぶん、って付けるのやめろ」
カナタが言った。
軽口は残っていた。
残っているが、やはり前より軽くない。
言葉の裏で、二人とも周囲を拾い続けている。
それが分かる。
分かってしまう。
その時、整備区画の奥で整備員二人が小声で何か話した。
本当に小さな声だった。
普通なら雑音に埋もれる程度。
レイラがそちらを見ずに言う。
「右奥、青棚の前。
留め具の締め忘れ、たぶん二番」
言われた整備員がぎょっとして振り返る。
確認する。
本当に二番の留め具が半端だった。
「え、なんで分かったんですか」
整備員が言う。
レイラは少しだけ嫌そうな顔をした。
「聞こえたから」
「そこまで?」
「そこまで」
匠一は黙った。
ニールは黙っている。
カナタは補足もしない。
たぶん補足の必要がないからだ。
別の整備員が、搬入口側から書類束を抱えて歩いてくる。
歩幅が少し狭い。
肩が上がっている。
視線が落ち着かない。
カナタがその動きを一度見て言う。
「その束、三枚足りない」
整備員が止まる。
「は?」
「左手側の綴じが軽い。
途中で落としたか、最初から抜けてる」
整備員が慌てて数える。
本当に三枚足りなかった。
顔色が少し変わる。
慌てて来た道を振り返る。
「……何で分かる」
匠一が低く言った。
カナタは少し考えてから答えた。
「持ち方」
「それだけか」
「歩幅と、腕の張りと、視線」
それだけ、ではなかった。
十分すぎるほど嫌な観察だった。
ニールが淡々と言う。
「対象は言葉より先に情報を出す。
本人が隠しているつもりでも、身体は別だ」
レイラが即座に返す。
「それを一週間ずっと叩き込まれると、人の顔見るだけで疲れるのよ」
「有効だ」
「有効なのと気分が悪いのは両立するの」
匠一はそこで、ようやく少しだけ息を吐いた。
成果は理解した。
理解したくない部分まで理解した。
「連携の方は」
匠一が聞く。
ニールは答える。
「既に実用域だ」
その言葉の直後、搬入口側でまた小さな事故が起きかけた。
今度は整備補助員が運んでいた細い工具筒が、脇の台車に触れて転がりそうになる。
声をかけるより先に、二人が動いた。
だが今度は、動きがさらに嫌だった。
レイラが補助員の進路を半歩だけ塞ぐ。
同時にカナタが台車の角度を変える。
工具筒は転がらない。
補助員は自分が止められたことに一拍遅れて気づく。
相談はない。
視線も交わしていない。
合図もない。
それでも噛み合っている。
本当に噛み合っている。
気持ち悪いくらいに。
「……今の」
匠一が言う。
レイラが答える。
「右に逃がすと後ろの台車に当たるから、前を切った」
カナタが続ける。
「止めるより流れを変えた方が早い」
説明はできる。
だが説明してからやったのではない。
先に身体が動いている。
その後で言葉が追いついている。
ニールが言う。
「互いの判断基準を揃えた。
見ている情報の優先順位も近づけてある。
だから確認が要らない」
嫌な報告だった。
だが現場では強い。
かなり強い。
そしてかなり敵に回したくない。
匠一は二人を見た。
一週間前より、明らかに変わっている。
強くなった、では少し足りない。
精度が上がった。
解像度が上がった。
人と場から拾う情報量が増えすぎている。
「……変わったな」
匠一が言う。
レイラは少しだけ肩を回した。
「うれしくない変化も多いけどね」
「たとえば」
「人の唇が動くと、言葉になって見えてくる。その前後まで見たくなくても入ってくる」
「目線の揺れも」
カナタが言う。
「肩の入り方も」
「呼吸の詰まりも」
レイラが続ける。
「黙る前の間も」
嫌な列挙だった。
だがそれが全部、現場では武器になる。
情報戦の武器である。
「静かな場所が静かじゃないのよ」
レイラが言う。
「誰かが何か隠してると、分かる時がある。
分かりたくない時でも」
匠一は少し黙った。
それから、ニールに向けて一言だけ言う。
「そうか」
ニールは即答した。
「現場で足りる量だ」
「報告は以上」
ニールが言う。
「定着には実地が要る。
休養後、軽度案件からがいいだろう」
匠一は頷いた。
「分かった」
レイラが横から言う。
「今“休養”って言った?」
「言った」
「本当に?」
「本当だ」
「確認したくなるの最悪なのよね」
カナタも短く言う。
「休んでいいなら休む」
「いい」
匠一が答えた。
「少なくとも今日は」
二人はすぐには動かなかった。
その一拍が、もう前と違う。
言葉を受け取って、その裏がないか確かめる癖がついている。
一週間で骨の近くまで入ったものは、そう簡単には抜けない。
やがてレイラが小さく息を吐いた。
「……そう」
カナタも頷く。
「了解」
ニールは役目を終えた顔で踵を返した。
本当に引き渡しと報告だけで終えるつもりだったらしい。
自動扉の前で一度だけ止まり、振り返らずに言う。
「君たちは凄い」
レイラが即座に顔をしかめた。
ニールは気にした様子もなく続ける。
「だから、次はもっと深いところまで拾える」
そう言って去っていった。
最悪だった。
帰ってきたばかりなのに、もう次の気配を置いていく。
本当にろくでもない。
扉が閉まる。
整備区画に、いつもの白い静けさが戻る。
戻った、はずだった。
だがもう、前と同じ静けさではなかった。
レイラは自販機の前で立ち止まり、ぬるい栄養飲料の表示を見て嫌そうな顔をした。
「……あれ飲むと訓練思い出すんだけど」
「飲まなくていい」
匠一が言う。
「助かる」
カナタは搬入口の方を一度見てから、ようやく視線を戻した。
「次の現場はいつだ」
「明日は外す」
「明後日は」
「未定だ」
レイラが言う。
「未定って言い方、前より怖く聞こえるようになったのよね」
「気のせいじゃないだろうな」
匠一が答えた。
そうなのだろう。
たぶんもう、前には戻らない。
一週間で何があったのかは、詳しく語られなかった。
語る気も、たぶんあまりない。
だが一つだけ確かなことがある。
カナタとレイラは帰ってきた。
帰ってきて、無事ではあった。
少なくとも外から見れば。
しかし中身は、少し違っていた。
対象の所作。
筋肉の反応。
目の動き。
唇の動き。
呼吸。
重心。
沈黙の前後。
そういう、人が無意識に零す情報を拾う術が、
もう二人の中に入ってしまっている。
しかもそれを、互いに確認もせず共有できる。
打ち合わせも、目配せも、合図もいらない。
片方が拾った歪みを、もう片方も同じ重さで拾う。
だから連携が早い。
早いというより、もはや同じ場を同じ解像度で見ている。
情報戦の化け物、という言い方はたぶん大げさではない。
少なくとも、前よりずっと厄介になった。
敵に回したくない種類の強さが、静かに育ってしまっている。
匠一はそれを見て、少しだけ安堵し、少しだけ後悔した。
必要だったとは思う。
今でも思う。
だが、必要だったことと、気分がいいことは別だ。
レイラが伸びをしかけて、途中でやめた。
背後の気配に反応したからだ。
ただの整備員だった。
害はない。
それでも身体が先に動いた。
「……最悪」
小さくそう言って、レイラは今度こそ肩を落とした。
カナタは何も言わなかったが、
その視線はもう次の音を拾っていた。
南分署の整備区画は、相変わらず白かった。
照明は白く、床も白く、壁も白い。
清潔で、機能的で、少しだけ冷たい。
ただ、その白さの中に立つ二人だけが、
一週間前とは少し違って見えた。
何があったかは、想像するほかない。
だが、ろくでもない一週間だったことだけは、
見れば分かった。




