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見難い火傷の子  作者: 清風
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417/465

海底都市アプスー捕物帖(旗羽族)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子417



海底都市アプスー捕物帖(旗羽族)



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


旗羽初登場


夜の保守回廊は、昼間の観光区画とは別の都市だった。


アプスー中央層の外縁をなぞるように伸びた透明回廊の外では、

深海灯に寄せられた小魚の群れが銀の粉みたいに明滅している。

内側では、整備用の青白い誘導灯が床と壁を細く走り、人気のない通路をどこまでも冷たく照らしていた。

昼間なら搬送ドローンと保守員が行き交うこの区画も、深夜帯は静かだ。

静かであるはずだった。


その静けさを最初に破ったのは、苦情だった。


「またです!南三号の外殻回廊!うるさくて眠れないって、居住ブロックから三件目!」

通信越しに喚く管制補佐の声に、レイラは端末から顔を上げた。

保安局南分署の待機室は、夜勤特有の気だるさに沈んでいたが、その一言で空気が少しだけ張る。


「また?」

「また。昨夜も一昨夜も。高速飛行体、複数。識別信号なし。監視カメラには光しか残ってません」

「ただの違法走行?」

「今のところは。でも今日は保守路の封鎖タイミングまで妙に正確で……気持ち悪いです」


レイラは椅子の背にもたれていた体を起こし、向かいの机に視線をやった。


カナタはすでに立っていた。

返事より先に装備棚へ向かうあたりが、いかにも彼らしい。


「行く?」

「苦情が三件なら行く」

「十件になる前で助かるわね」


軽口を叩きながら、レイラも立ち上がる。

壁際では匠一が整備端末から顔も上げずに言った。


「南三号なら、今夜は外殻洗浄のあとで床面が少し湿ってる。滑るなよ」

「先に言いなさいよ、そういうの」

「今言った」

「そういうところよ」


匠一はようやく視線だけを上げた。

いつもの無愛想な顔だが、端末に映る保守路の図面には赤い線がいくつも引かれている。


「それと、監視ログの残像。羽ばたきの周期が妙だ」

「妙?」

「規格機じゃない。少なくとも正規のオートメガネウラの制御波形じゃない」

「違法改造?」

「たぶんな」

「最悪」

「まだ最悪と決まったわけじゃない」

「あなたがそう言う時は大体最悪なのよ」


カナタがヘルメットを抱えて戻ってくる。


「機体は?」

「二番ドック。青白と緑、両方出せる」

「助かる」

「助かると思うなら、帰ってきたらちゃんと点検記録を書け」

「善処する」

「書かないやつの返事だな」


レイラは吹き出しかけて、ヘルメットを被った。


二機のオートメガネウラが夜間ドックから滑り出す。


青白の戦術迎撃モデルと、緑の支援救安モデル。

長く細い胴体、四枚の翅、跨がるように取られた鞍部。

風防のない露出姿勢は、

何度乗っても「機体に乗る」というより「生き物の背にしがみつく」に近い感覚を残す。


発進許可灯が青に変わる。


「南三号外殻回廊、進入許可」

「保安二一、了解」

「保安二二、了解」


次の瞬間、二機は海底都市の夜へ飛び出した。


透明ドームの向こうに広がる海は暗い。

だが都市の光があるぶん、完全な闇にはならない。

遠くの居住塔、保守用の球形ドック、外殻に沿って走る補修路、

そのすべてが青く沈んだ世界の中に輪郭だけを浮かべている。


カナタが先行し、レイラが半機身ずらして追う。


「静かね」

「苦情の直後に静かなのは、だいたい良くない」

「同感」


南三号回廊へ入る。

床面の誘導灯が流れ、透明壁の向こうを中型魚が横切る。

人影はない。搬送ドローンも止まっている。

夜勤の保守員が一人、遠くでこちらを見て、すぐ退避口へ消えた。


その時だった。


高い羽音が、どこからともなく降ってきた。


金属を爪で弾いたような、耳障りな高音。

正規機の制御された羽音ではない。

もっと粗く、もっとわざとらしく、聞かせるために鳴らしている音だ。


「来る」

「上!」


レイラが叫ぶより早く、回廊上部の保守シャフトから光が弾けた。


一機、二機、三機。


細長い機影が、ほとんど壁を舐める角度で飛び出してくる。

違法改造メガネウラ。

翼端は不自然に延長され、尾部の排気は過剰に発光し、制御灯は規格外の赤と金に塗り替えられていた。


そして何より目を引いたのは、その翅だった。


半透明の四枚羽に、赤、白、黒、金のどぎつい意匠が走っている。

波頭、放射線、魚影めいた曲線。

飛行灯を受けて開いた瞬間、それはまるで古い祭りの旗のように見えた。


「……は?」 レイラが素で声を漏らす。

「大漁旗?」

「なんで?」

「知らない」


先頭機がわざとらしく機首を振り、二機の前を横切る。

後続二機もそれに続いて、回廊いっぱいに散開した。

狭い通路でやる軌道ではない。

見せつけるための飛び方だ。


通信にノイズが走る。

次いで、外部拡声器越しの声が割り込んできた。


『夜の海路を塞ぐたぁ、無粋じゃねえか、保安サンよォ!』


若い男の声だった。

妙に景気がよく、妙に芝居がかっている。


レイラが眉をひそめる。

「うわ、最悪のタイプ」

「止める」

「ええ、もちろん」


カナタの青白機が一気に加速する。

先頭機も待っていたように機首を上げ、保守回廊の分岐へ飛び込んだ。


追跡が始まる。


南三号回廊は、途中から保守用の細い連絡路へ枝分かれしている。

通常の搬送路より幅が狭く、天井も低い。

正規の巡航艇では入れないが、オートメガネウラならぎりぎり通れる。


違法機はその利を知り尽くしていた。


一機が急減速して後ろへ流れ、レイラの進路を塞ぐ。

もう一機は床すれすれを滑って誘導灯を蹴散らし、視界に残光を引く。

先頭機はその隙に上層シャフトへ逃げる。


「連携してる!ただの悪ふざけじゃない!」

「分かってる!」


レイラは緑機を傾け、横滑りで妨害機をかわした。

相手の翅が目の前で開く。

大漁旗めいた模様が照明を弾き、ほんの一瞬だけ視界が白む。


「うわ、趣味悪っ!」

『褒め言葉だぜ、お姉サン!』


返ってきた声に、レイラは本気で嫌そうな顔をした。


カナタは無言で先頭機を追う。

分岐、上昇、急旋回。

正規機の制御補助があるとはいえ、普通なら躊躇する角度だ。

だが青白機は細い胴体をしならせるようにして曲がり、違法機の尾を捉え続ける。


先頭機の乗り手が舌打ち混じりに笑った。

『へえ。やるじゃねえか、保安』


「停止しろ」

『やだね』

「停止しろ。次は翅を落とす」

『できるもんなら――』


言い終わる前に、カナタは機体を半身ずらし、相手の進路を切った。

違法機が慌ててロールする。

壁すれすれ。

透明外殻の向こうに、深海の暗さが口を開けている。


そこへレイラが下から上がってきた。


「挟んだ!」

『ちっ――』


だが相手も速い。

先頭機は機体をほとんど失速寸前まで落とし、二機の間を縫うように沈み込む。

その瞬間、後続の一機が横から割り込んできた。


派手な排気光。大漁旗の翅。無茶苦茶な軌道。


「カナタ、右!」

「見えてる!」


青白機と違法機の翅がかすめ合い、火花が散る。

警告音が短く鳴った。だが致命傷ではない。

カナタはそのまま姿勢を立て直し、逆に相手を壁際へ追い込む。


レイラが息を呑む。

「今の当てに来たわね」

「陽動だ」

「ええ、分かってる。腹立つけど」


先頭機がその隙に最終分岐へ飛び込む。

そこは外殻沿いの透明回廊だった。

観光区画の照明が遠くに滲み、足元の海が深く落ち込んで見える、

夜のアプスーでもっとも絵になる場所の一つだ。


そして、もっとも逃走劇が映える場所でもある。


透明回廊へ出た瞬間、違法機三機は一斉に翅を開いた。


大漁旗の意匠が、夜の照明を受けてぶわりと浮かぶ。

赤、白、黒、金。祝祭めいた色彩が、深海の青の中で異様に鮮やかだった。


「……ほんとに何なのよ、あれ」

「知らない」

「二回目よ、その返事」


先頭機が速度を落とす。

逃げるのではなく、見せるために。


振り返った乗り手のヘルメットには、雑な金文字で何か書いてあった。

読めない。読みたくもない。


拡声器が開く。


『覚えときな、保安サン!俺たちゃ旗羽!今夜も景気よく――』


「旗羽?」

「自称か」

「最悪」


後続二機が左右に散り、まるで舞台の幕引きみたいに先頭機の背後を飾る。


そしてリーダー格らしいその男が、半身だけ振り返って叫んだ。


『仏恥義理、夜露死苦ゥ!』


一瞬、レイラは本気で聞き返しかけた。


「……は?」

「意味は」

「知らない!」


旗羽は四枚羽を大きく打ち、外殻沿いの保守用暗路へ飛び込んだ。

狭く、曲がりくねり、監視の薄い裏道。

追えないわけではない。

だがこの先は今夜、外殻洗浄後の未確認区画が続く。

匠一の警告が脳裏をよぎる。


カナタが一瞬だけ追撃姿勢を取る。


レイラが叫んだ。

「待って!先の床面データが足りない!ここで事故ったら洒落にならない!」

「……」

「カナタ!」


数秒。短い沈黙。


やがてカナタは機首を引いた。

青白機が減速し、緑機がその横に並ぶ。


暗路の奥では、違法排気の光だけが尾を引いて遠ざかっていく。

耳障りな羽音も、やがて深海の静けさに溶けた。


回廊に残ったのは、静寂と、妙な脱力感だった。


レイラが深く息を吐く。

「……今の、なんだったの」

「違法改造機の集団」

「そこじゃなくて」

「台詞のことか」

「台詞のことよ」


カナタは少し考えてから言った。

「古い様式なんじゃないか」

「様式で済ませるの?」

「本人たちはたぶん格好いいと思ってる」

「最悪」


通信が開く。

分署経由で匠一の声が入った。


『聞こえてた』

「最悪だったわよ」

『だろうな』

「何あれ。羽に大漁旗って何」

『知らん』

「あなたまで知らないの?」

『だが、発光塗膜の配分は妙に理にかなってた。視認阻害を狙ってる』

「褒めてる?」

『褒めてない』

「ならいいけど」


少し間を置いて、匠一が続ける。


『監視ログ、回してくれ。あと今夜の連中、南三号の封鎖タイミングを正確に避けてた』

「やっぱり偶然じゃない」

『ただ騒いでるだけじゃないな。保守路を測ってるか、誰かの先導をしてる』

「面倒ね」

『面倒だな』


カナタが暗路の奥を見たまま言う。

「また出る」

「ええ。絶対出る」

『次は捕まえろ』

「言われなくても」

『あと』

「なによ」

『点検記録は書け』

「今その話する?」

『今する』


レイラは思わず笑った。

緊張が少しだけほどける。


だが視線を戻した先、暗い保守路の奥には、もう何も見えない。

見えないのに、あの派手な翅だけがまだ目の裏に残っていた。


祝うべき獲物が何なのかは不明だ。

少なくとも保安隊にとって、あれが現れて嬉しい夜は一度もないだろう。


「旗羽、ね」 レイラが呟く。

「変な名前だ」

「覚えやすい」

「それが腹立つのよ」


カナタは短く頷いた。


「次は落とす」

「物騒ね」

「翅をだ」

「分かってるわよ」


二機のオートメガネウラが、静かな回廊を引き返していく。

深海都市アプスーの夜は、また何事もなかったような顔をしていた。


けれどその裏側で、確かに新しい厄介事が羽音を立てて生まれていた。

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