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見難い火傷の子  作者: 清風
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414/466

海底都市アプスー捕物帖

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子414



海底都市アプスー捕物帖



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


出向初日から、嫌な予感はしていた。


海底都市中央ドームは、駅舎というより巨大な空洞そのものだった。

透明な耐圧外殻の向こうには、深い青とも黒ともつかない海が広がり、

ときおり遠くを横切る発光生物の群れが、都市の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。

内壁に沿って段状に築かれた街区、上下を結ぶ回廊、中央を貫く吹き抜け空間。

その上層に設けられた飛行巡察路を、二機の小型単座魔導メガネウラが滑るように進んでいた。


海底都市用に開発された軽機動型。

見た目は空飛ぶ単車に近い。

大型機のような威圧感はないが、狭い回廊と巨大ドームを行き来するには、むしろこの小ささがものを言う。

カナタの機体は出力と制動に寄せた先行制圧仕様、レイラの機体は通信と索敵、医療収納を強化した支援仕様。同型機でありながら、積んでいる思想が違った。


二人のヘルメットは匠一監修の魔導通信対応型で、閉鎖区画でも通りが落ちにくい。

ゴーグルには魔力線観測、赤外線視認、投射式情報表示機能まで載っている。

初めて装備一式を見せられたとき、レイラは本気で「盛りすぎでは?」と思ったものだが、

匠一は平然としていた。


――海の底で見えない、聞こえない、間に合わないは死因になる。


その一言で、だいたい押し切られた。


「初日としては静かね」


ヘルメット内通信に、レイラの声が澄んで響く。


カナタは機体をわずかに傾け、中央駅ホーム上空を流し見た。

発着したばかりの列車から観光客らしい一団が降りてくる。

商人風の男たち、研究員らしい白衣姿、子どもの手を引く家族連れ。

下では駅員と警備員が忙しく動き、上では二人が巡回する。

深海都市の朝は、思ったより普通の顔をしていた。


「静かなまま終わると思うか?」

「思わないから聞いたのよ」


レイラの機体が、カナタの右後方にぴたりとつく。

二機一組。片方が前を見れば、もう片方が死角を埋める。

深海都市機動救安班――鉄道警察への出向という名目ではあるが、

実際には治安、救助、緊急医療を一体で担う初動要員だ。

しかも二人には、匠一から初期段階で叩き込まれた対ワイバーン徒手制圧術がある。

逮捕術の上位互換。

人間相手なら、たいていの暴れ方は想定内に落とし込める。


投射画面の端で、巡察経路が淡く更新された、その瞬間だった。


『緊急通報。緊急通報。地上側より護送中の重要被疑者が逃走。

深海線に乗り込んだ可能性あり。

対象は男性、三十代後半、身長百九十前後、右頬に裂傷痕。武装の可能性あり。

海底都市内での目撃情報を確認。各員、警戒態勢へ移行せよ』


空気が変わった。


カナタとレイラは同時に機首を下げる。

巡察から出動へ、意識が一瞬で切り替わる。


「初日から大物ね」

「歓迎が手厚いな」


ゴーグルの投射画面に、駅構内見取り図と目撃地点が重なる。

中央駅東側コンコース。

人流密度、高。

近傍に展望回廊への接続あり。

保守区画への非常扉も近い。


最悪だ、とカナタは思った。

人混みに紛れられ、逃げ道も多い。


「レイラ、上から熱源拾えるか」

「やってる。……一般客が多すぎる。けど、走ってる熱源が一つ、東コンコースから展望回廊側へ抜ける」

「先行する」

「突っ込みすぎないで」

「善処する」


善処しない声だった。


二機は中央ドームの飛行帯を切り裂くように加速した。

下方でざわめきが広がる。

警報はまだ鳴っていない。

パニックを避けるためだろう。

だが現場の空気は、すでに何かを嗅ぎ取っていた。

人の流れが不自然に割れ、誰かが悲鳴を上げる。


東コンコース上空に差しかかった瞬間、レイラが短く言った。


「いた。右前方、柱列の陰。裂傷痕確認」

「見えた」


男は大柄だった。

一般客を肩で突き飛ばしながら走っている。

振り返った目に、追われ慣れた獣の色があった。

しかも右手に何か握っている。

刃物ではない。

細い棒状――魔導起動鍵か、簡易工具か。


「一般客が近い。上からは行けない」

「下りる。避難誘導お願い」

「了解」


カナタは機体を急制動させ、コンコース脇の保安用着地帯へ滑り込ませた。

靴底が床を打つより早く、機体から身を離す。

レイラは上空に残り、拡声魔導を通して人流を制御し始めた。


「落ち着いてください! 東側通路を空けて、西側へ移動! 走らないで!」


声が通る。

よく通る声だった。

混乱の中で、人は強い声に従う。

レイラの機体が上空で位置を変え、投射灯が床に避難方向を描き出す。

匠一監修装備は、こういうときに嫌なくらい役に立つ。


男は展望回廊へ飛び込んだ。


海底都市自慢の透明回廊。

外の海を見せるための観光区画だ。

今はそれが最悪の舞台になる。

細長い通路、左右は耐圧ガラス、逃げ場は前後のみ。

観光客がまだ数人残っている。


「レイラ、回廊内の一般客は」

「三名。奥に子ども一人、手前に男女二人。犯人、子どもの方へ向かってる」

「ちっ」


カナタは走った。

ゴーグルの投射画面に、回廊の簡易見取り図と熱源が重なる。

男の熱、子どもの小さな熱、壁面を流れる魔力線。

異常なし――いや、違う。

回廊右側の補助魔導管に、わずかな乱れがある。

さっき男がぶつかったのか。


嫌な位置だ。


男は子どもの襟首を掴み、振り向いた。

子どもが息を呑む。

泣くより先に、恐怖で固まっている。


「来るな!」


男が突きつけたのは、やはり刃物ではなかった。

細い魔導工具。

だが先端が補助魔導管の保守端子に押し当てられている。

素人でも壊せる場所ではない。

だが、壊せないとも限らない。


「一歩でも来たら、ここをぶっ壊す!」


カナタは足を止めた。

止めながら、視線だけで距離を測る。

三歩半。

踏み込み一回では届かない。

男の腕が動けば、子どもか設備のどちらかに被害が出る。


ヘルメット内にレイラの声が落ちた。


「カナタ、右壁の魔力線が乱れてる。補助管に干渉されたら回廊封鎖の可能性あり」

「分かってる」

「子どもの熱源、過呼吸寸前」

「分かってる」


男の目は泳いでいた。

追い詰められているが、まだ壊れ切ってはいない。

こういう相手は、半端に追い込むと一番危ない。


「逃げ場はない」

「うるせえ!」

「ここで設備を壊せば、お前も助からない」

「だったら道を開けろ!」


男の肩が上がる。

呼吸が荒い。

利き腕は右。

重心は前。

子どもを盾にしているつもりだが、実際には自分の退路しか見ていない。


カナタはゆっくり両手を開いた。


「分かった。道は開ける」

「カナタ」

「ただし、その子を離せ」


レイラの声に、わずかな緊張が混じる。

だが止めない。

止めるべきではないと分かっているからだ。


男の視線が一瞬だけ揺れた。

出口側へ、ほんのわずかに。


その瞬間、レイラが上空から投射灯の角度を変えた。

回廊の床に、避難誘導用の光矢印が強く走る。

男の視界がそちらへ引かれる。

ほんの刹那。


カナタは踏み込んだ。


一歩目で床を殺し、二歩目で間合いを潰す。

男が反応して腕を引くより早く、カナタの左手が子どもの肩口を引き抜き、

右前腕が男の肘の内側を打ち上げた。

工具の先端が逸れる。

次の瞬間には、肩と腰を同時に崩している。


対ワイバーン徒手制圧術は、相手を殴り倒すためのものではない。

体格差と暴れを前提に、危険部位を殺し、動線を断ち、二手三手先で地面に落とすための体術だ。


男は大柄だった。

だからこそ崩しやすい。

前に乗った重心は、横に弱い。


カナタは男の右肩を巻き込みながら半身で潜り、肘、肩、首の向きを一気にずらした。

悲鳴が上がる。

工具が床を跳ねる。

男は反射的に左腕で掴み返そうとしたが、その腕もすでに死んでいた。

膝裏を払う必要すらない。

腰が浮いた時点で終わりだ。


鈍い音を立てて、男の巨体が床に落ちる。


だが終わらない。

終わらせない。


暴れる前に、カナタは肩甲帯ごと上体を封じ、首の向きと骨盤の向きを逆に固定した。

逮捕術より深く、しかし壊さない角度。

逃げようと力めば、自分で自分を締める形になる。


「動くな」


低い声だった。


男が吠える。

だが起き上がれない。

腕も脚も、力の逃げ道を失っている。

人間相手なら、これで十分だ。


遅れてレイラが着地し、子どもを抱き寄せた。


「大丈夫、もう大丈夫。息を吸って、吐いて。そう、ゆっくり」


子どもの肩が震えている。

レイラは片膝をつき、視線を合わせ、落ち着いた声で呼吸を誘導する。

その横で、手早く首元と手首を確認する。

外傷なし。

ショック症状軽度。

すぐに保護者確認が必要。


「カナタ、手錠」

「右腰ポーチ」


レイラは器用に手錠を抜き、男の両手を確保した。

カナタが制圧を緩めるタイミングに合わせて固定する。

息が合っていた。

初日とは思えないほどに。


そのとき、ゴーグルの端で警告表示が瞬いた。


補助魔導管、出力低下。


「……やっぱり触ってたか」

「損傷?」

「軽微。でも放置はまずい」


レイラは即座に通信を開く。


「指令、対象確保。展望回廊東区画。被疑者一名、身柄拘束。

一般客一名軽度ショック、外傷なし。加えて補助魔導管に軽微な干渉痕あり。保守班を要請」

『了解。保守班、医療班を向かわせる。よくやった』


よくやった、の一言で済む初日ではない気がしたが、今はそれでいい。


回廊の向こうから、避難させられていた男女が恐る恐る顔を出す。

上空では警備機が増え、駅側から鉄道警察隊員が駆けてくる。

ようやく現場が、二人だけのものではなくなった。


カナタは男を引き起こし、隊員へ引き渡した。被疑者はまだ何か喚いていたが、もう耳に入らない。レイラは子どもを保護者へ返し、簡単な説明を終えると、ようやく一息ついたように肩を落とした。


「初日としては、静かじゃなかったわね」

「だから言っただろ」

「善処する、って言った人の台詞とは思えない」

「善処はした」

「どこが」

「子どもも設備も無事だった」


レイラは数秒だけ黙り、それから小さく笑った。


「……それはそう」


回廊の外では、深海の闇の中を巨大な影がゆっくりと横切っていく。

発光する帯を曳いた魚群が、その輪郭を青白く縁取った。

海底都市は何事もなかったように息を続けている。

だが今日から、二人にとってここはただの赴任先ではなくなった。


事件と事故と災害の境目が薄いこの都市で、最初の数分を引き受ける者。


それが、自分たちの役目なのだと。


「戻るか」

「報告書、長くなるわよ」

「初日からか」

「初日からよ」


二人は顔を見合わせ、それぞれの小型単座魔導メガネウラへ向かった。

空飛ぶ単車じみた小さな機体は、巨大な海底都市の中では驚くほど頼もしく見える。


ヘルメットを被る。

魔導通信が開く。

ゴーグルの投射画面に、次の巡察経路が淡く浮かび上がった。


初日は、まだ終わっていなかった。

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