シーラ便、初運航
見難い火傷の子411
シーラ便、初運航
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
水族館の新名物――シーラ便初運航の日。
開館前から入口には人が並び、館内は朝から妙な熱気に包まれていた。
「本当に乗れるのか?」
「生きた潜水艦なんだって」
「海底都市が見えるらしいぞ」
案内板には大きくこう書かれている。
海中遊覧防衛艇シーラ便
本日初運航
係員たちは忙しく動き回り、乗船名簿を確認し、安全説明の札を並べていた。
その列の中に、アフメット一家の姿もあった。
エムレは朝から落ち着きがない。
「父さん、まだ?まだ乗れないの?」
「慌てるな。逃げはしない」
「でもでっかい魚なんだろ?潜るんだろ?海の中見えるんだろ?」
目を輝かせる息子に対し、アフメットはやや慎重だった。
「武装していると聞いたぞ。観光用にしては物騒すぎる」
「だから安全なんじゃないの」 ファトマはあっさり言った。
「危険海獣が出る海なんでしょう。守れる方がいいわ」
「それはそうだが……」
少し離れたところには、剣竜流一門の姿もあった。
見聞を広めるついでに立ち寄ったらしい。
「白亜紀の魚が、今は民を乗せて海を見せるか」
「妙な時代になったものだ」
「だが面白い」
やがて乗船案内が始まった。
海側の発着場に現れたシーラは、朝の光を受けて静かに水面へ浮かんでいた。
古代魚の姿をしているのに、装甲と観覧窓が違和感なく組み込まれている。
見慣れぬはずなのに、どこか頼もしさがあった。
『本便は海中遊覧防衛艇シーラ便です。乗客の皆様は順にご乗船ください』
副脳の落ち着いた声に導かれ、乗客たちは中へ入っていく。
エムレは席に着くなり窓へ張りついた。
「すごい……ほんとに魚の中だ……!」
「魚の中という表現でいいのか、これは」 アフメットは複雑そうな顔をした。
やがてシーラ便は静かに出航した。
最初は水面を滑るように進み、沖へ出ると、ゆるやかに潜航を始める。
窓の外で光が揺れ、海の青が深くなっていく。
魚群が横切った。
どれも大きい。
発光する小魚の群れが帯のように流れ、岩陰には見たこともない甲殻類がうごめいている。
『右舷側に見えるのは沿岸発光魚群です。夜間にはさらに強い発光が観察されます』
副脳の案内は簡潔で聞きやすい。
エムレは窓に額をつけたまま、ひとつひとつに歓声を上げた。
ファトマも思わず見入っている。
アフメットは最初こそ身構えていたが、運航の滑らかさに次第に肩の力を抜いていった。
「揺れが少ないな」
「快適ね」
「……思ったよりずっとまともだ」
剣竜流一門も静かに海中を眺めていた。
海底へ向かうにつれ、景色はさらに変わる。
やがて、海底都市の遺構が見えてきた。
崩れた塔。
半ば砂に埋もれた石畳。
海藻に覆われた門柱。
かつて街路だったものが、今は魚たちの通り道になっている。
船内がしんと静まった。
「……街だ」 誰かが小さくつぶやいた。
エムレでさえ声を潜めていた。
シーラは遺構の周囲をゆっくり回る。
まるで、見せるべき場所を知っているかのように。
『前方に中央広場跡。左舷側に神殿様式建築の残骸を確認できます』
その時だった。
低い警報音が一度だけ鳴った。
乗客たちが顔を上げる。
『脅威接近。大型海獣一体を確認。乗客保護行動へ移行します』
船内の空気が一瞬で張りつめた。
エムレが息を呑み、アフメットが反射的に家族の前へ腕を出す。
だが座席周辺には透明な防護膜が展開し、衝撃吸収の術式が作動した。
窓の外、遠くの暗がりから巨大な影が近づいてくる。
「来るのか……!」
アフメットが低く言う。
だがシーラは慌てなかった。
巨体をわずかに傾け、乗客席を海獣から遠ざける角度を取る。
次いで装甲の一部が開き、鋭い光が海中へ走った。
威嚇用の閃光と振動波だった。
海獣は一度突進しかけたが、その直後、進路を乱した。
さらにシーラが短く正確な追撃威嚇を加えると、巨体は身を翻し、暗い海の向こうへ逃げていった。
戦いというほど長くもない。
だが、圧倒的だった。
船内に静けさが戻る。
『脅威排除を確認。遊覧を継続します』
何事もなかったような副脳の声に、逆に乗客たちは呆気に取られた。
最初に口を開いたのはエムレだった。
「……すごい」 それから、目を輝かせて言った。
「守ってくれた!」
アフメットはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……確かに、これなら安全だ」
ファトマはうなずいた。
「だから人気が出るのよ」
剣竜流一門の一人が、感心したように笑う。
「兵の器が、今は民を楽しませ守るか」
「悪くない使い道だ」
その後の遊覧は穏やかだった。
海底都市を離れ、発光生物帯を抜け、巨大な海藻林の間を進み、シーラ便は無事に帰港した。
発着場へ戻ると、待っていた客たちが一斉にざわめいた。
乗ってきた者たちは興奮気味に感想を語り、追加予約の問い合わせが殺到する。
「次の便はいつだ?」
「夜の海も見られるのか?」
「子どもを連れてまた来たい」
エムレは下船してからも、何度も振り返ってシーラに手を振った。
「また乗りたい!」
シーラは水面下で静かに揺れた。
返事のように、尾がゆっくり動く。
少し離れたところで、その様子を見ていた匠一が笑う。
「ちゃんと働いてるじゃないか」
AI副脳が業務報告を始める。
『初運航完了。乗客保護成功。観覧満足度、高評価を推定』
白亜紀から生き延び、改造され、孤独の軍隊にされた古代魚は、
今や海を見せ、人を守る観光資源となっていた。
海は今日も静かに凪いでいた。




